小説を書いたり本を読んだりしてすごす日々のだらだらログ。
先週末、TC定例三語に久しぶりに参加しましたので、推敲したぶんのログを流しておきます。(もとはこちら→http://www.totalcreators.jp/cgi-bin/sango/read.cgi?no=62&l=1-)
暗い話です。苦手な方はご注意ください。
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なにか、ふきのとうの話がなかったっけ。教科書に……。
ほとんどうわごとのように、哲哉がいった。
「あったね、たしか。低学年のころじゃなかったかな」
わたしがそういうと、哲哉はいっとき黙り込んだ。それから、床の上であおむけに転がったまま、つぶやいた。「どんな話だったか、思い出せないんだ」
いっとき記憶をたぐろうとして、わたしは部屋の天井を見つめた。手抜き工事の産物か、天井板がひずんで、細く隙間が見えている。小さい子どもがこの部屋で寝たなら、さぞ怖い空想に悩まされることだろう。
たっぷり一分は考えこんだと思うけれど、物語の断片さえ、よみがえってはこなかった。
「さあ。教科書なんて、とっくにまとめて捨ててしまったもの。テツのお母さんなら、どこかにしまってるんじゃない? 几帳面そうだし」
わたしがそういうのを、哲哉はまるで聞いていないようだった。酔っているのだ。寂しげに、ただただ繰り返した。どうしても思い出せないんだ。
その声の語尾が、部屋の湿った空気に溶けそびれてわだかまっているのを、わたしはじっと見詰めた。それからふっと、ため息をついた。
「一度、帰ったら?」
そうだね、といって、哲哉はまた黙り込んだ。
かえりたい。一度だけ、哲哉がいったことがある。
帰る? あの町へ? わたしは口に出しては何も返事をしなかったけれど、沈黙は言葉よりもなお雄弁だっただろう。
小さな漁港の町だった。日本海側の海は波が高くて、いつでも暗く、寒々した色をしていた。町のどこにいても、生臭いにおいばかりがただよっていた。魚か、そうでなければ、昼から酒をくらっている酔っ払いの、息のにおいが。
わたしは二度と、あの場所に戻るつもりはない。何があっても。いつか親が死んだら、ここでひとり祝杯をあげるだろう、この都会のせまく薄暗い、アパートのなかで。
あの町を、故郷なんて美しい言葉で語りたくはない。いい思い出なんて、ひとつもない場所だ。辛気臭く、うらぶれていて、通りをほっつき歩く野良犬でさえ、誰のことも信じないという眼をしている。
スローライフ、なんていう優雅な言葉で語られうる田舎は、いったいこの日本のどこかに、実在しているものなのだろうか? ひとはよく都会の孤独をうたうけれど、田舎には孤独がないとでも思っているのだろうか。
たしかに小さな集落では、誰もが互いの何もかもをよく知っている。内緒ではない内緒話は、あふれる水のようにまんべんなく人々の足元に浸透し、世話を焼くふりをして詮索の目を向ける人々は、異分子をめざとく見咎める。悪いうわさが立てば、けしてそれは忘れられず、十年経とうが、五十年経とうが、繰り返し繰り返し、飽かず語られつづける。共同体の輪を乱すものは嫌われ、穢れたものは排除されるか、そうでなければ見て見ぬ振りをされる。たとえば実の父親とのあいだに子を産んだ、わたしの母親のように。
一緒に、ここを出よう。この町にいたら、佑子はだめになる。
いつか哲哉がそういった。あのとき、まさにあの瞬間まで、わたしには町を出るという発想はなかった。ちらりと頭の隅をかすめるようなことさえしなかった。なぜだろう。わたしこそ真っ先に、それを考えついてもいいはずだったのに。
哲哉は間違っていた、と思う。わたしはだめになろうとしていたんじゃなくて、とっくにだめだったのだ。
わかっているのに、二人で見ないふりをした。
町を出て、都会にしがみつくように暮らしはじめた。借りたアパートは古く、狭く、隙間風がした。早足の雑踏にはいつも気分が悪くなったけれど、あの場所に戻ることにくらべれば、なんでもなかった。
知らない人ばかりの中で、不安がなかったといったら、嘘になるかもしれない。ちっともおいしくない高いばかりの食べ物、嘘くさいぴかぴかした建物と服と革靴、人々のよそよそしい言葉づかい。狭苦しい田舎町で息をひそめてくらしていたわたしは、まるでものを知らなくて、人にそのことを笑われても、それを些細なこととして受け流すことができなかった。ちっぽけなくだらないことで、はげしい羞恥心に焼かれることが、日に何度もあった。
