小説を書いたり本を読んだりしてすごす日々のだらだらログ。
テレビを見て、じっとしているばかりの週末でした。ボランティアに飛び込んでいくほどの行動力もない。といっても、専門的知識のない素人が向かっても、無駄に食料を浪費して邪魔になることが多いそうですが……。ツイッター等を見ていると、物資の支援も、個人でやろうとしても、かえって無駄なものを送って、現地の人の邪魔になりかねないそうなので、へたなものを送るよりは、義援金のほうがいいのだとか。
とりあえず、明日から仕事にいってきます。無事な地域に住んでいる人は、まずそこでの日常をまわしていくことが、大事だということ。そういう言葉には、悪く受け取れば、自己正当化に近い側面を持ってもいますが、たしかな事実でもあります。
わたしがただ遠くから一人くよくよしていても、何のプラスにもならない。義援金や節電のような些細なことでも、邪魔にならず役に立てることがあれば、迷わずにする。免罪符だとか、そういう余計な自虐的な思考は持ち込まない。やらない善行よりはやる偽善。こんなときに、ネガティブになるなというほうが難しいけれど、暗い気分でいていいことは一つもない。イライラや不安を伝播させるのがせいぜい。
こういう大変な事態が起きているとき、日本人の傾向としてなのか、全人類に共通のものなのかわかりませんが、自粛という心理が働くようです。宴会などのどんちゃん騒ぎを中止する(あるいは控えめにする)などの行動もそうですが、なにかの拍子に笑い声を立ててから、不謹慎なような気がして、はっとしたり。小さな贅沢や、非節約的に思えることに、罪悪感を覚えたりだとか。
もちろん、節電はいいことだし、大事なことなのですが、経済活動を縮小することそのものは、なにも被災地の方々のプラスにはなりませんよね。ただ地元企業がダメージを受けて共倒れになるだけです。
食べ物を大切にする、支援物資にまわされるような食料や飲料を無駄に買いこまない、くらいは、もしかしたら間接的に意味があるかもしれませんが。
みんなが普段どおりの元気を取り戻すには、時間が必要だとは思います。それでも、辛いときこそ笑うことが必要なんだというのも、大切なことなんですよね。不安材料ばかりを声高に訴えて、人の気を滅入らせて回る人よりかは、小さな冗談をいって、ガス抜きをさせることの出来る人のほうが、偉大です。
こんなときではあるけれど、誰かがなにかの話題で明るく笑っていても、それを不謹慎と考えるのではなく、その人も辛いのだ、せめて笑っていないとやっていられないのだ、そうでなければ、せめて人を和ませようとしているのだと、そう考える努力を払う自分でいたいです。
一方で、深刻な状況にいるときにほかの人がおどけていたら、カチンと来る瞬間があるかもしれません。何がそんなに楽しいんだ、こっちは大変なのにと、怒りを覚えるのは、それはそれで、自然な感情です。
あるいは、想像力のすこし足りない、ひとを傷つける発言を見かけたときに。あるいは、善意からと思われる迷惑行為を働いてしまっている人を見かけたときに。とっさに腹が立つかもしれません。
だけど、気持ちの中でそう感じたことを、恥じることはないとも思います。
自分の心の中にある、ささくれた部分や利己的な部分や、攻撃的な部分や、そういうものを、目の当たりにすれば、当たり前だけど嫌な気分になります。けれど、そのこと自体に落ち込む必要は、ほんとうは、ない。
ひとの心の中には、汚いものもあるはずで、むしろ、ないほうがおかしい。わたし自身がそうだから、余計にそう思うだけかもしれないけれど、人間はそもそも、そういう心の仕組みを内包する動物です。そこに実際にあるものを、無理にないと思い込もうとしても、いつかは無理がきます。
自分の中に悪意があるということを知った上で、どう行動するかこそが、いちばん肝心なことなのだと思います。そこから目をそらそうとすると、自己正当化が行き過ぎて、義憤という名前の攻撃を生む。それがほんとうは、いちばん怖い。自分が正しいと思いたがるのも人間なのだけど、自分を正当化して正義をふりかざすということは、自分を守る反面、とても人を傷つける。攻撃の連鎖を起こす。
正しいということと、人のためになるということは違う。正しいことをできる人間よりも、人のためになることをできる人間のほうが、ずっと偉い。
人間だから、とっさに怒りや負の感情を自制しそこねることだって、どうしてもあるけれど。それを知っていれば、見ないふりをしているよりも、少しだけ、人に寛容になれるんじゃないかと思います。
自覚と自省をできること、あるいはそう努力することが大事なのであって、心根そのものが純粋でやさしくて曇りない人間なんて、そうそういません。いるかもしれないけど、ふつうの人は努力して優しくなる、あるいはなろうとするもの。傷つけられてかちんとこない人も偉大なんだけど、かちんと来たときに、自制して相手に怒鳴りつけない人、相手をなるたけ傷つけないようにやわらかい言葉で注意を呼びかけておられる方々は、ご立派です。
