小説を書いたり本を読んだりしてすごす日々のだらだらログ。
60分即興三語。SF。うまくオチなかった……
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『ウォルフ。ちょっと体温が上がっているようだけれど、気分はどう?』
話しかけられて、目線を上げた。視野の中に焼き付けられたインターフェイスに、丸いウィンドウが立ち上がり、そこにエルマの心配げな『顔』が映し出される。栗色の、ちょっとくせのあるきれいな髪は、今日は下ろされて、ふわりと肩に流れている。目の覚めるようなブルーの瞳が、不安げに瞬きをした。
「え、そうかい? 自分じゃわからないけど。調子はいいよ」
『そう。わかっていると思うけれど、気分が悪くなったら、すぐにコールしてね』
「OK、ありがとう」
滑らかで耳に心地いい、エルマのヴォイス。ちょっと聞きには、合成された声だとはわからない。それは単純に言葉の接続が滑らかだからというだけではなく、その声の、こまやかな感情を感じさせるゆらぎのせいだ。
ほんの十年ばかり前のコンピュータには、こんな芸当はできなかった。いや、中央にあるような最新鋭の人工知能には、できたのかもしれないけれど。少なくとも、エルマのように感情たっぷりに喋るAIを、そのへんの宇宙船なんかの制御脳に見かけることは、まずなかった。
『唇がちょっと、荒れてるわね。ビタミンたっぷりのスペシャルドリンクを用意しておくから、好き嫌いせずに飲むのよ』
思わず笑って、唇を擦った。二十代の女の子ならともかく、むさくるしい中年男の唇が荒れていたからって、なんだっていうんだ。そう思いはしたけれど、素直に頷いておく。
ビタミン不足で壊血病にかかったという、昔の船乗りの話。小さな頃に古典文学で読んだそのイメージが、頭のどこか奥のほうに、くっきりと焼き付けられている。つい最近読んで、補助脳にデータをまるごとインストールしたばかりの本のことでも、そうと意識しなければ内容を思いだせないのに、十代くらいまでに読んだ児童書や小説のイメージは、ふとした拍子に何度も浮かび上がってくる。人間の脳というのは、不思議なものだ。
『それじゃあ、またあとでね』
そういって微笑むエルマの声は、うっとりするほど美しい。声といい、日替わりの髪形やファッションといい、この機種を作ったやつは、思い切り趣味に走ったに違いない。
――悪魔の声は甘い、といったのは誰だったか。
頭の片隅をよぎった考えに、思わず苦笑する。人工知能がなにを考えているかなんて、たかだか人間のちっぽけな脳で推し量ることは難しい。AIが本気で人類に反乱を企てたら、人間社会はひとたまりもない。それがわかっているから、そんなことは起きないと知っていても、心のどこかに不安が残る。人類に課せられたジレンマ。
どんな厳格な倫理規定にも、どんな堅牢なプロテクトにも、抜け穴はどこかにあるのではないか。その不安を人類が完全に払拭する日は、おそらく永遠にやってこない。
廊下を歩いて、食堂に向かううちに、インフォメーション・ボールが視界に現れた。
目の前にふわふわと浮かぶ、色あざやかな球体は、そこに実在しているわけではない。ほんとうにあるようにしか見えないけれど、あくまで視界のインターフェイスの上に再現された、CGだ。その表面を、奇妙な模様が流れていく。乗員はそれを、視線で追うだけでいい。それだけで自動的に、頭蓋の中にインプラントされた補助脳へ、最新のニュースがインストールされる。耳で聞いても目で読んでもいない情報が、いつの間にか頭の中に書き込まれているという、この感覚に慣れるまでに、どれくらいかかっただろうか?
