忍者ブログ
小説を書いたり本を読んだりしてすごす日々のだらだらログ。

 おかげさまで、4月をどうにか生き延びました。なんというか、日々ツイッターで「働きたくない」という趣旨のことしか呟いておらず、自分の発言を振り返って「これはひどい……」と思わず素で反省しました。やる気のかけらもみられない!

 ねぎらいのお言葉をかけてくださった方々、ほんとうにありがとうございました。わたしなどよりよほどお忙しい日々を送られている方々からも、しばしば励ましていただきまして、思わず身が引き締まるやら汗が出るやら。弱音と愚痴が多くてお恥ずかしいかぎりです。

 人間が出来ていないので、忙しいと、すぐ心の余裕をなくします。職場でぐちぐち文句をいったり、先輩にかみついたりしながら働いていました。
 ふと気付くと、いつのまにか自分に甘く、人に厳しいことを言いがちです。そういう自分のみっともなさを、あとで落ち着いてから振りかえると、すぐ自己嫌悪でいたたまれなくなります。経験上、自分でもそのことがよくわかっているので、いらぬ癇癪を起して後悔の種をふやさぬよう、なるべくいつも心に余裕を持ちたいと思ってはいるのですが、なにか、こう、どうにも器が小さくて、スケジュールが切羽詰まると、すぐ不安でいっぱいになり、苛々してしまいます。

 何年か前に、残業続きでやたらに情緒不安定になり、なにかと周囲に迷惑をかけた時期がありました。いつのまにか、自分だけが辛い目にあっているような気がしてるんですよね。そんなの勘違いもいいところなのですが。
 そのころはまだ年齢も二十代前半ということで、諸先輩方もわたしの癇癪を、おおむね寛容に受け流し、おおめに見てくれたところがありました。はたして何歳くらいまで、そういう幼さが、周囲から広い心で受け止めてもらえるものなのかわかりませんが、許してもらうもらわないという以前に、自分自身が、そういう自分の、自分のことしか考えられない形質を、心底いやになりました。

 自分のことは後回し……とまではいわないけれど、いつでもそれなりに人の心を慮ることのできる、あるいは人の失敗や欠点を笑って受け止められる、心の広い大人になりたいものです。なにはともかく、仕事の上では。

 とはいえ人間の本質というものは、変えようと思ってそう簡単に変えられるものではありません。変わるとしても、たいていは時間がかかります。変わりたい、と強く思ってから、五年ばかりが経ちますが、表面的にはいくらかましになったものの、性根が入れ替わったわけではありません。人は追い詰められたときに本性の出るもので、普段ならなんということのないことでも、忙しいときにはやっぱり、すぐ苛々してしまいます。
 そういう自分の性格に、重々自覚があるので、ここ数年は、そもそも差し迫って追い詰められることのないように、自分で手を抜けるところは抜き、調整のきくところはスケジュール配分に気をつけながら、大過なく過ごしていました。まあ、うっかりミスとかは、いつでもちょいちょいやらかすんですけど(汗)

 けれど本年四月は、当初より突発的トラブルに巻き込まれまして、その対応で通常業務のスケジュールが遅れに遅れ、途中からずっと期限厳守の仕事に追いかけられながら過ごしていました。それが、どうにも人に頼んで分担しづらい属性のことがらが多く、また周囲の人々も別件でずっと忙しかったこともあって、頼める状態ではなかった。後回しにできることは全部後に回し、とにかく期限を破れないものだけを集中的にやって、それでも本当に間に合うのか、しじゅう不安でした。

 幸いにも結果的には間に合いまして(あとはものすごい取り返しのつかないミスをしていないことを祈る……)、なんとか乗り切りました。
 そんな切迫した事態にもかかわらず、「無理!」と思ったら途中で山積みの書類を置いて帰るようになったので、この五年で、とにかく図太さにだけは磨きがかかった感があります。そのおかげで(?)前半はなんとか、癇癪の虫を炸裂させることもなく過ごしていたのですが、後半になって体力が尽きてくるとともに、つい我慢が切れて、ぶちっと……こう……。

 うん……。突発的トラブルを産んだ原因の先輩に向かって、ぶうぶう文句いってました。いくら自分が被害を被ったからって、ちょっとあまりにも文句垂れ過ぎた。本人だって、自分のやらかしたミスを後悔してもいるんだろうし、プライドが傷ついたりもしてるんだろうしさ。そこに追い打ちをかけてどうするのよ。
 だいたい、わたしだって色々失敗して人に迷惑かけたりするし、それを笑って許してもらってきたんだしさ。なのに人の失敗は責めるってどうなの?

