小説を書いたり本を読んだりしてすごす日々のだらだらログ。
即興三語小説。
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――パパは悲しいぞ、える。この間まで、パパと結婚するって言ってたのに。
――そんなむかしのハナシ、しらないもん。えるは仁ちゃんのおよめさんになるんだもん。
夏だった、と思う。少なくとも暑い季節ではあった。場所ははっきり覚えてる、えるの家の前で、つまりうちの斜め前だった。道路に陽炎が立ち上っていた。
そこでえるの親父さんに、むせび泣きながらたこ殴りにされた。お前なんかにうちの娘はやらん、という言い分は、まあ娘をもつ父親ならばおかしなことでもないのかもしれないが、それにしても小学校に入ったばかりのよそんちのガキを拳で殴るとは、あの親父さんもどれだけ大人げがないのかと思う。まあそれも今では笑い話だ。色んな意味で。
もうあの親父さんに殴られることはない。その役目はどこかの知らないやつに譲った。
「その恋、温めますか?」
「いやむしろキンキンに冷やしてください。冷凍庫に放り込んで鎖で巻いとけよ」
冷たい声で言い放っても、相手は平然としている。
「えー、でもそうすると仁ちゃん、忘れたころに冷凍庫の奥から出てきそうでイヤじゃない? 解凍したらいやな臭いがしたりしてさ」
「何の話だ。それと仁ちゃんはよせ」
言うと、日ノ岡えるは全く悪びれるようすもなく笑った。コンビニの効きすぎた冷房のせいか、えるの制服の半そでから、鳥肌のたった二の腕が見えた。
「仁ちゃんは仁ちゃんだよ。いやだから、恋心をさ」
「いいからさっさと商品と釣りをよこせ」
手のひらを差し出したが、えるは客の当然の要求を軽く流して、駄々を捏ねた。
「えー、もうちょっとかまってよー。ヒマなんだよー」
「ヒマじゃだめだろ、仮にもコンビニなんだから」
「客がこないのはあたしのせいじゃないよー」
そうか? 本当にそうか? 言動のおかしい店員がいるとかいって、近所の人から敬遠されてたりはしないのか? そう思いはしたが、その件については話しだしたら長くなりそうなので、言わなかった。代わりに、もう少し簡単に済みそうな話にすり替えた。
「営業努力という言葉を知らないのか。なんかアイデアとか、店長に提案しろよ、客引きの」
「えー、じゃあコスプレして看板持って表に立とうかな」
「客引きってそっちかよ。警察に捕まってもしらないぞ」
「それはあたしが犯罪的に可愛いっていうこと?」
「商品をよこせ。おれは忙しいんだよ」
「えー、うそだあ」
「何で嘘だよ」
「だって仁ちゃん、就職は内定してるし、車の免許もずっと前に取ってるし、卒論だってもう準備ばっちりなんでしょ。なのに、なんに忙しいの」
「それをお前に教える義務があるか?」
「義務はないけど、義理はあるよ」
言われて、ぐっと詰まった。たしかにえるには借りがないこともなかった。
「……やりたいことがあるんだよ」
「何? やりたいことって」
「言いたくないし、よこすつもりがないならもういい、他のコンビニで買う」
いいかげん面倒になって、代金も商品も置き去りで背を向けた。外はいかにも暑そうだ。
何気なく出ようとしたら、自動ドアのセンサーの具合がよくなくて、危うくガラス戸にぶつかりそうになった。まったく、店員もあれなら設備もこうか、このコンビニは。
何度か足踏みしたら、ようやく自動ドアが反応した。足を踏み出すと、蝉がうるさい。
日差しを手で遮りながら、歩行者信号が青になるのを待っていたら、後ろからえるが走ってきた。レジ袋と釣りを押しやってくる。
「もー、気が短いんだから。そんなことじゃ、あっという間に彼女さんにふられちゃうよー。っていうかふられちゃえ」
「人のことより自分のことだろ。内藤だっけ? 今度こそ、長続きさせろよ」
ためいき混じりに言うと、全力のグーが飛んできた。わざと避けずに殴られたが、顎を直撃したパンチは、思っていたよりもずっと痛かった。まったく、父親が父親なら娘も娘だな。
「仁ちゃんの馬鹿やろー、朴念仁、トーヘンボク、鉄面皮」
「はいはい、いいから戻れよ、バイト中だろ」
