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小説を書いたり本を読んだりしてすごす日々のだらだらログ。
 いきなり間が空きました。雑記を書く暇も無く熱心に小説に集中していた、というわけではなくて、ブログを毎日書くことにさっそく飽きて放り出していたわけでもなくて、猫を看取っていました。

 こういう記事を書くことが、ひどく趣味の悪い自己満足のような気もするし、何もまだ気持ちの整理をつけたいわけでもないのだけれど、書かずにいればいつかきっと、色んなことを忘れてしまうという気がしたので、自分のために、書き残しておきます。アナログの日記に書いても、いつもそのうち捨ててしまうので、ここに書いておくのが、たぶん一番あとまで手元に残ると思うので。
 支離滅裂かもしれませんが、そういう趣旨の文章ですので、どうか流してやっていただければ幸いです。

 死んだのは、長女猫です。しばらく前から腎臓を悪くしていていて、早くから、余命宣告を受けていました。
 もともと、ずいぶん前にも交通事故から生還しており、その時点で血液検査の数値は、ずいぶんとあちらこちら異常が出ていました。そのわりには元気に、それから何年も生きて、途中ではいよいよ危ないかと思った猫インフルエンザからも、立ち直ったりしました。それでも段々調子を崩すことが増えて、ぜんそくみたいなへんな咳をしてみたり……。全部が全部、あのときの事故が引き金だったと言い切っていいのかわかりませんが。
 かかりつけのお医者さんから、もう長くはないと宣告を受けたのが四ヶ月前のことです。それからもちょっとずつ良くなったり悪くなったりしながら、だんだん痩せてきて、最終的にはもとのふくふくしていた姿が見る影もなくやせ細って、骨と皮のような状態になるまでがんばってくれました。

 ここしばらくはまっすぐ歩くのが難しくなっていて、それでもパトロールに出たがってみたり、他の猫がオモチャで遊んでいるところに乱入していたり、ときどき妙に元気のいいところを見せていて。
 自分からはほとんど食べ物を食べようとしなくなったあたりで、とうとう来たかとは思ったものの、今度もまた回復するのではないかという淡い期待から、あきらめのつかなかった母が、毎日かかりつけの病院に連れていって、点滴を打ってもらっていました。

 ずっと横たわったままぐったりしていて、それでもトイレのときだけどうにか歩いて行っていたのが四日前。
 二日前にはそれも難しくなって、立ち上がれないながら、もよおしたときには寝ていたクッションから尻を落として、置いているタオルのところに用を足して、にゃあと声を上げて近くにいた人に知らせていました。その手のかからない様子がなんだか、こんなに弱っているときにまで、けなげに気を遣っているかのようで。もちろんそんなの人間の思いこみにすぎなくて、本人はもっと単純な、たとえば尻が濡れて気持ち悪いから早く片付けて、くらいの意味で鳴いていたのかもしれないんだけど。

 最後あたりはもう自分では体温を確保できなくなって、放っておくとひんやりしてくるので、人間がさすって暖めてみたり、ホッカイロをタオルで包んで毛布に入れてみたりしながら、それでも撫でると弱々しいながら喉を鳴らして喜んだり、ときどき甘えるようなしぐさを返してきて。昨日の夜、とうとう母が根を上げて、助からないのはわかっていたのだから、ほんとうはもっと早く楽にさせてやるべきだったかもしれないのに、毎日点滴を打って無理やり生かして、かえって苦しませてるだけなんじゃないかと言い出しました。
 明日の朝も病院で点滴を打ってもらうか、それとも黙って死なせてやったほうがいいのか、迷って決めきれないと母が泣き出したその日の夜中に、静かに息を引き取りました。そのタイミングがまた、人間がつらい決断をしなくていいように、選んで逝ったかのようで。

 もともと、ずっと前に飼っていたべつの猫を、早くに亡くしてしまって、その寂しさを埋めるように、親戚の家からもらってきた子でした。その家で仔猫が増えて困っているらしいからと言い出したのが父、死んだ猫のかわりに引き取るなんていうのはいやだといって反対したのが私。だけどその頃、その家に立ち寄る用事があって。ひと目見てしまったら、もうだめでした。淡いきれいなグレー柄の、まだほんの仔猫でした。そのまま父の車で、わたしの膝に載せて連れて帰ってきて。車に揺られて一時間半、震えながら、じっとしていました。

