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小説を書いたり本を読んだりしてすごす日々のだらだらログ。
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 先日のミニイベントで書いた小品を、あとで手直ししたものです。話がオチていませんが、恥を承知で垂れ流しておきます。
 テーマは「人形」でした。

 ※ 暗い話注意。
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 まあまあ、お人形さんのようね。そういわれるのは彼女にとって、まさしく日常茶飯事だった。それが、顔立ちの整ったかわいらしい少女に対する慣用句だということを、彼女は長じるまで知らなかった。いつでも言葉通りの意味として、彼女はその賛辞を受け取っていたし、もしかすると、それを誇らしく思ってさえいたかもしれない。
 まさしく彼女は、人形のようだった。いつでも上品に微笑んで、おとなしくじっと黙っている、愛らしい少女。手を引く母親のあとに従って歩き、座っているようにと命じられれば次の命令があるまで、何時間でも身じろぎせずに座っている。呼吸もするなといわれたら、そのようにしたかもしれない。
 幼い日々、それが彼女にとって日常であったし、身を守るための手段でもあったのだ。
 指示に従わなければ、叱責される。何かを要求すれば、うるさいといわれる。不機嫌な顔をしていれば、何が不満なのと怒られ、声を出して泣けば、癇癪とともに平手が飛んでくる。
 けれど人形のようにしてさえいれば、彼女の必要なものはきちんと与えられたし、彼女の母親は、とても優しかった。彼女をいつでもよく褒めて、頭を撫でて、可愛がった。ちょうど人形に対してそうするように。
 家のなかではほとんど、彼女は口を利かなかった。母親に何かを訊ねられれば、きちんと返事をしたけれど、そもそも彼女の母親が、彼女に何かを訊ねるということが、めったにないことだった。
 家の外でも、彼女の母親とともに出掛ける範囲の世界では、それでなにも問題がなかった。彼女は訊かれたことにはわかる範囲できちんと答えたし、意味がわからなければ、愛らしく小首を傾げれば、それでことたりた。大人しいお嬢さんね。そういわれると、どうも人見知りで、と母親は返す。おかげで人見知りという言葉の意味を、彼女は長らく誤解していた。
 彼女の母親は、どうやら親類と縁を切っていたらしいというのは、彼女が成人してからようやく知ったことで、子どもの頃の彼女は、そうしたことを、とくに疑問に思ったりもしなかった。そうした、よその家の子にはお父さんがいて、おじいちゃんとおばあちゃんが二人ずついるらしいけれど、どうして自分はそうではないのだろうというようなことは。いわれたこと以上の何かを考えるということは、苦痛をもたらすばかりの行為であると、彼女は人生の初期の段階で、明瞭に学習していた。
 小学校に上がるまでは、それで大きな問題はなかった。少なくとも、眼に見える範囲では。
 けれど、教室でたくさんの子どもたちに囲まれて、人から何を聞かれても言葉少なに返し、自分からはけして会話に加わろうとしない彼女は、子どもたちの中で、浮いた。
 誰かに話しかけようともせず、始業前にも、授業中も、昼休みにも、放課後になっても、ひとりでしずかに微笑んでいる少女。口がきけないわけでもないのに、話をしない少女。話しかけられれば肯き、首を振り、いっしょに遊びの輪に入るけれど、ただいわれたことだけを淡々とこなすばかりで、何かをうまくできても嬉しそうな顔をしない。誰かに怒られても、怯えて涙ぐむこともなければ、反発して怒り返すこともなく、ただ静かに、微笑んでいる。
 なにかおかしなものが自分たちの中に混じっているという違和感に、子どもたちはひどく敏感なものだ。徐々に、少女に話しかける子どもの数は減っていき、彼女はひとり、いつまでも、微笑んで椅子に座っているようになった。やがて何かがおかしいということに気付いた彼女の担任が、家庭訪問を決意するまでに、それほど長い時間はかからなかった。
 何かうちの子に、問題があったでしょうか。そう心配そうに教師に訊ねる母親のそばに、人形のように座って微笑んだまま、少女は神経を張り詰めさせていた。何が問題視されているのか、自分が何を失敗してしまったのか、彼女には知りようもなかったけれど、彼女の母親が発している怒り、対面して座っている担任の教師にはまるで感じ取れないらしいその匂いを、少女は敏感に嗅ぎつけていた。
 いいえ、問題というのではないんですよ。ただちょっと、そうですね、人見知りなんでしょうか、あまりほかの子たちとおしゃべりするのが好きじゃないみたいで。おうちではどんなふうですか。
