小説を書いたり本を読んだりしてすごす日々のだらだらログ。
進捗いまいちな死者の沼、いま原稿用紙50枚ぶんくらい書いて、いちおう話全体の流れからいえば、3分の2くらいです。でも中身がすかすかでぜんぜん書けてません。描写が足りてないし流れがぎこちないし、文章はもっとぎこちない。くそう。
推敲というか、あとで場面を足したり入れ替えたりして、がんばって手を加えたらどうにか人様にお見せできるようになるレベルなのか、もういくら弄ってもどうにもならないと呆れてポイしてしまうことになるのか、現状、五分五分だなあと思います。
こんなにふうに、進まない筆を無理矢理動かして書くはめになるんだったら、もっとプロットの時点で、詳しくがっつり練っておけばよかったなあと思いました。まあそんなこと、まともにできたためしがないんだけどさ……
こんなにふうに、進まない筆を無理矢理動かして書くはめになるんだったら、もっとプロットの時点で、詳しくがっつり練っておけばよかったなあと思いました。まあそんなこと、まともにできたためしがないんだけどさ……
このプロットに沿ってちゃんと書けば、間違いなく面白くなるというくらい、しっかりしたプロットを立てて書くということを、一生で一回くらいはやってみたい気がします。
まあ、うまく書けなくて悔しいのも経験さ。(強がり)
今日、余華(中国人作家)の「ほんとうの中国の話をしよう」というエッセイを読んでいたのですが、途中、「どうすれば作家になれるのですか?」と聞かれたら、答えはただひと言、「書く」ことだ、というようなくだりが出てきまして。ル=グウィンも同じようなこと書いてたな……と思って遠い目になりました。
グウィンの「夜の言葉」にも、アマチュア小説書きにはぐっさぐっさ突き刺さるような、いかにも身も蓋もないアドバイスが出てくるんですが。
まあでも、結局はそういうことだよね。書けるようになるまで書くしかないし、納得できるものが書けないって泣きながら、いつか書けるようになると嘘でも信じて、そのときまで書きつづけるしかないんだよね。
最初から捨てるつもり満々で書くとなると、書き上げるモチベーションもへったくれもないので、とりあえずは暫定的に、いつかは公開するものと思って書きます。
あと三分の一、とりあえず脱稿目指してがんばれわたし。
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またブログさぼってました。(すぐさぼる)
死者の沼は、自分が何か月前だかに立てたプロットに沿って、一応日々書き進めてはいるものの、小説になっていないという気がして、書きながらとにかく目が泳ぎます。小説ってどうやって書くんだったっけ……(迷走)
「とにかく、毎日、書く……ッ」と思って、意地になって無理矢理ちょっとずつ書き進めているのですが、むりやりすぎて、もやもやします。納得のいかないものを書くことの是非……いや一行も書かないまま何年も経つくらいなら、つまんないものでも書くだけ書いて捨てた方が全然ましなんだけども……
小説のなかに、(少なくとも書いている自分にとって)面白くない場面なんかあってはならないし、美しくない文章なんかあってはならない、というような意識がどこかにあって、それができないくらいなら書かないほうがましじゃー! とか思ったりします。でも、ただでさえ腕がないところに、さらに何か月もさぼってて鈍った筆で、まともなものが書けるわけないじゃないさ……
とりあえず汚くてもつまらなくても一旦ひたすら書くんだよ! 書き方を思い出すために!