だけど、自由だった。
その自由を孤独と呼ぶ都会の人間に、どうしてもなじめなくても、そんなことはかまわなかった。わたしは名前のない一人になりたかった。
そこにいてもどこにもいないのと同じ、いてもいなくても変わらない、消えても数日後には忘れられる影になりたかった。
だけど哲哉は違う。
わたしを助け出そうと手を引くくらいだ。他人との距離が近く、底抜けに人のいい哲哉。困っている人を見れば手をさしのばさずにはいられず、人を好くことも、自分が傷つくこともためらわない。そんなひとにとって、都会の喧騒は、毒だった。
わたしはそれを知っていた。はじめから、知っていたように思う。だけど気付かないふりをした。そのほうが都合がよかったからだ。
一度帰ったら、きっと哲哉は、もうこっちには戻ってこないだろう。予感があった。哲哉は誰からも愛されていた。愛されている。両親からも、お兄さんからも、親戚や、友達や、後輩たちや、近所の子どもらからも。
哲哉のお兄さんが、少し前に足を悪くして、漁に出なくなった。酒量が増えて、荒れているようだった。わたしはそれを、漏れ聞こえてくる電話の声と、言葉すくなに答える哲哉の抑揚で知った。
心配なら、一度、戻ったら。わたしはそういったけれど、自分のその言葉が嘘だということに、とっくに気付いていた。
そうだね、一度と、哲哉はいった。それもまた、わかりやすい嘘だった。
窓の外を見下ろすと、夜も遅いというのに、人通りが多かった。携帯を握りしめる若い男の子、危なっかしく自転車を走らせる青年、ハンドバッグを抱いて足早に歩く女、背広にしわの寄ったサラリーマン、塾帰りの生真面目そうな女子高校生。見分けのつかない、誰ともしれない大勢の人々。
わたしは名もなきものになりたい。ひっそりと死んでも誰からも顧みられず、三日後には忘れられて、名前ものぼらないものになりたい。
だからわたしに、哲哉は必要ない。上京した初めのころはともかく、いまなら一人で働いても、自分の食べていくだけならなんとかできる。いまの会社の給料はあまりよくはないけれど、余分なものを欲しがらず、家族を持とうとさえ思わなければ、人はあんがい少ないお金で暮らしてゆけるものだ。
そこに哲哉は、いなくていい。いないほうがいい。そのほうがよほど気楽だ、こうやって鬱々と顔を突き合わせているくらいなら。お互いに気遣いあうふりをして、それでかえって傷ついたりしているよりは、ひとりきりでいるほうが、ずっといい。
嘘ばっかりだ。
哲哉は眠ってしまった。鼾の音を数えながら、電気を消す。今日は月明かりだけでも、部屋の中がよく見える。暗くよどんだ雨の日よりも、よく晴れて月の明るい晩のほうが寂しくなるのはなぜだろう。
わたしはとっくにだめだったんだよ。胸のうちではもう何百も、何千も繰り返してきたそのつぶやきを、哲哉に向かっていったことはない。悲しい顔をさせるだけだから。だけど哲哉も、ほんとうはわかっている。わかっていて、気付かないふりをしている。
哲哉は帰ったほうがいい。
だってあなたがいると、わたしはいつも、あの場所のことを忘れられない。生まれた土地で自分がどんなふうに見られていたか、人の噂にどんな形でのぼり、どう避けられてきたか、口に出さなくても、意識の表層に上らせなくても、ずっとそのことから逃げられない。
わたしはひとりがいい。もしも孤独に耐えられなくなって、また誰かと一緒に過ごすことがあるとしたら、その相手は、わたしのことを知らない人がいい。わたしの心の奥のふかいところなんて、何一つ知ろうともしない人のほうがいい。いつも嘘ばかりだけど、本当はちゃんとわかっている。
今度はわたしがいう番だ。
テツ、帰りなよ。一緒にいたら、わたしたちは、だめになる。
たったその一言を、わたしはいつも呑みこんで、押し黙ってしまう。
けれどいつまでも、そうしてはいられない。わかっている。だからいまは、じっと勇気をたくわえている。この古くて狭い部屋のなかで、月明かりの下で。
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お題:「ふきのとう」「革靴」「内緒」
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バス読書のつもりでひょいと読みさした「マルドゥック・スクランブル」にうっかり熱中して、今日だけで2巻まで読み終えて、ふと気付いたらいまでした。うおー! 面白いぜ……!