 頭の上でかわされるやりとりに、少女はじっと耳をすませた。そして何がいけなかったのか、必死で学習しようとした。一時間あまりの面談を終えて教師が去っても、母親にしかられる前に、先回りして謝って、明日からはうまくやるというようなことをいったりは、彼女はしなかった。何も言われないうちから口を開くということは、そもそも彼女の選択肢にはなかった。
 どうしてちゃんとやれないの。彼女の母親が怒鳴ったとき、彼女は言葉を失った。訊かれたことに答えなければ、叱られる。けれどどう答えていいのかわからない。
 なにが「ちゃんとやる」ということなのか、そのときの彼女にはわからなかったし、どうしてと理由を聞かれても、もっとわからなかった。彼女はただ、家の中でそうするように、学校でも振る舞っていただけだった。
 けれどそれでは足りないのだということを、学校という場所、子どもたちの中では、それにふさわしい、求められる振る舞い方があるのだということを、彼女は新しい青あざとともに、体に刻んだ。そして、次の日からは、そのようにした。
 ほかの子どもたちの動向を観察して、それらしい、普通の子どもの平均的な反応というものを彼女が学習するまでには、それほど長い時間はかからなかった。心配した教師が家を訪問するようなことはなくなって、彼女はゆっくりと周囲に溶け込んでいった。可笑しくなくても笑い、悲しくなくても顔をゆがめ、小鳥が死んでいれば可哀相という顔をする。学習するということについて、それから、求められるように振る舞うということについて、少女は長けていた。その必要に、誰よりも切実に駆られていたからだった。
 誰からも嫌われないようにするということ、その困難さに、彼女は早い時点で気付いたけれど、誰からも暴力を振るわれなくて済む程度に、強い関心を持たれないということならば、注意を払ってさえいれば、おおむねうまくやれた。
 彼女が成人して、それなりに無難な就職を果たすと、なおそうしたことは容易になった。子どものころに比べれば、周囲にいる人間たちも、敏感に彼女の言動に対する違和感を察知するようなことも少なくなったし、求められる役割をさりげなく果たす彼女は、仕事の上でもそれなりに重宝された。大きな問題は起こらなかった。彼女が結婚するまでは。


 なにがいけなかったのだろう。
 彼女は途方に暮れる。夫が割った食器の破片を拾い集め、まき散らされた食べ残しを拭きながら、彼女はずっと、静かに考えていた。無意識に彼女がさする二の腕には、ほんの幼い子どものころによくそうだったように、青あざがいくつも重なっている。
 彼女は夫の言動のひとつひとつを思い返して、彼女の何が夫を怒らせたのか、どのように振る舞えば夫を苛立たせなくてすむのか、必死に探しだそうとしていた。彼女の夫は、彼女が無言で息をひそめていれば、辛気臭いといって怒り、彼女が口を開けば、中身のない言葉ばかりだといって、うんざりと顔をゆがめた。彼女が泣いて懇願してみせれば、お前は何もわかっていないといって苛立ち、彼女が黙って耐えれば、なにを考えているかわからないといって詰った。
 結婚したのは、夫に強く望まれてのことだった。出会ったばかりの頃、顔を合わせるたびに彼はたじろいだように眼をそらし、それから緊張したように彼女に話しかけてきた。最初のデートに誘われるまでに、実に一年あまりの月日を要し、それから手もめったに繋がない交際がさらに一年も続いて、結婚の申し込みがあるころには、出会ってから四年近くが経っていた。それだというのに、結婚生活に不協和音が生じるまでに、ひと月もかからなかったというのは、皮肉としかいいようがない。
 なにが、いけなかったのだろう。
 彼女は考える。自分のとった行動、選んだ表情、声の調子、そのときの夫の反応、ひとつひとつを思い出しながら、ずっと、考えている。どのように振る舞えばよかったのかを。
 痣は鈍く痛み、彼女が毎日ていねいに掃除しているはずの部屋は、見るも無残なありさまだった。わたしはこの光景を知っている、と彼女は思った。よく知っている。
 彼女はそこから、とっくに抜け出したはずだった。注意深く息をひそめ、大きな努力を払って。それなのにまた、二十年も前に抜け出したはずのその場所に、いまさらになって囚われている。
 よく気をつけていたつもりだった。彼女はいつだって、夫を不快にさせないようにふるまおうとしていた。言葉も、表情も、慎重に選んでいたし、家の中を整えることにも余念がなかった。夫が触れてほしくないといった、あるいはそのように態度で示した話題には触れず、夫が好む食べ物をつくり、夫がこのむ服を着た。彼女はいつだって、努力していた。その何が足りなかったというのだろう? 彼女はずっと、考えている。自分のふるまいの、なにが間違えていたのかと。
 ふるまいが間違えていたのではなく、そこに心のないことこそが、問題なのだということを、彼女は知らない。彼女は気付けない。夫が彼女に恋をしたことこそが、不幸の源泉であるのだということに。夫は彼女が従順にふるまってみせることではなく、彼女の心をこそ求めているのだという、その単純な事実に。
 もっとも、仮に気付いたところで、彼女に何が出来ただろう?
