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小説を書いたり本を読んだりしてすごす日々のだらだらログ。
 いまはもう手元に残っていない、十代の頃に読んでいた漫画のエピソードを、唐突に思い出して、発作的に、どうしても読みたくて仕方が無くなるときってありませんか?

 わたしにはあります。わりとしょっちゅう。

 電子書籍って危険だ……
「特攻天女」なんですが。わたしが小学校のころに少年チャンピオンで連載していたヤンキー漫画です。このあいだ突然、好きなエピソードをいくつかと、あと伊沢がものすごく格好良かったのを思い出して、いきなり読みたくて仕方なくなって。その場の勢いでついググってしまい、全30巻……というのでそのときには思いとどまっていたものの、結局のところはがまんしきれずに、とうとうKindle版を買い始めてしまいました。

 Kindle持ってないんですが、パソコンで読めるので。Readerで買おうかすごく迷ったんですが、Readerの本体ってもう生産中止決まってるし、電書サービス自体はブラウザとAndroidで読める形で続いてるとはいえ、いつか読めなくなるかな……と思ってしまって。一度は紙で持っていたコミックスを、どうしても読み返したくなって買い直すのに、さらにそれが読めなくなったら、さすがに三回目を買うのはハードルが上がりすぎるしなって……

 とりあえず序盤の何冊かだけ、と思ってたんですけど、まあ、でも、わかってたよね。そんなこといって途中で止められるはずないってね。
 まだ全巻は買ってませんが、「あと1冊」「あと1冊」のノリで十五巻まで行きましたよね。

 残りの半分は、お財布とよく相談します……。ていうかこの調子でずるずるKindle本が増えてったら、最終的にここまで来たらのノリでKindle本体も買う羽目になるよね遠くない未来にね。
 電書貯金しておこう……

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 猫というものは、野生では、狩りに成功すれば食いだめをし、空腹の時間が続くので、胃をからっぽにする時間があったほうが、健康上望ましいという話があるそうです。しか猫自身は、そこにいつでも食べ物がある状況ならば、少しずつ何度にもわけて食べる性質があります。

 とはいえうちは猫の数が多く、それぞれの活動時間帯もばらばらなので、管理しきれず、いつもカリカリを出しっ放しにしていました。しかしながらこのごろ、三男坊に療養食を食べさせる都合から、それ以外のフードを出しっ放しにしておくわけにはゆかなくなりまして、ご飯の時間以外には引っ込めています。そうすると食事時にちゃんとやってこない子もいて、十匹全員がそれぞれ最低限の量を食べているのかどうか把握するだけでも一苦労。

 で、肝心の三男坊ですが、療法食のお味がお気に召さず、最初は思い切りハンストをしていました。
 いまは、ちょっとほかのフードを混ぜたらだいたい食べてくれるんですが、それでもふいっとするときがあって、そういうときは、まず一粒だけフードを手にとって、むりやり口に押し込みます。そうすると、本人もお腹が減っていることを思い出すのか、あっさりもぐもぐごっくんするので、そこですかさず二粒目を手のひらに載せて差し出せば、今度は自分から食べます。
 それならと、安心して皿にざらっと出してやると、また見向きもしないんです。で、あらためて一粒ずつ手にのせてみせると、一粒、また一粒と、ちみちみ食べます。
 推測としては、
(1)甘えたくて、手ずから食べさせてくれーと言っている
(2)フードの粒が大きいので、皿にたくさん出ていると食べにくい
(3)下僕がうやうやしく差し出すので、気を遣って食べてやっている
 ……の3つの仮説を立てているんですが、まあ常識的に考えたら(2)かな。でもなんか顔色を見ていると(3)じゃないかっていう気がするんだよな……

