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小説を書いたり本を読んだりしてすごす日々のだらだらログ。
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 ――ツバメだ、と里香がいった。
「どこ」
 顔を上げても、それらしい姿は見当たらない。空には刷毛で掃いたような薄雲がひとすじ流れているだけで、ほかに動くものは見あたらなかった。
「あそこ」
 そういって里香が指さす先は、ずいぶん離れた場所の電線の上だ。じっと目を凝らすと、ようやくそれらしい小さなシルエットがわかった。
「よくわかったな」
「声がしたから」
 したっけ、と首をかしげて、記憶をたどってみる。したかもしれない。ツバメの声がどんなふうだかも、そういえばよく知らない。
 並んで座る土手は、まだ朝露に濡れている。見慣れない私服姿の里香は、服が汚れることなんて気にもしないようすで、そこに腰をおろしている。
「ツバメって、縁起がいいんだっけ」
「そう」
 肯いて、里香はじっと電線を見つめる。細い髪が風に煽られて、頬にかかる。川を渡ってくる風は、まだ冷たい。
「春を告げる鳥なんだよ」
 いっときして、里香がぽつりといった。
「へえ。なんか、いいな。そういうの」
 どういうの、とは里香は訊かない。ただ肯いて、ちらっと俺のほうを見る。色の薄い目が、午前の陽射しに透ける。目じりがほんのちょっと、よく見なければわからないくらいに、微笑んでいる。
 
「軒先に、ツバメが巣を作ったことがあって」
 いっときして、里香が話しだした。視線はまた空に戻っている。
「小学校の頃なんだけど。おじいちゃんが、ツバメは縁起がいいからって喜んで、そのままにしておきなさいって。でもお母さんが、糞が汚いからって、業者の人を呼んで。おじいちゃんが囲碁教室に出かけてる間に」
 川面が光を弾いて、目に眩しい。少し離れた川原から、掛け声が聞こえている。近くの学校の弓道部のようだった。日曜日の朝だっていうのに、気合いが入っている。うちの高校に弓道部はないから、知り合いに見つかってからかわれる心配はしていないけれど、どことなく後ろめたいような気はする。
「おじいちゃん、長いあいだ、軒を見上げてた。巣をどかした跡、よく見るとちょっとだけ壁に残ってて、そこのところを、じっと見てた。首が疲れたみたいに、顔をおろして、それで私と目が合って。怒られると思ったけど、おじいちゃん、何もいわなかった。小さくうなずいて、うちの中に入ってった。お母さんの性格、よく知ってたんだと思う。怒っても無駄だって。次の年からは、ツバメ、もう来なかった」
 自分も首が疲れたように、ふと顔をおろして、里香は川のほうを見る。その視線の先で、何か魚が水面で跳ねて、また水の中に戻った。
「あのツバメ、ずっと覚えてるのかな。あの家は危ないぞ、あそこには巣をかけるなよって、仲間同士で伝えあったりするのかな」
「まさか」
 首を振ってはみたけれど、その話を否定できるほど、自分が鳥のことを知らないことに気がついた。里香は反論しなかった。いっとき黙ったあとで、ぽつりといった。
「ツバメって、すごい遠くから渡ってくるんだって。フィリピンとか、ボルネオとか」
「ボルネオって、どこ」
 訊くと、里香は手で空中に地図を書こうとして、途中で止めた。「あとで自分で調べて」
「そうする」
 そういいはしたけれど、調べなくても、南の方の、とても遠い国だということはわかる。ツバメたちは何故こんなところまで、遥々やってくるんだろう。本能の声に呼ばれて? 小さな鳥たちが、海の上を渡る姿を、想像しようとしてみる。太陽を背にして、北へ、何日も、何日も、休む場所さえないところを、飛び続ける。どうしてそこまでするんだろう。ずっと南の温かい国で、そのまま暮らせばいいじゃないか。そのほうがきっと、生きやすいだろうに。
「ヒロキはさ」振り向くと、里香と目があった。「馬鹿にしないで聞いてくれるよね。こういう話」
 馬鹿にするようなところ、なかっただろ。そういいかけて、止めた。誰かが、たとえばクラスのやつらが、里香の話を聴いて馬鹿にするところが、想像できるような気がしたから。
 里香はふっと視線を上げた。
「どっか行っちゃったね」
 首をひねって電線を見ると、ツバメの姿はもうどこにも見当たらなかった。餌を捕まえて、巣に戻ったんだろうか。雛の待つ巣に。
 