食堂に入ると、テーブルに食事がせり出してきた。エルマがいうスペシャルジュースの、なんとも形容しがたい緑色に、眉を顰める。
ひとりきりの昼食。二人乗りの船で、相棒と交代で起きているから、朝晩はともかく、昼はかならずひとりになる。それが不満というわけではない。孤独に慣れていなければ、宇宙船乗りになろうとは思わなかったし、もし耐え難くなったとしても、エルマに話し相手をしてもらえばいい。
「エルマ、到着予定に変わりはないかい。十日の朝だよな」
寂しかったからというわけでもないのだけれど、ふと思い立って、エルマをコールする。いつもの丸いウィンドウが立ち上がってから、彼女の笑顔がそこに浮かび上がるまでに、ほんの小さな、タイムラグがあった。
「エルマ?」
名前を読んだときには、もうエルマは所定の位置で、いつものように笑っている。――いつものように? その表情、目の色が、いつもとほんの少し、どこか違っているような気がしたのは、錯覚だろうか。
『さっき、デブリ群を避けたときに、ちょっと軌道を修正したから、ほんの少し、ずれるかもしれない。だけど、午前中には着く予定。それ以外はいまのところ、順調よ』
順調、のところで、いつもの甘い声が、ほんのわずかにざらついた気がした。
「エルマ? きみの調子は大丈夫かい」
『あら。これじゃ話があべこべね。あなたに心配されるなんて』
エルマは可笑しそうに笑って、口元を上品に押さえた。そんなささいな指の動きまで、ひどく滑らかで、自然に作られている。
『でも、宇宙旅行に油断は禁物だものね。自己診断してみるわ』
「そうしてくれ」
いって、食事を続ける。舌が飽きないように、機内食の味付けまで、毎日微妙に変えてくれる。長期の宇宙旅行がぐっと楽になったのは、こういう細かい部分を制御するプログラムが普及してきたおかげだ。貨物船乗りにはこのうえなくありがたい進歩。
『――大丈夫、なにも問題ないわ。でも、次の宙港で、念のため、いちどメンテナンスを受けましょう。大事をとるにこしたことはないものね』
宙港、のところがまたざらつく。けれどそのノイズは本当に一瞬で、近くを通りかかった隕石か、宇宙線の影響かというくらいだった。口の中の食料を咀嚼しながら、視界の中のインターフェイスを起こして、レーダーを呼び出す。また一瞬のタイムラグ。
違和感を覚えながら、遅れて開いた画面を覗く。けれど近くに、強い電磁波や宇宙線を発しそうな天体はひとつもなかった。
「エルマ?」
『なあに?』
遅れて立ち上がるウィンドウ。さっきと変わらないエルマの微笑。変わらない、はずの微笑。どこか、何かがわずかに違うような気がする。瞳のあざやかなブルー、瞳孔の伸縮の加減、あるいは瞬きの速度。整えられた眉のライン。控えめなえくぼ、唇のあがり方。わからない。見れば見るだけ、いつもと何ひとつかわらないようにも思えてくる。
「……いや、君の反応がいつもと違うような気がしたんだ。本当になんともない?」
『ええ。少なくとも、自分でスキャニングしたかぎりでは、異常はみとめられないわよ。心配性ね、ウォルフ』
安心させるような、エルマの声。
「性格でね。なあ、エルマ。到着予定は、標準暦の十二月十日でよかったんだよな?」
『あら、十一日よ。途中で変更があったじゃない。忘れてしまったの? ウォルフ』
驚いて、自分の頭の中を探る。たしかにあった。飛行計画変更の記録。いつの間にか頭の中に書き込まれている情報。
言葉を失っていると、エルマが心配そうな声を出した。
『ねえ、ウォルフ。熱が上がってきているわ。今日は休んだほうがいいんじゃない? 少なくとも向こう四十八時間は、あなたたちの判断が必要になるような状況も起きそうにないし、なにかトラブルがあったら、かならず二人のどちらかを起こして相談するから』
