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小説を書いたり本を読んだりしてすごす日々のだらだらログ。

 万年筆は、インクを入れたまま使わないで長く放置すると、乾燥しインクが固まって使えなくなるものです。とにかく毎日のように何かしら書くことが、なによりのメンテナンスなのだといいます。書く分量はちょっとでもいいそうで、自分の名前くらいでも大丈夫なんですって。

 最初のうちは、切り取れるメモ帳を机においていて、ゆっくり時間の取れない日には、ちょろっとそこに名前とか住所とか、ちょっとした落書きをしていたのですが、なんだか万年筆で字を書くということ自体が楽しいものだから、ついついその意味のない落書きの分量が増えてしまいます。それでは紙があんまりもったいないような気がしてきたものだから、近ごろではメモ帳でなくノートにかえて、そこに日々ちょろっとずつ描写の練習をすることにしました。


 

 即興で出てきた文章を使って、つらつらとお話のワンシーンとか、数行だけを書くんですけど、いつもだったら、ぼんやり飽き時間に頭の中だけでやっているような、たわいもない練習です。思いついたネタが気にいれば、あとでそこから小説に起こすこともあるけど、基本的には書くだけ書いて投げっぱなし。
 小説書きの方にはそういうのって、日常的にあるんじゃないかなと思うんですけど、そういえば、改めて誰かに聞いたことはないかも……そのあたりどうなんでしょうか。
 ともかく、絵描きの方が、デッサンというようなちゃんとした練習だけじゃなくて、手遊び的な落書きを日常的にいっぱいされたりしてるんじゃないかと思うんですけど、そんな感じのやつです。

 書きだしてみてから気付いたのですが、手で書いてノートのページが埋まってゆくと、なんとなく満足感というか、達成感のようなものがありますね。練習したことが目に見えるというのは、いいことかもしれない。
 どうせなら、練習量よりも、練習した成果のほうが目に見えるなら、そっちのがいいんでしょうが、文章がうまくなったかどうかなどということはそもそも目に見えないから仕方ない。
 あと字が汚いのが悲しい。せめてもうちょっときれいに書こうかなとか思うんだけど、書きはじめていっときすると頭から飛んでるよね……。

 ともかく、万年筆に慣れてきてから字がでかくなったので、ページがみるみる減ります。小さい字を書くときには、どうしても力んでしまうので、でっかくのびのびと筆圧を書けずに書くのが楽ですし、気持ちいいです。
 しかし字がでかいと、行間をおおめに開けないと読みづらいので、ますます一ページに書ける文字数が減るっていう。おおいに資源の無駄づかいではあります……(ちょっと罪悪感)

 大きいノートのほうがのびのび書けるので、最初はB5ノートにしていたんだけど、でも机が狭いので、あまりノートが大きいと、かえって手が疲れる気がして、いまはミニサイズのノートに移りました。(写真のはミドリのスパイラルリングノート、北国シロクマ柄)
 ノートが広すぎると、紙の上のほうに字を書くときと、下のほうに字を書くときで、手首の角度が思い切り変わるので、そのたびに万年筆を持ちかえたり、姿勢を変えたりするのが微妙に面倒くさいんです。
 しかし小さいノートは小さいノートで、厚いと段差がうっとうしい。開きが悪いノートは書きづらいし。あと、リングノートのリングが書くときに邪魔だという事実にも最近気がついたので、A5かもうちょっと小さいくらいで、薄めのノートがいいのかなあ……。薄いと、一冊使い終わったときの達成感というオマケもありますしね。処分するときにも捨てやすいし。

 トラベラーズノート(大きいサイズ)の軽量紙リフィルはどうかなあと、最近ちょっと狙っています。無地だし。(無地のノートが好き)
 紙が薄いので、ページ数が多いわりにノートそのものは薄いみたいなんですよね。万年筆と相性がいいっていう評判も見かけたし、いまのが終わったら買ってみようか。……リフィルだけ。(※本体が高い)

 万年筆だと、ノートのつくりや見た目が気にいっても、紙質があんまり悪いとインクが裏抜けするという問題もあるので、悩みどころです。
 ベストなノートのサイズと厚さを模索中なのですが、あまりそういうことを模索し出すと、物欲の沼に沈んで未使用ノートの在庫が大変なことになるので、とりあえずなるべく一冊使い切ってから次を買うくせをつけたいです。うん……。

 というところまでつらつらと考えたあたりで、手段と目的のどっちがどうなんだかよくわからなくなってきました。わたしは万年筆のメンテナンスをしたいのか、小説の修業をしたいのか、それともノートを買って物欲を満たしたいのか。最後のやつなんじゃないのか……。
 物欲って怖い!


