先日から報告しているとおり、楽しくお勉強してます。まだプロットどころか、ストーリーの漠然とした方向性と、おおよその世界設定と、一部のキャラクターの概略しか決まってなくて、採用するかどうかわからないエピソードの切れ端や設定を、ひとまずがつがつ積み上げている段階です。
こんなことで、はたして空想科学祭に間に合うかどうか、はっきりとした確信は持てないんですけど、しかしいずれにしても、自分自身としては、楽しい執筆になりそうです。(とかいって、フタを開けたらうんうん唸って苦しんでいるかもしれませんが……)
「鳥類学」を読みながら、気になった箇所に付箋をはり、メモ帳に書きうつして、思いつきをその横に書きこんだり。同著を読みながら、あるいは通勤や風呂中に思いついた設定や、会話の断片なんかを、大急ぎでカード(名刺サイズ)にメモして、それを名刺ホルダー(A4)に片っぱしからストックしたり。そのあとで別のネタ帳ノートに、もう少し詳しくメモをとって、ノートのページ数をカードのほうに書きこんで、名刺フォルダをインデックス代わりにしています。
とにかく忘れないうちにと思って、片端からメモをとっているので、メモとネタ帳が膨れ上がっていて、本文で使うかどうかもわからない大量の切れ端が、ひたすら散乱している現状です。
もともと設定魔の傾向があるのですが、かつては脳内で整理できていたため、こんなふうに大量の資源を浪費する必要はありませんでした。思いついたことも、些細なネタはともかく、少なくとも大事な部分は忘れなかった。
それがこのところ、ほんの五分か十分、別のことをしているうちに、さっき思いついたことを、きれいさっぱり忘れる始末です。か、悲しい……。
自分の記憶力の減衰に戦慄しつつ、衰えたなら衰えたで対抗手段を模索せねば……ということで、メモ魔になりつつあります。
世界観萌えーな人間なので、こうして設定を考えているいまが、もしかして、いちばん楽しい時期なんじゃないかなあと思います。いざ書きだしたら、ああでもないこうでもないと頭を抱えそう。
本文用の文体も、まだ決めかねているのですが、もしかしてこの話は、三人称のほうがいいのではないかと思いはじめています。しかし、このところほぼ一人称の話しか書いていなくて、こんなんで大丈夫かなと、ちょっと焦っています。もともと一人称で書くことが多いんですけど、今回は、それでは書けないことがいろいろと出てきそう。
文体の調整をかねて、近々、三人称で何か短い習作を書いてみようかなあ……。
引き続き「鳥類学」を読みながら、鳥すげえな!? と叫んでおります。鳥の知能とか、渡りの能力なんかがすごいことは、漠然と知ってた(あるいは知っている気になっていた)けれど、何から何まですごいです、鳥。季節にあわせて体重どころか脳の容量まで変動させちゃう話とか、多くの鳥が食物中の水分と、代謝のときに体内で生成される水分量で事足りて、あまり水を飲む必要がないという話だとか。鳥によっては片方の脳ずつ交替で眠らせて(片目を開けたまま)、起きている残りの片方の脳と眼で、眠ったまま敵を警戒するとか。消化の仕組みなんかも、歯がなくて丸呑みするので、胃の中に小石を入れている鳥もいるんだとか。その石が、歯の代わりに食べ物を細かくするんだそうです。
鳥系人類の話といえば、わたし、今度書こうとしているSFのほかにも、異世界ファンタジーでも一度挑戦したことがあるのですが(「ファナ・ティオトルの学び舎にて」)、そのときには、「でもまあ、けっこう無理あるよね……」とか思ってたんです。脳が大きすぎれば飛行の邪魔になるだろうし……とか、卵生では進化の限度があるんじゃないかとか、だからといって胎生だと、妊娠中の行動/食糧獲得にものすごく不利なんじゃないか……とか。
だから今回も、設定を思いついたときには、我ながらかなりトンデモなつもりで、「まあハードSFじゃないし、いいや!」という感覚だったんです。けどこの本で、鳥の脳や行動について読んでいたら、ほんのちょっとした環境や素因で、鳥類が進化して高度な文明を築き上げても、べつに何もおかしくないんじゃないか、という気持ちになってきました。
科学的に厳密にどうか、というよりも、いまから鳥系人類の話を書こうとしているわたし自身が、そういう可能性を信じる気持ちになれたことが、重要な気がします。
いい資料を選んだなあと思います。読みながら、じわじわと世界観のイメージの細部が湧いてきました。異世界ファンタジーと一緒で、そういう世界設定って、つきつめればどこまでも際限のないことですので、どこまでやれるかはわかりませんが。
