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小説を書いたり本を読んだりしてすごす日々のだらだらログ。
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 先週末、TC定例三語に久しぶりに参加しましたので、推敲したぶんのログを流しておきます。(もとはこちら→http://www.totalcreators.jp/cgi-bin/sango/read.cgi?no=62&l=1-)


 暗い話です。苦手な方はご注意ください。

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 なにか、ふきのとうの話がなかったっけ。教科書に……。

 ほとんどうわごとのように、哲哉がいった。
「あったね、たしか。低学年のころじゃなかったかな」
 わたしがそういうと、哲哉はいっとき黙り込んだ。それから、床の上であおむけに転がったまま、つぶやいた。「どんな話だったか、思い出せないんだ」
 いっとき記憶をたぐろうとして、わたしは部屋の天井を見つめた。手抜き工事の産物か、天井板がひずんで、細く隙間が見えている。小さい子どもがこの部屋で寝たなら、さぞ怖い空想に悩まされることだろう。
 たっぷり一分は考えこんだと思うけれど、物語の断片さえ、よみがえってはこなかった。
「さあ。教科書なんて、とっくにまとめて捨ててしまったもの。テツのお母さんなら、どこかにしまってるんじゃない? 几帳面そうだし」
 わたしがそういうのを、哲哉はまるで聞いていないようだった。酔っているのだ。寂しげに、ただただ繰り返した。どうしても思い出せないんだ。
 その声の語尾が、部屋の湿った空気に溶けそびれてわだかまっているのを、わたしはじっと見詰めた。それからふっと、ため息をついた。
「一度、帰ったら?」
 そうだね、といって、哲哉はまた黙り込んだ。


 かえりたい。一度だけ、哲哉がいったことがある。
 帰る? あの町へ? わたしは口に出しては何も返事をしなかったけれど、沈黙は言葉よりもなお雄弁だっただろう。
 小さな漁港の町だった。日本海側の海は波が高くて、いつでも暗く、寒々した色をしていた。町のどこにいても、生臭いにおいばかりがただよっていた。魚か、そうでなければ、昼から酒をくらっている酔っ払いの、息のにおいが。
 わたしは二度と、あの場所に戻るつもりはない。何があっても。いつか親が死んだら、ここでひとり祝杯をあげるだろう、この都会のせまく薄暗い、アパートのなかで。
 あの町を、故郷なんて美しい言葉で語りたくはない。いい思い出なんて、ひとつもない場所だ。辛気臭く、うらぶれていて、通りをほっつき歩く野良犬でさえ、誰のことも信じないという眼をしている。
 スローライフ、なんていう優雅な言葉で語られうる田舎は、いったいこの日本のどこかに、実在しているものなのだろうか? ひとはよく都会の孤独をうたうけれど、田舎には孤独がないとでも思っているのだろうか。
 たしかに小さな集落では、誰もが互いの何もかもをよく知っている。内緒ではない内緒話は、あふれる水のようにまんべんなく人々の足元に浸透し、世話を焼くふりをして詮索の目を向ける人々は、異分子をめざとく見咎める。悪いうわさが立てば、けしてそれは忘れられず、十年経とうが、五十年経とうが、繰り返し繰り返し、飽かず語られつづける。共同体の輪を乱すものは嫌われ、穢れたものは排除されるか、そうでなければ見て見ぬ振りをされる。たとえば実の父親とのあいだに子を産んだ、わたしの母親のように。


 一緒に、ここを出よう。この町にいたら、佑子はだめになる。
 いつか哲哉がそういった。あのとき、まさにあの瞬間まで、わたしには町を出るという発想はなかった。ちらりと頭の隅をかすめるようなことさえしなかった。なぜだろう。わたしこそ真っ先に、それを考えついてもいいはずだったのに。
 哲哉は間違っていた、と思う。わたしはだめになろうとしていたんじゃなくて、とっくにだめだったのだ。
 わかっているのに、二人で見ないふりをした。
 町を出て、都会にしがみつくように暮らしはじめた。借りたアパートは古く、狭く、隙間風がした。早足の雑踏にはいつも気分が悪くなったけれど、あの場所に戻ることにくらべれば、なんでもなかった。
 知らない人ばかりの中で、不安がなかったといったら、嘘になるかもしれない。ちっともおいしくない高いばかりの食べ物、嘘くさいぴかぴかした建物と服と革靴、人々のよそよそしい言葉づかい。狭苦しい田舎町で息をひそめてくらしていたわたしは、まるでものを知らなくて、人にそのことを笑われても、それを些細なこととして受け流すことができなかった。ちっぽけなくだらないことで、はげしい羞恥心に焼かれることが、日に何度もあった。
 だけど、自由だった。
 その自由を孤独と呼ぶ都会の人間に、どうしてもなじめなくても、そんなことはかまわなかった。わたしは名前のない一人になりたかった。
 そこにいてもどこにもいないのと同じ、いてもいなくても変わらない、消えても数日後には忘れられる影になりたかった。