 と、来週から少しばかり私事でばたばたしますので、またしばらく平日ブログがほったらかし気味になるかもしれませんが、元気にやっておりますので、どうかご心配なく。

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 老魔法使いの話、じりじりちびちび進んでいます。ミニイベントのためにさらりと萌えを書きつづるつもりが、なぜ自分がこんなに苦戦しているのか、もはやわけがわかりません。しかも時間をかけただけのクオリティがあるとは言い難い……ううっ。

 ともかく、なんとか全体の七割くらいの進捗で、原稿用紙70枚くらいのところまで来ました。余裕を持って上限100枚程度とかいってたら、何気に際どかった……。
 20×20換算なので、文字数換算すればそんなに長くもないのですが、しかし先に中二病イベントに長編を投稿されたお二方とは違い、ライトにサクサク読める文章でもなければ、ノリノリで次を読みたくなるようなメリハリのある展開でもないので、これはもしや地味に迷惑かもしれ…………ふ、深く考えるまい。書き終わる前に落ち込んじゃだめなのよ!

 参加者は全作品読んで必ず全部感想書いてね的なイベントではないので、読みづらかったら遠慮なくスルーしていただけばいいのだよ。(自分への言い訳)

 自分の萌えと読みやすさと、どちらを優先するのか、どこまで譲歩するのかとかって、いつでもとても悩ましいことですが、今回はとにかく自分の好みを最優先しようと割り切っているので、おそらく一般的には読みづらさ爆発なシロモノになっています。だって、だらだらした長文好きなんだもん……。
 それってどうなのとは思うんですけど、しかしイベントの趣旨が趣旨なので、そこは割り切ります。自分が萌えるものを萌える通りに書くのだ。もし誰にもウケなくても泣かない。……な、泣かない!

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 のぼうの城を観てきました。
 完全なるネタバレ注意。

 

 面白かったんだけど、原作が好きすぎる映画って、どうやったってどこかで大なり小なりがっかりするのは、もう避けられないことですね。……わかっていて観に行ったのに、ぶうぶういうのもなんなのですが!

 かなり原作に忠実でしたが(というか、たしかもともと脚本としてつくられた作品を、あとで小説として書き直されたはず)、それでも尺の都合でしょうね、いくつか細かい場面が削られていて、やっぱりちょっと残念。
 原作では、丹波がのぼう様に対して、馬鹿だ馬鹿だと日々失望しつづけながらも、「本当にこいつはただの馬鹿なのか、一見したところではわからない、得体のしれない将器を持っているのではないか」というふうに思っている場面があるんです。そこが省かれてしまっているせいで、映画ではなんだかのぼう様が、いかにも才を隠して道化のふりをしている……というふうに見えてしまうなあと。あのなんとも底知れない感じが出てないなあっていうのが残念でした。

 あとは、丹波がのぼう様にだけ、本当はいくさが怖いのだと漏らすシーンなんかも。ここはできれば削らないでほしかったなあ。
 原作ではその2つの場面で、ぐっと丹波とのぼう様のキャラクターに、深みが出てるんですよね。その2シーンがあれば、丹波の格好良さがもうちょっと伝わったんじゃないのかな。映画でも男前ではあったけど、原作の丹波すっげ格好いいんですよ……格好いいんですよ!(大事なことなので2回いいました)

 しかしなんだかんだで、映像や音声だからこそのインパクト、面白さというのはやっぱりありました。とくに個人的には、田楽踊りのシーンなんか好き。原作では、踊りの詳細は地の文でさくっと説明されてたんですけど、映画のために作詞したんですね。

「のぼうの城」「忍びの国」「小太郎の左腕」と、和田竜さんの本はどれもすごく好きなんですけど、その後、新作は書かれてないのかな……? 出たら即買うんだけどな。

 ということで、ついつい不満が口をついたけど、しかし楽しかったです。映画、あんまり観ないほうなんですけど、映画館は好きです。一回行くと、予告とかパンフレットとかにつられて、近いうちにまた観ようかなあっていう気になりますね。
 任侠ヘルパーあたり、時間が取れたら観に行こうかなあ。

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 ちょっと電波気味な話で恐縮なのですが。
 だいたいもとから、どっかから不意に落っこちてきた話を、そのまま頭に浮かんだ通りに書くようなタイプの書き手ではあるんです。書く前にある程度の構成を意識的に考えたりとかいうのが、最近になってようやく少しできるようになったけれど、もともとはそういうの、不得手なほうです。

