小説を書いたり本を読んだりしてすごす日々のだらだらログ。
長文です。そして駄文です……
何でこんなに辛いのに小説書いてるんだろうって、このごろほかの書き手の方々がそんなふうに仰るところに、何度か行きあって。なんでだろうなって、わたしの場合は何でなんだろうなって、なんとなくずっと、気持ちの端のほうで考えてました。
書くのって、楽しいけど、しんどいですよね。楽しくて楽しくて仕方なくて、ぜんぜん辛くなかったっていう時期も、遠い昔にはあった気がするけれど。
時間がなかったり調子が悪かったりして、筆がすすまないときには、もっとがつがつ書きたいのにって落ち込むし、がつがつ書いているときは、睡眠不足で体がツライ。ふとした隙に書きかけのエピソードが頭の中ぐるぐるするし、書きたいことをちゃんと書けていない気がしてもやもやして、これだけ気合いれて書いたつもりでも、ひとさまにとってはなんでもない、ツマンナイ話になってるんじゃないかって、自分の中からそういう声が何度もして、へとへとになって、しんどいです。
でも、それでもやっぱり、書くのは楽しい。どう書こう、このキャラはなにをいいたいんだろうって模索するときに、頭の中に断片的に浮かんでくるシーンとか。書いていて、頭の中にだけぼんやりあったものが、だんだん形になってきたときの満足感とか。一瞬、「この表現!」って確信できる、ぴたりと吸い付くような一文がかけた瞬間の、しびれるような快感とか。書いたものにどなたからかあたたかいコメントをいただいたときの、一気に舞い上がる感じとか。どうしたらいま書きたいものを形にできるのかわからないときの悶々とした気持ちとか。かけていなかったと痛感したときの、もっと上手く書いてあげたかったなって思うときの悔しさとか。
そういうものをいっさいがっさい捨てて生きていくのが、耐えられないと思うくらいには、もう、たぶん、とっくに中毒になってるんだなって思います。
小説なんて書かなくたって、生きてはいけます。二十歳の途中から二十四歳くらいまでのあいだ、四年ほど、ほぼずっと筆を置いていて、それでもとくに、暮らしに不自由はなかったです。仕事が忙しいのをいいわけに筆を置いたのですが、仕事が落ち着いて時間があまったときには、本を読んでマンガを読んでゲームしてネットサーフィンして、それでも時間が残ったら、どうやってひまを潰すかを考える。それなりに楽しくて、不自由のない時間でした。
でも、よろよろ低空飛行ながらも、どうにか小説を書いて暮らしているいま、ようやく生きてるって感じがします。こんなへたくそな小説しか書けないのに、そんなこというの、すごいカッコ悪いんですけど。
でも、いいです。たぶん、もう死ぬまでずっと、下手でもカッコ悪くても、書いてるだろうと思います。家のこととか、仕事のこととかもあるんで、忙しい時期に、いっとき書けないことはあるかもしれませんが。
もしかしたら、本気で死ぬまでどうしようもないヘボのままかもしれないけど。それが何になるとか、そういうことじゃなくて。書くことの気持ちよさから、もう自分はきっと、逃げられないと思うから。
その覚悟を決めるまでが、長かったです。自分のヘタクソさに、面白い小説なんて一生かけないんじゃないかっていうネガティブな自分に、向き合えるようになるまでが、すごく長かったなって。
自分にはきっと才能があるって、いまは下手でもいつかそのうち、すごいものが書けるようになるに違いないって、そんなことを素直に信じていられたのって、いつくらいまでだったんだろう。
十代くらいまでは、たぶん、気持ちのどこかで、そう信じていました。高校のときくらいには、もうプロ志望ではなかったけど、オンラインノベルという存在を友達から教えてもらって、そこでものすごく感動する作品を読んで。ああ、小説にはこういう道もあるんだって、わたしもいつか面白い小説を書いてサイトを持つんだって思って。
だから、そんなのきっと無理だ、才能なんてないんだ、面白い小説なんてかけっこないって、そういう自分の声に追いつかれたときに、ぜんぶ投げて、もういいやって、どこかで思ってしまったんだと思います。
でも逃げっぱなしてはいられなかった。
再燃したのは、昔から尊敬しているオンノベ作家さんのブログ記事を見たのがきっかけでした。
自分の中に書くべき物語を持っている人は、どんどん書いて発表したらいいっていう、その方のお言葉を目にした日、わたしはこのまま一生書かなくて、それでほんとにいいのかって思ったときに、突き動かされるようにメモ帳を立ち上げていました。
ブランク四年です。文章の勘なんかぜんぶ忘れてしまっていて、タイプ速度は落ちているし、言葉は頭の中から出てこないし、なにを書いていいかもわからない。それでもなんとか、とにかく出てきた言葉からひとつずつ書き始めて、短く拙い駄文を、一作、二作、書いていくうちに、わたしはいったいなんで、こんな楽しいことをやめていられたんだろうって。小説を書くのはこんなに楽しいのに、暮らしの中で感じたことを吐き出さないで溜め込んでいくのはこんなに苦しいのに、どうして書くのをやめようなんて思えたんだろうって。
書くのを続けるかどうか、悩まれる方を見かけるたびに。あるいは、このごろもう書いてないっていう友達に会うたびに。できることなら、書くのをやめないでほしいなあって思います。
書くのがすなわち幸せな人生かっていうと、そうとも限らない。その人が小説を書くよりも、もっと幸せになれる方法があって、それを見つけることができるのなら、むしろ、書く必要はないのかもしれない。それに、誰にだっていろんな事情があるから、あたりまえだけど、他人が無理強いできることではない。それ以上に自分は四年も逃げておいて、全然いえた義理ではないんですけど。
でも、できれば書き続けてほしいなって思います。ときにはしばらく休んでも、また戻ってきてほしいなって。