 だけど哲哉は違う。
 わたしを助け出そうと手を引くくらいだ。他人との距離が近く、底抜けに人のいい哲哉。困っている人を見れば手をさしのばさずにはいられず、人を好くことも、自分が傷つくこともためらわない。そんなひとにとって、都会の喧騒は、毒だった。
 わたしはそれを知っていた。はじめから、知っていたように思う。だけど気付かないふりをした。そのほうが都合がよかったからだ。
 一度帰ったら、きっと哲哉は、もうこっちには戻ってこないだろう。予感があった。哲哉は誰からも愛されていた。愛されている。両親からも、お兄さんからも、親戚や、友達や、後輩たちや、近所の子どもらからも。
 哲哉のお兄さんが、少し前に足を悪くして、漁に出なくなった。酒量が増えて、荒れているようだった。わたしはそれを、漏れ聞こえてくる電話の声と、言葉すくなに答える哲哉の抑揚で知った。
 心配なら、一度、戻ったら。わたしはそういったけれど、自分のその言葉が嘘だということに、とっくに気付いていた。
 そうだね、一度と、哲哉はいった。それもまた、わかりやすい嘘だった。


 窓の外を見下ろすと、夜も遅いというのに、人通りが多かった。携帯を握りしめる若い男の子、危なっかしく自転車を走らせる青年、ハンドバッグを抱いて足早に歩く女、背広にしわの寄ったサラリーマン、塾帰りの生真面目そうな女子高校生。見分けのつかない、誰ともしれない大勢の人々。
 わたしは名もなきものになりたい。ひっそりと死んでも誰からも顧みられず、三日後には忘れられて、名前ものぼらないものになりたい。
 だからわたしに、哲哉は必要ない。上京した初めのころはともかく、いまなら一人で働いても、自分の食べていくだけならなんとかできる。いまの会社の給料はあまりよくはないけれど、余分なものを欲しがらず、家族を持とうとさえ思わなければ、人はあんがい少ないお金で暮らしてゆけるものだ。
 そこに哲哉は、いなくていい。いないほうがいい。そのほうがよほど気楽だ、こうやって鬱々と顔を突き合わせているくらいなら。お互いに気遣いあうふりをして、それでかえって傷ついたりしているよりは、ひとりきりでいるほうが、ずっといい。
 嘘ばっかりだ。


 哲哉は眠ってしまった。鼾の音を数えながら、電気を消す。今日は月明かりだけでも、部屋の中がよく見える。暗くよどんだ雨の日よりも、よく晴れて月の明るい晩のほうが寂しくなるのはなぜだろう。
 わたしはとっくにだめだったんだよ。胸のうちではもう何百も、何千も繰り返してきたそのつぶやきを、哲哉に向かっていったことはない。悲しい顔をさせるだけだから。だけど哲哉も、ほんとうはわかっている。わかっていて、気付かないふりをしている。
 哲哉は帰ったほうがいい。
 だってあなたがいると、わたしはいつも、あの場所のことを忘れられない。生まれた土地で自分がどんなふうに見られていたか、人の噂にどんな形でのぼり、どう避けられてきたか、口に出さなくても、意識の表層に上らせなくても、ずっとそのことから逃げられない。
 わたしはひとりがいい。もしも孤独に耐えられなくなって、また誰かと一緒に過ごすことがあるとしたら、その相手は、わたしのことを知らない人がいい。わたしの心の奥のふかいところなんて、何一つ知ろうともしない人のほうがいい。いつも嘘ばかりだけど、本当はちゃんとわかっている。
 今度はわたしがいう番だ。
 テツ、帰りなよ。一緒にいたら、わたしたちは、だめになる。
 たったその一言を、わたしはいつも呑みこんで、押し黙ってしまう。
 けれどいつまでも、そうしてはいられない。わかっている。だからいまは、じっと勇気をたくわえている。この古くて狭い部屋のなかで、月明かりの下で。


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お題:「ふきのとう」「革靴」「内緒」

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