小説を書いたり本を読んだりしてすごす日々のだらだらログ。
先日読んだ『日中対立を超える「発信力」』がなかなか興味深かったです。この本は副題に「中国報道最前線 総局長・特派員たちの声」と添えられているとおり、報道関係者を中心に集められた文章でして、日本国内における中国に関する報道の偏向と、実際の記者たちの見る中国の姿について触れられた本です。
日中関係のあれこれについては、個人的に少しばかり思うところあって(母がここ数年、報道を真に受けて……というか自分に都合のいいところだけを都合良く拾う耳を発揮して、ネットもやらないのになんかネトウヨみたいなことを言い出してうっとうしい)、ちょっとはまともな知識を持ちたいなと、あれこれ読んでいる最中。とはいえ本を何冊か読んだくらいのことでものごとの本質が掴めるとも思っていないし、そもそも日本語で出版された本という時点で相当のバイアスがかかっていることは必至なので、日中関係そのものについてネットで論じるつもりはないんですが。
さておき。その本を読んでいて目についたくだりがありまして、引用すると、「中国は宗教を持たない国だが、実は“名教”という宗教がある。名教は文字を書くことを崇拝する宗教であり、つまり、文字を書くことに呪力があり、魔力があると信じる宗教である」。その文言に興味を引かれ、そこからちょっと考えが脇道に逸れまして、日中問題からは離れたところで色々考えてたんですが。
ちなみにこの文章自体が別の書籍(胡適「名教」)から引用された文句で、つまり引用の引用です。さらに私が浅学ゆえに本来の文脈などを取りこぼしているかもしれないので、正確なニュアンスを理解できていないんじゃないかという気はしています。
話がそれました。
ともかくその言葉をきっかけに、宗教というラベリングがされていないんだけど、実質的に宗教と同じ役割を果たすもの、っていうのがたしかにあるなとか、そういうことを考えていました。
どこで読んだんだったか、世界のしくみや成り立ちを説明しようとするアプローチが宗教から科学に変わっただけで、本質的にはどちらも同じものだというような論を見かけたときに、やたら感心したのも思い出したり。(池澤夏樹さんだったような気もするけど思い出せない……)
何事も極めれば道に通じる、じゃないけれど。極めるとまではいわずとも、信仰を持つ人がその宗教を拠り所とするのと同じように、生きていくなかで人間は、どうしても何かしらのよすがを必要とするわけで。それがたとえば何かしらのイデオロギーだったり、哲学や職業倫理だったり、科学信仰だったり、自然観だったりするんでしょう。自分教とか。
新興宗教をはじめ宗教というものが、社会問題のきっかけになることが多かったから、宗教=いきすぎると怖いものという感覚をわたしたちは持っているけれど、たったひとつの価値観だけを妄信的に唱える人間、人の話に耳を傾けることを忘れた人間が怖いのは、宗教が絡まなくても同じことなんだよなあとか。自己正当化のための情熱というのは、信仰に限らず、いつだって危なっかしいものですね。
自分のよすがは、何だろう。盲目的に信じているものはあるかなとか、そんなことをぼんやり考えていました。
家は仏教ですし、仏教的なものの考え方に影響を受けているところは大なり小なりあるでしょうが、それを深く頼みにしているというか、拠り所にしているかというと、それほどでもないというか、信念というものでもないなと思います。
やっぱり読書なのか。
熱心な信徒といえるほどたくさん読んでいるかはさておき、読書教に入信しているのは間違いなさそう。本を読めば読むほど賢くなれそうとか、本を通じて自分ではない第三者の価値観に触れることで、客観的思考や柔軟なものの考え方を身につけられるだろうとか、なんだかよくわからなくて怖い物だらけの世界の無明を、読んだ本がわずかにでも照らしてくれるんじゃないかとか。そういうような、漠然とした感覚があります。
もちろん、実際にはそうとは限らないんですが。限らないっていうか、あんまり賢くなってないしね……(あっ)
まあそもそも難しい本をあんまり読まないというのもある……
読んだ本が想像力を養うという理屈にはいちおう頷けるものの、絶対ではないというか、本をたくさん読んでいる人であれば必ず想像力が十分に発揮できているかというと、そうともかぎらないし、本をあまり読まない人にも、思いやりがあってこまやかな気遣いのできる人はたくさんいます。いくらたくさん本を読んでいたって、結局は自分の理解できるところしか理解しないし、自分の都合のいいところだけ拾って読むということも起こるわけだし。
本ばっかり読んでないで自分の人生にちゃんと向き合うのも大事だよねとか、本には嘘も書かれてるので安易に真に受けるのは危ないよとか(それなりに信憑性のある本かどうかをかぎ分ける嗅覚も、おそらくは本をたくさん読まないと身につかないわけだけれども……)。もちろんそういうあれこれもちゃんと承知しているんです。しているんだけど、それはさておき、気持ちの根っこのところでは問答無用で、本を読むこと=いいことだと思っている自分がいるなって。
実際にはそんないいもんじゃないんだとしても、結局のところは本を精神安定剤代わりにして生きてきたので、読書しなくなることは考えづらいんですが。
あとこうやってだらだらとりとめもなく長文を書くだけ書いて論点がちっともまとまらないので、本を読んだら論理的思考力や文章力が身につくんだというのもきっと幻想ですね!
