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小説を書いたり本を読んだりしてすごす日々のだらだらログ。


 留守にしているあいだ、Unshared Blueにコメントをいただいていました。(こちらをご覧になるかわかりませんが、ありがとうございました!)

 このごろ、老魔法使いの話を少しずつ書いてはいるものの、書いては消し、また書いては中断して、書きなおすかどうか迷い……といった調子で、進んでいるようないないような、微妙な調子です。
 べつにどこかがひどく具合が悪いというわけではないのだけれど、なんとなく疲れやすかったり、頭痛がでやすかったりして、ついだらだらしてしまう時間が増えています。なんとなく気力が足りていなくて、不調をはねとばす元気がない感じ。何とか充電したいなあと思いながら、ぼやっとしています。

 いまちょうど体力的にも、そういうタイミングなんだろうなと思います。年齢のせいにはしたくないけれど(くっ……)、去年くらいからごはんもあまり量を食べられなくなってきて、食べ残すたびに「うっ……」と思います。ご飯を残すなんていうもったいない真似、前はしなかった。
 周りの同年代の人もよく同じようなことをいってるので、そういう節目なんだろうなと思います。これまでと同じペースで稼動するのが難しくなってきている。ペース配分とか、持久力とか、ちょっとライフスタイルを含めて、諸々見直す時期なのかも。

 モチベーションの維持の仕方も。
 子どものころは、自分の書くものが人にウケないかもしれないとか、あんまりそういうのを心配していませんでした。子ども特有の、自分に才能がないはずがないというような、根拠のない思い込みがあったから。(いま思い出せば赤面ものですが……まあ、子どもはだいたいそういうものだと思うことにします)

 どこかでそれがくじけて、才能なんか最初からなかったんだという事実から、眼をそらせないようになってきて。ちょうどそのころ仕事も忙しくなっていって、まったく書かなくなって。四年も筆を置いていて、二十五のときに自分はこのまま一生書かなくて耐えられるかと、自問自答の末、書くことを再開しました。
 それからしばらくは、拙いながらもどんどん書いて、ちょっとずつでも腕を磨こう、何年でも書き続けていれば、いつかはいまよりましなものが書けるさなんて、自分に言い聞かせながら……

 でも、どうなんだろうなあ。
 四年前よりましなもの、書けてるんだろうか。
 行きつ戻りつ、ともかくしがみついて書きつづけていれば、十年後には、本当にいまよりましなものが書けるようになってるんだろうか。

 ましになっていなくても、それでも、挑戦しないまま死んでいくよりかは、ともかく挑んでコケたほうがいくらかましだと思ってきましたが、なんとなくこの頃、モチベーションの維持が難しくなってきています。

 もともと、べつに書かないなら書かないでも、普通にそのまま生きていける人間なのだと思います。(本を読むなっていわれたら、そっちはちょっと無理だけど……)書かなきゃ死んじゃうっていうタイプではない。
 ほんとうに自分は、書きたくて書いているのかな。そのへんって、あまり迷ったことはなかったのですが、ふとこのごろ手が止まって、ぼんやり考えているときがあります。小説を書くことが好きだから書いているのか、人から評価されたくて書いているのか。

 ものすごく正直なところをいうと、両方です。もし書いても誰も喜んでくれる望みがないなら、わざわざ書かないだろうなと思います。だって書くの、疲れるもん。
 書いているときは楽しいんです。へんにクセになる楽しさで、生きているというかんじがします。でも、気合を入れて書いているときは、変な脳内物質が出るのか、眠りが浅くなって夜中に何度も眼が覚める。胃がへたって、ごはんも量を食べられなくなって、ちょっとしたことですぐ吐きます。短いのはいいけど、長期戦になるとたいへん体に悪いです。

 なんとか書きあがったら書きあがったで、今度は誰か読んでくれるんだろうかと、毎度毎度不安になるし。自分では冷静に見られなくてわからないけど、とんでもなく失敗してて、失笑されて終わりなんじゃないのか。誰にも通用しないんじゃないのか、今度こそ見捨てられるんじゃないのかと、ぐだぐだ悩んでへろへろになります。正直しんどいです。

 しんどいを、楽しさが上回るからなんとかふんばって書けるのであって、しんどいのほうが超えちゃったら、なかなかそこから先は頑張れない。一本の小説を書きあげられるかどうかって、技術や慣れや体力の問題もあるけれど、何より最後までモチベーションを維持できるかにかかっているなと、つくづく思います。

 厳しいことをいえば、そこでくじけちゃうくらいなら、そもそも書くのやめちゃえばいいんだよっていう考え方もあります。別に自分で書かなくても、世の中にはもう充分すぎるほど面白い小説はあふれているわけで。お店で本を買ってもいいし、好きなオンノベもたくさんあるし、どんなに読んでも、読みたいものをぜんぶ読み切る前に寿命がくるのは間違いないんだし。

 でも、じゃあ、諦める? 潔くすぱっと、書くのやめちゃう? それで後悔しない?

