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小説を書いたり本を読んだりしてすごす日々のだらだらログ。
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 ――あの星が欲しい。
 ユタがそういったのは、リュカが十、ユタが六つのときだった。
 小さな弟が指差した冬の空には、ほかの星よりひときわ眩しく光る、青く澄んだ星があった。それは地元の人々がアス・ハティト《神鳥の眼》と呼ぶ星で、冬至のその日、夜の遅い時間に東の空からゆっくりと上り、ちょうど真夜中に天頂に煌々と輝く。
 星をねだられたリュカは困惑して、懐に入れていたちいさな玻璃玉を出した。玻璃といっても安物で、祭の夜店で売っているような子どもだましの玩具だが、それでもふだんの彼らの手には入らない、ぜいたく品には違いなかった。リュカが仕事を手伝っている玻璃工房の職人が、細工を失敗したからといって、持たせてくれたのだ。
 ――これじゃだめか。お前、前から欲しがってただろう。
 兄の手のひらに乗った小さな玉を眺めて、ユタはちょっと考え込んだ。玻璃玉は星明りを受けて、うす蒼く輝いてる。小さな傷が入っているので、売り物にならないのだといわれたけれど、それは二人の目には、じゅうぶんに美しく映った。
 けれどユタは少し迷ったあとで、ふるふると首を振った。
 ――あの星がいい。
 ――そうか。
 リュカはしかたなく頷いて、玻璃玉を懐に戻した。
 ハティトは隻眼の鳥で、空におわす神々の言伝を嘴に咥えて、地上へと運んでくるのだという。神々が使う文字は、人のそれとは違っていて、城につとめているような、立派な神学者にしか読めないのだそうだ。
 そんなたいそうな鳥の眼をほしがる弟を、兄としては叱って諌めるべきだったのかもしれないが、あいにくリュカにとっては、天高くに住まう神々からの天罰よりも、明日に食べるものの心もとなさや、家に帰ったらきっと彼らに手を挙げるに違いない飲んだくれの父親といった、眼の前の不安のほうが、よほどおそろしかった。
 ――じゃあ、いつか、兄ちゃんがとってきてやる。
 ――ほんとに?
 ぱっと頬を上気させて、ユタは笑った。ほんとうだ、と答えるかわりに、リュカは弟の頭に小さな手のひらを載せて、やわらかい髪をかき回した。
 ――でも、どうやって?
 問われてリュカは首をかしげた。
 ――さあ。世界で一番高い樹の上にのぼるとか。
 ――それでも手が届かなかったら?
 ――そうだな。砂漠の馬賊にでも弟子入りして、拳銃を習おうかな。
 リュカがそういうと、ユタは黒い眼をぱちくりさせた。まつげが頬に影を落とすほど、その日の星明りはまぶしく、家路を歩く二人の足元を、あかるく照らし出していた。
 ――星を撃ち落すの。
 ――そうだ。
 リュカがいうと、何が嬉しかったのか、ユタはぴょんぴょんと飛び跳ねた。うさぎのように軽やかに飛び跳ねる弟の、小さく熱い手を、離れていかぬようにと、リュカはきつく握った。
 弟の手は荒れていた。二人が下働きをしている工房では、冷たい水で掃除ばかりさせられているから、あかぎれがなおる間がない。同じ歳の子らが安気に遊びまわり、そこらでどろどろになって転げまわっている横で、昼も夜もなく働かされている幼い弟が、リュカには哀れに思えた。
 リュカは空を仰いだ。神鳥の眼は蒼く冴えて、静謐なまなざしを地上に注いでいた。

 

 ふ、と息を漏らして、リュカは鼻をこすった。
 火薬のにおいが、鼻腔にこびりついている。いまにはじまったことではない。父親を撃ち殺した日からずっと、そのにおいは彼の中に染み付いてしまっていた。
 夜闇にまぎれて父親のもとを逃げ出したあと、砂漠の馬賊を名乗る男の前に転がり出たとき、リュカの胸には、幼い日の約束があったというわけでもなかった。しかし、彼をきまぐれに拾った馬賊が面白がって教えると、リュカの銃の腕はみるまに上達し、育ったのちには、馬賊の一団を任されるようにまでなったのだ。
 銃の本来の射程距離をおおきく離れた的でも、リュカは難なく撃ち落した。腕前と面倒見のよさから、仲間うちでは一目おかれ、ほかの頭目たちと比べれば、ずいぶんと慕われている。
 音も立てずに天幕を掻き分けて、手下のひとりが顔を出した。
「お頭。西側に騎影が」
 そうか、と答えて、リュカは腰の拳銃を撫でた。砂漠では夜に旅をする。ただの旅人かもしれない。それでも用心するにこしたことはなかった。金にもならない殺しをして、火薬と命を無駄にすることなどない、そうリュカはいつも口にする。面目や名誉などを気にする性質ではなかった。
「発つぞ。片付けさせろ」
 いうと、手下はすっと下がって、音も立てずに天幕の外に出た。
 夜には音が思いもかけずに遠くまで響くから、逃げるのであれば物音を立てずに動くのが、彼らの習いだった。
 いくら手下に慕われていようと、いまのリュカは、天下のお尋ね者には違いなかった。義賊を気取り、豪華な荷を積んだ隊商を狙いはしても、無意味な殺しはしないし、手下たちにもけしてさせない。そんな題目があったところで、王国軍の討伐隊にとってみれば、ほかの狼藉者たちとなんら変わりないのだろう。
 リュカが天幕の外に出ると、空には満天の星がひしめいて、どこまでも広がる岩砂漠を、皓々と照らし出していた。その流れを眼でおって方角を確かめながら、リュカの目は無意識に、ひときわ輝く青い星を探し当てた。西の空にゆっくりと傾いていく、神鳥の眼。
 目がこの星を探りあてるたびに、リュカは父親を殺した夜のことを思い出す。
 弟を置いて家から逃げ出して、五年あまりが経つころだった。故郷の町の盛り場まで遠征したのをきっかけに、ふと家へ足を向けたリュカを待っていたのは、あいかわらず酒のにおいをさせた父親と、小さく粗末な墓ばかりだった。
 酔っての折檻が行き過ぎて、壁にぶつけて頭を打ったきり、そのまま二度と目覚めなかったというユタ。十二の歳だったという。ろれつの回らない口調で、笑ってそう話した父親に向かって、リュカは無言で引き鉄を引いた。あの夜にも、空にはアス・ハティトが煌々と瞬いていた……。
 ふと拳銃を抜いて、空に向けた。リュカはつめたく冷え切った銃把を、ゆるく指でなぞる。けれど一つ目の鳥に向かって引き鉄を引きはせずに、そのままホルスターに戻した。星を打ち落とせないのと同じように、死者を冥府から引き摺りだすすべはない。
 ふ、と疲れた息を漏らして、リュカは視線を落とした。手下の告げた騎影が、まだはるか遠い西の地平線に、小さく蠢いている。さほど数は多くはなさそうだ。
 無音のうちに天幕を片付けて、整然と集まった手下たちに向かって、手のひらをふって合図を送りながら、リュカは自分の馬に飛び乗った。

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お題:「どろどろ」「一つ目」「星を打ち落とせ」
制限:60分(後日、微修正)
 

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