あと純粋に、この本、読んでいて楽しい。(※難しい話は全自動スルー)
鳥はあまり水滴を必要としないと書きましたが、地域や種類によってはそうもいかなくて、砂漠地帯のオウム類は、定期的に水を飲まなければならないんだそうです。だけど、水場には捕食者がいる。それで、生き残るために、とんでもなく大きな群れを作って、いっせいに水辺に移動したりするんだそうです。
砂漠地方のほんのちいさな水たまりに集まる、何万羽ものオウム。なんかもう、それだけで小説の場面になりそうですね。
オーストラリアの砂漠で水たまりに集う、大軍のセキセイインコの写真が添えられていました。白黒なのが残念です。
気付くのが遅れましたが、昨日「Unshared Blue」と「太陽のいろ」に拍手をいただいていました。ありがとうございます! 日記のほうに拍手下さった方も、ありがとうございます。頑張ります。
そして今日、旧ブログのほうに、botの仕業と思われる大量の拍手(700とか)があっていて、「なんじゃこりゃー!?」でした……。おかげで拍手管理画面が重くてとても開きづらいという。
いつも不思議なんですけど、ああいう、ただ拍手だけ押していくやつって、いったい何のために拍手するんでしょうね? スパムコメントなら、やろうとしてることは理解できるけど(迷惑ですけど)。
さておき。
「鳥類学」を読んで勉強中だから……というわけでもないのだけれど、ちかごろ、鳥の声をよく聞きます。
家の近くで、スズメでもカラスでもない鳥が鳴いているんだけど、知識がないもので、何の鳥かさっぱりわからない。何種類かいて、とくによく聞く気がするのが、低い声で「クルックルッ、クークー」と繰り返すのと、高い声で「キ、キ、キ、キ、キ……」と尻上がりに鳴くやつ。
子どもの頃に、これは何何の鳥だよ、と教えてくれるような大人が、あいにくと周りにいませんでした。「鳥? いま鳴いてた?」というような人間ばかり。わたし自身、図鑑を愛する子どもではなかったし、調べてみようと思いたつこともなかった。
いまになってふと興味を持っても、周りの人に訊いても、誰も知らない。じゃあ調べてみようと思っても、これが意外と大変です。鳥の名前が先にあって、これはどういう鳥かと調べるのは、比較的かんたんです。インターネットで検索すれば、いろんなサイトで紹介されているから。
あるいはその鳥の姿を眼にして、ある程度特徴を記憶することができれば、これもなんとか探せるでしょう。それらしいキーワードを拾いながら検索していって、ある程度の目星がついたら、画像検索して比較すればいい。
だけど、声だけを頼りにその鳥の知識にたどり着くのは、あんがい難しいということに、いまさらのように気付きました。よほど特徴的な鳴き方で、聞きなしでなんとなく特定できるなら、あるいは。だけど、耳で聞いた音を、文字に変換するのって、あんがい難しい。
うーん、と思っていたら、こんなサイトを見つけました。
バードリサーチ 鳴き声図鑑
http://www.bird-research.jp/1_shiryo/nakigoe.html
片っぱしから聞かないとわからない、というので、手間はあるけれど、しかしこれはすごい。探すためではなくて、ただなんとなく聞いていても、癒される気がします。
わたしが気になっていた鳥は、キジバトらしいです。低い声で鳴くほう。むかしは山野部でしか見なかったけど、いまは都市部にも普通にいるんだとか。公園とかでよく見る灰色のは、ドバトとかカワラバトとかいうらしいですね。それとは別の種類のハト。
今日もまた声がするのを聞きつけて、眼で探してみたら、電線の上に、どうやらそれらしい影が。カラスくらいの大きさなんだけど、茶色っぽくて、シルエットはたしかにハトっぽかったです。
高い声で鳴くほうは、見つけきれませんでした。色々聞いてみても、似てるような……という鳥が何種類もいて、でも、そのものずばりかというと確信がもてない。生息地とか生態とかも調べて、いろいろ照らし合わせればわかるのかな。もしかしたら、ただ単に、まだ件のサイトに収録されていないのかもしれないんですけど。どうだろ。
次に書くもののために、資料のつもりでフランク・B.ギル「鳥類学」を買ったのだけど、届いてみたら予想以上にがっつりした本でした。デカい(A4変形)、分厚い(740ページくらい)。へ、へやのすぺーすが!