 するに決まってるんですよね。
 十年後か二十年後か、何年先まで生きてるかわからないけど、生きてる限り、たぶんずっと後悔する。
 だってまだ書きたいものいくらでもあるし。
 たぶんこれからもまだまだ出てくるし。

 そもそもわたしはいったいなんで、パワーダウンしてるんだろう。仕事とか、病気とか、家庭の事情とか、そういうので書く暇がなくなるときだって、またいつか必ずやってくるんだから、本当は時間に余裕のあるいま、がつがつ書いておくべきなんじゃないのか。
 長編書いて燃え尽きたっていうんだけじゃなくて、マルゴ・トアフに挑むより前から、多分そうでした。火の国を書きだす前も、なんだかやたらとしんどかった。書きだしたらだんだんエンジンがかかって、楽しくなっていったけど、あれを書く前も、ずっともたもたしてました。

 どこかの時点までは、書くのはそんなに辛くなかったんです。書き終わるころからヘコみだすのはいつでもそうだけど、とりあえず書きだすまでの、こういうへんな憂鬱は前にはなかった。雨の国も、とこしえの黄昏の国も、夜明けを告げる風も、Unshared Blueも、紫鱗に透けるも。少なくとも書きだす前と書いているときは、没頭してて、楽しかった。細かい迷いはいくらでもあったけど、迷うのも楽しめたっていうか。

 落っこちてきたものを頭で考えずに、そのまんま勢いで書いてたからかなあ。単純に、だんだん書くものが長編にシフトしてきているから、書きだす前に悩む部分が増えているせいかもしれない。あるいはよけいな欲が出てきたのかもしれません。ウケたいとかもっと面白いもの書きたいとか、どうやったらもっと伝わるかとか、そういうの。

 そういう欲って、ぜんぜんなくても成長の原動力としてアレだけど、それが邪魔になって書けなくなって……なんていう本末転倒なんてことになるくらいなら、捨てたほうがなんぼかましですね。
 初心に帰るべきなのかな。
 思いついたものを、自分が面白いと思ったものを、疑わず、とにかく目の前にあるとおりにそのまんま書く。客観的にどうか、完成度がどうか、どうやったらより面白く演出できるか、そういうのはいったんさっぱり忘れる。少なくとも頭では考えない。
 とにかく自分の萌えるものだけひたすら書いて、それでじゅうぶんエンジンがあったまって元気が出てきたら、そのときにどう書くかっていうことを、またあらためて考えたらいい。

 ……うん。
 まあ、ぼちぼちやります。とりあえずは中二病イベントの締め切りに遅れない程度に!

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 ただ短いだけの話を書くのは簡単なことだけれど、短いのに面白い話を書くというのは、ものすごく力のいることですね。
 昨日からグレッグ・イーガンの「祈りの海」を読んでいます。
 SFで、短編集なんですが、その短編の一本ずつが、ずっしり重いです。重いといっても、堅苦しく難しいというのではなく、面白いんです。
 ミステリ的な手法も織り交ぜてあって、飽きさせずにぐいぐいと読ませるという意味でも面白いし、SFとしてガジェットや舞台の表現なども見事なのだけれど、それ以上に、そうしたツールを使うことで、人間のありようを問う小説なのだと感じました。
 そこには、人類の行く末というような壮大な話、社会全体の話も当然ながら含まれているのですが、そればかりではなく、登場人物のひとりひとりの顔の見える小説でもあります。

 以前に読んだル=グウィンの評論の中で、SFはSFというジャンルである以前に、まず文学であらねばならないという話題がありました。SFというゲットーの中に閉じこもって、SFファンという内輪のなかでもてはやされて満足するのではなく、あくまで生きている人間を描かなくてはならないのだと。(読んだのは評論集「夜の言葉」ですが、記憶に基づいて要約していますので、細部の相違についてはあしからず……あと最近書かれた文章ではないですので、当時のSF界の状況が背景にあるのではないかと思います)

 こういう小説に出会うと、あの言葉の意味がわかるような気がします。
「文学とは……」なんて語りだせるような教養のある人間ではないのですが、文学がどうとか、エンターテイメントとは何かとか、そういう難しい話はさておいて、面白い小説というのは、人間をどれだけ描けているかにかかっているのだなと思います。

 面白い小説、書きたいんだけどなあ。
 人間を描く。
 言葉にすれば一言ですが、じゃあそれってどうやったらいいのと考えだすと、途方にくれてしまいますね。文章力だの構成力だのという、わかりやすい技術の話ではないだけに、そういうものが書きたいと思ったところで、じゃあ何をどうしていいのか。
 人をよく観察すること、自分の心を深く覗き込むこと。想像と思索…………なのかなあ。(漠然)

 道のりはいつだって遠く果てしない。


 と、所用につき、また少し間が空くかなと思います。次は週末かなあ。(どうせたいした話題は書かないんだけど)
 数日ほどネット上に姿をあらわす機会が減るかもしれませんが、日々元気に飲みに行ってますのでご心配なく!