 どうもわたしは心の奥のほうで、男の上司や先輩には、いくらかみついても八つ当たりしてもかまわないと思っているような節があって、不幸にもわたしの上司になってしまった男性には、ほんとうに申し訳ないと常々思っては……いやまあ、その。(※女性の上司には怖くて楯突けません)

 なんていうか、いろいろ修行が足りません。まる十年働いてまだこんな調子かよー、と自分でもちょっと思います。そろそろ中堅どころじゃないのか。もうちょっと社会性を身につけようよ?
 自分が入ったときに周りにいた、十年目選手の先輩方は、どの方も面倒見がよく寛容で、尻に殻のついたままどころか、まだ卵から半身乗り出してぴよぴよ囀っていた新卒のわたしに、ひとつひとつ辛抱強く仕事を教えてくださいました。それに比べて、いまの自分の成長のなさときたら。
 ……まあ、あれです。考え方を変えてみれば、もともとの人格が社会不適合ギリギリライン上の引きこもり属性なのに、まがりなりにも毎日まともに出勤して仕事してるだけでも、かなり頑張ってるよ。うん。わたし、頑張ってるよ……(どういう言い訳!?)

 まあ、ぼちぼちやります。
 なにはともあれ、そろそろ平常運転に戻れそうです。連休はカレンダー通り休んで、友達とも遊びます。う、嬉しい!
 まだしばらくは、普段よりはちょっと忙しめの日々が続きますので、平日にはもしかしたら、ときどき唐突に更新のない日があるかもしれませんが、元気に働いておりますので、どうかご心配なく。

拍手

PR

 先週、「Unshared Blue」にコメントをいただいていました。ありがとうございます! 遅くなってしまいましたが、末尾に返信がありますので、お心あたりの方は、お手数ですが記事の末尾をご確認くださいませ。

 ほとんど仕事しかしていないうちに4月が終わろうとしています……毎年のこととはいえ、去年はここまでひどくなかった。
 もともと本年度から、自分の受け持つ仕事が増える予定はあったのですが、さらに4月当初より、なにかと不測の事態が色々と重なりまして、ただでさえ目の回るような時期なのに、わたしは本当にこの仕事を終わらせられるのかと、不安いっぱいの進行でした。途中で三回くらい、書き置きを残して旅に出ようかと思いました。……などと過去形で語りつつ、まだ実はあんまり乗り切れる目途が立っていません。(えー)

 それならそれで、今日の日曜日も出てばりばり働けばいいようなものですが、職場の鍵を借りる都合がつかなかったこと、平日にしか使えないシステムがあって、それがないとまともに作業が進まないことを言い訳にして、まる一日休みました。言い訳です。本音をいえば、土曜出勤だけで心が折れた。根性無しです。
 ……明日からがんばる!(……といつもいうけど、だいたいあんまり頑張らない)

 ほぼ一か月まったく筆をとっていなくて、地味に焦りますが、きょう一週間ぶりにパソコンを立ち上げたら、メールフォームからとパブーコメントからと、お二方に感想をいただいていまして、「うおおお書くぜ!」という気持ちになりました。ありがとうございます。
 今週いっぱいはどうにもならないとしても、月末まで乗り切れば、なんとか。五月の連休は、おそらく出るとしても一日程度で済むと思うので、今度の連休中にリハビリがてら、即興で一本なにか書く!


 ということで、続きは返信になります。

拍手

 先週、「火の国より来たる者」に拍手をいただいていました。ありがとうございました!

 きのうの土曜は休日出勤しておりまして、夜まで粘ったところで、終わりの見えない仕事が嫌になり、諦めて帰宅しました。本日、日曜日にいたっては、朝昼ご飯食べて昼寝していただけで一日が終わりました。なんてことだ!