当然その間、自分の推敲はほったらかしです。こらあ!
い、いや、毎日ずっと同じ部分をネチネチネチネチいじってたら、だんだん煮詰まってわけわからなくなってくるし、一日くらい間をおいて、かえってちょうどいいんじゃないかな?(※100%言い訳です)
うん……でも明日、3巻も読んじゃうわ。むしろ、明日の仕事のことも忘れていますぐ読まないだけでも、自分の辛抱を褒めてやりたい。面白いです。
目下の悩みどころは、続編をいつ買うかだな……。
冲方丁さんは、前にアンソロジーのなかでマルドゥック・スクランブルの番外編をちらっと読んでから、ずっと気になっていたのでした。そしたら最近読んだ天地明察がものすごくよかったので、ああ、きっとわたしはこの作家さんにはまっていくんだろうなあと、予感はしていたんです。
そういう予感がしてしまうと、逆に、なんとなくつい読みだすのをしばらく躊躇するんですよね……。ハマるのがちょっと怖いというか。一度のめりこむとがんがん集めて、読みあさってしまうほうなので。書き手としてどうこうとかいう繊細な問題ではなくて、主にサイフとスペース的に……。
しかし、熱烈にハマる人の本をあえて避けて、ハマるほどじゃないけどそこそこ面白い本だけを読むとか、正直、読書の目的を見失っているというか。本当は、ハマりそうと思った瞬間に飛び込んで、そのまま首までどっぷりつかって気がすむまで読みあさるのが、いちばん時間の無駄にならなくていいですね。うっかり読まないうちに死んだりすると悔しいしさ……。
当然その間、自分の推敲はほったらかしです。こらあ!
い、いや、毎日ずっと同じ部分をネチネチネチネチいじってたら、だんだん煮詰まってわけわからなくなってくるし、一日くらい間をおいて、かえってちょうどいいんじゃないかな?(※100%言い訳です)
うん……でも明日、3巻も読んじゃうわ。むしろ、明日の仕事のことも忘れていますぐ読まないだけでも、自分の辛抱を褒めてやりたい。面白いです。
目下の悩みどころは、続編をいつ買うかだな……。
冲方丁さんは、前にアンソロジーのなかでマルドゥック・スクランブルの番外編をちらっと読んでから、ずっと気になっていたのでした。そしたら最近読んだ天地明察がものすごくよかったので、ああ、きっとわたしはこの作家さんにはまっていくんだろうなあと、予感はしていたんです。
そういう予感がしてしまうと、逆に、なんとなくつい読みだすのをしばらく躊躇するんですよね……。ハマるのがちょっと怖いというか。一度のめりこむとがんがん集めて、読みあさってしまうほうなので。書き手としてどうこうとかいう繊細な問題ではなくて、主にサイフとスペース的に……。
しかし、熱烈にハマる人の本をあえて避けて、ハマるほどじゃないけどそこそこ面白い本だけを読むとか、正直、読書の目的を見失っているというか。本当は、ハマりそうと思った瞬間に飛び込んで、そのまま首までどっぷりつかって気がすむまで読みあさるのが、いちばん時間の無駄にならなくていいですね。うっかり読まないうちに死んだりすると悔しいしさ……。
拍手コメントありがとうございます! 末尾に返信がありますので、お心あたりの方はお手数ですが、ご確認いただけると幸いです。
百姓貴族の2巻をやっと読めました。地方者はつらいぜ……! いつか自分が、待ちかねた新刊をたった2日早く読むためだけに東京にいったりしそうで、という冗談がシャレにならなくておそろしい、そんな昨今です。ま、まさかそこまでは…………やりませんよ? ほんとですよ?
「あやし」も買えました。宮部みゆきさん原作の時代ホラーに、皇なつきさんの作画です。
皇なつきさんは、とても麗しい絵を書かれるイラストレーター/漫画家さんです。
絵が美しいです。ものすごく美しいです。特に、いろんな国のひとの絵を描かれるときの、人種の顔立ちや背格好といいますか、まさにその国の人たちの気配が匂い立ってくるような絵です。
前に、森博嗣さんの「黒猫の三角」もコミカライズされてたんじゃなかったかな。
ついでに、前から気になっていた冲方丁さんの「マルドゥック・スクランブル」も、完全版三冊大人買いしてきました。やっと積読の山が崩れかかってきたというのにね?
