引き続きSFのやつを、ゆっくりマイペースに書いています。鉄は熱いうちに作戦で、毎日ちょっとずつ書き進めて、いまやっと二万五千字くらい。この三、四倍くらいの長さになるのかな、というところです。
勢いのあるうちにとにかくいったん書き上げちゃえ、というのでひたすらざくざく書いていますが、そのぶんだけ筆が荒いので、あとで推敲のときに泣きそうです。うん……まあでもだいたいいつものことかな!(開き直り)
最近ようやく学習したのですが、毎日、お風呂に入る前にとにかくちょっとでも書くのがいいようです。そうすると入浴中に設定や続きのことを漠然と考えるので。散歩や入浴のように、血行のいいときにアイデアは浮かびやすいとよくいわれますが、ほんとだなあと思います。
しかし風呂の中で思いついても、あわててメモするわけにもいかないのが難点です。記憶力がないので、しばしば風呂から上がって体を拭いたり服を着たりしているうちに、ぽろぽろ脳みそからこぼれて拾えなくなりそうで「うおお!」ってなります。
ひとり暮らしのときは素っ裸のまま、とにかに急いでメモだけでもと思ってるうちに風邪引いたりとかしてたんですが、いくら親と猫しかいないとはいえさすがに家族の前でそこまではできないし。(いや、ひとりでもやるなよ)
なんか防水的なメモとか風呂におこうかなあ。
先週ノリと勢いで書き始めたSF、その後もじりじりちょっとずつ書いていますが、思ったより恋愛要素が強くて、なんかちょっと新鮮です。いや、新鮮とか言ってる場合じゃないんですけど……控えてるとこしえ新作も恋愛ものなんだし。
突然降って湧いた話で、寄り道のつもりだったけど、そっちの練習になると思えばいいのかなあ。
恋愛もの、得手ではないんです。ふと気づくと一ミリも恋愛要素のない話ばかり書いていたりします。でもたまに唐突に書きたくなります。というか、別に恋愛ものが書きたい! と思って書くわけではないんですけど、ふっと落っこちてくる話が恋愛模様だったりするので、意識の表層ではないところで書きたくなってるんだろうなあ。
きのうの話ですが、夢のなかでノリノリで恋愛小説を書いていて、「なんだよわたし、ちゃんと恋愛もの書けるじゃん!」って思いながら目が覚めました……夢の中なら何でもありだなあ。現実だったらよかったのに。
内容は起きたらきれいに忘れました。こういうときって、夢のなかでは傑作を書いているつもりなんですけど、もし思い出せたとしても、きっと起きた頭で読んだらしょうもない凡作なんだろうなあ。
数日前に「河岸の月」に拍手頂戴していました。ありがとうございます!
またぞろ更新だの発言だのが減っておりますが、元気です。元気というか、まあ、しばしば自分がやっている仕事がこれで本当に合っているのか不安になったり、ときどきクレーム対応に当たって「おうふ……」となったりしながらもなんとかかんとか大過なく過ごしております。働きたくない。働きたくない……(重症)
いや仕事そのものはしたいんです。しかしクレーム対応はともかく、なんていうか、自分がちゃんと一人分の戦力になっているという感覚がないと、職場で身の置き所がないですね。
自分がそれなりに求められる役割を果たしている、という感覚がないというのはしんどいです。もう丸二ヶ月経っちゃったのに、いつになったらわたし仕事覚えるんだろう。
勉強してさっさと必要な知識を身につけないとなあ……でも勉強したくないよう。(おーい)
勉強したくないです。勉強そのものが嫌いだというのもあるんだけど、どうもいまやっていることの意義を、自分があまり信じきれていません。
自分の仕事に誇りを持ちたいという思いはどこかにあって、だけどそもそもいま持たされている仕事には、果たして誇るほどの意義があるだろうか、とも思ったり。
そんなのは言い訳かなあ。もうちょっと頑張ったら何か見えてくるのか。
一見無駄なように思える仕事でも、きちんと向き合えば、大なり小なり何かしらの意義はあるはずなんです。まったく誰の役にも立たないということはない……ないはずなんだけどなあ。はずなんだけど。
まあ、ただの愚痴です。(ついこのあいだ、他人の仕事の愚痴なんか読まされてもなあとか言ってなかった?)(すみません……)
今日、せっかくの土曜だというのに、仕事がらみの用件で朝から夕方までつぶれたものだから、悔し紛れにその足で買い物に行ってきました。夏に小旅行に行きたいなともくろんでいるので、その準備を少しと、あと文具店。買い物でストレス発散するようになったら危ないよ!