 療法食は塩分が強いので、ほかの猫にはあまり食べさせないほうがいいんだそうです。健康な猫がちょっと食べただけで差し障りがあるというものではないけれど、長く食べ続けさせるのはよくないとか。というか、そもそも普通のフードより断然お高いのでね? 我が家の財政を慮って、君ら健康な猫はふつうのを食べてくれたまえよ。
 まあともかくそうしたわけで、いま、三男にフードを与えるときは、脱衣所を利用して隔離してから手ずから食べさせているのですが、ふと振り返ると、ドアの隙間から長男猫の視線が。じとーっと。あれ、さっき君は普通のフードを食べていなかったかい?
 あまりにもじーっと見ているので、ふつうのフードを引っ張り出して手のひらに載せたら、いそいそと食べました。甘ったれか。羨ましかったのか。

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 このごろ猫たちが、尿結石に肝臓病に目の怪我にと立て続けに不調を来たして、交互に病院がよいの日々です。まあ上の子たちは年なのもあるんだけども。

 次男猫の肝臓は小康状態。薬が効いて数字が下がったので、いったん投薬をやめています。肝臓って、そもそも毒素を分解する器官だから、薬を飲むこと自体が、また肝臓に負担を掛けるんだそうです。連休明けにまた血液検査の予定です。下がったままだといいな……。
 エコーでは腫瘍らしきものは見つからなかったんですが。いま十二歳かな。けっこういい年なので、あまり体に負担のかかる治療はしたくなくて、迷わしいです。

 五女にもちょっと膀胱炎の気があって、大事をとって連休前に病院に連れていってみたはいいけれど、この子、猛烈に暴れるの……ケージに入れるまでの段階で、母とわたしが傷だらけになりました。
 この子は前にも尿砂が出ていたので、結石になりやすい子だというのはわかっているのですが、構造上、雌はあまり大事にいたらないことが多いらしく(人間もこれは一緒かな)、まあお薬を飲みつつ様子見というところです。

 薬を飲ませるのに、この子はものすごく、ほかの猫たちの比じゃないくらい強硬に抵抗します。抑える人間を全力で蹴っ飛ばしひっかき噛みつき、薬を押し込もうとすると顔を激しく振り、口の中にようやく入れたと思っては一瞬で吐き出すという。あげくのはてに、食事療法用のドライフードもそっぽをむく……というか、そこまでは予想してたんですが、どうにか強引に口に入れてもすぐ吐き出すわ、ほかのフードと混ぜて与えてみれば、今度は一粒ずつ丁寧により分けて普通のフードだけ食べるとかいう、ど器用な芸当まで繰り出してきました。間違えて療法食のほうが口に入ったら、ぽとっと吐き出すの……君がそんなに根気強い性格をしているだなんて、わたしこれまで知らなかったよ……

 本格的な尿結石は三男猫。こっちは体格が非常によろしいので、本気で暴れたら大惨事なんですが、しかし薬を飲むのが上手で、あまり苦労していません。あとフードも、いっときハンストしてたけど、ほかの慣れたフードをほんのちょっとだけ混ぜたら、もりもり食べるようになりました。ほんとは混ぜずに与えた方がいいらしいんですが。
 結石治療用のフードは、そもそも塩分が強いらしく(水をたくさん飲んで尿を出したいから)、あまり長期間にわたって食べさせ続けるものでもないそうなので、もういっときのしんぼうかな。

 事故にあった野良ちゃんはその後、元気にしています。体はやっぱりちょっと左側に傾いていますし、左目の神経は回復せず、おそらくまったく見えていないまま、まぶたも自力ではあまり閉じられません。なのでちょこちょこ軟膏を塗ったり、人力でまばたきさせたりしないといけないの。それでもいまのところ摘出はしなくてすんでいます。
 見た目はわりときれいな右目のほうは、どれくらい見えているのか、オモチャを振ってもまったく反応しないのですが、光に反応して瞳孔は収縮します。とりあえず、歩いていてどこかにぶつかるようなことはほぼないです。傍から見ていると、わりと見えてるんじゃないのかなあと思えるのですが、もしかしたら視力以外の手段、ものの場所を覚えているとか、ひげの感覚とか、聴覚とか、そういうので補助しているだけなのかも?
 もちろん歯も左側はんぶん折れたままだし、唇も左はいまだにしまりきりません。しかしながら、元気です。家の中をのしのし歩いて、そこそこ高いところまで上ります。正確には、テーブルに上って人間の食事を強奪します。
 しかも悪食で、マーガリンとか白ごはんとか大好きで、ときどき野菜にも手を出します。このあいだはなすびの煮たやつを一瞬で丸のみにしていました(叱った)。どうせ盗み食いするなら、もうちょっと猫の体によさそうなやつを食べてくれまいか……

