小説を書いたり本を読んだりしてすごす日々のだらだらログ。
即興三語小説。
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サーチライトの白い光が、夜空を切り裂いてゆっくりと旋回するのを、じっと見つめていた。
夜の国境はものものしい気配を漂わせている。ヘリの駆動音。ジープのエンジンの音。森の奥で、なにかの鳥があわてて逃げていく羽音。サーチライトのすぐそばで、重装備をがしゃがしゃと鳴らして行き交う兵士の足音まで、聞こえるような気がした。この距離でそんな音が拾えるはずはないのだけれど。
――ねえ、どうして戦争なんてあるのかしらね。
彼女の声が、耳の奥に残っている。それにすがるようにしながら、じっと、目を空に凝らしている。全天を覆う雲の隙間に、ときおり、赤い尾翼灯がちらつく。藪の中で仰向けになったまま、自分の心臓の音を聞いている。ともすれば緊張で息が荒くなりそうなのを、どうにか噛み殺して、手の中の銃を握り締める。手が汗ですべる。迷彩服でそっと手のひらを拭う、音を立てないように。
――本能だって、お父様は仰るの。増えすぎたら、争って減らしあうのが、人間の本能だって。そうしないと、世界中の資源を使い尽くしてしまうから。
寒くてもいいはずなのに、汗はにじみつづける。緊張、しているのだろうか。もうよくわからない。
合図を待っていた。あと何時間、ここで待機することになるのかわからない。だけどそう遠くはない、そういう気がした。
――だから、増えすぎないように、戦うのが楽しいように、できているのだって。でも、人を殺すのがほんとうに楽しい人なんて、いるのかしら。
硝煙のにおいが、鼻の中に残っているような気がする。そんなはずはない、最後に発砲したあと、何日も経っているし、そのあいだに銃は分解して手入れをした。服も変えたし水だって浴びた。だから、残っているとしたら、それは服や鼻の穴にではなく、ぼくの記憶にこびりついているのだろう。
小さな頃からずっと、荒っぽいことは苦手だったし、十八のときには、体が弱かったおかげで徴兵からも逃れた。一生、銃になんて縁がないと思っていた。それなのにいま、こうして、月のない夜の暗闇の中、国境近くに息を殺して、身を隠している。特殊任務、なんて、自分にはもっとも縁遠い単語だと思っていた、ほんの何年か前までは。
――あなたが病弱で、いまだけは、よかったと思うわ。こんなこといったら、気を悪くする?
耳の奥のずっと深いところ、脳髄のいちばん底、かすかな残響を残してエンドレスに流れつづける、彼女のさびしげな声。いまのぼくの姿を見たら、彼女はなんていうだろう。どんな顔をするだろう。それを想像しようとすると、いつもぼくの脳みそは動きを鈍くする。
いったい誰のために、ぼくはこんなことをしているんだろう。ときどき意識の表面にふっと浮かんでくる、答えのわかりきった問い。虚しい自問自答。
――どうやったら、この戦争は終わるのかしら。あなた、知ってる?
決まっている。彼女のためだ。政権が揺らげば、すぐさま過酷な運命に晒されることを余儀なくされた、あのひとのためだ。ほかになにがある?
だけどそんなこと、誰にもいえない。自分のために、ひとりの気弱な男が大量殺人者になったと聞いて、この世界のどんな女が、それを喜ぶというのだろう。もしかしたら、喜ぶ女性もいるかもしれないけれど、すくなくとも彼女は違う。だからこれは、ぼくが墓までもっていく秘密。
ずっと同じ姿勢でいるせいで、体のあちこちが軋む。地面につけたままの背中、小石の当たっているふくらはぎ、銃を持つ手、冷たい泥に圧されている首筋、下草の刺さる頬。どこが痛いのか、もう自分ではよくわからない。音を立てないように、ときどきそっと、体をひねる。いざというときに動けないのでは意味がない。
――何か方法はあるはずよ。お父様みたいなやりかたじゃなくて、もっと誰も傷つかない手段が。
彼女の声は、記憶の底を流れ続ける。一言一句、覚えている。その声の掠れや、抑揚まで。
痛んでいるのはどこだろう。
何人殺したかなんて、もういちいち数えちゃいないと、同僚は笑った。ぼくは数えている。七十二人。よく覚えている。そのひとりひとりの断末魔の声、死に顔。もっとも、ちゃんとこの目で見ることができた相手に限るけれど。
罪悪感なんか、とっくに麻痺してしまっている。だけど、だからこそ覚えていようときめて、そうしている。いつかこの戦争が終わったら、そのときに思い出すために。
戦争はいつ終わるんだろう。
自分がそれに、ほんとうに終わってほしいと思っているのかどうか、実は、もうよくわからなかった。生き延びて、平和な時代が来たとして、そこで自分がどうするのか、生きていけるのか、ちっとも想像がつかない。彼女にもう一度だけ会いたいとも、たぶん、ぼくはもう思っていない。
ただ、彼女の声が、いまも耳の奥に聞こえ続けているので。
合図はまだだろうか。
暗闇に目を凝らす。サーチライトが、闇夜を切り裂く刃のように、暗い空を行き交っている。遠いどこかで響いた合図の銃声が、夜のため息のように聞こえた。