転勤がないことを祈るばかりです。
きのうTCチャットでいろいろオススメ本を教えていただいたので、また読みたい本リストが大変なことになってきています。そのうちのいくつかのタイトルは、きょう書店で見かけたら買おうと思っていたのですが、立ちよった書店が、びっくりするくらい海外小説の品ぞろえが悪くて、がっかりしました。というか、前にはもうちょっと揃っていたのに、コーナーが縮小されていました。とても悲しいです。
みんな、本はなるべく地元の書店で買おうぜ。といいつつ自分もタイトルによっては最初からAmazon買いしちゃうんですけども。だってこっちには明らかに入荷しなさそうなタイトルとかさ……。
売れなきゃ入荷してもらえないし、ジャンル全体が売れないと、コーナーが縮小されちゃうんだよなあ。実感しました。さらに状況が悪いと、書店そのものが閉まっちゃうし。
本も、最終的には電子書籍に移行するかもしれないけど、でもやっぱり、書店で運命の出会いをしたいですよね。そのためには、書店に縮小されては出会いが減ってつらいし、できれば好きなジャンルの本はたくさん揃えていてもらいたい。
消費者はつくづくわがままですね!
続きは拍手コメントへの返信です。
百姓貴族の2巻をやっと読めました。地方者はつらいぜ……! いつか自分が、待ちかねた新刊をたった2日早く読むためだけに東京にいったりしそうで、という冗談がシャレにならなくておそろしい、そんな昨今です。ま、まさかそこまでは…………やりませんよ? ほんとですよ?
「あやし」も買えました。宮部みゆきさん原作の時代ホラーに、皇なつきさんの作画です。
皇なつきさんは、とても麗しい絵を書かれるイラストレーター/漫画家さんです。
絵が美しいです。ものすごく美しいです。特に、いろんな国のひとの絵を描かれるときの、人種の顔立ちや背格好といいますか、まさにその国の人たちの気配が匂い立ってくるような絵です。
前に、森博嗣さんの「黒猫の三角」もコミカライズされてたんじゃなかったかな。
ついでに、前から気になっていた冲方丁さんの「マルドゥック・スクランブル」も、完全版三冊大人買いしてきました。やっと積読の山が崩れかかってきたというのにね?
転勤がないことを祈るばかりです。
きのうTCチャットでいろいろオススメ本を教えていただいたので、また読みたい本リストが大変なことになってきています。そのうちのいくつかのタイトルは、きょう書店で見かけたら買おうと思っていたのですが、立ちよった書店が、びっくりするくらい海外小説の品ぞろえが悪くて、がっかりしました。というか、前にはもうちょっと揃っていたのに、コーナーが縮小されていました。とても悲しいです。
みんな、本はなるべく地元の書店で買おうぜ。といいつつ自分もタイトルによっては最初からAmazon買いしちゃうんですけども。だってこっちには明らかに入荷しなさそうなタイトルとかさ……。
売れなきゃ入荷してもらえないし、ジャンル全体が売れないと、コーナーが縮小されちゃうんだよなあ。実感しました。さらに状況が悪いと、書店そのものが閉まっちゃうし。
本も、最終的には電子書籍に移行するかもしれないけど、でもやっぱり、書店で運命の出会いをしたいですよね。そのためには、書店に縮小されては出会いが減ってつらいし、できれば好きなジャンルの本はたくさん揃えていてもらいたい。
消費者はつくづくわがままですね!
続きは拍手コメントへの返信です。
昨日「火の国~」の拍手ボタン押してくださった方々、ありがとうございます!
それから、気付くのが遅れましたが、しばらく前に「紫鱗に透ける」と「ふるさとの、空は遠く」にも拍手をいただいていました。感謝です!