 それはまあいいんだけど、今日の晩御飯のカレーうどんを食べていたら、ものすごく唐突に四十くらいのちょっときれいな女の人が頭の中にやってきて、投げやりな感じでどかっと座りこみ、「母はフルタイムで働いて、残業なしで毎日きっかり六時半に帰宅すると、私の夕食をきちんきちんと支度してから、浮気に出掛けて行く女だった。……」とかなんとか話し始めました。

 いったいなんでまたわたしは、脈絡もなくこんな話を書いているんだろうと思いながらも、ともかく落っこちてきたものは仕方がないので、万年筆とメモ帳を取り出して、口の中にカレーの味を残したまま、彼女が語るとおりにログを取りました。
 しかしなんというか、話にオチがありません。彼女は、十代のころに彼女の家で起きた事件の顛末を、いちおう一通り語ってはいったのだけれど、だからどうだというような結論を言い残さずに、そのまましれっと頭の中から去っていきました。どうせならそこまで喋っていってくれればいいのに。

 しかたがないので、そのまましばらく寝かしておきます。いつか結末が見つかったときに手を入れて仕上げるか、そうでなかったらそのまま忘れてゴミ箱行きか。
 だいたい書いたのが原稿用紙10枚ぶんくらいかな、細かい描写がないので、もしちゃんとまとめるつもりで清書するなら、三倍くらいになるのかなあという感じです。なんとなく雰囲気小説で纏められるようなタイプの話ではなく、オチがなければ仕方がないような中身なので、わたしが自力でオチを見つけたら、そのときに仕上げるということにするしかないのですが、しかし、わたしがこの話にオチを見いだせるほどの人生経験を積むのは、果たしてどれほど先のことなんだろうかと考えると、なんか眼が泳ぎます。ええと……あと十年くらいで足りるのか……?
 自分より年上の主人公の話なら、書くことがないわけではないのだけれど、なんかこれはちょっと荷が重いような気がするなあ。

 ふらりと語り部がやってきて自分から語ってくれる話は、自分に経験のないことでもとりあえず書けるのに、いざ自分の頭で話を組み立てようとすると、自分で味わったことのない感情を書くというのは、すごく難しいことのように感じられます。なんなんだろうなあ、これ。
 意識してるか無意識にやってるかを別にすれば、どっちも自分の脳みそが考えてることのはずなのになあ。

 テーマだけを抽出して突き詰めれば、ろくでなしの父親を嫌悪しつつも、女として強者だった母親に対してコンプレックスを抱いている娘の話なので、完全に自分と無縁な話っていうわけでもないんです。そういうのを頭において最初からまとめなおせば、なんとかまとまりそうな気がしないでもないんですけども、なんかそれをやってしまうと、ぜんぜん別の話になってしまいそうな気もするし。
 もやもや。

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 うちにある椅子は、背もたれのところが格子状になっていて、誰も座っていなければ向こう側が格子の隙間からのぞくタイプです。

 子猫が、その椅子の背もたれのところで体をくの字の二つ折りにして、ぶら下がっていました。
 この子はいったい何がしたいんだ……? と思って観察していると、どうやら背もたれの向こう側にある自分の尻尾を、前足で追いかけて遊んでいます。じき夢中になってバランスを崩し、べちゃっと床に落ちました。そしてまた背もたれにのぼって、懲りずに尻尾を追いかけはじめます。

 前からうちにいる次男猫も、ときどき自分の長い尻尾をぐるぐる回りながらバターになる勢いで追いかけていますが、それ以上のおバカさんがここにいましたよ……ああああもう可愛いなあああこいつ!!

 やっぱりおバカな子ほど可愛いです。君は毎日毎日楽しそうでいいなあ……。
 水を使っているといそいそと飛んで来て、びしょぬれになっても気にならないようすで手を出して遊んでいます。人が食事をしていれば、おかずを横取りしてくわえたまま逃げてゆき、五分もしないうちに叱られたこともすっかり忘れて(というか、怒られていることに気付いてもいないかもしれない)、また戻ってきては人の箸をつついて転がし、それを床に落としてじゃれています。

 ティッシュの箱という箱はほじくりかえされてまた人の手で詰め直され、紐という紐はよだれでべとべとになり、我が家の被害は甚大であります。ついつい許しちゃうんだよね、可愛いというだけでね……

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プロフィール
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朝陽 遥(アサヒ ハルカ)
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非公開
自己紹介:
朝陽遥(アサヒ ハルカ)またはHAL.Aの名義であちこち出没します。お気軽にかまってやっていただけるとうれしいです。詳しくはこちらから
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