何でこんなに辛いのに小説書いてるんだろうって、このごろほかの書き手の方々がそんなふうに仰るところに、何度か行きあって。なんでだろうなって、わたしの場合は何でなんだろうなって、なんとなくずっと、気持ちの端のほうで考えてました。
書くのって、楽しいけど、しんどいですよね。楽しくて楽しくて仕方なくて、ぜんぜん辛くなかったっていう時期も、遠い昔にはあった気がするけれど。
時間がなかったり調子が悪かったりして、筆がすすまないときには、もっとがつがつ書きたいのにって落ち込むし、がつがつ書いているときは、睡眠不足で体がツライ。ふとした隙に書きかけのエピソードが頭の中ぐるぐるするし、書きたいことをちゃんと書けていない気がしてもやもやして、これだけ気合いれて書いたつもりでも、ひとさまにとってはなんでもない、ツマンナイ話になってるんじゃないかって、自分の中からそういう声が何度もして、へとへとになって、しんどいです。
でも、それでもやっぱり、書くのは楽しい。どう書こう、このキャラはなにをいいたいんだろうって模索するときに、頭の中に断片的に浮かんでくるシーンとか。書いていて、頭の中にだけぼんやりあったものが、だんだん形になってきたときの満足感とか。一瞬、「この表現!」って確信できる、ぴたりと吸い付くような一文がかけた瞬間の、しびれるような快感とか。書いたものにどなたからかあたたかいコメントをいただいたときの、一気に舞い上がる感じとか。どうしたらいま書きたいものを形にできるのかわからないときの悶々とした気持ちとか。かけていなかったと痛感したときの、もっと上手く書いてあげたかったなって思うときの悔しさとか。
そういうものをいっさいがっさい捨てて生きていくのが、耐えられないと思うくらいには、もう、たぶん、とっくに中毒になってるんだなって思います。
小説なんて書かなくたって、生きてはいけます。二十歳の途中から二十四歳くらいまでのあいだ、四年ほど、ほぼずっと筆を置いていて、それでもとくに、暮らしに不自由はなかったです。仕事が忙しいのをいいわけに筆を置いたのですが、仕事が落ち着いて時間があまったときには、本を読んでマンガを読んでゲームしてネットサーフィンして、それでも時間が残ったら、どうやってひまを潰すかを考える。それなりに楽しくて、不自由のない時間でした。
でも、よろよろ低空飛行ながらも、どうにか小説を書いて暮らしているいま、ようやく生きてるって感じがします。こんなへたくそな小説しか書けないのに、そんなこというの、すごいカッコ悪いんですけど。
でも、いいです。たぶん、もう死ぬまでずっと、下手でもカッコ悪くても、書いてるだろうと思います。家のこととか、仕事のこととかもあるんで、忙しい時期に、いっとき書けないことはあるかもしれませんが。
もしかしたら、本気で死ぬまでどうしようもないヘボのままかもしれないけど。それが何になるとか、そういうことじゃなくて。書くことの気持ちよさから、もう自分はきっと、逃げられないと思うから。
その覚悟を決めるまでが、長かったです。自分のヘタクソさに、面白い小説なんて一生かけないんじゃないかっていうネガティブな自分に、向き合えるようになるまでが、すごく長かったなって。
自分にはきっと才能があるって、いまは下手でもいつかそのうち、すごいものが書けるようになるに違いないって、そんなことを素直に信じていられたのって、いつくらいまでだったんだろう。
十代くらいまでは、たぶん、気持ちのどこかで、そう信じていました。高校のときくらいには、もうプロ志望ではなかったけど、オンラインノベルという存在を友達から教えてもらって、そこでものすごく感動する作品を読んで。ああ、小説にはこういう道もあるんだって、わたしもいつか面白い小説を書いてサイトを持つんだって思って。
だから、そんなのきっと無理だ、才能なんてないんだ、面白い小説なんてかけっこないって、そういう自分の声に追いつかれたときに、ぜんぶ投げて、もういいやって、どこかで思ってしまったんだと思います。
でも逃げっぱなしてはいられなかった。
再燃したのは、昔から尊敬しているオンノベ作家さんのブログ記事を見たのがきっかけでした。
自分の中に書くべき物語を持っている人は、どんどん書いて発表したらいいっていう、その方のお言葉を目にした日、わたしはこのまま一生書かなくて、それでほんとにいいのかって思ったときに、突き動かされるようにメモ帳を立ち上げていました。
ブランク四年です。文章の勘なんかぜんぶ忘れてしまっていて、タイプ速度は落ちているし、言葉は頭の中から出てこないし、なにを書いていいかもわからない。それでもなんとか、とにかく出てきた言葉からひとつずつ書き始めて、短く拙い駄文を、一作、二作、書いていくうちに、わたしはいったいなんで、こんな楽しいことをやめていられたんだろうって。小説を書くのはこんなに楽しいのに、暮らしの中で感じたことを吐き出さないで溜め込んでいくのはこんなに苦しいのに、どうして書くのをやめようなんて思えたんだろうって。
書くのを続けるかどうか、悩まれる方を見かけるたびに。あるいは、このごろもう書いてないっていう友達に会うたびに。できることなら、書くのをやめないでほしいなあって思います。
書くのがすなわち幸せな人生かっていうと、そうとも限らない。その人が小説を書くよりも、もっと幸せになれる方法があって、それを見つけることができるのなら、むしろ、書く必要はないのかもしれない。それに、誰にだっていろんな事情があるから、あたりまえだけど、他人が無理強いできることではない。それ以上に自分は四年も逃げておいて、全然いえた義理ではないんですけど。
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