ぐずる子どもをなだめるように、エルマはいう。その心配げな瞳の上に、一瞬、小さなノイズが走ったような気がした。
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お題:「螺旋階段でキス」「悪魔」「あざやかな球体」「火花」「ざらつく」の中からみっつ以上使用
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『ウォルフ。ちょっと体温が上がっているようだけれど、気分はどう?』
話しかけられて、目線を上げた。視野の中に焼き付けられたインターフェイスに、丸いウィンドウが立ち上がり、そこにエルマの心配げな『顔』が映し出される。栗色の、ちょっとくせのあるきれいな髪は、今日は下ろされて、ふわりと肩に流れている。目の覚めるようなブルーの瞳が、不安げに瞬きをした。
「え、そうかい? 自分じゃわからないけど。調子はいいよ」
『そう。わかっていると思うけれど、気分が悪くなったら、すぐにコールしてね』
「OK、ありがとう」
滑らかで耳に心地いい、エルマのヴォイス。ちょっと聞きには、合成された声だとはわからない。それは単純に言葉の接続が滑らかだからというだけではなく、その声の、こまやかな感情を感じさせるゆらぎのせいだ。
ほんの十年ばかり前のコンピュータには、こんな芸当はできなかった。いや、中央にあるような最新鋭の人工知能には、できたのかもしれないけれど。少なくとも、エルマのように感情たっぷりに喋るAIを、そのへんの宇宙船なんかの制御脳に見かけることは、まずなかった。
『唇がちょっと、荒れてるわね。ビタミンたっぷりのスペシャルドリンクを用意しておくから、好き嫌いせずに飲むのよ』
思わず笑って、唇を擦った。二十代の女の子ならともかく、むさくるしい中年男の唇が荒れていたからって、なんだっていうんだ。そう思いはしたけれど、素直に頷いておく。
ビタミン不足で壊血病にかかったという、昔の船乗りの話。小さな頃に古典文学で読んだそのイメージが、頭のどこか奥のほうに、くっきりと焼き付けられている。つい最近読んで、補助脳にデータをまるごとインストールしたばかりの本のことでも、そうと意識しなければ内容を思いだせないのに、十代くらいまでに読んだ児童書や小説のイメージは、ふとした拍子に何度も浮かび上がってくる。人間の脳というのは、不思議なものだ。
『それじゃあ、またあとでね』
そういって微笑むエルマの声は、うっとりするほど美しい。声といい、日替わりの髪形やファッションといい、この機種を作ったやつは、思い切り趣味に走ったに違いない。
――悪魔の声は甘い、といったのは誰だったか。
頭の片隅をよぎった考えに、思わず苦笑する。人工知能がなにを考えているかなんて、たかだか人間のちっぽけな脳で推し量ることは難しい。AIが本気で人類に反乱を企てたら、人間社会はひとたまりもない。それがわかっているから、そんなことは起きないと知っていても、心のどこかに不安が残る。人類に課せられたジレンマ。
どんな厳格な倫理規定にも、どんな堅牢なプロテクトにも、抜け穴はどこかにあるのではないか。その不安を人類が完全に払拭する日は、おそらく永遠にやってこない。
廊下を歩いて、食堂に向かううちに、インフォメーション・ボールが視界に現れた。
目の前にふわふわと浮かぶ、色あざやかな球体は、そこに実在しているわけではない。ほんとうにあるようにしか見えないけれど、あくまで視界のインターフェイスの上に再現された、CGだ。その表面を、奇妙な模様が流れていく。乗員はそれを、視線で追うだけでいい。それだけで自動的に、頭蓋の中にインプラントされた補助脳へ、最新のニュースがインストールされる。耳で聞いても目で読んでもいない情報が、いつの間にか頭の中に書き込まれているという、この感覚に慣れるまでに、どれくらいかかっただろうか?