 この頃は散歩に出たがって、たまに人間がつきそって外に出すと、敷地内をまよわずぐるぐる歩きます。おそらく野良時代にしょっちゅううろうろしてたと思われます。勝手知ったる我が家の庭なんでしょう。
 元気が戻ってきたので、ほかの猫たちの喧嘩に参戦しようとします。いまそれで左目の上のところがちょっと禿げてる。自分から誰かに喧嘩を売っているところは見かけません。もともと野良時代は我が家の猫たちとよく喧嘩していたようなので、目が見えなくなって性格が変わったんだと思うんですが、びくびくしている様子はかけらも見受けられず、つねに泰然としています。ボスの風格があるよね……

 目下、目を怪我して目薬点眼中なのが、七女の白ちび猫。こっちは暴れますが、まだ子猫なので、軽く取り押さえられます。あとこの子たぶんちょっとお馬鹿さんで、目薬さされて怒っても、五秒後にはきれいに忘れ去って甘えてきます。かわいいやつめ。
 自分で掻かないようにと装着されたカラーを嫌がって初日はしゅんとしてたんですが、そのうち慣れたらしく、むしろカラーを武器のようにほかの猫にぶつけて喧嘩をしています。やめてくれ。

 この白ちび、大変な暴れん坊でして、最初うちに来たばかりのころは、ほかに同じ年頃の子がいないので、人間が囓られまくり、遊びに付き合わされまくり、日々へとへとになっていたのですが、この頃はさらに母が拾ってきた八女の灰ちび猫がいるので、一日中一緒に転げ回っています。体格もだいたい一緒くらいなので、ちょうどいい遊び相手になっているようです。
 というか、ちょっとだけ白ちびのほうが大きいので、最初のころは白が優勢だったのですが、このごろ灰ちびは知恵をつけてきて、白が油断しているところに背後から飛びかかって不意打ちをかまします。
 といっても険悪なわけでもなく、楽しそうに遊んでいるようなのでまあいいかとほったらかしているのですが、しかし、怪我している目の周辺にもちょいちょいパンチをするので、わりとはらはらします。猫に卑怯という考え方はないのか。……ないだろうな。

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 映画の「ザ・ロード」をDVDで見ました。ヴィゴ・モーテンセンが主演だからというミーハーきわまりない理由で。
 作家さんや二次元のキャラクターにミーハー根性発揮するのはいつものことなのに、俳優やスポーツ選手を追いかけると恥ずかしいこの心理はいったい何なんだろう……

 さておき感想。ネタバレ注意。



 2011年頃公開だったのかな。核戦争かなにかが起こったあとの、滅亡後の世界にわずかに生き延びた人々の話です。世界は灰と厚い雲に覆われて、気温が下がり、作物も木々も立ち枯れて、人々は廃墟に残っている缶詰などを食いつないでいる。銃で武装して、人を狩って食べている連中までいる。滅亡といっても、瞬間的に完膚なきまでに焼き尽くされたというよりも、数年ほどの時間をかけて、絶望した人々が自殺したり、飢え死にしたり、食い殺されたりして、絶えかかっているというあたり。
 妻は先に自殺して、残された父と息子が南に向かって旅を続ける。形式だけでカテゴライズすると、父子のヒューマン・ドラマというような括りになるのかもしれないんだけど、どっちかというと、親子の関係そのものというよりも、善悪とか、極限状態に置かれた人間の行動の是非とか、そっちがテーマなのかなという印象がありました。