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 老魔法使いの話を、ぽつぽつ下書きしています。



 手書きです。これをパソコンに移しながら推敲を重ねていくのか、それともいつものようにあくまで下書きとわりきって、また頭から書きなおすのか、まだ決めてはいませんが、手書きだけあって筆が粗く、とてもそのまま使えるレベルではないので、どのみち手は入れます。

 数多くの名作を万年筆と原稿用紙で生み出されているかの作家・浅田次郎さんが、某文具雑誌のインタビューで、「パソコンで打てば余計な言葉が増えて文章が軽くなる、手書きならば無駄な文章など書かない」というような話をされていて、読んだときには「ははあなるほど」と感服しましたが、あとではたと我に返って、いやそうかなあと首をかしげました。

 なんか、手書きのほうがどこまでも言葉が遊び、話があちこちに逸れて行きます。当初の予定からふらふら離れて、「あっいかんそういう展開にするつもりじゃなかった」と我にかえる率が、パソコンよりもむしろ高いような気がします。

 これは世代の差でしょうか。もうパソコンで書いてきた年月のほうが、手書きよりも長いからなのか。
 それとも、あれか。パソコンだとときどき戻って文章を削ったり、練り直したりしながら進めて行くところが、手書きだと自分の字が汚くて読み返したくないものだから、よけい後ろを振り返らないのか。
 ……多分それだよ、という気がします。

 もともと字が汚い上に、頭から文章の出てくる速度を殺したくなくてあわてて書きとめようとするのが、よけいに悪いのかもしれません。誤字だらけ、訂正だらけでぐちゃぐちゃになるし。
 むう……なんだろう。もっとこう、文豪気どりで心を落ちつけて、一語一語を吟味しながら、一筆入魂の気迫で…………すみません言ってみただけです。

「近ごろ眼精疲労が激しいことだし、ここはプロットや下書きを万年筆とノートでやろう」と最初に思った(というか、自分にそういう言い訳をして万年筆を買おうと思った)ときには、もっとなんかこう、優雅なひとときみたいなものを漠然と思い浮かべていたのですが、いざ使っているときには、がちゃがちゃ慌てて筆を動かしているだけっていうか、別に高尚な空気とかは欠片もないです。うん……

 便利は便利なんです。万年筆に慣れたら筆圧が落ちたので、長時間書いていても、手があまり疲れません。実用的には満足なんです……が。

 なんだろう。考えてもみれば当たり前のことなのですが、優雅というのは、道具が優雅なだけではだめで、それを使う人間のほうに、あらかじめそのような心持ちが備わっている必要があるんですよね。うんまあ、何事もそういうものだよね……(しょんぼり)

 優雅な性格ってどこかに売ってませんかね……五千円くらいで。(まずその金額しか出てこない時点で無理だと思う)

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 中二病イベント、書こうとしている老魔法使いの話が予定外に苦戦しており、どうにも長引きそうなので、ひとまず別にひとつ掌編を書いて投稿してきました。
 が、掌編っていうか、我ながら読み返して「……それで?」といいたくなるような切れっぱしでした……。
 もうそのまま書き捨てようかとも思ったのですが、そういうことをやり出すと逃げ癖がつくような気がして、それはそれで怖いので、恥を忍んで投稿してきました。

 わざわざアナウンスして読んでいただくようなものでもないのですが、お暇つぶし……にもならないかもしれませんが(短すぎて)、お気が向かれましたらこちらからどうぞ。(http://www.totalcreators.jp/cgi-bin/mini/read.cgi?no=57&l=9
 暗い話です。流血描写アリ注意。

 ふいに妙に懐かしい気持ちになったのですが、中二から十代の終わりくらいまで、ずっとこんなんばっかり書いていたような気がします。なんか人が死ぬ話とか人が死ぬ話とか、人が死ぬ話とか書いてました。むしろ人が死なない話を書いたことが、たぶん数えるほどもなかった……
 いま、人が死ぬ話を書く機会は減っていますが、別にそれはポリシーというわけではなくて、なんとなくです。読む分にも書く分にも、人死にが出る話が苦手とかいうことはまったくなくて、ただ何となくふつうに意識せずに書いていると、人が死ぬエピソードがあまり出てきません。(ゼロではないですが)

 ハッピーエンドの大団円を書くのも難しいけれど、人死にを書くのにはそれとは別の、独特のパワーというか、気力がいるような気がするので、単純にそういうスタミナがなくなってきているのかもしれません。い、いやな話だなあ……。