もしくは精進が足りない(読書量が少ない)だけか……あっやっぱり宗教のロジックとおんなじになった。
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2014年に読んだ本、一般図書141冊、ライトノベル29冊でした。まだ数日あるので、もう1、2冊は読むかな?
今年はちょっと読書量ふえました。夏にSFコンを読みあさったのも実はかなりの分量だったので、ここ数年でいちばん読んだ年だったかもしれないです。
傾向としては、このごろ電書のラインナップも増えてきて、だいぶ紙の本と併用するようになってきたところですが、まだ総数としては紙の本のほうが多いです。好きな作家さんの、特に新刊については基本的に紙で買ってる。応援的な意味で。資料とベストセラーは電書があれば電書というかんじ。
ジャンル的には、今年はだいぶノンフィクションにシフトしました。エッセイ、コラム、ルポ、評論、その他の資料本。もともとずっと小説ばっかり読んでたから、ちょっと読書の幅を広げたかったというのがきっかけだったのだけれど、隙間時間の細切れ読書には、小説よりもむしろ向いていると気づいたのが大きかったかなあ。
今年出会って印象深かった小説は色々あったけれど、いくつか敢えて挙げるなら、米原万里さんの「オリガ・モリソヴナの反語法」、壁井ユカコさん「サマーサイダー」がインパクト強かったです。
宮部みゆきさんの「ペテロの葬列」も。これは「誰か」「名も無き毒」の続編にあたるシリーズ最新作なのですが、おそらくさらに続くのではないかと期待してます。
有川浩さんもあいかわらず面白くて、引き続き新刊出るたびに追いかけてます。「キャロリング」「明日の子供たち」、どっちもよかった!
追いかけていたといえば「みをつくし料理帖」が完結してしまったのが、嬉しいやら寂しいやら……
嬉しかったのが、「ギヴァー」四部作の続編が刊行されたこと。「ギャザリング・ブルー」「メッセンジャー」、どちらも読み応えありましたが、さらに4作目も近い将来邦訳されるというので、正座待機してます。
ラノベでは芝村裕吏さんと秋田禎信さんが個人的ハイライト。
芝村さんは「マージナル・オペレーション」シリーズ完結&番外編刊行、「遥か凍土のカナン」も好調なようで何よりです。
秋田さんはついにオーフェン第四部完結! そして番外編刊行。来年、もう一冊出るらしいです。待ちきれないよ! それから先日騒いでいましたが、「ひとつ火の粉の雪の中」の復刊がものすごく嬉しかった……。オススメなのでファンタジー好きで未読の方はぜひ。ほかの読めていなかった過去作も、復刊やら電書化やらをきっかけにようやく入手して、じわじわ読んでました。どれも秋田節全開で楽しかったけれど、今年読んだ中で特にツボだったのは「カナスピカ」と「ベティ・ザ・キッド」かなあ。
読書充の一年でなによりでしたが、読む量よりも買う量がいつも少しだけ上回るのが難点か。積ん読は、あきらかに去年より増えました。増えたっていうか倍になってるっていうか…………どうすんだこれ。
とりあえず今日、大掃除がてら枕元に小さな棚を設置しまして、積ん読はそこにまとめてみたのですが、格納したことでかえって安心してしまった感があります。あぶない! 自分の意志の弱さが!
……と、とりあえずもう今年は買わないぞ!(あと数日ですが)
先日出会った星野道夫さんの本にがっつり引き込まれてしまったので、来年は星野さんを追いかける年になりそうな予感です。手に入るかぎりというか、財布が許すかぎりというか……!
