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小説を書いたり本を読んだりしてすごす日々のだらだらログ。
 昨日までの妄想の続きなんですけど、季節のない世界だったら、生物のサイクルはどうなるんだろうなって、それをぼんやり考えていました。

 地球上の動植物って、ごく短い寿命のものもいれば、何年も(何十年も、何百年も)生きるものもめずらしくないですけれども、一年草のように、一年単位で生まれて死んでいくものも多いように思います。
 また、春が発情期だったり、出産シーズンだったりするという動物もけっこういると思うのですけれど、それって、妊娠状態で(あるいは生まれたばかりの子を抱えて)冬を越すのが、なかなか大変だからなのかなって思います。(※いつもどおり、何ひとつ資料を調べていません。イメージと想像で喋っています)

 じゃあ、季節のない世界だったら、動物の生命のサイクルって、何が基準になるんでしょうか。月齢?
 寿命は、季節のある世界のそれよりも、長くなる傾向にあるでしょうか。冬を越す難しさから無縁の世界では、生物の多様性は、もしかしたら育まれにくくなるでしょうか。それとも、季節のある世界と大差ないのかな。

 そういう惑星では、一般的な暦はいったい何によるんでしょうか。月がどれだけの期間で満ち欠けするのかにもよりますが、単位が月しかないと、ちょっと寿命の長い民族は、歳を数えるのも歴史書を記すのも大変です。ということは、シーズンではなく、一か月が十なり十二なりあつまったら一周期、というように数えるのでしょうか。それとももしかして、星座を見て決めるのでしょうか。
 星座を追いかけていれば、シーズンがなくても、一年がまためぐってきたということはわかりますね。

 古代の地球では、農業をする人種にとって、季節と暦は重大事だったと思うので、星座の研究にも力がはいったのではないかという気がしますが、農作物に一年の推移が影響のうすい環境だったら、人は暦を作ることに、地球人類ほど必死になるでしょうか。どうだろう。
 ああ、でも、旅をする人にとっては、星の位置は重要だと思うので、まったくの無関心ということもなさそう、かな。だけど、人や動物がくりかえし移動をして暮らすような必要は、出てくるのかなあ。少なくとも「冬は温かい地方に?」みたいなことは、あんまり必要ない。あ、そうしたら、渡り鳥とかも? しかし、いくら季節による気温差がほぼなかったとしても、食料を食べつくしたら移動する……というのはあるのか。

 きっとそういう世界でも、貿易はあるでしょうし、むしろ南北間での交易は有意義なものになりそうですから、やっぱり旅をする民族は、いてもいいのかもしれません。そうすると、そちらがわの人がむしろ暦の技術をもっていて、知識を蓄えるのに有利そうな定住民族のほうが、暦については無関心だったりとか?

 ファンタジーやSFを書く楽しさって、そういう妄想にあると思うのですが、妄想のひとつひとつに裏づけが欲しいとかいうことを思いはじめると、自分がいまから新しく知らなければならないことが、あまりにも多すぎて、それが手にあまるような気がし、敷居がどんどん高くなっていきます。たまに発作的に、勉強したいような気がするのですが、気がするだけで無理!

 しかたないので次善の策的に、テキトーな想像力とノリとハッタリで書いていきたいと思います……。

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