小説を書いたり本を読んだりしてすごす日々のだらだらログ。
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ブログ、またえらい放置してしまいました……小説書けてないとここで何を書くにも言い訳しか出てこないような気がして腰がひけるっていうだけなのですが。
何も書けてないというか、ここしばらくは手書きでちょっと草稿めいたものを書いています。最終的にちゃんと公開できそうな形に仕上がるかどうかとか、いつ何が出せそうとか、そういうことを何か語れるようなレベルではないのですが、今年前半は本当に小説を書くということに向き合うの自体が、しんどくて考えられないような日が多かったので、少しはましな状態になってきたのかなと思っています。
まだ時間がかかるかもしれないけれども、書くことに戻ってくる意思だけはある。その程度のことしか宣言できないのが、なんとも不甲斐なくはあります。
でも不甲斐ないとか思って焦るとまたループにハマるので、淡々とリハビリします。
書けなくなった最初の発端は焦りとか、書くことへのモチベーションを疑ったりとか、そういう普段から陥りがちな不調からはじまっていたようなのですが。途中からは、仕事での消耗が主な原因だった気がします。残業量が多かったのは5月くらいまでだったんですが、残業以外のストレス要因が重なって、せっかく早く帰れるようになっても、もう生きるために必要な最低限のことと休養すること以外は何も考えたくないモードの日も多くて、無気力でした。
何かを書こうとすると、面白くなければ小説を書く意味がないとか、まともなものを仕上げなくてはならないとか、意識的にも無意識的にもそういう「ねばならない」感覚に捕まってしまいます。それは平常時には大事な感覚なのですが、気持ちが磨り減っているときには、何かをしなくてはならないこと自体がひたすら苦痛で、「書くこと」を直視するのがもうつらくて思考停止する。そういうループだったんだと思います。
本当はただ楽しんで書いて、それがいい具合に現実逃避になって仕事の気分転換になる、そういうループをつくれたら理想的なんだろうと思うのですが。何かひとつ気合い入れていいものを書いてやるぞというだけの気力がないときには、自分が楽しむためだけのものを、本当にひたすら自分のためだけに書くような。
楽しむために書こうというのは、途中で何度か思った気がするのですが、もう何を書いたら楽しいのかもよくわからなくて、「こういうものを書いたら面白いかな」などとぼんやり思っても、出力しようとするとすぐにわからなくなって霧散することが続いていました。
いまはとにかく「ねばならない」をいったん全部保留にして、書き上がるかどうかもわからない、ただぽろりと自分の中から出てきた話を、毎日少しずつ出力することだけ、とにかく続けています。
なので、いま書いているものが最終的に小説として自分が納得して外に出せる体裁になるかどうか、自分でちっともわかっていないのですが、あえてつきつめて考えないようにしています。
恥ずかしながらいまだにそんな段階ですので、何もご報告することがなくてブログを放置していたのですが、今日「かれの声」に拍手コメントをいただいたのが嬉しくなって、筆を取りました。
拍手そのものはこの数か月も、複数の過去作にぽつぽついただいていました。何分にもこんな調子だったので、お礼もTwitterで書いたり書かなかったりしていましたが……。
自分が小説を書く人間だったこと自体が、なんだかもう信じられないような気がする日もあったので、拍手が来るとはっとします。自分が書いたものを読んで、誰かが喜んでくれるかもしれないということを思い出して、戻ってきたいというモチベーションになっています。ありがとうございます。
拍手コメントをきっかけに「かれの声」を、久しぶりに自分で読み返して、佐波はいい子だなあとしみじみしました。
この話を書いた最初のきっかけは、ものすごく印象に残っています。車通勤をしていた8年前、どこのコンビニの前の交差点で信号停止しているときに思いついたということまではっきり覚えています。耳の奥で「おれはおれが気持ち悪い」って呟く、甘くて掠れた男の子の声が響きました。
断っておかないと誤解されそうな言い回しですが、幻聴じゃないです。ちょうどいまとは真逆で、三語とか長編とか色々意欲的に挑戦していた時期で、空想脳がしっかり仕事をしていたんだと思います。この声の持ち主はどんな子なんだろう、なんでそんなふうに言うんだろう、っていうところからいっぺんに話が膨らんで、運転している意識の片隅でずっと展開していって、20分後に帰宅したときにはもう骨格があらかた出来ていました。自分が大学進学しなかったので、大学生の生態がよくわかっていないのが気に掛かりながらも、佐波がしゃべりはじめたのをひたすら書き留めていったら書き終わった、くらいの勢いでした。
「紫鱗に透ける」もそうでしたが、わたしにとっては、なんというか、さずかりもののような話です。それが8年ごしにこうやって自分を励ましてくれるのが不思議な気がします。
そういえば、TCと個人サイトにしか置いていない話でもあります。「かれの声」に限らず、たまにサイトの隅っこにそっとしまってある旧作に拍手をいただくことがあるのですが、サイトまで足を運んで小説を読んでくださる方がおられることが、有難いなあと思います。
……また戻ってくるよ! 時間かかっても!
