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小説を書いたり本を読んだりしてすごす日々のだらだらログ。

 戦闘妖精・雪風の続編(グッドラック)を読みました。1冊目よりこっちのほうがよかった。雪風の変化と零の成長が見どころで、はじめて雪風が意思表示をするシーンなど、胸が熱くなるものがありました。序盤がちょっと展開が遅くて「うっ……」となったんですけど、中盤以降は一気。面白かった。
 ……が、微妙なところで終わったな……。
 いや、これはこれでいいラストのような気はするんですけど、でもやっぱり決戦の盛り上がってるところで終わって、その後の主人公たちがどうなったのかがわからない結びというのは、どうもモヤモヤします。

 ラストが最終決戦の手前や、決着がつく直前などの、その後主人公たちがどうなったのかわからないところで終わってしまう作品って、たまに見かけるような気がするんですけど。そういう、その先は読み手の想像にお任せ……というラストが、読者にとってただモヤモヤするだけで終わるのか、モヤモヤするけれどそこがいいとなるのかは、ものすごく微妙なところですね。

 ロイス・ローリーの「ザ・ギバー」も、主人公たちがどうなったのか、あえて曖昧な書き方がされており、それはわたしには、ものすごく悲しい結末だと思えたんですけど、それでも、あの話はあの結末があってこそなんだと思っています。あるいは彼らが本当に「いずこ」にたどり着けたのではないかという、わずかな希望に縋れる余地がある。

 上橋菜穂子さんの「獣の奏者」の王獣編なども、あえてその後が書かれないままの結びでしたが、読み終えて深い充足感があり、取り残されてもやもやする気持ちは全くなかったです。(こちらは近年になって続編が出て、エリンのその後も知ることができましたが)

 ザ・ギバーも、じつは続編が刊行されているのですが、生憎と邦訳されていなくて、ジョウナスやゲイブリエルがどうなったか、続編のなかでそのことに触れられているのかどうかさえ、いまだに知りません……。このあいだ発作的に原書のペーパーバックをAmazon買いしましたが、まあ辞書片手に英語を読もうなんていうのが無謀だっていうのは自分でもわかりきってたよね!(一ページの半分も読まないうちに力尽きました)

 秋山瑞人さんの「イリヤの空、UFOの夏」なんかは、初読のときにはラストがもう悲しくて悲しくて、読み終えていっとき立ち直れなくて、なんでこんなラストなんだよ、いくらなんでも悲しすぎるだろう……と思ったんですけども、数年を経て読みなおしたら、ああ、この話にはこのラストしかなかったんだなと、数年前とは違うことを思ったりして。

 雪風は、どうかなあ。グッドラックの結末は、ある種のカタルシスに似た感慨があり、これはこれでいいラストだったようにも思うのだけど、それでもやっぱり、決着まで読まないことには物足りない……という気持ちのほうが、残ってしまったような気がする。
 まあしかし、三作目の「アンブロークンアロー」で、きっと彼らのその後がわかるはず。先を読むのが楽しみです。

 あとクーリィ准将がカッコよすぎた……正直惚れた。ここまで格好いい中年女性キャラって、なかなかいなんじゃなかろうか?

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「天眼の鬼」に拍手コメをいただきました。ありがとうございます! 返信が記事末尾にございますので、お心当たりの方は、お手数ですがご確認くださいませ。


 昨日の話の続きなんですけど、女子が可愛いマンガといえば、槇村さとるさんのマンガに出てくる女の子が好きです。
 主役脇役ともに、どの女子もすごく女性的で、そのぶんときにはドロドロした話も入ってくるんですけど、力強くて、読んでいてすごく元気のでるようなマンガばかり。ダンス関係と、料理のマンガが多いかな。昔から好きで折に触れて集めてるんですけど、最近「恋のたまご」の文庫版が書店で目にとまって、3冊まとめて買ってきました。まじめで、気を遣いすぎて、いいたいことを言えずに内圧が高まってしまって、そんな自分に自己嫌悪を感じてばかりいる、OLのお話。主人公の優しさや真面目さと、弱さ・ずるさが表裏一体で、彼女の自己嫌悪に、ついつい感情移入してしまったりして。
 恋愛マンガってどちらかというと不得手なほうなんですけど(全般苦手ということではなくて、好きなマンガは好き)、この人の作品は好きです。