顎をさすりながら手を振ると、えるはいかにも不機嫌そうにして、それでも戻っていった。その小柄な背中を何気なく見送る。恐ろしいことに、いまだに中学生のように見えるが、間違いなく同い年で、先月をもって二十二歳のはずだった。このコンビニの店長も、あんなのをよく雇ったと思う。
ぴたりとその背中が立ち止まった。どうしてもガマンし損ねたというように、えるは振り返らないままで、言った。
「ぜんぶ分かってて言ってるところが、よけい腹立つ」
小さな肩がふるえていた。コンビニの制服の、ストライプの布地が、強い日差しを眩しく弾いている。いつも車通りの多い道なのに、ふっと、蝉の声以外に何も聞こえない間隙が出来た。
「ごめん」
初めて謝ったかもしれない。言ってから、そのことに気がついた。
「……あとで後悔したって知らないからね。仁ちゃんのばーかばーか」
えるはそれだけ言い捨てると、振り向かないまま、おとなしくカウンターの中に戻った。
保育園から小中高校大学と、思えばえるとは何年の付き合いになるのか。向こうは単位が取れなくて、大学にもう一年居残ることを決めているし、おれの就職先は九州で、間違ってもえるが迷い込んでくるような種類の企業ではないので、腐れ縁も今年で最後だろう。
ばーか。ガラスの向こうのえるに向かって、大人気なく、唇だけを動かして言い返す。後悔なんて、するに決まってるだろ。
コンビニに背を向けた。もうとっくに信号は変わって、また赤に戻っている。ため息をひとつ。まあいい、急ぐというのはどうせ嘘だ。
日差しがじりじりとアスファルトを焼き、道路には陽炎が立ち上っている。歪んだレンズ越しに覗くような景色。幼いころに見た家の前の道路と、目のまえの光景が、一瞬なぜか重なって見えて、軽いめまいを覚えた。
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必須お題:「手のひら」「レンズ」「その恋、温めますか?」
縛り:「作中で十五年経過すること」
任意お題:「ゲタ」「余裕です」「来世で殺して」(使用できず)
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――パパは悲しいぞ、える。この間まで、パパと結婚するって言ってたのに。
――そんなむかしのハナシ、しらないもん。えるは仁ちゃんのおよめさんになるんだもん。
夏だった、と思う。少なくとも暑い季節ではあった。場所ははっきり覚えてる、えるの家の前で、つまりうちの斜め前だった。道路に陽炎が立ち上っていた。
そこでえるの親父さんに、むせび泣きながらたこ殴りにされた。お前なんかにうちの娘はやらん、という言い分は、まあ娘をもつ父親ならばおかしなことでもないのかもしれないが、それにしても小学校に入ったばかりのよそんちのガキを拳で殴るとは、あの親父さんもどれだけ大人げがないのかと思う。まあそれも今では笑い話だ。色んな意味で。
もうあの親父さんに殴られることはない。その役目はどこかの知らないやつに譲った。
「その恋、温めますか?」
「いやむしろキンキンに冷やしてください。冷凍庫に放り込んで鎖で巻いとけよ」
冷たい声で言い放っても、相手は平然としている。
「えー、でもそうすると仁ちゃん、忘れたころに冷凍庫の奥から出てきそうでイヤじゃない? 解凍したらいやな臭いがしたりしてさ」
「何の話だ。それと仁ちゃんはよせ」
言うと、日ノ岡えるは全く悪びれるようすもなく笑った。コンビニの効きすぎた冷房のせいか、えるの制服の半そでから、鳥肌のたった二の腕が見えた。
「仁ちゃんは仁ちゃんだよ。いやだから、恋心をさ」
「いいからさっさと商品と釣りをよこせ」
手のひらを差し出したが、えるは客の当然の要求を軽く流して、駄々を捏ねた。
「えー、もうちょっとかまってよー。ヒマなんだよー」
「ヒマじゃだめだろ、仮にもコンビニなんだから」
「客がこないのはあたしのせいじゃないよー」
そうか? 本当にそうか? 言動のおかしい店員がいるとかいって、近所の人から敬遠されてたりはしないのか? そう思いはしたが、その件については話しだしたら長くなりそうなので、言わなかった。代わりに、もう少し簡単に済みそうな話にすり替えた。