しかし、学術書のたぐいは、地元の書店で探すのはものすごく大変なので、こういうときにはAmazon先生のありがたみを痛感します。
学問の道に目覚めたわけでもなければ、ハードSFを書くわけでもないので、正確な知識を身につけるためというよりは、妄想を広げるべく、アイデアの種を拾うための資料です。なので、まずはざっくりと拾い読んで、気になるトピックだけ勉強しようかと思うのですが、しかし、こういうのを学業としてやる人はすごいなあ、としみじみ思いました。学生さんは大変だ。
「鳥類学」、読んでみたら、むつかしいところを理解しようと思っていないこともありますが、読み物として面白いです。うおお、鳥ってすげえ! という気持ちになります。
しかしそんなノリだけの読み方なので、実際に書きあがってみたら、「……資料どこに活用したの?」みたいなトンデモになってるんじゃないかなと思います……。
いいの、ハードSFは最初から諦めてるから。設定というのは、破綻をなくすためではなく、話を盛り上げるために使うものなの。(極論)
いま書こうとしているのは、前に何度かツイッターなんかでぶつぶつ呟いたことのある、鳥から進化した異星人のお話です。トンデモ設定だからこそ、本当にありそうと錯覚させるためのディテールを、多少なりとちゃんとした文献から拾おうという、見苦しい努力ですが、世界観の構築のため、もうちょっと勉強します。余力があれば、前から買って積んでいる「もしも月がなかったら」も参考にしたいんだけど、どうなるか。
期間内になんとか間に合いそうなら、空想科学祭FINALに。間に合わなかったら、時間をかけて地道にちまちま書いて、後日自分のサイトで公開するつもりです。
いずれにしても、早くても八月ですので、お目にかけられるのは、まだまだ先の話になりそうです。
しばらくはこの分の準備をするので、その合間に書くのは、短期間で書きあげられるサイズの小品ばかりになりそうです。
いつも更新が遅くて、小説サイトとしてはなんとも甲斐性のない話ですが、遅筆なものはもう仕方ない……。ましてわたしの場合、本領を発揮できる舞台は、それなりの長さのある長編なんだと思うし。……それも、自分でそう思いたいだけかもしれませんが!
こうやって更新が間延びしているうちに、だんだん忘れられて、読んでくださる方が減るんじゃないかって、いちいち不安なんですけど(涙)、いまは焦らず、できることをいっこずつやっていきます。世の中には、働きながら長編を一、二か月サイクルで書きあげられる超人がいるなんてことは、いまは考えない!(涙)
一時間目標で書いた(そして制限時間をオーバーした)即興小説でした。いかにも即興だけのことはある微妙な仕上がりですが、ログ兼ねて垂れ流しておきます。
----------------------------------------
好きな色をひとつ選んでごらん、と魔法使いはいった。その手の中には、色とりどりの硝子玉。数をきちんと数えるには、わたしは幼すぎたけれど、おぼろげな記憶を信じるなら、少なくとも十はくだらなかった。
――ひとつだけ?
――そう、ひとつだけ。
わたしはじっと魔法使いの差し出す手を見つめた。大きな手だった。節くれだった指、青い血管の透ける、皺だらけの手のひら。その上できらきらと光る、たくさんの硝子玉。
――これ。
わたしが指さしたひとつを見て、魔法使いはゆっくりとうなずいた。それから静かに、抑揚のすくない声でいった。
――どうして、その色にしたんだい?
――おひさまの色だから。
わたしが答えると、魔法使いはほんの少し、片目をすがめた。それから、思慮深げにゆっくりとまばたきをして、訊き返してきた。
――黄緑が?
