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小説を書いたり本を読んだりしてすごす日々のだらだらログ。
 また後日レビューを書くつもりだけれど、今日は池澤夏樹さんの本、『ぼくたちが聖書について知りたかったこと』を読んでいました。小説ではなく、聖書学の教授でいらっしゃる秋吉輝雄氏との対談をまとめた、評論。

 こちら、何ヶ月も前に買った本でして、最初の十ページくらいだけチラ見して、さらさらっと読むのは無理そうだと思い、時間のあるときに一気に読もうと、積読にいれたままだったのです。
 で、今日になって、何の気なしに読み始めたのですけれども、その中に出てきたくだりに、個人的にすごくびっくりした箇所があって。

 まずそこまでの前段として、古いヘブライ語には、時制というものがなくて、すべてが現在の出来事であるかのような語法で、過去も現在も並列に語られる……というようなくだりがありまして。

 で、驚いた箇所ですけれども、203ページより引用。
秋吉 池澤さんはギリシャにいらしたからよくご存知だと思いますが、一年が同じサイクルで考えられる世界に住んでいると、川の氾濫にしても雨季にしても乾季にしても、サイクルで考えれば出来事は予想できる。だから歴史記述も法則性の下にまとめられ、編年ということが可能になってくるけれども、遊牧民の間で起こる出来事というのは、突発的にとんでもないことがおこる。そして同じことがもう一度起こる保証はない。



 信じてもらえるでしょうか。昨日まで、私はこの本の冒頭しか読んでいませんでした。
 きのう、あの日記を書いて、そして今日、なんの脈絡もなく前から積んでいた本を読み、そうしたらこんな文章に出会う。

 ただの偶然というべきか、十年以上池澤夏樹さんのファンで、長年ちょっとずつ著作を追いかけ続けているのだから(この本で三十二冊目……かな)、いつかめぐり合うべき必然だったと判断するべきか。わたしがこの方の思想に多大なる影響を受けてきているという証左、といえばそうなのかも。

 それにしても、まさかのこのタイミング。もちろん、たまたま自分の関心がそういう分野に向いているタイミングだったからこそ、一冊の本のなかで、そのくだりが強い印象に残ったんです。
 共時性ということの半分くらいは、そういう意識の向きの問題だろうと思います。日ごろから周囲に流れている情報の中から、そのとき、どの部分を強い感度でキャッチするか。

 でもやっぱりびっくりするよー。わたしは運命論者ではありませんが、初めて池澤夏樹さんの文章に出会ったときからして、とても運命的な出会いだったので、なんだかものすごく、不思議なご縁という気がします。縁っていったって、作家と読み手っていう一方的なシンパシーなんだけども。

 そんな個人的な驚きはさておき、面白かったです。信仰、気候・風土、民族、歴史、言葉のもつ特性、政治、生活、そういういろんな視点から論じる聖書の成り立ち、あり方。予備知識がないところから読むには、ややとっつきにくさがあるので、誰にでもおすすめしていいかわかりませんが、いい本でした。

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