忘れたころの万年筆の話。

その後、ハイエースネオ¥1,050-がどうなったかといいますと、たいへん快適に使い続けております。
一時、けっこう大量に下書きに使っていましたので、その成果なのかどうか、買ったときよりもインクの出がよくなった(気がする)のと、ペン先が紙をすべる感触も、なめらかになった(気がする)ようです。
……気がします。(斜め下を見つめながら)
万年筆というものが、長く使い続けてゆくうちに手になじむという話は、人間のほうが使い慣れるというのもあるんでしょうけれど、ペン先の、ペンポイントっていう紙にふれる部分が、長く使ううちにだんだん摩耗して、それが書き手の使う角度にぴったり合うので、自分には書きやすく、他人には書きづらくなってゆくということだそうです。あと、ペン先のスリットもちょっと開いてきたりとか、そういうのもインクフローと関係あるみたいです。
ネット情報です。自分の手で実感するのは、これを長く使い続けたあとで、新しい万年筆を買うとき……だと思うのですが、それでも違いがわからなかったらどうしよう(´・ω・`)
万年筆に飽きなかったらいつかちょっといいやつを、と思っていましたが、どうせ違いがわからないんだったら高いのを買うだけ無駄じゃない?
わたしは一生、千円で充分なのよ。という自分と、それはちょっと悔しい自分がいます。そ、そんなに安い女じゃないわ!
たぶん本当に安い女です。
みんなで奮発して有名高級中華料理店の伝統あるちゃんぽんを食べにいったら、「あれ、リンガーハットのほうがおいしい気がする……」となったときの感じと似ています。
毎日使うのが一番の手入れ、という言葉を信じて、下書き作業のない日でも、何かしら雑記帳にちまちまラクガキをしています。放っておいたらどうなるのか、ためしてみたいような気もしますが、もったいなくてできません。どうせわたしは小市民さ……。
たまに洗浄したほうがよいということなので、いちどよく洗ってみて、ついでにコンバーターをはずして、オマケでついてきたカートリッジインク(黒)を入れてみました。コンバーターって、あまり何度もつけたり外したりしないほうが無難なようなのですが、しかしカートリッジのインクを何年も放っておいたら、劣化するということなので、それはそれでもったいなくて。
カートリッジでも、ほとんど書き心地は変わらないように思うのですが(違いがわかってないだけかもしれません)、しかし黒はやっぱりちょっと味気ないなあと思います。使い切ったらまた洗って、ブルーブラックに戻そうっと。
字は、ちっともきれいになった気がしません……。
ただ、万年筆は筆圧をかけすぎるとすぐにペン先を痛めるということで(ペン先の材質や形状によっては、平気なものもあるようですが)、使っているうちに、ほとんど力を入れずに軽く書くクセを、身につけることができました。
もともとむやみに筆圧が高くて、すぐ手が痛くなっていたので、この改善はとてもうれしいです。ペンの握り方も、ぎゅうぎゅう握りこんでいないと書けなかったのが、万年筆を使いながら矯正していたら、いつのまにか自然に正しい持ち方ができるようになりました。

ハイエースの直後に購入したプレピー(¥210-)のほうはどうかといいますと、こちらもなかなか快適な書き心地です。中字で、ハイエースの細い線とはまた違った楽しさがあります。
が、残念ながら、いまだに数日に一度、なかなかインクの出てこない日があります。
自分の使い方が悪いのか、ハズレ個体を買ってしまったのか、よくわかりませんが、悩ましいです。毎日のように書き味が悪いんだったら、あきらめて処分するんだけど、調子よく書けているときは、楽しく使えるんです。出てこない日も、ちょっと書いてたら、じきになおります。
もうちょっと粘ってみるかなあ。使い続けているうちに改善される場合もあると聞くので。
二種類の廉価万年筆を使っていて思ったのが、紙との相性。鉛筆やボールペンだと大差なくても、万年筆だと、まるで違いますね。紙によっては、ハイエースだと書きづらくて、プレピーだと気持ちよく書けたりとかします。手持ちのほとんどのノートでは、ハイエースのほうが快適なんだけど。
字幅やインクによる違いや、一本ずつの個体差もあると思います。もしかすると紙によっては、三万円の某万年筆では書きづらいけれど、千円のほうだと快適に……なんていうこともあるのかもしれませんね。
そういうのを、違いもわからないくせに、いろいろ試して比べてみたいと心のどこかで思っている自分がいます。メーカーごとの特性とか、万年筆とインクの相性とか、インクと紙の相性とか、早く書くときにはこれがよくて、じっくり書くときにはこういうのが向いていてとか。しかしお金もないのにその方向に一歩足を踏み出すと、非常に大変なことになる予感がします。買わない、買わないぞ……!
それから、気付くのが遅れましたが、しばらく前に「紫鱗に透ける」と「ふるさとの、空は遠く」にも拍手をいただいていました。感謝です!