 里香と別れて家に帰る途中、本屋にふと足が向いたのは、世界地図が置いてあるかと思ったからだった。世界史の教科書は学校に置きっぱなしで、明日になればもうそのまま忘れてしまいそうな気がした。
 ボルネオは、東南アジアだった。インドネシアやマレーシアのあるところだ。国名でいわれれば、まだなんとなく場所が浮かんだかもしれないけれど、島の名前なんか意識したことがなかった。それとも授業で習っただろうか。覚えていない。
 指で距離を測ってみる。ここから四千キロか、それくらいだろうか。その距離を、あの小さな鳥が、体一つで渡ってくるということが、うまく想像できない。
 世界地図の本を元の棚に戻して視線を上げると、図鑑類の並んでいる一角が目にとまった。とっさに背表紙を視線で追いかける。ツバメについての本なんか、置いてあるだろうか。
 そうした類の資料が置いてあるのは、ごく狭いスペースだった。ツバメというのがタイトルに入っている本は見つからなかったけれど、鳥の図鑑はいくつかあった。
 ツバメのページを開けると、カラフルな写真が目に飛び込んだ。ツバメって、こんな見た目なんだっけ。頭のところが青くて、喉が赤い。もっと地味な、白黒の鳥だと思い込んでいた。
 端のほうにコラムが載っている。ツバメの巣立ちまでの様子、それから、渡りのことも書いてあった。
 並ぶ本の背表紙で、鳥類保護連盟という団体名が目にとまる。ホゴレンメイ、と口の中で呟くと、なんだか座りの悪いものが胸に残った。
 日本野鳥の会、というのもあった。そういう団体があることは知っている。テレビなんかで、耳にしたことのある名前。
 野鳥の保護、ということを仕事にしている人たちがいる。バードウォッチングだとか、そういうことが好きで、鳥の姿が減っていることに、おそらくは本気で胸を痛めて、鳥を保護するために、仕事として、あるいはボランティアで、真剣に、何かしらの行動を起こしている人たちが。知識としては知っているけれど、そういう人たちが本当にいるということが、リアルに想像できなかった。
 誰か一人のこと、たとえば鳥が好きでときどき山に鳥の声を聞きに行くという年寄りのこと、あるいはテレビでインタビューを受けて、絶滅を心配されている鳥について熱く語っている人間のことなら、イメージできる。子どもの頃から鳥が好きだったんです、とかなんとか、マイクに向かってしゃべっている誰かのことなら。
 けれど、そういう人たちがたくさんいて、そういうことを仕事にする組織があって、よく知らない遠い熱帯の国からやってくる鳥たちのことを、毎日のように真剣に考えている、その人たちにとってはそういう日々が当たり前で――そういうのが、ぴんとこない。現実のものとして、リアルに想像できない。
 たとえば、クラスの誰かが、絶滅しそうになっている鳥のことを、熱を込めて話したとしたら? それならすぐ想像がつく。真面目だね、偉いよね。そういうやつもいるかもしれない。だけどそのあとで、本人のいないところで誰かがいう。あの子ちょっと、変わってるよね。その声に、たぶん俺は同意する。
 