 先にうちにいた長男猫が、この子の母猫にそっくりだったので(血縁があるので)、長男を母親と間違えて、よく出もしないおっぱいを吸っていました。すっかり大人になってもそのクセが治らなくて、いつまでも長男坊にべったり張り付いていて。
 わがままなところのある猫で、こっちからさわりにいったり抱き上げたりすると嫌がって、普段は可愛い見た目に似合わないだみ声なのに、自分がかまってほしいときだけ、どこから出るのかというような甘ったるい声で呼ぶ猫でした。なぜかわたしが風呂から上がったタイミングを、甘えるときだと決めてかかっていて、体を拭いたり着替えたりしているところに、洗濯機の上から早く撫でろ、遊べと呼んで、呼ぶばかりかひっかいたり、甘噛みしたりしてきました。もっと撫でろというときに、爪を出して人の顔からメガネを引きずりおろしたり。ひとしきり甘えたあとには、牛乳をねだるのですが、ミルク皿をそのへんに置いても駄目で、わたしが手に持っていなければ飲まないという、おかしな甘え方をして。
 その風呂上がりの習慣がずいぶん長く続いていたのに、気がつけばここ数年、いつのまにかそういうことをしなくなっていて、どういう気まぐれか、たまに思い出したように、以前のような甘え方をしてくる日があって。そういうときはやっぱり、びっくりするくらい甘ったれた声を出してきて。
 甘ったれで、わがままで、甘え上手な猫でした。

 九歳でした。猫に限らず、生きものは、生きれば必ず死ぬものですし、必ずしも長く生きればそれだけ幸せだというわけではないけれど、どうしてもそこに意味を考えてしまいます。猫によっては二十年近く生きる子もいることを思うと、人間の都合で勝手に連れてきておきながら、たいして長生きをさせてもやれなかったという思いがぬぐえません。食事にもっと気を遣ってやるべきだったんじゃないかとか、あのとき病院に連れて行くのがもっと早かったらとか、考えないでいられるわけもなくて。
 うちにきてくれて、わたしたちはよかったけれど、たくさんの幸せをもらったけれど、本人にとってみたら、この家に来たことが、よかったのかどうか。
 以前には事故にも遭わせているわけだし、車通りの少なくない場所で猫を飼うこと自体が無責任なことには間違いなくて、だけどどうしても散歩をしたがる猫で、閉じ込めて飼いきれなかったというのは言い訳にしかならないし。人間の都合にぎりぎりまでつきあってくれて、最後に苦しませて死なせてしまったのは、なにをどういってもわたしたちの責任で。

 元気だった頃の写真をひっくりかえしてみればいかにもふくふくと太って、ごろんとお腹なんか見せていて、さも幸せそうに見えるんです。それがせめてもの救いのような気もするし、そんなのも全部人間の自己満足というか、ただの思い込みじゃないのかという気もする。
 猫はしゃべらないから、この家に来て幸せだったとも不幸だったとも言わないし、苦しいからもう死なせてくれとも、どんなに苦しくても我慢するから少しでも長く生きたいとも言わない。ただ静かに痛みに耐えるだけです。

 息を引き取ったときは、母が近くで添い寝をしていました。
 猫の習性なのかどうかわかりませんが、死にかけている猫に、ほかの子がよりそうということはなくて、ここしばらく、みな遠巻きに気にしていました。もう長くないとわかってからは、なるべく誰か人間がひとりは近くに居るようにしていましたが、どうしても家人がみな家を空ける時間というのが多少は出来てしまって、できれば誰もいないときに寂しく一匹で死なせたくはないと、なるべく早く戻るようにしていたのだけれど。もっと色々してやれることがあったんじゃないかとか、逆に、少しでも楽なようにとあれこれ世話を焼いているつもりで、かまわれすぎて逆にしんどかっただけじゃないかとか、それこそ静かに、手を出さないで黙って死なせてやったほうがよかったんじゃないかとか。
 本当に、猫が口をきいて、どうしてほしいとか、何をしてほしくないとか、言ってくれればいいのに、そういうわけにはいかないから、勝手にあれこれ想像して。何をどう選んでも、後悔が残るのは目に見えていて、放っておけば、放っておいたことを悔やんで、手をかければ、手をかけたことを悔やむんだというのは。
 一匹だけでいるときに寂しく死なせずに済んでせめてよかったと、
 そんなことには、自分たちの気が少しは済むというくらいの意味しかないというのは、わかっているんですけど。

 辛気くさい記事を書いてしまって、律儀に読んでくださった方がおられたら申し訳ない。どうかそっと流してやってください。
 明日からまたしょうもない、チラシの裏のような日記に戻ります。

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 腹巻きにホッカイロを入れてぬくぬくしています。堕落にもほどがありますが、もう何でもいい。ぬくい……。
 去年、母が貼るカイロのつもりで間違えて貼らないカイロを大量に購入してしまい、使いどころが見つからずに年を越していたのですが、ここに来て大活躍の予感。

 ところでプリンタさんがどうも復旧しそうにないので、いっそのことと思って、フォトブックを注文してみました。富士フイルムさんのホームページで。
 注文方法そのものはわかりやすくてカンタンだったんですが、いかんせん我が家にブロードバンド環境がないので、写真のアップロードにえらいこと時間がかかりました。まあ自分のせいだけどね!