忘れたころの万年筆の話。
その後、ハイエースネオ¥1,050-がどうなったかといいますと、たいへん快適に使い続けております。
一時、けっこう大量に下書きに使っていましたので、その成果なのかどうか、買ったときよりもインクの出がよくなった(気がする)のと、ペン先が紙をすべる感触も、なめらかになった(気がする)ようです。
……気がします。(斜め下を見つめながら)
万年筆というものが、長く使い続けてゆくうちに手になじむという話は、人間のほうが使い慣れるというのもあるんでしょうけれど、ペン先の、ペンポイントっていう紙にふれる部分が、長く使ううちにだんだん摩耗して、それが書き手の使う角度にぴったり合うので、自分には書きやすく、他人には書きづらくなってゆくということだそうです。あと、ペン先のスリットもちょっと開いてきたりとか、そういうのもインクフローと関係あるみたいです。
ネット情報です。自分の手で実感するのは、これを長く使い続けたあとで、新しい万年筆を買うとき……だと思うのですが、それでも違いがわからなかったらどうしよう(´・ω・`)
万年筆に飽きなかったらいつかちょっといいやつを、と思っていましたが、どうせ違いがわからないんだったら高いのを買うだけ無駄じゃない?
わたしは一生、千円で充分なのよ。という自分と、それはちょっと悔しい自分がいます。そ、そんなに安い女じゃないわ!
たぶん本当に安い女です。
みんなで奮発して有名高級中華料理店の伝統あるちゃんぽんを食べにいったら、「あれ、リンガーハットのほうがおいしい気がする……」となったときの感じと似ています。
毎日使うのが一番の手入れ、という言葉を信じて、下書き作業のない日でも、何かしら雑記帳にちまちまラクガキをしています。放っておいたらどうなるのか、ためしてみたいような気もしますが、もったいなくてできません。どうせわたしは小市民さ……。
たまに洗浄したほうがよいということなので、いちどよく洗ってみて、ついでにコンバーターをはずして、オマケでついてきたカートリッジインク(黒)を入れてみました。コンバーターって、あまり何度もつけたり外したりしないほうが無難なようなのですが、しかしカートリッジのインクを何年も放っておいたら、劣化するということなので、それはそれでもったいなくて。
カートリッジでも、ほとんど書き心地は変わらないように思うのですが(違いがわかってないだけかもしれません)、しかし黒はやっぱりちょっと味気ないなあと思います。使い切ったらまた洗って、ブルーブラックに戻そうっと。
字は、ちっともきれいになった気がしません……。
ただ、万年筆は筆圧をかけすぎるとすぐにペン先を痛めるということで(ペン先の材質や形状によっては、平気なものもあるようですが)、使っているうちに、ほとんど力を入れずに軽く書くクセを、身につけることができました。
もともとむやみに筆圧が高くて、すぐ手が痛くなっていたので、この改善はとてもうれしいです。ペンの握り方も、ぎゅうぎゅう握りこんでいないと書けなかったのが、万年筆を使いながら矯正していたら、いつのまにか自然に正しい持ち方ができるようになりました。
ハイエースの直後に購入したプレピー(¥210-)のほうはどうかといいますと、こちらもなかなか快適な書き心地です。中字で、ハイエースの細い線とはまた違った楽しさがあります。
が、残念ながら、いまだに数日に一度、なかなかインクの出てこない日があります。
自分の使い方が悪いのか、ハズレ個体を買ってしまったのか、よくわかりませんが、悩ましいです。毎日のように書き味が悪いんだったら、あきらめて処分するんだけど、調子よく書けているときは、楽しく使えるんです。出てこない日も、ちょっと書いてたら、じきになおります。
もうちょっと粘ってみるかなあ。使い続けているうちに改善される場合もあると聞くので。
二種類の廉価万年筆を使っていて思ったのが、紙との相性。鉛筆やボールペンだと大差なくても、万年筆だと、まるで違いますね。紙によっては、ハイエースだと書きづらくて、プレピーだと気持ちよく書けたりとかします。手持ちのほとんどのノートでは、ハイエースのほうが快適なんだけど。
字幅やインクによる違いや、一本ずつの個体差もあると思います。もしかすると紙によっては、三万円の某万年筆では書きづらいけれど、千円のほうだと快適に……なんていうこともあるのかもしれませんね。
そういうのを、違いもわからないくせに、いろいろ試して比べてみたいと心のどこかで思っている自分がいます。メーカーごとの特性とか、万年筆とインクの相性とか、インクと紙の相性とか、早く書くときにはこれがよくて、じっくり書くときにはこういうのが向いていてとか。しかしお金もないのにその方向に一歩足を踏み出すと、非常に大変なことになる予感がします。買わない、買わないぞ……!
