また旧作や三語に拍手を頂戴していました。ありがとうございます!
なんかここしばらく地味な話しか書いてないような気がするなあ……とかひっそり反省していたのですが、こうして拍手いただいた古い小説についてあらためて思い返してみれば、サイト開設当時はいまよりもっと地味な話ばっかり書いてたので、いまにはじまったことではありませんでした。なあんだ元からか!(膝を抱えてやさぐれつつ)
盛り上がる話を書けるようになりたいものです。ラブ! とかバトル! とかスペクタクル!!! とか。…………言ってみただけです。
地味か派手かというよりは、心情的に盛り上がる話かどうかということになると思うのですが、ちっともそういうものが書けてないなあと思います。もちろん巷の本を読みあされば、なかには地味だけれども心に深く訴えてくるというような物語もありますが、じゃあ自分がそういうものを書けているかというと……
がんばれわたし。
近ごろは仕事のバタバタで、なかなか書くほうに割く心の余裕がないのですが(たまに時間を見つけて書こうとしても、どうにも雑念が多くてはかどらない)、本当に好きな人はどれだけ忙しかろうが、なんとか時間を作ってがつがつ書くものではないかという気がするので、ちょっと反省したりもしています。
うっかりするとときどき「わたし小説ってどうやって書いてたんだっけ……」という気持ちになるときがあって、真面目に恐ろしいです。早いところ復帰したい。心配しなくても、いざ書き始めたらきっと思い出すはず……思い出すよね?(自分の胸に聞いてください)
ブランク怖いです。ほんとは毎日コツコツちょっとずつでも書くのが理想なんだろうけど。
とりあえず隙間時間で、書きかけて中断している美形修行の話と、あと落ち着いたらとりかかるつもりでいるとこしえ新作、それぞれ細部のイメージを膨らませるべく、ノートに落書きを増やしています。
仕事、早く落ち着かないかなあ。
ここ数日で、ガラクタ箱に放り込んでいる過去作や三語小説に拍手をいただいていました。ありがとうございます!
3月に誕生祝い(セルフ)の前倒しで買った万年筆、仕事の勉強に活用しています。「おかしいな、趣味のために買った品のはずだったのにな……」と悔しく思わないでもないですが、しかし勉強という苦痛を和らげてくれる緩衝剤になっているのは間違いないので、ここは素直に感謝するところでしょうか。
書き味ですが、やはり紙によっては、ときどきインクスキップが出ます。しかしじわじわと馴染んで、スキップの回数が減ってきました。
これまでに買った万年筆は、だいたい使い始めて数か月くらいの時点ではっきりと書き心地の変化があったので、もうちょっと様子見だなと思います。最初はペンクリニックに持っていくことも考えはしたのだけれど、せっかくだから、自力でじっくり育てて楽しみたいなあと思って。
使い込むまで待つのがストレスだという人は、機会を見つけてさっさとプロに調整してもらったほうが賢いと思います。
今度のやつは茶色の軸なのですが、ふと書きものをしていた手を止めて背後を振り返ると、我が家のチビ猫の毛並みと、ちょうど同じ色をしていました。そ、それで買ったわけではなかったんだけどなあ。
でも気付いたら気付いたで、なんとなく妙な愛着が出ます。いっそこの万年筆、チビ二号と名付けようか。(三号も買う気ですか?)
このごろ故・開高健さんの本にハマって追いかけているのですが、物を使い込んで自分のものにするということに、強い思い入れのある方だったようです。
長く使い込んで小さな傷のたくさんついた万年筆や、つやつやになった革製品や、飴色に変化した木製品、そういう品を見かけると、いいなあと思います。
うちの本妻(万年筆)はまだ使い始めて一年とちょっとなので、年季が見た目に現れてくるのは、まだまだ先の話です。
わざと乱暴に使って傷をつけるのではなく、かといって大事にしすぎておっかなびっくり使うのでもなく、自然体で使い倒してゆく所存です。そんで数年後にふと眺めたときに、使い込まれたモノの風格みたいなものが出ていたらいいなあ。(妄想)
「鳥たちの楽園」と「天眼の鬼」に拍手いただいていました。ありがとうございます!