 驚くほど何もできてません。悔しいです。ほんとに早く終われ、繁忙期。
 しかし細々と通勤読書は続けており、先週はアガサ・クリスティの「春にして君を離れ」を読んでいました。初のクリスティです。
 タイトルから漠然と、ロマンチックな恋愛系文学を想像していたのですが、まったく違いました。重くて、苦しくて、皮肉な話でした。

 独善ということについての話でした。人が、自分のありのままの姿を直視し、それを受け入れるということが、いかに困難であるかという話です。
 主人公の女性は、悪い人ではありません。彼女はあくまで勤勉かつ善良たろうとしており、己の価値観に基づいて、家族のためにふるまおうとしています。しかし、それと同時に独善的で、自分の価値観でのみ物事を判断しようとする癖があります。自分の価値観の外のものを理解しようとはせず、目に入るもの、耳に届くものの全てを、自分のつごうのいいように解釈してしまう。そういう自分の影を、見ないように、見ないようにして、彼女は生きてきました。

 これはわたしにとっては生々しく、とてもおそろしい話でした。
 人間の目はしばしば、己にとって都合のいいものだけを見、その耳は、都合のいい言葉だけを拾って聞こうとするものです。わたしはまだ二十代の若輩者ではありますが、それでも、これまで人々のそのような側面を、多く見てきたと思います。その代表は、わが母です。

 母はとても楽天的な人であり、天真爛漫ともとれる性格をしています。それは家族にとって、いい方向に働く場合も多々あるのですが、わたしにはときどき、母のいう言葉が恐ろしくてなりません。彼女は家族のどんな言葉も、他人の語る話も、テレビのニュースも、なにもかもすべて、自分の価値観と理解に合うようにしか受け取らず、どこまでも、自分にとって都合のいいように拾ってゆきます。

 理解できない物事に出会うと、彼女はすぐにその対象を、理解の外のもの、間違っているもの、あってはならないものとして、切り捨てます。この人は頭がおかしい、人間というものがおかしくなってきている、どうして世間の人というものは○○ばかりなのだろう、母がそんなふうに他者を拒絶し、自分の考えで決めつけて一方的に哀れみ、貶し、偏見の目で見つめるたびに、わたしはぞっとします。
 否定にしてもそうですが、肯定的な感情についても、母にはそういう癖があります。母はわたしの顔を見ようとせず、自分の求める娘の像を、わたしの上に重ねて、それだけを見ている。そんなふうに感じる瞬間がある。それを不幸だというつもりはありません。自分をちゃんと見て、理解してほしい、と思うことだって、わたしが理想の親の像を母に押し付けることに、ほかならないのだから。

 ときに母の謂いに反発し、声を枯らして違うものの見方を伝えようとしても、母はそのほとんどを、「わたしには理解できない」の一言で切って捨てます。頑ななほど、それ以上のことを考えようとはしません。
 自分の世界だけで生きようとしている母との口論に疲れ、ふと振り返ると、母を諭せるような何ものも、わたしは持ってはいないのだと、そういう気にもなります。そもそも彼女の考え方を変えさせようと思う、そのわたしの意思そのものが、独善ではないのか。わたしのものの見方を、母に押し付けようとしているだけではないのか……。
 それに、母の言動に、しばしばわたしがぞっとするのは、おそらく、わたしが自分自身の姿を、そこに見出しているからです。自分の心の中にもある、独善の影を。
 母には母の筋があり、論理があり、それを、あなたは間違っていると決めつけるほど、わたしはいつから偉くなった?

 家族とはいえ、他者が人ひとりの考え方を変えさせようとするのは、そもそもが無理なことであり、本人が自分の意思で変わろうと思わない限り、人は変わりません。諦めて、我慢できないことは聞き流し、母のいいところをもっと認めて……。そんなふうに暮らすべきだということも、口論のたびに考えます。他人なら、ちょっと考え方の偏った人だというだけで、たまに嫌な思いをすることもあるかもしれませんが、それなりに流して我慢できるようなことです。家族だから、そうした考え方の齟齬が苛立たしく感じるというだけで。

 それに、独善ということが、必ずしも悪なのかというと、難しい部分があるなとも思います。誰にでもそういう側面が、大なり小なりあるものだし、そもそも、人が自分の都合のいいように物事を見て解釈するのは、己の心の健康をたもつためにしていることでもあります。
 目に入ってくる物事のすべてを、何もかもすべて疑ってかかり、ひとつずつ真実を見極めようとすること、起こった悪い出来事の全てを、真摯に自省的に受け止めようとすることは、とてもパワーのいることです。
 そういうことを、出来たらいいのにと思いはしますが、しかし人生のすべての場面でそこまで真面目に自省していては、自己嫌悪の海に溺れてしまう。懐疑的、悲観的ということもまた、別の弊害のあるものです。
 人がときに物事を自分の都合のいいように考えるのは、生きるための知恵であり、やむなき防衛反応でもある。