なんだか混乱した日記に……。ごめんなさい。どうも根が暗いので、何かあると暗いトーンの文章ばかり発信してしまうなあ。こんなことじゃよくないですね。無理にでも、元気出していきます。
とりあえず、明日から仕事にいってきます。無事な地域に住んでいる人は、まずそこでの日常をまわしていくことが、大事だということ。そういう言葉には、悪く受け取れば、自己正当化に近い側面を持ってもいますが、たしかな事実でもあります。
わたしがただ遠くから一人くよくよしていても、何のプラスにもならない。義援金や節電のような些細なことでも、邪魔にならず役に立てることがあれば、迷わずにする。免罪符だとか、そういう余計な自虐的な思考は持ち込まない。やらない善行よりはやる偽善。こんなときに、ネガティブになるなというほうが難しいけれど、暗い気分でいていいことは一つもない。イライラや不安を伝播させるのがせいぜい。
こういう大変な事態が起きているとき、日本人の傾向としてなのか、全人類に共通のものなのかわかりませんが、自粛という心理が働くようです。宴会などのどんちゃん騒ぎを中止する(あるいは控えめにする)などの行動もそうですが、なにかの拍子に笑い声を立ててから、不謹慎なような気がして、はっとしたり。小さな贅沢や、非節約的に思えることに、罪悪感を覚えたりだとか。
もちろん、節電はいいことだし、大事なことなのですが、経済活動を縮小することそのものは、なにも被災地の方々のプラスにはなりませんよね。ただ地元企業がダメージを受けて共倒れになるだけです。
食べ物を大切にする、支援物資にまわされるような食料や飲料を無駄に買いこまない、くらいは、もしかしたら間接的に意味があるかもしれませんが。
みんなが普段どおりの元気を取り戻すには、時間が必要だとは思います。それでも、辛いときこそ笑うことが必要なんだというのも、大切なことなんですよね。不安材料ばかりを声高に訴えて、人の気を滅入らせて回る人よりかは、小さな冗談をいって、ガス抜きをさせることの出来る人のほうが、偉大です。
こんなときではあるけれど、誰かがなにかの話題で明るく笑っていても、それを不謹慎と考えるのではなく、その人も辛いのだ、せめて笑っていないとやっていられないのだ、そうでなければ、せめて人を和ませようとしているのだと、そう考える努力を払う自分でいたいです。
一方で、深刻な状況にいるときにほかの人がおどけていたら、カチンと来る瞬間があるかもしれません。何がそんなに楽しいんだ、こっちは大変なのにと、怒りを覚えるのは、それはそれで、自然な感情です。
あるいは、想像力のすこし足りない、ひとを傷つける発言を見かけたときに。あるいは、善意からと思われる迷惑行為を働いてしまっている人を見かけたときに。とっさに腹が立つかもしれません。
だけど、気持ちの中でそう感じたことを、恥じることはないとも思います。
自分の心の中にある、ささくれた部分や利己的な部分や、攻撃的な部分や、そういうものを、目の当たりにすれば、当たり前だけど嫌な気分になります。けれど、そのこと自体に落ち込む必要は、ほんとうは、ない。
ひとの心の中には、汚いものもあるはずで、むしろ、ないほうがおかしい。わたし自身がそうだから、余計にそう思うだけかもしれないけれど、人間はそもそも、そういう心の仕組みを内包する動物です。そこに実際にあるものを、無理にないと思い込もうとしても、いつかは無理がきます。
自分の中に悪意があるということを知った上で、どう行動するかこそが、いちばん肝心なことなのだと思います。そこから目をそらそうとすると、自己正当化が行き過ぎて、義憤という名前の攻撃を生む。それがほんとうは、いちばん怖い。自分が正しいと思いたがるのも人間なのだけど、自分を正当化して正義をふりかざすということは、自分を守る反面、とても人を傷つける。攻撃の連鎖を起こす。
正しいということと、人のためになるということは違う。正しいことをできる人間よりも、人のためになることをできる人間のほうが、ずっと偉い。
人間だから、とっさに怒りや負の感情を自制しそこねることだって、どうしてもあるけれど。それを知っていれば、見ないふりをしているよりも、少しだけ、人に寛容になれるんじゃないかと思います。
自覚と自省をできること、あるいはそう努力することが大事なのであって、心根そのものが純粋でやさしくて曇りない人間なんて、そうそういません。いるかもしれないけど、ふつうの人は努力して優しくなる、あるいはなろうとするもの。傷つけられてかちんとこない人も偉大なんだけど、かちんと来たときに、自制して相手に怒鳴りつけない人、相手をなるたけ傷つけないようにやわらかい言葉で注意を呼びかけておられる方々は、ご立派です。
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