 女の子が可愛い、で思い出したもうひとつの話が、少し古い漫画ですが、谷地恵美子さんの「明日の王様」。こちらの主人公は、何かに夢中になったらとにかく一直線で、素直で、ひたむき。まっしぐらに突き進んで、躓いて、ときどき派手に転んで落ち込んで、でもまた目をきらっきらさせながら走っていく。
 劇作家を目指す女の子の話で、読みかえすといつも、「ああ、私も何か書きたい、書かなきゃ、なにを書こう」とそわそわします。創作関係の趣味を持ってらっしゃる方には、ものすごくオススメの漫画です。この方のほかのマンガでは、「サバス・カフェ」があって、そちらも何度読み返しても泣いてしまう、切なくて優しくて、あったかい漫画です。


 続きは拍手返信です。

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 今日、乙嫁語りの4巻を読んでいたら(面白かった!)、ああー、元気な女の子もいいよなあ、とか思いました。元気で、はしっこくて、いたずらで、浅はかで、欲張りで、率直で、楽しいことを追いかけるのにすぐ夢中になっちゃう、天真爛漫な女の子。そういうキャラって、書いたことないや。書けたら楽しいだろうなあと思うし、でも書けるかなあ、とも思います。
 自信はないけど、いつかは書いてみたいな。

 芸風って、少なかったら駄目ということもないけれど、多ければそのほうがいいですよね。ひとつの芸風を極める(少なくとも、極めることを目指す)というのも、大事なことではあるんでしょうけれど、しかしあまりにもいつも似たようなものばっかり書いてても、飽きがきちゃいますし。(性格の問題か?)

 芸風の多彩さって、書けるキャラクターの幅に大きく依存するなあなんて思いました。自分の書く登場人物って、すごく偏ってるというか、狭いなというのが、昔から自覚のある部分で(教えてくれた友達に感謝)、これは長期的に改善したいなと思い続けている課題のひとつ。

 豊かな小説を書くために必要なことのひとつとして、ちょっと前に読んだル=グウィン女史の評論の中で、自分の心の中をしっかりと見つめること、というのが挙げられていました。(いま原文を読み返さずに記憶でこれを書いているので、大意ですが/汗)

 それって多分、本当に大事なことなんだと思います。面白い小説って、ストーリーテリングだとか構成だとか斬新さだとか、そういう文章技芸や発想の問題よりも、むしろ人間の心の綾を、どれだけ描き出せているか、ということではないかと。(と、これは偏った意見かもしれませんが。読み手の方次第で、いろんな好みがありますから……)

 どんなに筋書きが凝った話も、登場人物が舞台回しの人形では、魅力は半減してしまう。作風によって、登場人物がリアルな人間くささを備えているのか、カリカチュアライズされているのか、そういう違いはあるけれど、そのどちらも結局は、人の心を描くための手法ですよね。

 だけど、自分の心の中をのぞいているだけでは、書けるのは結局、自分のことだけなわけで。もちろんどんな登場人物にだって、多かれ少なかれ、自己像の投影はあるかもしれないけれど……
 人のことをよく見ていて、人の話をよく聴く人。自分の持論があってもそれだけに固執せず、他人のいろんな考え方、自分とは違う意見やものの見方を、極力否定したり枉げたりせずに、まずは聴いて、よく咀嚼して、多くの立場/多くのものの見方を、自分の中に矛盾とともに内包できる人。いろんな人を、いろんなものを好きになれる人。そういう人こそが、多彩で豊かな、面白い小説を書く人なんじゃないかなあ。

 ……なんて漠然と思っていて、そういう場所に近づきたいなあと思いながらも、ぼうっと生きていると、いつのまにか自分の狭い価値観に凝り固まりがちです。
 自然にそういうことをやれる性格に生まれつけばよかったけども、あいにくそうじゃなかったんだし。無意識にやれないことは、意識してやっていかないかぎり、絶対に身に付かないことですしね。
 あらためて、自戒を込めて。

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 空想科学祭FINALに提出することを目標に、まだまだイメージワーク中のSF。


 いまだに固まりきらない部分が多く、はたしてちゃんと期間中に書けるのかどうかわかりませんが、いつかは形にしたい話なので、もし間に合いそうになかったら、あとで自分のサイトでこそこそ公開します。
 ……って、書きだす前から弱気でどうする。そこはちゃんと意地でも書きあげるつもりで頑張ろうよ?