 できあがりまで、約2週間だそうです。楽しみだけど、荷物が届いたときに「なんだっけ……」って言いそうな自分の鳥頭がちょっと怖くもあるな……

 ちょっと張り切って、一冊約三千円くらいのやつにしてみました。ほかの会社でもっと安いサービスもありはしたんだけども、せっかく作るなら、安かろう悪かろうというのもちょっとなあと思いまして。

 レイアウトも、ウェブソフトが勝手に考えてくれて、オススメ画像を大きく、それ以外を小さく、いいかんじに配置してくれるようです。あとから手修正できる。気に入っている写真を見開きにばーんと置いてみたり、ちょっとお間抜けな写真をオマケ的に添えてみたり。
 ぱらぱら漫画じゃないけれど、日常の一コマを追いかけて何枚か撮ってみて、並べて配置してストーリー風に編集したら楽しそうだなあと思ったのですが(くっついてお互いに毛繕いをしているうちに喧嘩になる様子とか、ご飯の取り合いになっているところとか)、ちょうどいい写真のストックがありませんでした。そのうち気が向いたら撮ってみようかな。

 いまは亡き初代猫も含めて、写真の残っている子は全員集合で、1冊にまとめてみました。ずいぶん前に短い期間だけ一緒に暮らしていた子の写真が、古い携帯で撮った画素数の低いものしかなかったため、フォトブックサービスに使用できる下限値を下回っていたのですが、一枚でいいからどうしても入れたかったので、ペイントを使って上下左右に白い余白を入れるという無理やりなことをしてまで、強引にさしこんでみたり。ウェブソフトからさんざん警告を受けました……ぼんやりしたプリントになってもいいから、入れてやってくれよ。

 わたしは基本的にパソコンで見るから、敢えてプリントしなくてもいいんですが、親に持たせる用です。
 両親用にも一台、いちおうノートPCを与えてはいるんですが、フリーセル以外ろくに使いこなしきれないでいるので、アナログで手渡しておこうかと思います。

 それにうっかりパソコンクラッシュしたときにも、本で残ってると嬉しいよね……。
 バックアップという意味では、クラウドにもUPしておけばいいのですが。そういうサービスだって永続的にあるわけではないけれど、パソコンが壊れるのと同時に消滅しなければいいわけだし、それでも心配なら複数のサービスに分けておけばいいんですしね。

 でもずぼらなので、ちゃんとバックアップとらないんだよ……。
 気まぐれにUPしたりしなかったりなので、このパソコンの動作が不安定になったら、早めに外付けHDDに移しておこうと思います……

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 とうとう買ってしまったぜ、あの悪魔の発明を……。

 発端は風邪だったんです。この間からの風邪が長引きまして、といっても風邪薬がよく効いたので、具合が悪かったのは最初の一、二日くらいのものだったんですが、その後も鼻だけがなかなか調子を戻さず。仕事中にもちょいちょい鼻をかみにバックヤードに駆け込む始末。まあ身体の中で白血球さんが頑張ってくれてた証拠なんでしょうけども。

 ちかごろ朝晩が冷え込むようになりましたが、ある朝、目が覚めるなり喉が痛いな、と思ったんです。しまったな、もっと厚着をして寝るべきだったと。しかし時はすでに遅し。
 わたくし、ここ数年ほど実家に張り付いているのですが、この家まだ築三十年は経たないながらも、貧しかった両親が知り合いの大工さんのつてで値切りに値切って建ててもらった家だけに、非常に安普請でございまして。
 わたしの部屋、すごく寒いんです。エアコンは苦手だし、いちおう電気ストーブは置いてるんですが、そんなものじゃどうにもならない。今年の冬こそはもうちょっと気の利いた暖房を買おうと心に決めているのですが、それはまあさておき。現状、非常に寒いんです。

