小説を書いたり本を読んだりしてすごす日々のだらだらログ。
引継ぎにいってきたら予想以上にちんぷんかんぷんだった4月からの仕事に、資料を前に呆然としている、そんな月曜日です。……うん。うん、まあ、誰にだってはじめてのときはあるよね。(目を逸らしつつ)
ここ何年かで転勤はあったものの、おおむね馴染みのある分野の業務についていたので、これから初めて経験する仕事というのが久しぶりで、自分の中の謙虚な心構えをいっしょうけんめい揺り起こそうとしています。ほんと、人生いつまでも勉強なんだなあ……(←勉強嫌い)
とりあえず通勤がバスになるので、バスの中で読む用(ストレス発散用、あるいは現実逃避用ともいう)の文庫本をいくらか買ってきました。しかし朝のバスは座れないんだろうなあ。うんと早起きして始発に乗れば座れる気はするけど、そんな根性は、自分の中のどこにもないです。
そして現実逃避がいきすぎて、3月中に読んでしまってあわてて買い足したりしています……。いっときは崩れた積読の山が、いつの間にかまた元通りになりつつあるような気がする。
被災地の子どもたちに本を贈ろうという募金が、書店のレジ脇にあるのを見かけ、小銭を放り込んできました。個人的にはそういうのって、どんどんやってほしいけれど、しかし大きな団体がやるとなると、ピントのずれた感じの本のセレクトになりはしないかと、なんとなく組織不信な私です。でもまあ、募金が効果的に活用されないんじゃないのかとか、そういうことを恐れて募金しないのでは、本末転倒かなという気もします。ということで、間をとって小額の募金。
いろんな募金の種類があるんですね。恥ずかしながらこんなことになるまで、じっくり考えたことがなかったです。日本赤十字宛の義援金は、マージン等なしで百パーセント義援金に使用される、ということもしらなかったし、それが義援金の配分委員会が動き出すまではただプールされるんだということも、このことがなかったら知らなかったままだったろうなと思います。(阪神淡路のときには、まだそういう意識がなかった)
といってNGO団体へ募金するのも、それまで耳馴染みのなかったところに送金するのって、なんとなく大丈夫かなって迷ったりして。どこがいちばん即効性があるのかとか、ホームページだけ眺めててもぴんとこなくて、首をひねったり。普段の意識の低さがもろに出たなという感じ。だけど、そういうのでためらって、何もしないよりかは、ましかなとか、いろいろ考えちゃいますね。
今朝、募金を盗んだ人のニュースを見ました。遊ぶ金ほしさなのか、切迫した理由があったのか、本当のところはわかりませんから、一方的に非難するつもりもありませんが、彼らの最大の罪は、盗んだことそのものではなく、盗まれたことに怒った人たちの一部が、募金そのものに消極的になるという、その問題を産むことだと思いました。
そういうのがあると、ちゃんと安心なところに募金しようと思って勉強する人もいますし、募金全体にいやけがさしたり、調べることが面倒になったりして募金をやめちゃう人も、きっといるだろうなと思います。
そんなふうに、盗まれたり、ごまかされたりする募金はおそらく全体のなかのごく一部で、ほとんどの団体、ほとんどのお店で、きちんとしているはずなんですよね。それなのに、そういう事件がニュースになると、どこもかしこも疑わしく思えてしまう。それが、積もり積もって、全体的にはけっこう響くんじゃないかと思うと、悲しいですね。
自分が信じられる団体に直接振り込むか、盗まれても許せる小さな額をあちこちに募金するか。あるいはたとえ盗まれてもそれがどこかで市場に跳ね返って、経済をわずかに上向きにすると信じて、開き直って募金するとか?
……すいませんいつものことですが、だらだら考えながら書いているので、話に結論もオチもないです。うおう。私はオチのある話を書く訓練を、こういうところからはじめたらどうだろうね?
続きに拍手コメへのお返事です。
ここ何年かで転勤はあったものの、おおむね馴染みのある分野の業務についていたので、これから初めて経験する仕事というのが久しぶりで、自分の中の謙虚な心構えをいっしょうけんめい揺り起こそうとしています。ほんと、人生いつまでも勉強なんだなあ……(←勉強嫌い)
とりあえず通勤がバスになるので、バスの中で読む用(ストレス発散用、あるいは現実逃避用ともいう)の文庫本をいくらか買ってきました。しかし朝のバスは座れないんだろうなあ。うんと早起きして始発に乗れば座れる気はするけど、そんな根性は、自分の中のどこにもないです。
そして現実逃避がいきすぎて、3月中に読んでしまってあわてて買い足したりしています……。いっときは崩れた積読の山が、いつの間にかまた元通りになりつつあるような気がする。
被災地の子どもたちに本を贈ろうという募金が、書店のレジ脇にあるのを見かけ、小銭を放り込んできました。個人的にはそういうのって、どんどんやってほしいけれど、しかし大きな団体がやるとなると、ピントのずれた感じの本のセレクトになりはしないかと、なんとなく組織不信な私です。でもまあ、募金が効果的に活用されないんじゃないのかとか、そういうことを恐れて募金しないのでは、本末転倒かなという気もします。ということで、間をとって小額の募金。
いろんな募金の種類があるんですね。恥ずかしながらこんなことになるまで、じっくり考えたことがなかったです。日本赤十字宛の義援金は、マージン等なしで百パーセント義援金に使用される、ということもしらなかったし、それが義援金の配分委員会が動き出すまではただプールされるんだということも、このことがなかったら知らなかったままだったろうなと思います。(阪神淡路のときには、まだそういう意識がなかった)
といってNGO団体へ募金するのも、それまで耳馴染みのなかったところに送金するのって、なんとなく大丈夫かなって迷ったりして。どこがいちばん即効性があるのかとか、ホームページだけ眺めててもぴんとこなくて、首をひねったり。普段の意識の低さがもろに出たなという感じ。だけど、そういうのでためらって、何もしないよりかは、ましかなとか、いろいろ考えちゃいますね。
今朝、募金を盗んだ人のニュースを見ました。遊ぶ金ほしさなのか、切迫した理由があったのか、本当のところはわかりませんから、一方的に非難するつもりもありませんが、彼らの最大の罪は、盗んだことそのものではなく、盗まれたことに怒った人たちの一部が、募金そのものに消極的になるという、その問題を産むことだと思いました。
そういうのがあると、ちゃんと安心なところに募金しようと思って勉強する人もいますし、募金全体にいやけがさしたり、調べることが面倒になったりして募金をやめちゃう人も、きっといるだろうなと思います。
そんなふうに、盗まれたり、ごまかされたりする募金はおそらく全体のなかのごく一部で、ほとんどの団体、ほとんどのお店で、きちんとしているはずなんですよね。それなのに、そういう事件がニュースになると、どこもかしこも疑わしく思えてしまう。それが、積もり積もって、全体的にはけっこう響くんじゃないかと思うと、悲しいですね。
自分が信じられる団体に直接振り込むか、盗まれても許せる小さな額をあちこちに募金するか。あるいはたとえ盗まれてもそれがどこかで市場に跳ね返って、経済をわずかに上向きにすると信じて、開き直って募金するとか?
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朝陽 遥(アサヒ ハルカ)
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朝陽遥(アサヒ ハルカ)またはHAL.Aの名義であちこち出没します。お気軽にかまってやっていただけるとうれしいです。詳しくはこちらから
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