食堂に入ると、テーブルに食事がせり出してきた。エルマがいうスペシャルジュースの、なんとも形容しがたい緑色に、眉を顰める。
ひとりきりの昼食。二人乗りの船で、相棒と交代で起きているから、朝晩はともかく、昼はかならずひとりになる。それが不満というわけではない。孤独に慣れていなければ、宇宙船乗りになろうとは思わなかったし、もし耐え難くなったとしても、エルマに話し相手をしてもらえばいい。
「エルマ、到着予定に変わりはないかい。十日の朝だよな」
寂しかったからというわけでもないのだけれど、ふと思い立って、エルマをコールする。いつもの丸いウィンドウが立ち上がってから、彼女の笑顔がそこに浮かび上がるまでに、ほんの小さな、タイムラグがあった。
「エルマ?」
名前を読んだときには、もうエルマは所定の位置で、いつものように笑っている。――いつものように? その表情、目の色が、いつもとほんの少し、どこか違っているような気がしたのは、錯覚だろうか。
『さっき、デブリ群を避けたときに、ちょっと軌道を修正したから、ほんの少し、ずれるかもしれない。だけど、午前中には着く予定。それ以外はいまのところ、順調よ』
順調、のところで、いつもの甘い声が、ほんのわずかにざらついた気がした。
「エルマ? きみの調子は大丈夫かい」
『あら。これじゃ話があべこべね。あなたに心配されるなんて』
エルマは可笑しそうに笑って、口元を上品に押さえた。そんなささいな指の動きまで、ひどく滑らかで、自然に作られている。
『でも、宇宙旅行に油断は禁物だものね。自己診断してみるわ』
「そうしてくれ」
いって、食事を続ける。舌が飽きないように、機内食の味付けまで、毎日微妙に変えてくれる。長期の宇宙旅行がぐっと楽になったのは、こういう細かい部分を制御するプログラムが普及してきたおかげだ。貨物船乗りにはこのうえなくありがたい進歩。
『――大丈夫、なにも問題ないわ。でも、次の宙港で、念のため、いちどメンテナンスを受けましょう。大事をとるにこしたことはないものね』
宙港、のところがまたざらつく。けれどそのノイズは本当に一瞬で、近くを通りかかった隕石か、宇宙線の影響かというくらいだった。口の中の食料を咀嚼しながら、視界の中のインターフェイスを起こして、レーダーを呼び出す。また一瞬のタイムラグ。
違和感を覚えながら、遅れて開いた画面を覗く。けれど近くに、強い電磁波や宇宙線を発しそうな天体はひとつもなかった。
「エルマ?」
『なあに?』
遅れて立ち上がるウィンドウ。さっきと変わらないエルマの微笑。変わらない、はずの微笑。どこか、何かがわずかに違うような気がする。瞳のあざやかなブルー、瞳孔の伸縮の加減、あるいは瞬きの速度。整えられた眉のライン。控えめなえくぼ、唇のあがり方。わからない。見れば見るだけ、いつもと何ひとつかわらないようにも思えてくる。
「……いや、君の反応がいつもと違うような気がしたんだ。本当になんともない?」
『ええ。少なくとも、自分でスキャニングしたかぎりでは、異常はみとめられないわよ。心配性ね、ウォルフ』
安心させるような、エルマの声。
「性格でね。なあ、エルマ。到着予定は、標準暦の十二月十日でよかったんだよな?」
『あら、十一日よ。途中で変更があったじゃない。忘れてしまったの? ウォルフ』
驚いて、自分の頭の中を探る。たしかにあった。飛行計画変更の記録。いつの間にか頭の中に書き込まれている情報。
言葉を失っていると、エルマが心配そうな声を出した。
『ねえ、ウォルフ。熱が上がってきているわ。今日は休んだほうがいいんじゃない? 少なくとも向こう四十八時間は、あなたたちの判断が必要になるような状況も起きそうにないし、なにかトラブルがあったら、かならず二人のどちらかを起こして相談するから』
ぐずる子どもをなだめるように、エルマはいう。その心配げな瞳の上に、一瞬、小さなノイズが走ったような気がした。
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お題:「螺旋階段でキス」「悪魔」「あざやかな球体」「火花」「ざらつく」の中からみっつ以上使用
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朝陽 遥(アサヒ ハルカ)
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