しばらくぶりに訪れた文具店で、見慣れない万年筆がディスプレイに飾ってありました。イタリアのデルタというメーカーのです。うわあきれいな色だなあ、きらきらしてるなあ、などと思いながら何気なく値札に視線を走らせたら、十万円でした。お、おう……
高い万年筆はほんとに高いですね。文具雑誌やウェブ上の記事なんかで話題として載ってる、何百万の二千万のというようなやつは、もうなんか宝飾品であって筆記具ではないので、かえって最初から食指もなにも動かないのですが。「あれ、これちょっとかっこいいなあ」みたいな店頭に置いてあるやつが、しらっと十万円とか二十万円とかだったりするので、見るたびに変な笑いが出ます。
先に某万年筆屋さんで、若い人はいいものをたくさん見ておいたほうがいいのよ、買わなくていいからちょっと触ってごらんなさいなっていって奥さんが出してくれた漆塗りの万年筆は、たしか十二万円だった……(触ったけど気が気じゃなくてすぐ返した)
まあ、冷静に考えたらお手頃価格じゃなくてかえってよかったよねって……変に手の届く価格だったら、いつかうっかり衝動買いしそうで怖いもんね。
というかそもそも買うつもりがないなら、万年筆コーナーには近寄らないほうがいいんじゃないかな朝陽さん。
見てるだけできらきらしてて楽しいので、ついつい通りかかったらディスプレイの中を眺めてしまうんですが、そのうちうっかり欲しくなったらまたぞろ万年筆貯金とか言い出しそうで……もう足りてるから! いま持ってる分だけで十分すぎるほど足りてるから!
またぞろいつ書けるかわからないSF話が天からぽろりしてきました。本気でいつ書くんだ……諸々書きたいと思いながら投げっぱだなあ。
書けるかわからないけれど、とりあえずメモだけしています。最近そんなんばっかり。
女性だけに遺伝子異常をもたらす病気が蔓延して、女はせいぜい二十歳そこまでしか生きられない。女性のクローンが量産され、十五歳まで生きられた(そしてまだ数年の寿命が見込まれる)個体だけが、結婚する社会制度が確立している、というような世界の話です。管理社会で、配偶者はあらかじめ決められていて、自分の配偶者(と子供)以外の異性とは生涯会うこともないっていう。
暗いよー。何をどうやっても暗いよう。
あとその設定で書くと、まず間違いなく美形修行に掠りもしないという……べつに主人公が美形ということにしてもいいけど、でも美形描写する必要性一個もないよね。めざせ一作品に一美形じゃなかったんですか朝陽さん。
とこしえ新作も書く書く言って、結局まだ手をつけあぐねてるし……あっちも、あとは主人公の弟がらみの設定がもうちょっと固まったら書けるんじゃないかなあ、という気がしているんですが、なかなか固まりそうで固まりません。ちょっとゼラチン足りてないんじゃないのー。
なんかこのごろ自分の手の遅さにがっかりしてばかりいるなあ。
まあ、無理なくぼちぼち書きます。無理なく……書きたい話はたくさんあるんだよ。うかうかしてるとろくに書かないうちに死んじゃうよ!
不肖わたくし、まだまだ部下を持つような立場ではありませんが、ちかごろ後輩が徐々に増えてきて、気を遣う場面が出てきました。と同時に、これまで自分がいかに先輩方に気遣われてきたのかということにもようやく思いが至り、ひそかに赤面することの多い日々です。
上司に噛みつくのは、褒められたことではないにせよ、まだしも許される範囲のことですが、部下や後輩につらくあたっていじめるのは、非常にみっともなく、どうにも救いようのないことです。重々わかっているけれど、人間ですので、性格の合う合わないはあります。まあつまり、この子ちょっと苦手かもという後輩がちらちらいます。具体的には、もし同級生で同じクラスだったら近寄らなかったタイプだなという子。(逆にいえばほかの後輩は、先輩を立てていろいろ気を遣ってくれてんだろうなあ。そこに甘えてたらいかんよなあ。)
難しい後輩とどうつきあってゆくかということは、みな頭を悩ませるところなのだろうなあと、あらためて思います。……頼りがいのあって後輩から無条件に愛される先輩だったら、そもそもそんな気を遣うことも多くないかもしらんけど。
振り返ればわたし自身はちょっと、いや、かなり難しい子でした。……と過去形で語りたいところではありますが、いまもいくらかましになったとはいえ、やっぱり扱いづらい部類だろうなと、客観的に思います。
しばしば反省はしているのですが、やはり余裕がなくなるとすぐに忘れて、前にやったのと同じような失敗を色々やらかします。恥と後悔のやたらに多い人生です。
ときおり手を止めて過去を振り返ろうとすれば、目を細めて懐かしむような良い思い出というのは少なく(仕事面では特に)、むしろ忘れてしまいたいような恥ずかしくていたたまれないようなことは、次から次にいやんなっちゃうくらい浮かび上がってきます。自分の駄目なところを素直に受け入れるというのは、難しいことだなと思います。