 携帯が鳴った。メールが入っている。里香からだった。今日はありがとう。それだけのそっけないメール。
 つきあいはじめてから気付いたけれど、里香は、クラスで浮いている。特別に人より嫌われているわけではないけれど、ちょっと変わりものだと思われている。里香も、自分でそのことを知っている。そして多分、諦めている。
 返信を打ちながら、信号を渡る。どこかで鳥が鳴くのが聞こえて顔を上げるけれど、首を回しても、姿を見つけきれない。
 自分の暮らすこの町にも、鳥がいるということさえ、普段は意識することもない。そいつらのどれかが、あるいは全部が、絶滅しそうになっていて、南の国から渡ってくる数が年々減っている。そういうことは、知識としてはわかるけれど、リアルなものとしてイメージできない。
 そういうことは、教科書の中か、テレビの画面の向こうの話だ。友達に薦められてハマったゲームの進み具合のこと、クラスの誰が同じ大学を受けるつもりかということ、きのうの試験の出来がひどかったと頭を抱える誰かに、俺も悲惨だったと返すこと。数学の宿題に手をつけていないこと、コンビニで買い食いする食べ物を大人たちにジャンクフードと馬鹿にされて、それを馬鹿にしかえすこと。今日も人身事故で電車が遅れたらしいこと。そういうのがリアルな話題で、何千キロも海の上を飛んでくる鳥や、世界のどこかの国では今日食べるものも新鮮な飲み水もなく死にかけている人たちがごまんといて、そういう国を支援するために現地を飛び回っている団体があって、そこで働く人がいることは、現実感のない、自分とは関係のない、別の世界の出来事だと思っている。
 世界のどこかの国では、今でも本気で神様を信じている人たちがたくさんいて、毎日当たり前のように神様に祈っていて、そうしてれば何かいいことがあるって、心の底からそう思っていて、周りにいる人も皆がそうで、そういうことが、ちっともぴんと来ない。もし今、自分の周りにいる誰かが、神様について語り始めたら、深く関わらないほうがいい相手だと思うだろう。それが当たり前の反応だ。
 当たり前の。
 
 隣の家の前で、足が止まった。
 庇のところに、作りかけらしい巣があった。ぽかんとして見ていると、黒い小鳥が一話、どこか高いところから、すっと舞い降りてきた。喉が赤い。口に何か、枯れ草のようなものを加えている。巣材だろう。
 さっき図鑑で見たばかりの姿だった。
 人間が近くにいても、恐れるようすもなく、ツバメは巣を作るのに集中しているように見えた。こいつも海を渡って、やってきたんだろうか。何千キロも向こうの、南の国から。
 玄関のカギを回す音がして、我に返った。けれど、足が動かなかった。
「あら、やだ。こんなところに」
 出てきた隣の家の奥さんは、すぐに巣の存在に気付いたようだった。遅れて出てきた旦那さんが、お、ツバメか、珍しいなと、のんびりした声を上げる。
「ねえ、出来あがる前に、撤去してもらいましょうよ。卵が孵ってからだと、大変そうだし」
「あの」
 とっさに声が出て、自分でそのことに動揺する。奥さんは振り返って、愛想よく会釈を返してきた。
「あら、佐藤さんのところの。こんにちは」
「ちわ。……あの、ツバメ、縁起いいらしいですよ」
 俺は、何をいってるんだろう。よその家のことに口出しなんかして。へんな汗が出て、目が泳いだ。奥さんは首をかしげて、困ったように笑う。変な奴だと思われている。
「ああ、そうね。でも、ほら、糞とか、気になるのよねえ」
 すぐに引き下がるつもりだった。それなのに、口が勝手に開いた。
「巣立つまで、一か月くらいだって……」
 顔が熱くなった。本当に、俺は何をいってるんだろう。
 すいません、と言い捨てて、背を向けた。呆れられているのが、気配でわかった。
「そのままにしといても、いいんじゃないか」
 旦那さんの声が、ドアを占める直前にすべり込んできた。
 そういうけど、掃除は誰がすると思って……
 けど可哀相じゃないか、せっかく……
 ドアを閉めても、顔の熱が引かなかった。自分の部屋に入って、カーテンを引く。窓の外から誰が見ているわけでもないのに、いたたまれなかった。
 カーテンの向こうから、ツバメの鳴き声がする。
 携帯をポケットから出して、いっとき迷った。考えて、何度かやめようとして、それからようやく、里香あてのメールを作り始めた。


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お題「ツバメ」「新鮮」「ジャンクフード」

 

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