例年のことではありますが、近ごろは忙しくしているか疲れてぼんやりしているかの二択で、ふと気がつくと時間だけが過ぎ去っています。新しい仕事そのものに不慣れで緊張しているのと、人間関係の微妙なアレコレに気を遣ってしまうのとで、単純な残業時間的には3月後半よりは少ないのですが、とにかく一日が終わるとぐったり疲れています。とりあえずなんとかして早いところ環境に慣れて、仕事のほうも、手の抜きどころを掴みたいものです。
現実逃避なくして生きてゆけない体質なので、読むほうはなんだかんだで隙間時間を見つけて、せっせと読んでいます。
これも現実逃避なのか、ふっと何かの合間に書きたい気がする題材だったり、ここのブログで書こうかなと思う話題が浮かんだりする瞬間もあるのですが、非常に遺憾ながら、日々の雑事に紛れてすぐ忘れます。何かを思いついた、という漠然とした記憶だけが後に取り残されるという……(くっ……)
思いついた端からメモしておかないといけないんだけど、仕事中にポケットからノート引っ張り出して小説のネタをメモっていうわけにもいかないですしね……早くおわれ繁忙期。
まあ幸いにも年がら年じゅう残業三昧というような部署ではないようですので、慣れるまでの辛抱と割り切って、無理しすぎない程度に働きます。
ついつい弱音ばかりこぼしていますが、悪いことばかりでもなく、新しく出来ることがひとつずつ増えていく、という単純な喜びもあります。ずっと同じ仕事について狭い分野に習熟していくのも、それはそれで悪くないけど、これまでの仕事で身につけた知識が複合的に繋がっていくっていうのも、けっこう楽しいです。
もうけっこう長いこと働いてるんだから、そろそろ中堅というか、頼れるベテランになりたいところなのですが、仕事の知識がどうとかいう前に、まず人間が出来ていないので、やっぱりちょっとしたことで慌てふためいたり、忙しいときにはしばしば余裕がなくなって人間関係でやらかしてしまったり、まあ相変わらずです。一喜一憂しつつ、まあ人間そんなにすぐには成長しないよねーとか自分に言い聞かせています。
まあ、ぼちぼち無理なく。
自分がこれだけ色々やらかすのだから、そのぶんできるだけ人の失敗や欠点にも寛容でありたいものだなと思います。思うだけで、実際には苛々しちゃったりするんだけども。
先日、非常に久しぶりに会った同期が、かつての印象からぐっと丸くなっていたりして、年月というものの効用をあらためて思いました。基本的に人間というのは育つものです。放っておいても勝手に自力で育つ人間もいますが、そうでなくても、周りに育てようという姿勢があれば、大抵の人間はゆっくりでも育ちます。成長パラメータにばらつきはあるにしても。
また別の場所ですが、未熟な人間の、未熟さを堪え切れずに責める先輩を目撃しました。責められた方は、叱られ過ぎて委縮してしまっていました。叱られるほうにも問題はあるかもしれない、やる気や姿勢が足らないかもしれない。それでも時間と環境さえあれば育つだろう人材が、こうして潰されてゆくのだという気がして、暗澹たる気分になりました。
自分が入ったばかりのとき、高校新卒でアルバイト経験さえなく、尻に殻をつけたどころか、殻からまだ片足をおっかなびっくり出しかけて迷っているような、まったくの役立たずでした。そのときわたしは幸いにも先輩に恵まれて、仕事を一から十まで手取り足取り教えてもらいました。先輩は、よく人を褒めるひとでした。
まず想定しうる失敗は片っぱしからひととおりやらかしたと思いますし(というか、いまでもよく色々やる)、いまだに不得手な人間関係というやつが、当時はもちろんいま以上に全く駄目で、苛々させたことは数え切れなかったんじゃないかと思います。
なのに、その頃、ほとんど怒られた記憶がありません。
本当にまずいことをやらかしたときだけ、当時の上司は、諄々と言い諭してくださいました。その上で、後からフォローの言葉までもらいました。温かい職場でした。いま思えば、有難いことでした。
いまでもおそらく世間一般の物差しではかって、温かい職場ではある気はします。それでもずいぶん、雰囲気が変わったなと思います。長い不景気と、そこから派生した人手不足、忙しさから、後進を気長に育てようという意識が、なかなか持ちにくい時代なのだなと思います。みんなそれどころじゃない、自分のことで手いっぱい。
忙しいと人間、周りを気遣う余裕がなくなります。暇でも陰険な人は陰険だし、自分がどんなに忙しくても周りに優しい人もいるけれど、そういう例外を除いた多くの人間は、自分に余力があれば人を気遣えるけれど、忙しくなるとそれができなくなります。
ぎりぎりの人件費で回そうとすることが、いかに余計な無駄を増やすことかと思います。人手が余りすぎるのもどうかとは思いますが、職場に人を育てる寛容さ、余裕がなくなれば、若手が育たなくなる。一年か二年、給料だの保険料だのを何百万か払って、結果その人材がつぶれて辞めていく。経験が蓄積されずに、また入ってきた新人に一から教えなくてはならない。