 掃除の手を止めて、飾り棚に置かれた人形を、彼女はふと手に取る。それは結婚祝いにと、知人から贈られたものだ。贈ったのは、彼と彼女との共通の知り合いの女性。きれいに着飾って微笑を浮かべる、愛らしい人形だ。お幸せにという言葉と、しずかな微笑みとともに贈られた、人形。
 どうしてあのひとは、お祝いに、これを選んだのだろう。
 それは、彼女が抱く疑問のなかでは、珍しい種類のものだった。何を思って、相手が、それをしたのかというようなことは。
 自分がどのようにふるまえば、相手がどんな行動を返すのか――刺激に対する反応――そういうものを洞察することには、彼女は長けていた。だから、たとえば、その人形を渡した知人の微笑が、まるで強引に顔に張り付けられたように、かすかにこわばっていたことや、お幸せに、という語尾がわずかに震えたことなどは、彼女も注意ぶかく見ていた。その言動が、あまり穏便ではないということは、彼女にも察された。だからそれ以来、彼女はその女性と、連絡をとっていない。しかし、どういう思いで相手がそのようにふるまったのかということ、そうしたことを考えるのに、彼女は慣れていなかった。
 だから、いまこのとき、彼女の頭のなかにその言葉が降ってきたのは、彼女自身が考えて答えを導き出したというよりは、なにか天啓のような、不思議な力が働いたものとしか思われなかった。
 ――皮肉なのだ。
 人形のような彼女への、あてこすりとして、彼女によく似た人形を、あの女は選んだのだ。お幸せにと、口ではいいながら。
 彼女は息を飲み、それから、自分の喉がたてたその音に、自分で驚いた。その唐突な考えが、いったい自分の中のどこからやってきたのか、彼女にはわからなかった。けれどそれは、おそらく本当のことだろうと、彼女は考えた。
 しかし、だからといって、なんだというのだろう?
 彼女は高く振り上げた自分の手を、驚いたように見つめた。その、こわばって関節の白くなった指を。彼女の手は、ほとんどひとりでに動いて、陶製の人形を、力一杯に振り下ろした。彼女は自分の手がすることを、茫然と見つめていた。
 壁紙にぶつかって、人形は、澄んだ音を立てて砕けた。するどい破片が飛び散り、彼女の夫が割った食器のかけらと混じりあった。酔いつぶれて寝室で眠っていたはずの夫が、驚いてベッドから下り、歩いて電気をつける物音が、彼女の耳に届いた。
 破片のひとつを、彼女は拾い上げた。それは人形の、微笑の浮かぶ口元をふくんだ、左半面だった。
 尖った割れ口は彼女の指を傷つけて、そこからは赤い血が滲みでた。それを不思議なもののように眺めて、彼女はゆっくりと、瞬きをした。
 彼女はほかの破片をかき集めて、それを両手で握りしめた。鈍い痛みが走って、手のひらに、いくつもの筋が出来る。
 そのようにしているあいだ、彼女はずっと、混乱を抱えていた。夫の足音が近づいてくるのを背中で聞きながら。
 困惑している彼女の心をよそごとのように、彼女の手は陶器の破片を、ますますきつく握りしめる。
 夫の足音が戸口のあたりで止まるのを、彼女は背中で聞いた。夫はなんというだろう。まだ酔いが残っているだろうか? 自分がいま、どのような表情を浮かべるべきなのか、夫にこの状況をどう説明するべきなのか、彼女は必死に考える。しかし、自分でもわかっていないことを、どう説明のしようがあるだろう?
 彼女の手のひらから流れた血が、カーペットを汚していく。手を放さなくてはならないと思うのに、指からは、どうしても力が抜けない。
 自分の体がなぜ自分の意思を無視して勝手に動いているのか、彼女にはどうしても、わからなかった。わからなかった。

 

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