 今度の風邪のことがなくても、もともと冷え性だし、肩こりは酷いし、頭痛持ちだしで、とにかくこれは、冷えを改善せねばならんと。
 身体を温めるためには、まず腹を温めろといいます。大きな血管が集まっているので、腹と腰が温まれば、手足にも温かい血が流れるんだそうです。
 そのためには何を手に入れるべきか。もうずいぶん前から自分の中ではひとつの選択肢がちらついていたのですが、それでもぐずぐずと迷っていました。あれを一度使うようになったら、もう二度とは手放せなくなるという話を、複数の人から聞いていたので。

 迷うわたしに、職場の先輩が言いました。いまはけっこう可愛いデザインのものも、服の上からはぜんぜんわからない薄さのやつも、たくさん出ているよと。まあいちおう、外出時のことまでは考えていなくて、自分の部屋にいるときに温かければ、とりあえずそれで十分なんですが。
 だがしかし。この道は皆が言うように片道切符で、一歩踏み出したが最後、もう二度と元には戻れないのではないだろうか。お前は本当にそれでいいのか?

 それでもいい。寒いのには勝てない!
 ……という結論に達しましたので、鼻水をずるずるいわせながら、Amazon先生にお頼みしました。
 腹巻きの話です。

 結論から申しますと、暖かいです……。
 先輩の言うようにレディースの腹巻きは、あの漫画の中で昭和の親父さんが着用しているような肌色のやつではなくて、明るいカラーの薄手のやつで、たしかに可愛いといえば無理やり言えないこともないんですが、まあでもどう見ても腹巻きだね!
 堕落でもいい。暖かければ。

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 三連休初日です。先週は忙しかったー! べつに深夜まで残業していたとかそういうのではなく、金曜日に至っては飲んだくれておりましたが。とにかく平日昼間のお客様対応が慌ただしかったです。来週は落ち着くかなー。

 家に帰ってから仕事のことを、まったく考えないというわけではもちろんないのですが(ツイッターでも愚痴ってるし)、だいたい帰宅してご飯食べて何か読んでるうちにスイッチが切り替わりますし、そうじゃなかったらこことかツイッターとかでちょっと愚痴ったらだいたい落ち着くので、寝るまでずっとくよくよしっぱなしということは、めったにないです。ほんとはもっとクヨクヨしていいんじゃないかというような場面もしばしばあるのですが、まあ一日中悩んでたら身が保たないしさ。上手に現実逃避しないとね。

 切り替えがうまく行っている証拠かどうか、仕事の夢、めったに見ません。職場の人が登場する夢は見ないでもないんですが、そういうときはだいたい遊びに出かけている場面だったり、突拍子もないSFやファンタジーなストーリーの中の登場人物として出てくるのだったり、なぜか職場の面子で学校の授業を受けていたりします。(あ、でも、クビになる夢と転職する夢は3回くらい見たことあるな……)

 仕事の夢を見ないという話を職場ですると、だいたい、「えっ」というリアクションが返ってきます。みんな、けっこう仕事のこと夢に見るらしいです。大失敗する夢とか。責任感強いんだなあ……(朝陽さんはもうちょっと責任感抱いてください)

 まあ、本が精神安定剤がわりです。
 今日も、楽しみに積んでいた上橋菜穂子さんの「鹿の王」上下巻を、一気読みしたりしていました。ほぼ一日がかりだった……読み応えありました。
 上橋さんの異世界ものは、壮大なスケールの大河ファンタジーなんだけど、ファンタジー成分はやや薄めで、大半の事象についての説明はわりと科学的というか、現実的です。一部には神秘的/幻想的な事象も起こらないではないのだけれど、ほとんどのことは合理的な説明がなされる。
 ファンタジー読者の中には、神秘や幻想をこそ愛好する方もいらっしゃるでしょうから、そうした表現方法もある意味では良し悪しかも知れませんが、人々の生活の息吹が濃やかに描かれる、現実の手触りのあるファンタジーは、わたしは好きです。そしていちいち食べ物が美味しそうなんだよ……お腹が空くのなんのって。

 明らかに飯テロをセールスポイントにした小説もありますし、そういう小説もまたよいものですが(「みをつくし料理帖」シリーズとか「辺境の老騎士」とか)、しかしあくまでストーリーの中でさりげなく、かつポイントをおさえて五感に訴えかける食事描写のある小説というのは、なんというか、ものすごく罪ですね。料理描写が読みどころだという前提で読むときよりも、さりげなさのぶんかえって想像力が暴走するというか……
 柔らかく煮込まれた猪肉、とか、丁寧にあぶって皮がぱりっとなった鴨肉とかがですね、さっきから頭から離れないわけです。あーもう! 晩ご飯食べたのにまだお腹すいてるよ!