「営業努力という言葉を知らないのか。なんかアイデアとか、店長に提案しろよ、客引きの」
「えー、じゃあコスプレして看板持って表に立とうかな」
「客引きってそっちかよ。警察に捕まってもしらないぞ」
「それはあたしが犯罪的に可愛いっていうこと?」
「商品をよこせ。おれは忙しいんだよ」
「えー、うそだあ」
「何で嘘だよ」
「だって仁ちゃん、就職は内定してるし、車の免許もずっと前に取ってるし、卒論だってもう準備ばっちりなんでしょ。なのに、なんに忙しいの」
「それをお前に教える義務があるか?」
「義務はないけど、義理はあるよ」
言われて、ぐっと詰まった。たしかにえるには借りがないこともなかった。
「……やりたいことがあるんだよ」
「何? やりたいことって」
「言いたくないし、よこすつもりがないならもういい、他のコンビニで買う」
いいかげん面倒になって、代金も商品も置き去りで背を向けた。外はいかにも暑そうだ。
何気なく出ようとしたら、自動ドアのセンサーの具合がよくなくて、危うくガラス戸にぶつかりそうになった。まったく、店員もあれなら設備もこうか、このコンビニは。
何度か足踏みしたら、ようやく自動ドアが反応した。足を踏み出すと、蝉がうるさい。
日差しを手で遮りながら、歩行者信号が青になるのを待っていたら、後ろからえるが走ってきた。レジ袋と釣りを押しやってくる。
「もー、気が短いんだから。そんなことじゃ、あっという間に彼女さんにふられちゃうよー。っていうかふられちゃえ」
「人のことより自分のことだろ。内藤だっけ? 今度こそ、長続きさせろよ」
ためいき混じりに言うと、全力のグーが飛んできた。わざと避けずに殴られたが、顎を直撃したパンチは、思っていたよりもずっと痛かった。まったく、父親が父親なら娘も娘だな。
「仁ちゃんの馬鹿やろー、朴念仁、トーヘンボク、鉄面皮」
「はいはい、いいから戻れよ、バイト中だろ」
顎をさすりながら手を振ると、えるはいかにも不機嫌そうにして、それでも戻っていった。その小柄な背中を何気なく見送る。恐ろしいことに、いまだに中学生のように見えるが、間違いなく同い年で、先月をもって二十二歳のはずだった。このコンビニの店長も、あんなのをよく雇ったと思う。
ぴたりとその背中が立ち止まった。どうしてもガマンし損ねたというように、えるは振り返らないままで、言った。
「ぜんぶ分かってて言ってるところが、よけい腹立つ」
小さな肩がふるえていた。コンビニの制服の、ストライプの布地が、強い日差しを眩しく弾いている。いつも車通りの多い道なのに、ふっと、蝉の声以外に何も聞こえない間隙が出来た。
「ごめん」
初めて謝ったかもしれない。言ってから、そのことに気がついた。
「……あとで後悔したって知らないからね。仁ちゃんのばーかばーか」
えるはそれだけ言い捨てると、振り向かないまま、おとなしくカウンターの中に戻った。
保育園から小中高校大学と、思えばえるとは何年の付き合いになるのか。向こうは単位が取れなくて、大学にもう一年居残ることを決めているし、おれの就職先は九州で、間違ってもえるが迷い込んでくるような種類の企業ではないので、腐れ縁も今年で最後だろう。
ばーか。ガラスの向こうのえるに向かって、大人気なく、唇だけを動かして言い返す。後悔なんて、するに決まってるだろ。
コンビニに背を向けた。もうとっくに信号は変わって、また赤に戻っている。ため息をひとつ。まあいい、急ぐというのはどうせ嘘だ。
日差しがじりじりとアスファルトを焼き、道路には陽炎が立ち上っている。歪んだレンズ越しに覗くような景色。幼いころに見た家の前の道路と、目のまえの光景が、一瞬なぜか重なって見えて、軽いめまいを覚えた。
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縛り:「作中で十五年経過すること」
任意お題:「ゲタ」「余裕です」「来世で殺して」(使用できず)
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朝陽 遥(アサヒ ハルカ)
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