 それをやめさせようとすることが、間違いなのかもしれない。
 もう少し、ほんの少しでいいから、ほかの人の心を思うこと、自分とは違うものの考え方を受け入れることを、してみてほしいと思う、自分の独善を理解して、たまに振りかえって人の言い分について考えてみてほしいと思う。そう思う一方で、母の考え方を理解して受け止めることが難しいと感じている自分は、そもそもが矛盾している。

 わたしはこの小説に、そういう、自分の周りにある独善の影を投影して、そのぶんだけ読んでいて苦しかったし、ラストが皮肉に思え、悲しくもありました。

 あるいは、「春にして君を離れ」のテーマは、西洋的な時間の観念についての、皮肉でもあったかもしれません。時間を節約し、効率的に使い、努力してよりよき暮らしを目指さなくてはならない。人類は建設し、発展せねばならないというようなことへの。
 そうした暮らしによって、ひとびとが忙しくなり、時間に追われて、精神が疲弊している。あくせくと気ぜわしく暮らす中で、足を止めてゆっくりとものを考える時間を失い、己の心を見つめることが下手になっている……。

 読み終えて爽快な話ではなかったけれど、たしかに名著と思える一冊でした。


 まだしばらく仕事が多忙な時期が続きますので、更新がとぎれとぎれになりそうですが、なんとかかんとか働いています。これを乗り切ったら、夏の閑散期にはびっくりするくらい早く帰ってやるんだ、私。
 あと、「これを乗り越え切れたら、自分へのご褒美にちょっといい万年筆とか買っちゃってもいいんじゃない……?」とかいう悪魔のささやきが胸の隅っこに居座っています。ゆ、誘惑に負けそう。

拍手

 昼寝してたらほとんど一日が終わったような感があります。ここのところ、ぜんぜん書けてなくて焦る……。
 パソコンに向かう気力のないとき用にと、せっかく原稿用紙に万年筆にと手書きツールまで充実させてきているのに、それさえ活用できてないってどういうことなの! 初夏以降に書きたいものの、断片をかき集めるくらいがせいぜいなようです。く、くやしい。

 四月そうそうこんな調子で何なのですが、まあ、仕事も激増したし、人が入れ替わって慣れないし、ここは仕方ないと割り切って、いまは黙々と働いて、休める時間にはぐずぐずいわずに休みます。年中ずっと遅くまで残業してるわけじゃないし、ほんのひと月ふた月の辛抱。しっかり休養をとって仕事中の能率を落とさないのも、社会人としての責任だよね。……大人ってつまんないなあ。
 早く終われ、繁忙期。

拍手

 結局、ぎりぎりまで粘ってはみたものの、休日出勤から逃げそびれて、今日(土曜)も働いてました。出勤すると、一瞬「あれ今日って平日だったっけ」と思うくらい、かなりの人数が出てきていました。サービス残業と休日出勤を前提にした組織管理ってちょっとどうかと思うよ!

 まあ新年度もはじまって早々なので、それもやむなしです。仕事は、平日の昼間しか使えない機械があるので、それを使わないとできない仕事を残して、ほかはなんとか片付きました。

 その残った、平日にしかやれない書類を、急ぐほうを上にしてどんどん机に積んでいったら、椅子から立ち上がったときに、ちょうど自分の目線と同じくらいの高さになって、思わず変な笑いが漏れました。そのままでは崩れそうだったので三列に分けて積み直したところ、机の上が、まるで長期出張に出かけていた人のように書類で埋め尽くされました。……うん。まあ、なんとかなるだろう、たぶん。

 いま悩んでもしかたないので、月曜日にまたうんうん唸りながらとっかかろうと思います。焦るとおかしなミスをするのがいつものパターンだから、なるべくあわてず騒がずやろう。

 こんなばたばたするのも、ほんの一か月かそこら、のはず。五月には普通に「そこそこ忙しい」くらいになり、六月以降は平常運転になる……はずです。なると信じてる。いつもやってみればだいたいなんとかなるんだよ!(※その都度なにかミスをして先輩方にフォローされている苦しい事実はすっかり忘れている)