 実際には猪肉って、かなり上手に調理しないと、クセがあるそうですね。食べたことないんですが。
 小説の登場人物が、ごちそうだとして美味しそうに食べているからといって、実際にその料理を食べてみたら、想像通りの味だったなんていうことはあまりないと思うんです。思うんですが。
 お腹空いたよー……。そんなにカンタンに脳味噌の指令に騙されないでください胃袋さん。あなたの中にはさっき食べた夕飯がちゃんとまだ収まってるはずです!

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 職場での人間関係のトラブルについて、思いあまってブログに具体的なところを書きかけましたが、途中まで打ったところで我に返って自重しました。誰が聞きたいんだよそんな話……というのもありますし、まあ身バレしたときのリスクが普通に高すぎますしね!

 まあなんだ。ストレスはどこに行ってもありますね。そんなに悪い職場じゃないんだけど、……だと思うんだけど、ところどころブラック気味な側面はあるけれども、そんな側面がない企業のほうが現代日本には少ないわけだし、まあその、そんな話はさておいて。うん。うちはまだましなほうだよ……。(小声)

 さておいて。
 なんせ転勤族なものですから、ちょいちょい職場環境が変わるわけですが、そうなれば行く先々に、そこではそこの独自の問題が、多かれ少なかれあるものです。最悪でも何年か耐えれば顔ぶれも変わるんだし、そもそも自分もそのうち出ていくだろうし……というのが救いで、いまちょっとうまくいってないなーと思っても、それが永遠に続くわけではないのが救い。
 なんだかんだ人間関係のストレスが一番大きいので、仕事量がちょっとくらい多いとか少ないとか、作業環境がいいとか悪いとかよりも、仲良くやれそうなメンバーかどうかということのほうが気になります。しかし自分個人としてはおおむね仲良くやれるような顔ぶれが集まっていても、その中のどこかで第三者同士がバトっていたら、やっぱり胃が痛いのには変わりないですね。

 しかしまあ、人間関係がよければ多少のことはといいつつも、作業環境が悪いと人間関係がぎすぎすするという側面も、少なからずあります。お互いの仕事量に余裕があれば、多少のミスなら寛容になれるような場面でも、残業続きで気が立っていたり、ほかのイライラ要因が無意識に作用していて八つ当たりが発生したりということはわりとある。だから管理職の人はもうちょっと頑張ってください……人件費とか福利厚生にもうちょっとまともな予算つけて融通きかせてくれ頼むから!(悲鳴)

 ところでチラシの裏でもいいからこのブログに何か書こう、と決めたが最後、本気で即座にチラシの裏と化した感がありますね。律儀に読んでくれた方がいらしたら申し訳ない……
 なんか面白い話題はないのか、面白い話題は。じゃなかったらせめて平和な話。

 平和な話といえば、デジカメを買ってから猫の写真を撮りまくっているわけですが、このあいだ数えたら、一日にとった写真が七十枚を超えていて自分でドン引きしました。いくらデジタルだからって容量は無限にあるわけじゃないのよ!

 しかし何年かぶりに電器屋さんで、売られているSDカードを見ていたら、容量に64GBとか書いてあって、「単位間違えてない?」みたいな気持ちになりました。家電の進化が早すぎてもう何がなんだか……ほんのちょっと前まで、1GBっていったらたいしたものだったような気がするんだけどなあ。
 64GBもあればもう無限も同然じゃないかという気もするのですが。でも無限じゃないよね。カードに入れてるうちはいいけど、パソコンに移す時点で悲鳴が上がるから!
 いま確認しましたら、2009年に買ったいまのノートパソコンの、Cドライブの容量が236GBです。一台前に使っていたパソコンは桁がひとつ小さかったような気がするので、それこそその小さなSDカード一枚と同じくらいだったんじゃないかな……
 でも時代が進んで容量が大きくなるにつれて、きっと容量を食うプログラムだらけになるんですよね。それで結局、いつまでも容量が足りないような気がするんだ。
 それともそんなことはないでしょうか。一般人が日常に使うソフトのクオリティなんてたかがしれていて、ハードの性能よりも先にさっさと頭打ちして、そのうち「容量不足? 何それ?」みたいな時代がやってくるんでしょうか。
 そんなに賢くなってどうするんだい、とパソコンさんにひとり問いかける秋の夜長です。

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プロフィール
HN:
朝陽 遥(アサヒ ハルカ)
HP:
性別:
非公開
自己紹介:
朝陽遥(アサヒ ハルカ)またはHAL.Aの名義であちこち出没します。お気軽にかまってやっていただけるとうれしいです。詳しくはこちらから
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