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サーチライトの白い光が、夜空を切り裂いてゆっくりと旋回するのを、じっと見つめていた。
夜の国境はものものしい気配を漂わせている。ヘリの駆動音。ジープのエンジンの音。森の奥で、なにかの鳥があわてて逃げていく羽音。サーチライトのすぐそばで、重装備をがしゃがしゃと鳴らして行き交う兵士の足音まで、聞こえるような気がした。この距離でそんな音が拾えるはずはないのだけれど。
――ねえ、どうして戦争なんてあるのかしらね。
彼女の声が、耳の奥に残っている。それにすがるようにしながら、じっと、目を空に凝らしている。全天を覆う雲の隙間に、ときおり、赤い尾翼灯がちらつく。藪の中で仰向けになったまま、自分の心臓の音を聞いている。ともすれば緊張で息が荒くなりそうなのを、どうにか噛み殺して、手の中の銃を握り締める。手が汗ですべる。迷彩服でそっと手のひらを拭う、音を立てないように。
――本能だって、お父様は仰るの。増えすぎたら、争って減らしあうのが、人間の本能だって。そうしないと、世界中の資源を使い尽くしてしまうから。
寒くてもいいはずなのに、汗はにじみつづける。緊張、しているのだろうか。もうよくわからない。
合図を待っていた。あと何時間、ここで待機することになるのかわからない。だけどそう遠くはない、そういう気がした。
――だから、増えすぎないように、戦うのが楽しいように、できているのだって。でも、人を殺すのがほんとうに楽しい人なんて、いるのかしら。
硝煙のにおいが、鼻の中に残っているような気がする。そんなはずはない、最後に発砲したあと、何日も経っているし、そのあいだに銃は分解して手入れをした。服も変えたし水だって浴びた。だから、残っているとしたら、それは服や鼻の穴にではなく、ぼくの記憶にこびりついているのだろう。
小さな頃からずっと、荒っぽいことは苦手だったし、十八のときには、体が弱かったおかげで徴兵からも逃れた。一生、銃になんて縁がないと思っていた。それなのにいま、こうして、月のない夜の暗闇の中、国境近くに息を殺して、身を隠している。特殊任務、なんて、自分にはもっとも縁遠い単語だと思っていた、ほんの何年か前までは。
――あなたが病弱で、いまだけは、よかったと思うわ。こんなこといったら、気を悪くする?
耳の奥のずっと深いところ、脳髄のいちばん底、かすかな残響を残してエンドレスに流れつづける、彼女のさびしげな声。いまのぼくの姿を見たら、彼女はなんていうだろう。どんな顔をするだろう。それを想像しようとすると、いつもぼくの脳みそは動きを鈍くする。
いったい誰のために、ぼくはこんなことをしているんだろう。ときどき意識の表面にふっと浮かんでくる、答えのわかりきった問い。虚しい自問自答。
――どうやったら、この戦争は終わるのかしら。あなた、知ってる?
決まっている。彼女のためだ。政権が揺らげば、すぐさま過酷な運命に晒されることを余儀なくされた、あのひとのためだ。ほかになにがある?
だけどそんなこと、誰にもいえない。自分のために、ひとりの気弱な男が大量殺人者になったと聞いて、この世界のどんな女が、それを喜ぶというのだろう。もしかしたら、喜ぶ女性もいるかもしれないけれど、すくなくとも彼女は違う。だからこれは、ぼくが墓までもっていく秘密。
ずっと同じ姿勢でいるせいで、体のあちこちが軋む。地面につけたままの背中、小石の当たっているふくらはぎ、銃を持つ手、冷たい泥に圧されている首筋、下草の刺さる頬。どこが痛いのか、もう自分ではよくわからない。音を立てないように、ときどきそっと、体をひねる。いざというときに動けないのでは意味がない。
――何か方法はあるはずよ。お父様みたいなやりかたじゃなくて、もっと誰も傷つかない手段が。
彼女の声は、記憶の底を流れ続ける。一言一句、覚えている。その声の掠れや、抑揚まで。
痛んでいるのはどこだろう。
何人殺したかなんて、もういちいち数えちゃいないと、同僚は笑った。ぼくは数えている。七十二人。よく覚えている。そのひとりひとりの断末魔の声、死に顔。もっとも、ちゃんとこの目で見ることができた相手に限るけれど。
罪悪感なんか、とっくに麻痺してしまっている。だけど、だからこそ覚えていようときめて、そうしている。いつかこの戦争が終わったら、そのときに思い出すために。
戦争はいつ終わるんだろう。
自分がそれに、ほんとうに終わってほしいと思っているのかどうか、実は、もうよくわからなかった。生き延びて、平和な時代が来たとして、そこで自分がどうするのか、生きていけるのか、ちっとも想像がつかない。彼女にもう一度だけ会いたいとも、たぶん、ぼくはもう思っていない。
ただ、彼女の声が、いまも耳の奥に聞こえ続けているので。
合図はまだだろうか。
暗闇に目を凝らす。サーチライトが、闇夜を切り裂く刃のように、暗い空を行き交っている。遠いどこかで響いた合図の銃声が、夜のため息のように聞こえた。
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朝陽 遥(アサヒ ハルカ)
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