十代の若者ならまだしも、三十になったいまなお、自分の理想とする自分と現実の自分とのギャップを正視するのが辛いというのは、いかがなものか。いつになったらわたしはモラトリアムを卒業できるのでしょうか。ここまできたら性格の問題なのか。一生こんな感じなのか。
自分の記憶を自分に都合よく改ざんし、都合の悪いことは忘れ、うまくやれたことや、楽しくつきあえている人のことだけを覚えていられれば、自分の精神の健康のためにはそのほうが楽です。
いつもいつも失敗したこと、ひとに迷惑をかけたこと、ひとに嫌われた記憶、自分で自分が嫌いになるような記憶ばかりを反芻するというのは、不健全なことに違いなく、そうやって自己嫌悪に溺れて辛い辛いと思っていれば、しぜん余裕をなくして周りを気遣うどころではなくなります。自分のことだけで手一杯というのは、若ければそういうものだと許してもらえますが、年齢が上がってくれば当然、それだけでは許されなくなってゆく。
だけど、じゃあ精神の安定を図るべく、自分が悪いと思いたくないばかりに、自分の失敗を正当化し、常に周りの誰かのせいにしてしまうのも、それはそれでいかがなものか。そのときの自分の気だけは楽ですが、そんなことばかり続けていればどこかでツケがやってきますね。運命論の話ではなく、あくまで自分の精神衛生上の話です。
人間は、そうそう自分にいつまでも嘘をつき続けられるようには出来ていません。いくら自分で自分を上手にだましたつもりになっていても、思わぬところで揺り返しがくる。忘れたふりをした自分の感情から、忘れたころに逆襲を受けます。その場ですぐに反省して決着をつけた恥と違い、長年目をそらし続けていた恥は、その分重く、強烈に襲いかかってくる。
何か失敗するたびにほどほどに反省し、後悔もし、けれどひとしきり落ち込んだあとは気持ちを切り替えて、次はなるべく同じ失敗をしないように努力しようと思えれば、それが一番いいんだろうというのはわかっているんです。それがなかなかやれないのは、中途半端なプライドが邪魔しているんだなあ。
自覚はあるんです。可能な限りいつでも、自分は悪くないと思いたいっていう。そういう自分の性格の悪さを知っていて、反省もするのに、またいっときするところりと忘れて諸々やらかして、だけど自分のせいではないと思いたがっている。相手が悪いとか、相手との相性が悪いとか、そういう言葉に逃げる。
まったく逃げ道を作らないというのも危なっかしいけれど、自分の弱さを許すことと、自分の愚かさやいたらなさを認めないことは違いますね。少なくとも、自分で自分の行動を正当化しているという自覚は、いつでも心の隅にあったほうがいい。その分だけ、ひとにも寛容になれるように。
自分の取り扱いを学ぶ、ということなんでしょう。口で言えば一言なのに、いざやろうとすると、難しいものだなと思います。
自分の失敗を失敗として受け止め、迷惑をかけた相手に謝って、失敗に学びながらがんばる人間に対して、多くの人は優しいです。
一度失敗したから即座に切り捨てる、烙印を押すという人は、あんがい少ない。相手の顔が見えない場合、ニュースの向こう側、テレビや新聞記事の向こう側についてはまた別の話で、そういう顔の見えない他人に対して、人間は厳しいです。あるいは「お店」とか「企業」とか「国」とか、そういう集団に対しても、厳しいかもしれない。
しかし顔の見える個人については、とりわけ後輩の失敗には、人はわりかし優しいものです。わけてもそれが、ちゃんと自分で反省ということをできる、かわいげのある後輩ならば。
まともな大人なら、みな自分もまた失敗をしながら育ってきたことを知っているし、覚えてもいるので。……まあたまにいますけどね。自分の失敗はつごうよく忘れて、「自分の若いころはもっと色々ちゃんとやれてた」としか言わない人。
もちろん、そう感じるのは当然のことなんですが。人の失敗はよく見えるし、自分の記憶から都合の悪いところはほどよく消しちゃうのは、人間の性といよりも、自然な機能です。他人に厳しくて自分に甘いのも。そうじゃないと、生きるのが大変だから。
でも、そういう人間の性質を知っていて、その分を割り引いてものを見るという努力をしないで、頭っから本気で「自分はちゃんとやれていた、この子が駄目なんだ」と決めつけるのは、恥ずかしいことですね。大人としては。
大人か。三十歳って、もっと大人のはずだと思っていたよなあ……。
なんかそういう、先輩後輩とか、上司部下とか、嫌うから嫌われるのか嫌われるから嫌うのかの問題とか、大人ってなんだろうなあとか、諸々日々ぼんやり考えていたのですが、このごろなんとなく、考えたことを文章に落とし込むという習慣から遠ざかっていて、ブログを放置気味にしています。こんなくどくどした愚痴まじりの長文を、いったい誰が読みたいのだという気もするし……(すみません)。
しかし自分のためには書いといた方がいいなと反省したので(このごろ何でもすぐ忘れるし)、思考の痕を残しておきます。
十年後くらいに(うっかり死んでなかったら)思い出して、こっそり自分で読み返して赤面するがいいさ!
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