第一話をすでに読んでくださった方々から、ちらほらお声をかけていただいています。ありがとうございます……! のこりの推敲がんばります。
何度も背中を押してくださったH様にはどれだけ感謝してもしきれません。数日前の拍手コメントもありがとうございました。返信不要とのことでしたが、お礼だけ。おかげでなんとか連載開始までこぎつけました。くだんの連載のほう、順調そうでなによりです! 日々楽しみに読ませていただいています~。(私信)
某氏さまより世界観を褒めていただいて、ひっそり小躍りしています。長編を書くんだったら、本当はもっとストーリーやプロットにこそ力を注ぐべきなのかもしれないのですが、ついつい熱が入るのは舞台のほうです。
とこしえ世界については、まだ見ぬ地に足をのばし、空白の多い地図の向こうを少しずつさぐるようなつもりで書いています。
いますぐどうこうではないけれど、この世界の話は、また書きたいなあなんて思っています。まだ具体的ではないのですが。
これまでに登場した誰かの話になるのか、雨の国みたいに独立した話になるのか。ヴィトラカとフィリオルや、イーハについても、まだ語られていない物語があるような気はしているのだけど。風の民の文化も、考えるだけ考えて出してないし、ヤクトのその後も。
舞台の候補地は何か所かあるのですが。中央の草原地帯、湖沼地帯、西部の鳥たちの楽園、南東部の最果ての町、あるいは北西部沿岸の冷たい海の話か。
南半球の話も、いつか書けたらいいんだけどなあ。
このシリーズ、語り手と舞台が一作ずつ違うのを、書きながら自分でこっそり楽しんでる部分があるので、次に何かを書くとしたら、少し間をとって、ちょっといままでと雰囲気の違う文体にチャレンジしたいなあ……なんてとらぬ狸の皮算用をしています。
……の前に、まずはいまの連載を、しっかり推敲することですね。がんばる……!
何度も背中を押してくださったH様にはどれだけ感謝してもしきれません。数日前の拍手コメントもありがとうございました。返信不要とのことでしたが、お礼だけ。おかげでなんとか連載開始までこぎつけました。くだんの連載のほう、順調そうでなによりです! 日々楽しみに読ませていただいています~。(私信)
某氏さまより世界観を褒めていただいて、ひっそり小躍りしています。長編を書くんだったら、本当はもっとストーリーやプロットにこそ力を注ぐべきなのかもしれないのですが、ついつい熱が入るのは舞台のほうです。
とこしえ世界については、まだ見ぬ地に足をのばし、空白の多い地図の向こうを少しずつさぐるようなつもりで書いています。
いますぐどうこうではないけれど、この世界の話は、また書きたいなあなんて思っています。まだ具体的ではないのですが。
これまでに登場した誰かの話になるのか、雨の国みたいに独立した話になるのか。ヴィトラカとフィリオルや、イーハについても、まだ語られていない物語があるような気はしているのだけど。風の民の文化も、考えるだけ考えて出してないし、ヤクトのその後も。
舞台の候補地は何か所かあるのですが。中央の草原地帯、湖沼地帯、西部の鳥たちの楽園、南東部の最果ての町、あるいは北西部沿岸の冷たい海の話か。
南半球の話も、いつか書けたらいいんだけどなあ。
このシリーズ、語り手と舞台が一作ずつ違うのを、書きながら自分でこっそり楽しんでる部分があるので、次に何かを書くとしたら、少し間をとって、ちょっといままでと雰囲気の違う文体にチャレンジしたいなあ……なんてとらぬ狸の皮算用をしています。
……の前に、まずはいまの連載を、しっかり推敲することですね。がんばる……!
プロフィール
HN:
朝陽 遥(アサヒ ハルカ)
HP:
性別:
非公開
自己紹介:
朝陽遥(アサヒ ハルカ)またはHAL.Aの名義であちこち出没します。お気軽にかまってやっていただけるとうれしいです。詳しくはこちらから
拍手コメントをいただいた場合は、お名前をださずにブログ記事内で返信させていただいております。もしも返信がご迷惑になる場合は、お手数ですがコメント中に一言書き添えていただければ幸いです。
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