 仕事のストレスを解消するために、がんがん本を買ったり読んだりしています。バス読書も継続中で、四月に入ってから六冊読みました。むしろ平時よりも早いペースで読んでいるという。
 帰ったらお風呂だけ入ってすぐ寝てるんですけど、バスの中で意外と読めます。そしてたまに乗り過ごしそうになります。

 数日前、駆け込んだ最終バスで、見えない敵に向かって延々と「なめんなよ」と威嚇し続けているご老人がいらっしゃいまして、なんというか、とても複雑な気分でした。あの人の目には何が見えてたんだろう……。
 というか結構なご年配でしたが、そんな状態でバスに乗って、ちゃんと目的地で降りて無事に帰宅できたんでしょうか。所詮は通りがかりの他人、目を合わさないようにすることしかできず、バス停でそそくさと下りましたが、しかし冷たい社会だよなあ、と思って気が咎めないわけでもないです。じゃあ話しかけて、家まで連れてゆけるかというと、とてもそこまでする勇気はないんですが。

 そのご老人はぷりぷり怒っていらしたので、近づくどころじゃなかったんですが、そういえば某所で、いつもご機嫌にひとりで歌っている、ちょっと変わった女の子がいます。(……と、つい連想して話をつなげてしまったけれど、その二人を同じ括りで話すのは間違いですね)
 女の子といっても小さい子ではなくて、大人です。たぶんちょっと知的障害がある人なんですが、そのひとはいつもご機嫌で、にこにこ周りの人に手を振ったりもしています。

 いい年をした大人が、屋外で、街頭パフォーマンスという体裁ではなくて、そこらへんを歩きながらひとりで歌っている。それもうっかりちょっと鼻歌が出たくらいではなくて、声を出してずうっと歌っていれば、ちょっとヘンな人か、もしくは障害のある人なんだろうなあと、なんとなく思う。歌でなくて、ひとりで笑っている人とかも、そうですね。ちょっとつい思い出し笑いをした、くらいならともかく、ひとりで歩いている人がいつまでもニヤニヤ笑っていたら、やっぱり周りは、ちょっとヘンな人だなあと思うでしょう。でも、それってどうなんだろうと、たまにふっと、そう思うときもあります。

 そのいつもご機嫌な女の子の様子がどうこうというよりも、「外で歌を歌うのって、そういえば、なんでヘンなことなんだろうなあ?」というような。

 それがちっちゃい子だったり、中高生でも友達と歌いながら帰っていたりすれば、周りはほほえましく眺めるわけで。大人も、カラオケか家の中で歌っていれば、べつに変な人ではありませんし。
 それは、TPOをわきまえる能力というやつなんでしょうけど、だけど、そういえば大人が一人でそのへんを歩きながら歌うのは、なんでヘンなことなんだろう?

 前にテレビで、ケンミンSHOWだったかな、沖縄の人は歌が流れるとすぐ踊る、というのをやっていて、「嘘お?」とおもったんですけど、VTRの中では、本当に音楽につられて踊ってらっしゃいました。
 まあ、それもテレビでちょっと見ただけで、全部がぜんぶそうだと思いこむのは間違いかもしれないのですが、しかし、ところかわれば常識もかわるんだよなあと思います。
 そこらへんで、一人でにこにこしながら歩いている人や、歩きながら歌っている大人が、いつでもいっぱいいれば、誰も別に、それってヘンなことだなんて思わないんだろうなって。そういう社会だったら、ご機嫌でいいと思うんだけどなあ。

拍手

プロフィール
HN:
朝陽 遥(アサヒ ハルカ)
HP:
性別:
非公開
自己紹介:
朝陽遥(アサヒ ハルカ)またはHAL.Aの名義であちこち出没します。お気軽にかまってやっていただけるとうれしいです。詳しくはこちらから
拍手コメントをいただいた場合は、お名前をださずにブログ記事内で返信させていただいております。もしも返信がご迷惑になる場合は、お手数ですがコメント中に一言書き添えていただければ幸いです。
twitter
ブクログ
ラノベ以外の本棚

ラノベ棚
フォローお気軽にどうぞ。
最新CM
[01/18 スタッフ]
[05/26 中村 恵]
[05/04 中村 恵]
[02/04 隠れファン]
アーカイブ
ブログ内検索
メールフォーム
約1000文字まで送れます。 お気軽にかまってやってください。
カウンター
忍者ブログ [PR]