全ボツの可能性が脳の隅のほうをちらちらしてきましたが、めげません。とりあえず最後まで書きます。あとのことはあとで考える……(めそめそ)
フィギュアスケート、録画していたグランプリシリーズアメリカ大会を、ぼちぼち追いかけて見ていました。
エキシビション、ゴールド選手がものすごく楽しそうに滑っていて、ああ、いいなあって思ったんです。本人が滑ることを楽しんでいる、その熱気が見ているほうにも伝わって、一緒に楽しくなる。
見終わってからふっと、小説もほんとはそういうもののはずなんだけどなって、思いました。小説、楽しんで書きたいなあ。でも、どうやって楽しむんだったっけ。
自分が書いて楽しいものを、楽しんで書く。シンプルなことのはずなんですけど。どうしてときどき、よくわからなくなってしまうんだろう。
面白いものを書きたいと思えば、いろんな工夫がいるわけで、でもそれが作業になって苦痛としか思えなくなったら、それはちょっと違うなって思います。
苦労を苦労と思わず楽しめるくらい、好きなものだけひたすら書いてりゃいいんですけど。
わたしが好きなものって何だろう、何なら楽しく書けるんだろうとかって、考え出すと、よくわからなくなります。とりあえず手を動かすよ、手を……(まだまだ迷走中)
「死者の沼」は、ものすごくゆっくり進んでいます。いったいいつ書き終わるんだというスピードですが、ともかく書き続けてさえいれば、終わるだけならいつかは終わるさと、自分に言い聞かせながら。出来は知らん。(開き直った)
読んだ本の中でおいしいコーヒーの描写があったのがきっかけで、唐突に思い立ちまして、コーヒーミルを買ったんです。手で挽くやつ。
どうせなら奮発して、上等の電動ミルにするとか、もしくは思い切り趣味に走ったクラシカルな見た目のやつにするかとか、ちょっと考えないこともなかったのですが、うっかりすぐ飽きそうな気もしたので、ふつうにステンレス製の二千円くらいのやつにしまして。
それで、わくわくしながらさっそく豆を挽いて、淹れてみたんですが。大変遺憾ながら、あまり味の違いがわかりませんでした。
豆が悪いのか、挽き方が悪いのか、それとも舌が悪いのか。どれだ。
たぶん舌かな……。(残念なお知らせ)
悔しかったのでGoogle先生にあれこれお尋ねしてみたのですが、焙煎が悪ければ挽き立てでも美味しくないよとか、挽くときにミルの手入れが悪くて微粉が多くなったら雑味が云々とか、雑味というのは好みの問題でむしろフレンチプレスとかで淹れるときはその雑味と呼ばれるコーヒーの油分ごと楽しむのだとか、読んでいるうちに余計よくわからなくなりました。舌も残念だが頭も残念だな!
買ってきた豆が好みに合わないという可能性もまだ捨てきれないので、いまの豆が終わったらまた別のを試して、それでも違いが分からなかったら、おとなしく泣き寝入りすることにします。
まあ味の違いがわからなくても、挽くのが楽しいから、いいかな……。時間かかるので、忙しい人には向かないと思うのですが、ごりごりやっているあいだ、わりと無心になれます。電動ミルなら多分早い。
手で挽くほうが粉が均質になっておいしいと書かれていたサイトも見かけたのですが、しかしそれは、挽く人間の手先の器用さにも左右される要素ではなかろうか……
まんがや小説の中で、美味しそうな料理の描写があると、うっかり脳内でものすごく想像力がフル稼働してしまって、現実にその料理を口にしたときにがっかりするという現象がありますね。今回の挽き立てコーヒーも、そういうことなのかもしれません。負け惜しみです。九割がた自分が違いの分からない人間なだけだよ!
あした一日、仕事がらみの外出で朝から晩まで潰れそうですこんばんは。ぐれたい。
愚痴はさておき、注文していた猫フォトブック、無事に届きました。
愚痴はさておき、注文していた猫フォトブック、無事に届きました。
ハードカバーとソフトカバーと選べるらしく、今回はソフトカバー仕上げにしてみました。製本は思っていたよりチープというか、そんなに上等ではないかんじでしたが、中の写真は予想していたよりもずっときれいな印刷でした……というかきれいすぎて、古いほうのデジカメで撮った写真の粗さが、くっきりはっきりわかってしまうっていう。
いい感じに作るには、大きくレイアウトする写真は高解像度、ちょっと粗めの写真は小さく配置する必要がありそうです。次に作る機会があったら覚えておこう……。
長女が元気だったころの、ふくふくしていた写真がたくさん入っています。結果的にこのタイミングで届いたことが、よかったのか悪かったのか。母は喜んでいたので、まあ、よかったのかな。
成長録みたいに、一匹一冊とか作りたいよね……とか真顔で呟いた自分がいましたが、かろうじて自粛しました。した。した……よね?(まだちょっと揺れている模様)
いやいや。金がいくらあっても足りないから。それにあんまり写真撮るのが楽しくなりすぎても、ほら、うっかりカメラとか凝り出すと危ないからさ! そっちの沼は深いぞ!
プロフィール
HN:
朝陽 遥(アサヒ ハルカ)
HP:
性別:
非公開
自己紹介:
朝陽遥(アサヒ ハルカ)またはHAL.Aの名義であちこち出没します。お気軽にかまってやっていただけるとうれしいです。詳しくはこちらから
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