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小説を書いたり本を読んだりしてすごす日々のだらだらログ。
 即興三語小説。

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 20XX年の夏、活火山の噴火とともにそれは起きた。粉塵に覆われた空の下、分厚い雲と地上との、ちょうど半ばほどの低空に、亀裂が開いたのだ。
 その亀裂の向こうには、宇宙があった。どこまでも続く深淵、はるか遠くに光る瞬かない星々。実際にその亀裂に飛び込んだ者はいまだにいないけれど、そこが本物の宇宙であることは、疑いようもなかった。なぜならば、その裂け目の先の真空へと、着実に空気は吸い出されていったから。
 その亀裂は、ひとつだけではなかった。世界中の、人口があるていど密集したすべての都市の上空に、それは現れた。
 空間の裂け目、ねじれ。それは通常、口を閉じて、ごく細い一本の黒い線のようになっている。よく目を凝らさないと見えないそれは、十数日に一度、瞬きするように、ゆっくりと裂け目を広げる。
 どうしてそんなものが発生したのか、世界中の科学者が喧々諤々の議論を交わしても、答えは出なかった。ただ現象だけが目の前にあり、人々はそれに、対処を迫られつづけている。


「計算のうえではさ、地球上の生物がまともに生存できるのは、あと五ヶ月くらいなんだって」
 義人の声は、眠気を孕んでいるようにのんびりと響いた。
 ほんとうなら真夏の陽射しが照りつけるはずの時季なのに、空は雲に覆われたまま、どんよりと暗く沈んでいる。都市部ではいつもそうだ。半年前、全世界で同時的に活発化した火山活動のほとんどは、もうすでに落ち着きをみせ、降灰はとっくに止んでいた。いま空を覆っているのは、ほんものの雲だ。水と氷の粒の集まり。
「計算では、っつうのは?」
 誠が聞き返すと、義人は地上に目を戻して、肩をすくめた。背負ったリュックが揺れて、がちゃがちゃと忙しない音が鳴る。
 ふたり肩をならべて、もう何日ものあいだ、人気のない通りを歩いている。彼らが履いているスニーカーはぼろぼろに擦り切れて、Tシャツもすっかり垢じみてしまっている。
「なんか、南米とか東南アジアのあたりで、植物が異常繁茂してるんだって」
 へえ、とあいづちをうって、誠は少し、考えるように腕を組んだ。
「つっても、そんなんじゃ追いつかないだろ」
「うん。ていうか、その地域に一気に人が移住しはじめたらしいよ。戦争にならないといいけど」
 いって、義人はふたたび空を見上げる。南のほう、ちょうど彼らの通っていた中学校の上空あたりに、目を凝らさないと見えないほどの、細い線がある。
 空間の裂け目が開いているのは、わずかな時間だ。きっかり七秒。そのあいだ、そこからは空気がかなりの勢いで吸い出される。その結果、それから数日間のあいだは、天候が荒れる。急な気圧の変化に、高山病で倒れる人も少なくはなかった。めぼしい都市から人の姿が消えるまでに、ふた月とかからなかったのではないだろうか。
「あれって、何で七秒ジャストなんだろうな」
 義人が、汗をぬぐいながら、ふっと呟いた。「自然現象だったらさ、毎回ちょっとくらい、誤差があってもよさそうじゃない?」
「さあ。そういうルールなんじゃねえの。七秒ルール」
「誰のルールだよ」
「知らね。宇宙人とか」
 いって、誠は面白くもなさそうに、足元の空き缶を蹴り飛ばした。空き缶といっても、飲料ではなく、鯖味噌の缶詰だった。誰かが持ち出した非常食なのだろう。
 いまや、都市に残る人はほとんどいない。だが、地方に移住してそこの人口密度が上がれば、今度は裂け目がそこに開く。堂々巡りだった。それでも、少しでも長く生き延びたいと思うのは、人情なのだろう。虚しいイタチごっこが、地球中のそこここでくりひろげられている。
 人は群れたがる生き物らしい。分散して、また集結する。満遍なく世界中に散ってもよさそうなものなのに、少しでも緑の多い場所に、少しでも安全そうに見える場所に、集まっていく。
 二人の家族もそうだ。親類を頼って、生まれ育ったこの町を離れ、田舎のほうに疎開した。けれどその地域もまた、徐々に人口が増えてきている。まだ亀裂の存在は確認されていないけれど、時間の問題だろうと、誰もが囁いていた。
 もう、新しく住みたいという人がやってきても、これ以上の人口を受け入れるのは、危険だろう。彼らの移住した先でも、そういう意見が主流になってきた。そもそも、住む建物の問題もある。食料の問題もある。それほど多くの人口がなだれ込むだけの準備は、なかったのだ。
「だけど、ほんとに宇宙人の攻撃なのかもな」
 そういって、義人は目を細めた。
「それだったら、もっと徹底的にやるんじゃねえの。こんなゆっくり空気抜くんじゃなくてさ」
 誠の反論に、そうだよなあと首をひねって、義人は頭を掻いた。
「さんざん弱らせてからさ、降伏を迫ってくるつもりだったりして」
「うわ、あるかも」
 いやそうに顔をしかめて、誠はリュックを担ぎなおす。けれどすぐにぱっと顔を上げて、前方を指さした。
「見ろ、義人」
 遠く、誠の指差す先には、電波塔の先端。彼らの町に近づいてきたことの、それは目印だった。おお、と義人も歓声を上げる。
「なんか、すっげえ久しぶりな気がするなあ」
「まだ四か月しか経ってないって。……でも、うん。そうだな」
 顔を見合わせて、にやりと笑うと、二人は足を速めた。