何も書けてないというか、ここしばらくは手書きでちょっと草稿めいたものを書いています。最終的にちゃんと公開できそうな形に仕上がるかどうかとか、いつ何が出せそうとか、そういうことを何か語れるようなレベルではないのですが、今年前半は本当に小説を書くということに向き合うの自体が、しんどくて考えられないような日が多かったので、少しはましな状態になってきたのかなと思っています。
まだ時間がかかるかもしれないけれども、書くことに戻ってくる意思だけはある。その程度のことしか宣言できないのが、なんとも不甲斐なくはあります。
でも不甲斐ないとか思って焦るとまたループにハマるので、淡々とリハビリします。
書けなくなった最初の発端は焦りとか、書くことへのモチベーションを疑ったりとか、そういう普段から陥りがちな不調からはじまっていたようなのですが。途中からは、仕事での消耗が主な原因だった気がします。残業量が多かったのは5月くらいまでだったんですが、残業以外のストレス要因が重なって、せっかく早く帰れるようになっても、もう生きるために必要な最低限のことと休養すること以外は何も考えたくないモードの日も多くて、無気力でした。
何かを書こうとすると、面白くなければ小説を書く意味がないとか、まともなものを仕上げなくてはならないとか、意識的にも無意識的にもそういう「ねばならない」感覚に捕まってしまいます。それは平常時には大事な感覚なのですが、気持ちが磨り減っているときには、何かをしなくてはならないこと自体がひたすら苦痛で、「書くこと」を直視するのがもうつらくて思考停止する。そういうループだったんだと思います。
本当はただ楽しんで書いて、それがいい具合に現実逃避になって仕事の気分転換になる、そういうループをつくれたら理想的なんだろうと思うのですが。何かひとつ気合い入れていいものを書いてやるぞというだけの気力がないときには、自分が楽しむためだけのものを、本当にひたすら自分のためだけに書くような。
楽しむために書こうというのは、途中で何度か思った気がするのですが、もう何を書いたら楽しいのかもよくわからなくて、「こういうものを書いたら面白いかな」などとぼんやり思っても、出力しようとするとすぐにわからなくなって霧散することが続いていました。
いまはとにかく「ねばならない」をいったん全部保留にして、書き上がるかどうかもわからない、ただぽろりと自分の中から出てきた話を、毎日少しずつ出力することだけ、とにかく続けています。
なので、いま書いているものが最終的に小説として自分が納得して外に出せる体裁になるかどうか、自分でちっともわかっていないのですが、あえてつきつめて考えないようにしています。
恥ずかしながらいまだにそんな段階ですので、何もご報告することがなくてブログを放置していたのですが、今日「かれの声」に拍手コメントをいただいたのが嬉しくなって、筆を取りました。
拍手そのものはこの数か月も、複数の過去作にぽつぽついただいていました。何分にもこんな調子だったので、お礼もTwitterで書いたり書かなかったりしていましたが……。
自分が小説を書く人間だったこと自体が、なんだかもう信じられないような気がする日もあったので、拍手が来るとはっとします。自分が書いたものを読んで、誰かが喜んでくれるかもしれないということを思い出して、戻ってきたいというモチベーションになっています。ありがとうございます。
拍手コメントをきっかけに「かれの声」を、久しぶりに自分で読み返して、佐波はいい子だなあとしみじみしました。
この話を書いた最初のきっかけは、ものすごく印象に残っています。車通勤をしていた8年前、どこのコンビニの前の交差点で信号停止しているときに思いついたということまではっきり覚えています。耳の奥で「おれはおれが気持ち悪い」って呟く、甘くて掠れた男の子の声が響きました。
断っておかないと誤解されそうな言い回しですが、幻聴じゃないです。ちょうどいまとは真逆で、三語とか長編とか色々意欲的に挑戦していた時期で、空想脳がしっかり仕事をしていたんだと思います。この声の持ち主はどんな子なんだろう、なんでそんなふうに言うんだろう、っていうところからいっぺんに話が膨らんで、運転している意識の片隅でずっと展開していって、20分後に帰宅したときにはもう骨格があらかた出来ていました。自分が大学進学しなかったので、大学生の生態がよくわかっていないのが気に掛かりながらも、佐波がしゃべりはじめたのをひたすら書き留めていったら書き終わった、くらいの勢いでした。
「紫鱗に透ける」もそうでしたが、わたしにとっては、なんというか、さずかりもののような話です。それが8年ごしにこうやって自分を励ましてくれるのが不思議な気がします。
そういえば、TCと個人サイトにしか置いていない話でもあります。「かれの声」に限らず、たまにサイトの隅っこにそっとしまってある旧作に拍手をいただくことがあるのですが、サイトまで足を運んで小説を読んでくださる方がおられることが、有難いなあと思います。
……また戻ってくるよ! 時間かかっても!
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プロフィール
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朝陽 遥(アサヒ ハルカ)
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性別:
非公開
自己紹介:
朝陽遥(アサヒ ハルカ)またはHAL.Aの名義であちこち出没します。お気軽にかまってやっていただけるとうれしいです。詳しくはこちらから
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