 老魔法使いの話も、どう書いてもおそらく暗い話にしかならないので、しばらくは明るいストーリーから遠ざかるかなと思います。それまで書き終わったら、またハッピーエンドに戻りたいなー。

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 前から少しずつ読んでいたアーサー・C・クラーク「幼年期の終わり」を、今日ようやく読了しました。読み終えて、ひどく寂しくなる本でした。圧倒されるというか、ものすごく遠くに連れていかれて、そしてひとりっきりで放り出されたような読後感。
 宇宙の旅を読んだときにも思ったけれど、この人の頭の中はどうなってるんだろう、というような、とんでもないスケールの話でした。人間の想像力って、すごい。

 そして読んでいて何気に変な汗が出たのですが、わたしはウラシマ効果を、すごく誤解していたような気がします。
 でも怖いから、深く突っ込んで勉強するまい。(※都合の悪いものは見なかったことにして逃げる派)

 いや、マルゴ・トアフの話なんですけどね。ヴェドの設定は細かくネチネチ練ったわりに、一番SFとしては基本的な部分の、地球から一年半かけて宇宙旅行をするということの細かい齟齬を、完全に無視しています。地球人類は多分、超光速航法だかワープ航法だかを発見している、はず。

 何も調べずに勘でものをいっていますが、光速以下の速度で向かって一年半で着くような場所に、地球人が適応できるレベルで生物の存在する惑星がある可能性は、多分ないんじゃないかなーと思います。(※何光年くらいの場所だったらあり得るかもしれないとか、調べてもいない)

 そんで、超光速航法が見つかって実用化されているとして、ウラシマ効果による移住の問題をどうクリアしているのか、まったく考えてないです。ちょっとは真面目に検証しようかという気持ちは、あのお話を考え付いた最初の三日くらいの間はあったのですが、すぐに投げました。
 っていうか、ウラシマ効果って結局何? みたいな……(小声)

 鍵は相対性理論だということくらいは知ってるんですが、相対性理論=なんか難しいやつ=無理! という結論に三日で至りました。

 いや、さすがに漠然とした概要は知ってるんです。光速に近いすごいスピードで飛んで行って戻ってきたら、本人にとっては大した時間がかかってなくても、地球ではすごい年月が過ぎてるっていうアレですよね。そう、すごく有名なアレ。
 で、何がどうしてそうなるの……?

 なんか「幼年期の終わり」では、光速の99%くらいの速度で、四十光年ほど先の惑星に向かっていって戻ってくるんですけど、そのときに地球では八十年が経っていても、宇宙船に乗っている当人にとっては二か月くらいしか経ってないんだそうです。
 告白しますと、わたし、この場合は宇宙船に乗っている本人の感覚で、八十年かかるんだと思ってました。
 わかってないじゃん、概要……。

 まあ1950年くらいに書かれた小説なので、最新の科学知識とはもしかして相違があるのかもしれませんが、でも確かめなくてもわたしが間違ってたよね十中八九ね。どうせ理屈を勉強してもわかんないし、誰か壮大な実験をして答えだけ教えてくれないかな……(お前はもうSFを書くな)

 たぶんこういう記事を書いたら、理系の人が親切に入門書にはこれがいいよとかって教えてくれたりしそうな気がするんですけど、もう宇宙ものは、そうそう書かないかなと思います。っていうか勉強したくない!(お前……)

 なんかわたし頭悪いわりに半端に理屈っぽいんですが、異世界ファンタジーを書く(読む)ときにも、「ここは宇宙のどこかにある別の惑星なんだ」という認識で書く(読む)派です。読んでいる間は、つくりものの架空の世界だって思いたくない。
 異世界FT書きの方にはおそらくおなじみの感覚と思うのですが、たとえば魔法がある世界だったら、「こういう魔法があるなら、社会の仕組みはこんなふうになっているはずだ」みたいな、そういう「もしも」の積み重ねで、世界観を固めていきますよね。

 なんだかんだ、マルゴ・トアフもその延長で書いちゃったなあと思います。鳥系社会なら地上の道路はろくに整備されてないはず、地球に環境が近くて風が強いということは、自転が早いはず、みたいなテキトーなあてずっぽうばっかりで積み上げて行って、科学知識、ほとんど使ってないよねっていう。
 そうか、あれはSFじゃなくて異世界ファンタジーだったんだよ!(こらこらこら)

 まあいいか……死ぬまでウラシマ効果を誤解したままでも、まあいいか……。(目をそらしつつ)

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朝陽 遥(アサヒ ハルカ)
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性別:
非公開
自己紹介:
朝陽遥(アサヒ ハルカ)またはHAL.Aの名義であちこち出没します。お気軽にかまってやっていただけるとうれしいです。詳しくはこちらから
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