いい小説は、読まれるべきである。……ということで、オススメ紹介しておきますね。
きょう挙げているほかにも良作多数ですが、今日はひとまず長編部門から、二作紹介させていただきます。近々その2もやりたいな。
独断と偏見により……って書こうと思っていたけれど、二作とも、独断も偏見もなくても間違いなく傑作です。
「デスプエス~それから、」 小田中 慎さま
http://ncode.syosetu.com/n0352bi/
「大破壊」の起きたあとの、いまとは地勢の変わってしまった南米。
地球上には、罹患したほとんどの女性が死に絶えてしまう恐ろしいウイルスが蔓延していて、女の数は極端に少なくなっている。そこから逃れて月やコロニーで暮らす人々は、進んだ科学技術を持っているが、対象的に地上に取り残された人々は、旧時代の多くの技術を失い、天上の人々のくだす「天罰」に怯えながら暮らしている。
重厚かつ綿密に描写された、リアルな未来世界。そこでは人類の命運をかけた、大きな事件が進行している。そしてそれにもかかわらず、描かれているのはあくまで一人の少年の視点による、彼自身と、その周囲の人々の冒険と闘いの物語。
だからこそ、読んでいるこちらに少年の思いと、作品世界の空気が、身近に、リアルに迫ってくる。
ともすれば重苦しく陰鬱になりかねないストーリーなのに、少年のみずみずしい感性による一人称と、冒険小説としてのストーリーテリングが、けして読み疲れさせない。夢中で読みました。
どっしりした本格SFがお好きな方、それから冒険小説がお好きな方に、ぜひとも強くお勧めしたい。傑作です。
「雪火野」 俊衛門さま
http://ncode.syosetu.com/n7867bh/
進化した人類――声を媒介に周囲の人々の感情を読みとり、共感する能力をもつ新人<フィンチ>たち。周囲のひとが怒りや悲しみに声を荒げれば、彼らはその感情に引きずられて、自らもまた苦しむ。そのために、新人たちは諍いを厭い、平和を望む。
主人公は、彼らの中にはじって暮らす、旧人たちのひとり。彼らが新人たちの中で暮らすには、大きなハンデがある。機械に頼り経験を積むことで、新人たちのように声から感情を読むすべを身につけることはできるけれど、彼らには常に、偏見の目がまとわりついている。
人間の描写、キャラクターの葛藤と対立、構図の見せ方、絵になる場面の数々……書き手のはしくれとして憧れずにいられないような、そうした腕についても、挙げればもうきりがないくらいなんですが、何よりまずそれ以上に、孤独を持て余す主人公の不器用な生き方と、作品の訴えかけてくるテーマの重さに、胸を打たれました。人の在りようを問う重厚な主題が、最初から最後まで、物語の根底に力強く流れつづけている。
異質なものを排斥する集団への疑問と反発。マイノリティであることで受ける圧迫。世界は理不尽で、不条理で、息苦しくて、それでも人は、生きてゆかねばならない。
素晴らしく絵になる魅力的な戦闘シーンの数々も見どころでした。SFアクションがお好きな方には特にオススメです。
引き続き目を休め休め、空想科学祭の作品を読んで回っています。
とりあえず目標だった長編部門はひととおり読破しました。
良作多数です。自分が同じお祭りに参加してしまっていることをうっかり思いだすと、つい穴を掘って埋まりたくなるような、ものすごい作品も。……いやいや。こういうのはセミプロから初心者まで、皆でワイワイやるのがいいんです…………よね?(目を泳がせながら)
などといいつついち読み手として、幸せな読書時間でありました。余力があればそのうちオススメ紹介したいです。長編は読まれにくいというから、追いつかないようなら、長編部門だけでも。
しばらく読むほうを中心とかいっていたら、うっかり完結後ひと文字も書かないままいまにいたります。そろそろそっちも焦っていいころだ。週末にはラクガキ程度でいいから、何かリハビリに書こうっと。
しかし、いっときは根を詰めないラクガキ程度のものしか書かないと思います。それで、次にまとまったものを書くときには、少しじっくり準備してから書いてみたいなあとかって考え中です。プロットの立て方とか構成とか、ちょっといままでのやりかたを見直して、ゆっくりいろいろ挑戦してみたいような気がしています。
やりたいことがたくさんあるなあ。
おととい・昨日の二日間、目を休めてみた甲斐あってか、ずいぶん頭と肩が軽いです。休肝日じゃないけど、ときどき目を休める日を作った方がいいのかもしれないなあ。
しかし、遊びに出掛けたおとといはともかくとして、昨日はけっこう途方にくれました。パソコンもつけず本も読まずだと、正直まったく間が持たない……猫と遊んで、部屋と風呂場の掃除をして、手元のネタ帳(紙のノート)を整理して、それでも時間があまるっていう。新鮮でした。
小説を書くことを再開してからのこの四年ほど、余剰の時間はなるだけ書くことか読むことについやそう、という気持ちでいました。余剰、というのが情けないところではありますが。
家の手伝いをしたり、友達と遊んだり、用事があって出掛けたり、そういうのを除外して、残った時間、さあいまから自分の時間だぞ、となったときに選択する行動を、読むことか書くことのどちらかに関すること、その二択にしようっていう。(「読む」にはマンガも入ってます)
もちろん根性なしなので、ついつい逃避してネットサーフィンしたりとか、ぼんやりフリーセルをしたりとか、猫と戯れたりとかするんです。ゲーム断ちしたといいつつ、最初のころは何本か我慢できずにプレイしたし。