 ふたりの足が、校門の前で止まった。
 ぶつっという音がして、二人は顔を見合わせる。数秒のあとに、始業を告げるチャイムが、空々しく鳴り響いた。
「まだ、チャイムとか鳴るんだな」薄気味悪そうに、誠が腕をさする。
「授業なんて、とっくにやってないのにな」
 顔を見合わせて、二人は黙り込んだ。気まずい沈黙をもてあましたまま、誠が手のひらで正門を押す。施錠されていた。
 どちらからともなくリュックを下ろし、塀の内側に放り投げると、ふたりは門に取り付き、よじ登る。乗り越えるのに、たいした時間はかからなかった。
 校庭を横切って、校舎へ向かう。整備されないグラウンドの端には、雑草が繁っていた。びょう、と風が吹き付けて、ふたりは何度となく目を瞑る。
 埃っぽい下足棟から中に入ると、人気のない校内には、二人の立てる物音が、やけに大きく響いた。もう使われなくなった建物なのに、長年の習慣は体に染み付いているらしく、二人は土足を脱いで手にもつと、靴下で廊下を歩いた。
 誰もいない教室の横を、おっかなびっくり通り過ぎる。真夏だというのに、空を覆う粉塵のせいで、気温はあがりきらない。いつも外気は中途半端に蒸し暑く、そのせいか、あるいは裂け目の近くの地域だからか、蝉の声ひとつ、聞こえてこなかった。
「おまえの兄貴、心配してっかな」
 誠が階段をのぼりながら、ぼそりとつぶやいた。
「してるだろうね。……誠の親父さんだって、いまごろ気が気がないんじゃないの」
「あんなクソジジイはどうでもいいって」
 誠は吐き捨てて、唇を曲げた。義人は肩をすくめて、それ以上のことはいわない。
 階段を上りきると、スチールのドアがあった。ドアノブが埃を被っている。誠がなにげなく足を持ち上げて、自分の靴下の裏をみた。うえっと声を上げる。真黒だった。
「やっぱり鍵、かかってるな」ドアノブをがちゃがちゃいわせて、義人が頭をかいた。
「そこどけ、義人」
 誠はいうなり、廊下にあった消火器を振り上げた。風が唸る。あわてて義人が後ろにさがる。
 ドアがへこみ、騒々しい音が鳴った。
「いってえ……手ぇ、痺れた」
「当たり前だろ」
 呆れたように義人はいったけれど、それでも鍵は、壊れたようだった。とどめといわんばかりにドアを蹴り開けて、誠はためらいなく屋上に飛び出す。
「うわ……」
 屋上に出た二人の頭上に、その裂け目はあった。
 真黒な、細い細い線。よく目を凝らさないと見えないけれど、それは、無造作にそこに浮いていた。まるで巨人がサインペンで、ひょいと空に線を引いたような。
 しばらく圧倒されたように、それを見上げていた二人だったが、やがて義人がリュックを置いて、壁際に腰を下ろした。
「時間までもうちょっとある。いまのうちに、昼飯、たべておこう」
 水だけは、水道の生きているところでそのつど補給してきたが、もってきた食料も、残り半分を切った。カチカチになったフランスパンを、どうにかペットボトルの水で流し込みながら、二人はしばらく、ぼんやりと空を眺めていた。ほとんど頭上のように思ったけれど、正確には、それはグラウンドの真上にあたるようだった。
 空には鳥一羽、横切らない。鳥たちは知っているのだろう。どこが危険な空域なのか。
「この距離って、どうなんだろうな」
 空を見上げたまま、誠はぽつりと呟いた。
「なんだ、いまさら怖くなったのか。やめとく?」
「うっせ。そんなんじゃねえよ」
 憮然といって、誠はパンくずを払った。空はかわらず、陰気に曇っている。義人はじっと、手首の腕時計を見ている。
「そろそろだよ」
 義人がいうのと、ほとんど同時だった。
 空気がざわめく。ごくりと唾を飲み込んで、誠は屋上のタイルを踏みしめた。義人の少し長めの髪が、風に吹かれて乱れる。
 頭上の亀裂が、ゆっくりと開いていく。ごう、と風が唸り、ふたりは耳を両手で押さえた。減圧に、鼓膜が痛む。
「何かにしがみ付け!」
 大声で、義人が怒鳴ったけれど、それは風にかき消されて、誠の耳にまでは届かない。風が吹き荒れる。誠の体は、いまに宙に巻き上げられるのではないかというほど、危なっかしく風に引き摺られている。そうしながらも、その顔は、まっすぐ上空に向けられていた。
 宙の裂け目が、開ききる。
 その形は、まるで白眼のない、巨人の目のようだった。
 そこには夜空よりももっと深い、涯のない暗闇と、それから、煌く星々があった。真っ白に皓々と輝く星。赤く沈むような小さな星。青白く燃え上がる二連星。ぼんやりと輝くようなガス雲。
「誠!」
 義人が悲鳴を上げた。誠の足は、風に引き摺られてよろめきながら、屋上のへりのほうへと運ばれていく。その足取りは、いまにも空中に舞い上げられそうに、義人の目には見えた。けれど肝心の誠は、ぽかんと虚空の穴にみとれて、無防備な表情をしている。
「誠!」
 もう一度義人が悲鳴を上げた、次の瞬間だった。急激に、風が弱まりはじめた。
 裂け目が閉じていく。煌いていた星々が、その向こうに隠されていく。
 ほんの一呼吸ほどのあとに、亀裂はただの線に戻り、ついさっきまですぐ間近に垣間見えていた星空は、白昼夢か何かのように、すっかり消えうせていた。