削るコストはそこではないだろう、と思ったり。
……と、なんとなく暗い話題をずるずると、失礼いたしました。なんかねー、佐々木倫子さんのマンガじゃないけど、「バカ枠」採用があるくらいの余裕が企業一般に欲しいよねー。
引き続きよろよろしながら働いてます。なんだかちょっと無理すると、回復にやたら時間のかかるお年頃になってきたのですが、まあ仕事で忙しい時期になったらなんだかんだ無理しないわけにもいかないよねっていうか……(ぐったり)
年中お忙しくしておられる方々を思えば、おおいに情けない話ではありますが、いかんせん基礎体力も精神的タフネスもないので、できるだけ身の丈にあった働き方をしたいものです。(いまからでも運動して体力をつけようかという気は全くない)
浅田次郎さんのエッセイを読んでいたら、「自分が作家という商売のわりに心身の健康を保っていられるのは、二十二時就寝で夜明けとともに起きる、長年の早寝早起きの習慣のおかげではないか。人間の細胞は深夜に作られるから、その時間に眠っていない人間は老化が早いという」というような話題が出てきたので、真偽はともかくぜひとも真に受けて22時就寝の女になりたいものだと思いました。
いま、通常の時期で23時就寝です。繁忙期は残業で遅くなるのでだいたい23時半から0時くらい。それでも世間様よりはだいぶ早寝だと思うのですが。
頑張ればあと一時間早めることができないわけではない、が……そうしたところで一時間ぶん早起きできる気はしないな。うん……
ちなみにその話の後に、「ただし人付き合いができないので親しくする人はめっきり減る」という余談がくっついていました。まあね。飲み会とかあったら22時就寝なんか無理だよね。
仕事の方は、例年だいたい五月上旬くらいには落ち着くので、あと一か月の辛抱と思ってなんとか耐えます。とりあえず明日は家で四月からの仕事の勉強。べんきょう……べんきょうきらい……(子どもか)
数日前、「嘆きの森」に拍手いただいていました。ありがとうございました!
生きています。残業きらいー、おうち帰りたいー、とぶつぶつこぼしながら、日々元気に残業しています。年度末っていやだなあ。
四月からの新しい人間関係へのプレッシャーももちろんのこと、しかも今度初めてやる仕事に変わるし、いまの仕事はきれいに引き継ぐどころか後を濁しまくりになりそうな予感だし、毎度のことながら頭パンクしそうです。
が、毎度、ともかく過ぎてみればなんとかなっているので、今度もなんとかなるでしょう。……たぶん!
諸先輩方がときどき「去年の4月の記憶がないんだよね……」と呟いておられるのですが、まさしくそんな感じです。もう思いだしたくもないっていう(そして忘れてしまう)。
年間通してそこそこに暇すぎず忙しすぎない仕事って、どっかに落ちてないかなあ……あ、いやいや。贅沢いいません。せっせと働かせていただきます。
せっせとっていうか、あいにくと体力がないので、無理しすぎず働きます。もともとない体力が、さらに年々着実に低下しているのをひしひしと感じて戦慄しております。平日遅くまで残ると、翌日かならず頭痛が出るんですが……働きたくないよー。
嘘です。働きます。残業代見込んで前倒しで万年筆買っちゃったしね!(……)
万年筆といえば、毎日ちょっとでも使うのが何よりもメンテナンスになるというので、意地でも帰宅後に何か落書きするのですが、このごろ平日はもう何を書くか考えたくもないほど疲れているので、寝る間際に雑記帳の隅に自分の名前を書いて、キャップをするなり倒れるように寝ています。(「書くのはほんのちょっとでいいんだよ、自分の名前くらいでもいいのよ」と万年筆屋さんが仰ったので頭から真に受けてみました)
おかげで雑記帳の最新のページに、自分の名前がくたびれきった筆跡でずらっと並んでいます。数年後にこのページを開くことがあったら、状況を思い出して遠い目になるかもしれません。うん……。
あとうっかり急死してこのノートが家族の眼に触れたら、なにかいらん心配をされそうです。
「万年筆は毎日使うこと。自分の名前くらいでもOK」って、最初のページくらいにでっかく書いておこうか。万一に備えて。
小説も、わたしなんかはだいたい読んで一発で現代日本の話じゃないってわかるファンタジーとかを書いてるからまだいいですけど、現代小説なんか書く人だったら、なかなかすぐにはフィクションだって理解してもらえなくて、いらぬ誤解されたりしそうですよね。冒頭に「この話はフィクションです。」って書いとけばいいのか。
とりあえずなるべく急死しないように気をつけよう。(気をつけようがないから急死なんじゃないのか)
拍手コメントをいただいた場合は、お名前をださずにブログ記事内で返信させていただいております。もしも返信がご迷惑になる場合は、お手数ですがコメント中に一言書き添えていただければ幸いです。
ラノベ棚