でもなんかそういうときにも、いま逃避しているという自覚があるから、早く書くことに戻らないと……という気持ちがどこかにあって。
人生は短くて、書きたいものを書くにも、読みたいものを読むにも、圧倒的に時間が足りない。自分のいまの腕のなさが、自分で許せない。いまよりちょっとでもいいものを書けるようになりたいし、死ぬまでにできれば、満足のいく一本を残したい。そしてそのためには、このままでは、時間がぜんぜん足りない。
人生の残りがどれくらいあるかわかりません。長期戦でいくつもりでいて、明日死ぬかもしれないし。でもたとえ長生きして、あと五十年書いていたとしても、実際のところ、手が届く気が、まったくしない。
ほんとのことをいえば、遊んでる暇なんかないんです。休んでる場合じゃない。
焦るんです。でも、休まないと身体が持たない。気持ちもですね。人間はちゃんと遊んで休まないと、いつまでもは頑張れないように出来ているんだよなあと、あたりまえのことをしみじみと思います。
遊ぶほうは、本を読んで、あとはたまに友達と会えてれば、それくらいでいいんです、自分の場合は。そして、読むのは書く修行にもなる(……という言い訳が自分の中で成立する)から、気が咎めないし。
それよりも、休むこつを体得しなければならないなと、近ごろ感じます。だらだら逃避するんじゃなくて、効率よくしっかり休むということを。
年齢が上がっていけば、多分、いままで以上に休養が必要になるだろうしさ。
とりあえずだいぶ目の調子が戻ったので、週末は喜び勇んで読もうと思います。なるだけこまめに目を休めるようにしたいけど、どうかなあ。面白い小説にのめりこんでるときって、そんなこと気にする余裕ないもんなあ。
ここしばらく頭痛が頻発していて、たいしてひどい痛みではないんだけど、どうも眼精疲労由来ではないかという感じがします。眼球を動かすと痛い。
だいたい仕事でも嫌というほど細かい数字ばっかり睨んでるからなあ。
空想科学祭の盛り上がっている最中のこのときに何なのですが、幸い、まだ投票までには間もあることですし、一日二日、ちょっとパソコン(と小説)から離れてみようかなあと考え中です。そんで週末に備える。
ずっと楽しみに待っていた作品が完結されたところなので、正直いうと早く読みたい。しかし頭痛に気を逸らされながら読むよりか、体調整えてどっぷり浸るほうがいいよなあ……。
だからというわけではないのですが、明日は仕事帰りに友達と遊んできます。家にいると、どうしても読むか書くかしかしないし(その合間に猫とたわむれる)、外出はいい機会かもしれない。
最近まで、そういう目を酷使する生活に不自由を感じたこともあまりなかったんですが、近ごろなんだか目が疲れやすいです。いまの部署に来てから一日中ずっと数字とにらめっこだから、それでかな。(※まだ年齢のせいにはしたくない、微妙なお年頃です)
自分でも、作業のあいまにこまめに目を休めるようにはしてるんですけど、それでもやっぱりつらいです。労働時間の半分はパソコン睨みつけてるし、残りの半分は小さい字の書類を前に電卓叩いてる。
このごろまた視力も落ちているし、節電でパソコンの輝度を落としているのもあり、ぱっと見てディスプレイ上の数字が読みとれないときがあって、どきっとします。自己管理しないとなあ。
黙々と空想科学祭作品を読み続けているうちに週末が終わりました。
マルゴ・トアフを書いている間、かなり読書を自粛していたので、読みたいだけ読めるいまの状況が、なにげにものすごく嬉しいです。
ほんとは投票に備えて期間中に全作品読みたいんですけど、しかし今年は作品数が多いので、どうだろう。
とりあえず自分が長編で参加した手前もあって、長編部門は全部読もうと思っています。あとは読めるところまで。余力があれば、オススメ紹介とかもしたいけどなあ。いま読んだ分だけでも、面白い作品が色々あります。落ち込むけど……
落ち込みます。こういうのは人と比べるもんじゃないって、頭でわかってはいるけど、やっぱりどうしても、面白い作品を読むたびに、比べて落ち込んじゃいますね。
読んでるあいだはそんなこともなく、普通にウキウキ楽しんでるんですけど、あー面白かったーって読み終わってふと我にかえると、自分のやれてないことと、ついつい引き比べてしまいます。どうしてわたしはこういうことが出来ないんだろうなあって。
隣の芝は青いです。
自分に書けるものしか書けないんですけどね。
でもまあ、ちょっとは悔しいって思ってたほうがいいのかな。自分ももっと書けるようになりたいって。身の程知らずだろうがなんだろうが、ときどき嫉妬してるくらいで、いいのかもしれないです。
人を妬んで、相手の足を引っ張るような嫉妬は、苦しいばっかりで誰にとってもいいことないけど。
嫉妬してる自分に気付くのが嫌で、嫉妬を打ち消すために、相手のことを無理にこきおろして安心するとか。どうせ自分とは世界が違うんだから、もとの才能が違うんだからーなんて、拗ねて小さくなってるとか。
そういうのよりは、素直にうわーん悔しー! って思ってるほうが、まだいいのかなって思います。
才能ないのなんか、もういまさらだもんね。あえてみっともないのを承知で恥知らずを通すというのも、凡人には必要なスキルかもしれないなとか思います。
どうやったらあんなふうに面白く書けるようになるんだろう、自分もそっち側に行きたいって思うのも、ひとつの原動力ですね。だからって人のことを真似ばっかりしてても仕方ないから、難しいところですけど……
まあ、一朝一夕に実力が身に着くわけじゃなし。気長にがんばろう。
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