 ヴィゴ演じる父親は、ストーリーの中で、息子を守る為に人を殺しており、危険を避けようとしてたびたび困窮する人を見捨てる。人を見かけるたびに疑って、銃を向ける、あるいは関わり合いを避けようとする。実際に、貴重な食糧を盗まれたり、人食い連中に襲われたりする場面も度々あって、それをゆきすぎた猜疑心とは言い切れない。

 息子は、行き会う人々のことを、悪い人ではないのではないかと思っていて、そういう父親を何度も止めようとするのだけれど、息子の命には代えられないと思っている父親は、しばしば息子の嘆願をふりはらう。
 途中、せっかく豊富な食料庫を見つけてひと安心できる隠れ家を得たのに、そこでも犬の足音を聞きつけた父親は、「犬がいるということは、人間がいるってことだ」と、警戒して逃げだしてしまいます。
 そのときに、持てる限りの食糧を持ち出したせいで、よけいにそれを誰かに奪われるのではという警戒が増してしまう。そこからずっと、誰かに追われているという気配を感じ続けていて、人に出会うたびに「追っていたのはお前たちか」と聞くのだけれど、どの相手も「追ってなんかいない」と答える。父親はすっかり猜疑心のかたまりになっている。

 最後、父親は病気と傷が元で衰弱し、死に際、息子に自分を置いて行くように言い残すのだけれど、息子はふんぎりがつかなくて、父が息を引き取った後も、なかなか旅立てずにいる。そこに通りかかった男が、ひとりきりでいる男の子を心配して、父親が死んだのを聞くと、一緒に来るかと誘う。
 息子は、声を掛けてくれた男を信じていいのかどうか躊躇って、躊躇って、だけど賭けるようにして男についてゆく。結果として男は(おそらくほんとうに)善意の大人で、彼には連れがいる。妻と、二人の子供と、それから犬。

 そこで映画が終わるので、「ああ、この子はひとりぼっちにならなくて済んだんだな」と安心して観終わってもいいんです。が、しかしそれにしては、ラストシーンの犬と、男の妻の台詞が気になる。「あなたたちを見かけて、心配して追っていたの。お父さんと二人だったでしょう」「でもよかった」と言う。思い返せば、前半で息子が、自分と同じ年頃の男の子を見かける場面があったんです。男の子は隠れてしまって、息子は、その男の子と話がしたくて探そうとするんだけど、父親は、息子が友達がほしいあまり空想と現実がごっちゃになっていると思って相手にしなかった。

 つまり息子の見たあのときの男の子は幻覚なんかではなかった。父親が警戒して逃げ出した犬の足音も、この家族の気配だったんじゃないのかな。それなら、彼ら家族はずっと、自分たちの子供と同じ年頃の子をかわいそうに思って、手をさしのべたいと感じていたけれど、その父親が猜疑心が強すぎて他人に銃をつきつけてきたせいで、近づけなかったということになる。
 息子を危険から護ろうとするあまり、父親は自分の不安を世界に投影しつづけてきた。その結果として、息子にさしのべられる善意の手を遠ざけ、振り払い続けたのは、父親ということになる。振り向けばすぐそこに、「善き人」たちが存在していたのに。
 その父親が死んだことで、やっと、男の子のところに他者の庇護の手が届いた。そういうふうに考えたら、これ、すごく皮肉で悲しいオチなんじゃないのかな。

 父親を失って息子が一人ぼっちになったからこそ、この家族連れのほうにも、他人を迎え入れるだけの決意ができたと考えるべきなのかもしれないんだけど。

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プロフィール
HN:
朝陽 遥(アサヒ ハルカ)
HP:
性別:
非公開
自己紹介:
朝陽遥(アサヒ ハルカ)またはHAL.Aの名義であちこち出没します。お気軽にかまってやっていただけるとうれしいです。詳しくはこちらから
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