わたしは不安にかられながら、おずおずとうなずいた。なにかおかしなこと、間違えたことをいっただろうかと、心配になったのだ。けれど年老いた魔法使いは、怖がらなくていいというように、静かに首を振って、それからもう一度、わたしに説明を促した。
その色は、わたしがいちばん好きな色だった。春の日の早朝、まだのぼったばかりの太陽、そのやわらかな金色の光を透かす、若葉の色。いまならばそんなふうにきちんと説明することができるけれど、まだ五つだったわたしは、いったいどんな言葉を使って、老魔法使いにそれを伝えたのだろう。はっきり覚えていないけれど、魔法使いの反応だけは、よく覚えている。
笑ったのだ。目じりのしわを深めて、このうえなく嬉しそうに。
――それがお前の魔法だ。
幼い日にはすなおに信じたその言葉を、いまは疑わずにはいられない。わたしは適当なことをいってあしらわれたのではないか。あんな子供だましの占いみたいなことで、いったいなにがわかるというんだろう。
すぐれた魔法使いは、自分の魔法を使いこなすわざだけではなくて、他の人間の中に眠る魔法を見出すすべにも長けている。授業でそう習ってはいるけれど、それでも信じられない気がする。
疑うのは、わたしがあのとき、ただ単に好きな色をひょいと選んだのであって、特別な予感のようなもの、たとえば老魔法使いの手の中にあったたくさんの硝子玉の中でたったひとつ、それに呼ばれたというような感触が、なにもなかったからだ。
……というようなことを、言葉を尽くして説明したのだけれど、先生はわたしの話を半分も聞いていなかった。「ばかなことをいっていないできちんと集中しなさい、ブリジット」
ドロテ先生の眼鏡がきらりと光って、わたしは首をすくめる。思わず声が小さくなる。
「だって、できないものはできないんですよ。わたしに魔法の力なんて……」
「おだまりなさい、ブリジット」
ぴしゃりといわれて、言葉の続きをぐっと飲み込む。ドロテ先生は、怒ると怖い。いつも怖いけれど、ほんとうに怒るとその百倍怖い。いまの声の調子は、もうひと押しで本当に怒りだしそうなかんじだった。
わたしは口をつぐんで、もういちど、先生にいわれたことを試してみた。眼を閉じて、呼吸を整える。鼻から息を吸って、口から細く吐き出す。おなかに手をあてて、背筋を伸ばす。自分の体の中を流れている血を意識して、体の中をゆっくりと力が循環するイメージを描く。それから、それから……
力の発露するような兆しは、なにもなかった。体の中にそれがあるという手ごたえも。いつもとちっとも変らない。眼を閉じればそこには暗闇があるだけだし、体の中に流れているのは血流だけだ。
瞼を持ち上げると、おそるおそる先生を見上げた。ドロテ先生は眉間を指で押さえると、小さくため息をついた。
「信じなさい。老ベルトランが、あなたには太陽の加護があるといったのでしょう。それならば、あるのです」
「でも、だって、どんな偉人にだって間違いはあるって、先生も仰ったじゃないですか……」
「だってはいりません」先生は眉間のしわを深くして、鋭くいった。「あなたはわたくしの話を聞いていなかったのですか。魔法は信じる心から生まれるのです」
わたしはちっとも納得していなかった。だって、先生のいうのは、本当かどうかわからないけれど、とにかく問答無用で信じておけってことだ。やれるかもしれない、やれないかもしれない、でもやれないと思ってやらなかったら絶対にできないんだからって、そういう理屈だ。正しいけれど、だからといって、わたしが魔法を使えると保証してくれるものではない。
わたしは反論しなかったけれど、不満は顔に出ていたのだろう。ドロテ先生はため息をついて、杖を置いた。「今日はここまでにします。少し、頭を冷やしていらっしゃい」
学校の中庭で、わたしは寝そべって空を眺めていた。
まだ日も出ていない。魔法は夜ふけから早朝、まだ日の出ないうちのほうが力が強い。それでも子どもが昼に寝て夜に動くのは、体のためによくないから、夜には早く寝て、うんと早起きして、わたしたちは魔法の練習をする。いま、ようやく空が明るみ始めて、端の方から群青色に染まりだしている。もう少ししたら、ほかの子たちも練習を一段落して、朝ごはんを食べに食堂に向かう頃だ。
わたしは十四になったいまでも、まだ一度も魔法らしいものを発現させたことがない。同い年の子たちはとっくに、いくつもの魔法を使いこなすようになっていて、中には大人の魔法使いたちの手伝いで、助手として町に降りてゆくことだってあるくらいなのに。使えないのはわたしひとり。たったひとりだ。
からかわれて悔しい思いをしていたのは、いつごろまでだっただろう。いまは悔しがるよりも、怖い。わたしはほんとうに、ここにいていいのだろうか。間違えて、自分のいるべきではない場所に紛れ込んでしまっただけではないのだろうか?