 フタを開けたら全然違うものを書いてたりするかもですが。とりあえずできれば参加したいな。

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「天眼の鬼」に拍手コメントをいただきました。ありがとうございます……! 返信が末尾にありますので、もしこちらをご覧でしたら、お心あたりの方は、記事の最後をご確認いただければ幸いです。
 拍手だけの方もありがとうございました!

 Lamyのサファリ(万年筆)、使ってみましたが、いい感じです。白いのかわいい。軽くて、握りやすくて、機能的なのがいいです。インク窓からインク残量が見えるのが便利っぽい。
 書いた感じも、漠然と思っていたのよりもずっと滑らかな書き心地です。気持ちよく書けます。ただひとつだけ気になるのが、急いで書き殴ると、ときどき横線を引くタイミングで、がりっという感触がします。「この角度で書くとなめらか」という角度が、手持ちのハイエースネオ(細字)に比べたら、ちょっとだけ狭い気がする。
 単に私の書き方が悪いのかもしれないのですが、もしかしてこれは、太めのペン先だからではないかという気がします。そしてスチールペン先だからかも。

 高級品の金のペン先なら、太くてもきっと柔らかいのではないかと予想。(未経験の哀しさ)
 そしてスチールでも細字だったら、全体的にカリカリはするかもしれないけれど、その角度で書いたときだけ変にひっかかったりしないんじゃないのかと思います。ハイエースネオが、そんな感じなので。まあ、単純にメーカーの差とか個体差かもしれないけど。未検証です。

 というか、検証するためだけにSafariのFを買うような浪費を、自分に許したくない……。しかし、そういう自制が働くということは、つまるところ、本心では欲しいんです。試してみたい。いろいろ比べたりするのって、なんでこんなに楽しいんでしょうか。おそろしい。
 万年筆を集める人の気持ちが、ちょっとわかる気がして、それが怖いです。コレクションしたいというよりも、色々試してみたくなるんですね。自分の書き癖に合うかどうかはもちろん、紙との相性とか、インクとの相性とか。怖いわー。

 お金を遣わなくても、お店で素直に試し書きをさせてもらったらいいんですけど、ほぼ買うつもりのないものを試すのはやっぱり気がひけますし、廉価版の品だと、試し書きさせてもらうのにどうしても気が引けますね。廉価というか、定価3990円(買ったのはAmazon価格)は、私には廉価ではないんですけども、万年筆の世界では一般に廉価版のようです。おそろしい話だよ!

 べつに安いからって遠慮しないでいいんでしょうけど。ボールペンなら100円のだって平気で試し書きして買うんだし。
 だけど、ボールペンならささっと書いて終わりだけど、万年筆って、試し書きしたらそのあとお店の人が洗浄しないといけないんだもん……。申し訳なくて。

 いつかもうちょっと上等のを買う機会があれば、ちゃんと色々書き比べさせてもらってから選ぶと思うのですが(試しもせずに一万円単位の買い物をする度胸などない)、まあ、でもSafariのガリっとするのも、使っていくうちに、徐々に慣れていくんではないかなと思います。ハイエースネオも、だんだん書きやすくなっていったもんね。

 インクは、パイロットの色彩雫「霧雨」というやつです。すてきな色名のインクボトルが文具店にずらっと並んでたのを見て、つい、ふらふらと……。誘惑に弱い!
 衝動買いしたはいいんですけど、しかし思ったよりインクの色が薄くてですね、手持ちの細字の万年筆に入れて書いてみたら、字が薄くて見づらかったんです……。(け、計画性がない)

 それで、「もっと太めのペン先のが一本あれば、このインクボトルを無駄にせずにすむ!」という言い訳が成立しちゃったんですけども。……あれ?

 ……ホント無駄遣いってどうしてこんなに楽しいんだろう。大量消費社会って恐ろしいな……。(自分の意志の弱さを責任転嫁している)


 続きはコメントへの返信です。

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朝陽 遥(アサヒ ハルカ)
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朝陽遥(アサヒ ハルカ)またはHAL.Aの名義であちこち出没します。お気軽にかまってやっていただけるとうれしいです。詳しくはこちらから
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