「うわ、頭、まだ痛い。耳鳴りがする」
「俺は目の裏がちかちかする……」
 二人は屋上に大の字になって、それぞれに顔をしかめていた。減圧の影響がなかなか戻らない。
 そうはいっても、もともと曇っていた空が、さらに暗くなってきているので、いつまでも寝転がっているわけにもいかなさそうだった。あの裂け目が開いたあとには、急激な気圧の低下が起きるから、かならず天気が荒れる。亀裂が開いていた最中ほどではないけれど、いまも上空で、風が唸りを上げていた。
「でもさ……生きてるな。俺ら」
 誠はぽつりといって、亀裂を目で追った。またサインペンの落書きに戻ってしまった、その空中の細い細い線。
「これだけ間近にいても、案外、死なないもんなんだなあ」
 いって、誠はくつくつと笑い出した。
「そんなもんだよ」
 知ったような顔で頷いて、義人がリュックを背負いなおす。
「さ、中に入ろう。雨が来る」
 誠はよろめきながら起き上がり、その後に続く。足元がまだちょっと、ふらついている。
「まあ、見たかったもんは見たしな。……なあ。お前、このあとどうする?」
「誠はどうしたい?」
 真顔で聞き返されて、誠は鼻をこすった。
 家族のもとには、もう戻らないつもりで出てきた。大人たちの醜い椅子取りゲームに、うんざりしていた。異常事態のせいだとわかっていても、我が身可愛さのあまり、いつまでも争いのたえない集団が、わずらわしかった。馬鹿にするような思いもあった。どうせ遠くないいつか、みんな死に絶えてしまうのなら、ほんのいっときそれが伸びたところで、何になるというのかと。
 だけど。
 先ほど見あげた亀裂の向こうを目蓋の裏に浮かべて、誠は身震いした。その先に広がる深遠、何もない遥かな空間の、その途方もない孤独。
 ドアをくぐって、校舎の中に入る直前、誠は振り返って、上空を見上げた。空中を走る黒い線は、何事もなかったかのように沈黙している。
「……雨が止んだら、帰るだろ。ほかに、行くとこねえしな」
 義人はそれには何も答えず、ちょっと笑って肩をすくめた。
 二人がドアをくぐった直後、大粒の雨が、屋上を叩き始めた。


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▲お題:「七秒ルール」「フランスパン」「活火山の噴火」
▲縛り:「噴火を予言する(任意)」「『二〇XX年の夏』の書き出しで始める」
▲任意お題:「デマ」「腐った鯖の目」「じわり、じわり」「足の小指」「マグロの刺身」(使用できず)

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