魔法の素質のある子どものところには、その子が五つになる年に、魔法使いが迎えにやってくる。
誰に素質があるかなんて、見ただけではわからない。知っているのは、魔法使いたちだけだ。彼らは星占で、魔法の加護のある子どもの出生を知る。それで、時期が来たらその家に子どもを迎えに来る。
魔法の力は、遺伝とまったく関係がないわけではないらしいのだけれど、それまで魔法使いの出たことのない家にでも、とつぜん現れることがある。それは、うんと身分の高い人の子息だろうと、うんと貧しい小作農のせがれだろうと、関係がない。どんな家でも、魔法使いが迎えに来たら、子どもを差し出さなくてはならない。
魔法使いたちは、魔法を持った子どもが生まれたら、その親のもとにまず一度姿を見せて、彼らに予告をする。五年後、子どもを迎えに来ると。親もそのつもりでその子を育てる。
だけど、中には、どうしても子どもを手放したくない親だっている。子どもを連れて家を捨てて、遠い外国にまで逃げてしまうような親が。
そんなことをしたって、魔法使いたちが追いかけてきて、見つかってしまうのが普通なのだけれど、ときにはうまく逃げおおせる人たちもいる。国外にさえ出てしまえば、魔法使いは追いかけてこない。国境を越えた場所で魔法を使うことは、法で禁じられているから。
「こんなところにいたの、ブリジット」
先生の声がして、反射的に起き上がった。ドロテ先生は、長いスカートのすそをおさえて、わたしの隣に腰を下ろした。
「髪に草がついているわよ」
先生の、手袋をした指が、わたしの前髪から草を取り払う。わたしが緊張して肩を縮めていることに気付いたのか、先生はふっと、目元をゆるめた。わたしはびっくりして、思わず瞬きをした。ドロテ先生が笑うのは、珍しい。
「あなたのように若い人にはぴんと来ないかもしれないけれど、老ベルトランは、本当に偉大な魔法使いでね」
先生はいって、ぱたんと芝生の上に倒れた。わたしは眼を丸くしてまじまじと先生を見下ろした。いつもきちんとしていて、理知的なドロテ先生が、こんなふうに地面に寝転がることがあるなんて、いまのいままで考えたこともなかったのだった。
「あの方の仰ることに、間違いがあったためしはないの。どんなに重大なことも、どんなに些細なことでもね。……どんな気分かしらね、そんなふうな、大いなる力を体のうちに抱えているというのは」
いつものお説教ではなくて、まるでただの世間話というように、先生はくだけた口調で話した。それでわたしは戸惑って、何度も瞬きをした。
「老ベルトランがはじめて魔法を使ったのは、二十歳をすぎてからだったというわ」
先生はなぜか、悲しそうだった。わたしは黙って、膝を抱えた。なんとなく、背中のところがそわそわして、落ち着かないような気がした。
「あとで思えば、私は自分の中の力を恐れていたのだと思う――あの方がいつか、そんなことを仰った。無意識のうちに恐れて、押さえつけて、表に出てこないようにしていたのだと」
「そんなことが、できるんですか」
思わず口を挟んでいた。自分がどうしてそんなことを訊いたのか、わたしにはわからなかった。だけど先生には、わかっているようだった。ドロテ先生は、わたしの眼を見て、やっぱりちょっと悲しそうな顔をした。
「できたのでしょうね」
先生がなぜ悲しそうなのか、わたしにはわからなかった。先生はいっとき口をつぐんで、中庭を吹き抜ける風を眼で追うようにしていたけれど、やがてふっと短い息を吐いて、話を続けた。
「けれどあるとき抑えきれなくなって、老ベルトランの魔法は発現した。制御されない力は、あの方の周囲にいた人々を傷つけた。……眼を焼かれて、視力を失った魔法使いもいたそうよ。その人は、あのお方にとって、だいじな親友だったのですって」
遠まわしにいさめられているのだと悟って、わたしは首を縮めた。だけど、わたしは偉大な魔法使いとは違う。なにも、わざと魔法をつかわないわけではないのだ。本当に、いわれたとおりにやってみようとしても、なにも起こらない。わたしは自分の中にある力の存在というものを、感じたことがない。