積ん読を消化するすると言いながら、うっかり米原万里さんの「打ちのめされるようなすごい本」っていう、タイトルまんまの面白い本を紹介しまくるエッセイを読み出してしまいました。言葉と行動が一致してませんよ朝陽さん!
さすがにいま積ん読を増やすのは……と思ったので、とりあえず気になった本には付箋を貼っておいて、しばらく間を置いてから買おうと思うので……思っていたのですが、ふしぎなことに、いまわたしのReaderのなかには後回しにしたはずの「記憶力を強くする 最新脳科学が語る記憶のしくみと鍛え方」が!
ソニーポイントが今月末で有効期限切れすることに気がついてしまったのが、運命の分かれ目だったのだ……(あくまで自分以外の何かのせいにする姿勢)
この本読んで記憶力強くなったら、自分の言ったことをちゃんと覚えてて本買うの我慢できるようになったりしないかな……
今日もブログに何か書こう、と思って朝からぼんやり書く内容に思いをめぐらせていたような気がしたのですが、「ひとつ火の粉の雪の中」新装版の入荷連絡があって、帰りにいそいそ受け取りにいったところ、その嬉しさで何もかもふきとんでみごとに全忘れしました。新装版表紙うつくしい!! ついでに傘も置き忘れた!(あした取りに行かねば……)
火の粉読んで、新旧版の表紙を並べてにやにやして、来月の新刊チェックして本日終了です。わあい、読書充!
ところで朝、何考えてたんだっけ。本気で思い出せません……
記憶力の低下著しく、仕事でもよく「なんだっけ……」ってなるので、とにかく何かひとつするたびにかならず付箋のメモを添付する習慣が身につきました。
いまの仕事にあったアナログ情報管理のルーチンが、ようやく自分の中であるていど確立してきまして、こうメモしてこうファイリングして、この順番に並べてそこの箱に入れておけば、必ずこまめにチェックするから漏らさないみたいな。
期日とか、「○日ごろまでにリアクションなかったら問い合わせる」みたいなのを付箋にでっかくマジックで書いて飛び出させておくんです。そんでその付箋の日付が来るまではいったん忘れてしまう。いまの仕事、いろんなこまごました案件を常時たくさん抱えているので、これやっとかないと、やりかけタスクだらけで気持ちばっかり焦ってしまって。スケジュール帳にぜんぶ書けばいいんじゃないかとも思ったんだけど、流動的すぎてぐちゃぐちゃになっちゃうからさ……
自分に合った方法がみつかったのはいいんですが、メモ術のおかげで安心して脳味噌が忘れすぎてしまうのか、「……わたしこんなこと書いたっけ…………」みたいなメモ(※日付的にはそんなに古くない)がちょいちょい出てくるのにびびります。でもどう見ても自分の筆跡なんだ……
もしかしたらわたしが「働きたくない……」とか思ってぼーっとしている間に、妖精さんが仕事をしておいてくれてるのかもしれません。
行ってきました、ガウディ×井上雄彦展in長崎県美術館。期間中にどっかで行こうと思ってはいたのだけれど、ちょうど近くに用事ができたのをいいことに、いそいそ行ってまいりました。
建築関係はさっぱり詳しくないので(というか教養全般がない)、ガウディのことも漠然と「サグラダ・ファミリアの人」とかいう認識だったのですが、ていねいな説明があり、設計図や模型も並んでいて、初心者にも十分楽しめました。独創性あるデザインを称えられたガウディが、人間は創造しない、発見するだけだと言ったというエピソードが印象深かったです。
ガウディがデザインした家具は、形が独創的なだけでなく、人間工学に基づいて使いやすい、居心地のいい設計になっていたというエピソードとともに、実際に座ってみてねと木の椅子が置いてありました。もちろんレプリカというか、最近作られたものなんでしょうけども。いそいそ座ったよ!(すごくくつろげました)
井上雄彦さん作の、ガウディを主人公にした漫画など展示してありまして、途中になんと、えんぴつで壁に直描きしたイラストとコメントが。リアルとかのコミックスの余白ページに書き殴ってあるのと同じかんじでした。ちょっとテンション上がったよね……(ミーハー)
いまは長崎で開催中ですが、このあと来年春、夏に神戸と仙台でも開催されるようです。
プロフィール
HN:
朝陽 遥(アサヒ ハルカ)
HP:
性別:
非公開
自己紹介:
朝陽遥(アサヒ ハルカ)またはHAL.Aの名義であちこち出没します。お気軽にかまってやっていただけるとうれしいです。詳しくはこちらから
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