黙っているわたしをどう思ったのか、ドロテ先生は眼を細めて、話をつづけた。
「あなたが魔法を使えないのは、あなたが心の奥で魔法を使いたくないと、そう思っているからではないかと、わたくしは考えています」
「そんなこと……」
「あなたは、自分が魔法のせいでご両親から捨てられたと思っている」
わたしはとっさに息をのんだ。
それはたしかに、わたしがいつからか、心の片隅でずっと考えていたことだった。あのとき、あの老魔法使いがわたしのところにやってきたのは、何かの間違いだったのではないのか。わたしは魔法になんて関係のない普通の女の子で、ほんとうだったら今頃は、両親のもとから普通の学校に通っていたはずではないのか。だけど、考え出せば悲しくなるから、わたしはそのことを、つとめて意識に登らせないようにしていた……
「だけど、ブリジット。そうではないのよ。制御されない魔法は、とても危ないの。誰だって幼い我が子を手放して、こんなところに預けたくなんかない。それでもそうするのは、結局、訓練されない魔法は自分自身を傷つけるからなのよ。……老ベルトランは、親友の眼から光を奪ったことで、ずっと苦しんでおられた。長い、長いあいだ」
それがお前の魔法だといって微笑んだ、年老いた魔法使いの顔を、わたしは思い浮かべた。目じりの深い皺、澄んだグレーの瞳を細めて、ひどく嬉しそうに微笑んだ。偉大な老魔法使いは、どうしてあんなに嬉しそうだったのだろう?
「ブリジット、あなたは捨てられたわけではない。わかるわね?」
わたしはうなずかなかった。眼を伏せて、先生の目を見ないようにして、きつくこぶしを握っていた。
「あなたのご両親は、欠かさず季節ごとに手紙を送ってくださっているでしょう? それが答えですよ」
先生は起き上がると、スカートの裾についた草を払った。「朝食にしましょう」
空はすっかり明るくなって、まだ低い位置にある太陽から、金色の光が中庭に差し込みかかっていた。
歩きだしたドロテ先生のあとを、少し離れて追いかけながら、わたしは唇を噛んだ。
先生はふと立ち止まって、振り返った。つられて立ち止まったわたしは、眼をしばたいて、先生の顔を見つめ返した。
「あなたの魔法を占ったとき、老ベルトランは喜んでおられた。――あの方の魔法も、太陽の魔法だったの。けれど、あなたは黄緑の水晶を選んだのですって?」
肯くと、ドロテ先生はかすかに眼を細めた。
「おだやかな木漏れ日の色。きっとその力ならば、自分のように、人を傷つけることもないだろうと、あの方は仰った」
「だけど――」
わたしはとっさに言い返した。「たったあれだけで、本当に、その人の魔法がどんなものか、わかるものなんですか。わたしはただ単に、好きな色を選んだだけなのに」
ドロテ先生は重々しくうなずいた。もう、すっかりいつもどおりの先生だった。
「好きというのは、力なのよ」
先生は踵を返し、いつものようにまっすぐに背筋を伸ばして、食堂に歩いて行った。わたしはいっときその場で立ち止まったまま、先生の足音を聞いていた。
振り返ると、朝の陽射しが中庭の木々の梢に降り注いで、地面にやわらかな金色の光を落としていた。風に揺れる、透き通った影。幼い日々、木漏れ日のいろが好きだった。その気持ちを、わたしはいつのまにか忘れていなかっただろうか? いじけて、小さくなった心で。
いっとき木々の落とす影を見つめたあと、わたしは顔をあげて、食堂に向かって走り出した。パンの焼ける、いい匂いがしている。
こんなことを誰かにいったら、単純すぎると笑われてしまうだろうか? 近いうちに、魔法を使えるようになるのではないかと、そういう予感がしていた。
----------------------------------------
お題は「黄緑」をテーマorモチーフにした小説を書くこと、でした。
拍手コメントをいただいた場合は、お名前をださずにブログ記事内で返信させていただいております。もしも返信がご迷惑になる場合は、お手数ですがコメント中に一言書き添えていただければ幸いです。
ラノベ棚