小説を書いたり本を読んだりしてすごす日々のだらだらログ。
即興三語小説。
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まるで天藍石(てんらんせき)のようだと呟いて、男は詰めていた息を吐き出した。
「天藍石?」
少女は不思議そうに首を傾げた。その蒼く澄んだ瞳から、目を逸らせないまま、男は言葉を継ぎ足す。
「聞いたことがないかい。瑠璃玉とも、ラピズラズリともいうね」
少女は小さく首を振る。まだあどけなさの残る頬の線とはうらはらに、その表情は落ち着いていた。
男はそうかと呟いて、ただ頷いた。無理もない話だった。これまでずっと、宝石などには縁のない暮らしを送ってきたのだろう。
「君には高値がつくだろう。けれどそれで、ほんとうにいいのかい」
少女は困惑するように、小首を傾げた。
「人買いって、もっと冷淡で強欲なのかと思っていたわ」
男はあいまいに頷いた。自分でも、何を甘いことをいっているのかと、そう思っていたのだった。普段ならもっと、強引に話を進める。そうでなくては商売にならない。
気を変えて途中で逃げだそうとする女は多い。それにいちいちかかずらっていてはいられない。必要以上に怯えさせないように、表面上はやさしくふるまって見せたりもするが、それでも有無をいわせずさっさとつれていくのが、長年の習いだ。
何を血迷っているのかと、自分の頬をぴしゃりとはたいて、男は腰を上げた。
「さて。お別れはすませてあるだろうね。もう一度会っておきたい人がいるなどと、いわないでくれよ。未練がつのって、君も辛くなるだけだろう」
「ええ。いつでも出られるわ」
この先に待ち受けているだろう己の運命に、まだ実感がわかないのか、それとももともと感情に乏しいたちなのか、少女はあっけないほど淡々と答えて、自らの足で、男に歩み寄ってきた。
「では、いこうか。馬車に乗ったことは?」
少女は黙って首を横に振った。男はその手をとりながら、もう一度、少女の蒼い瞳を見下ろした。それから、その痩せた首筋に透ける血管の青白さを。
「たいていは、親が子どもを売りにくるんだがね。それか借金取りあたりが、強引につれてくるか」
男は話しかけながらも、少女のいたんだ黒髪や、荒れた細い指先を、目で検分していた。競りの日までに、磨きをかけておかねばなるまい。それに、もう少し太ったほうがいい。痩せすぎて、骨ばっていては見場が悪い。
「きけば、自分からいい出したそうじゃないか。いったい、どういったわけだい」
なぜ事情などたずねているのか。自分で呆れながら、男は荷の中から、膏薬を取り出した。渡して、手に塗るようにいうと、少女はおとなしくしたがって、水仕事に荒れた手にその薬をすり込んだ。
「わたしが一番、高く売れそうだったから」
少女は硬い声で答えて、膏薬の残りを男に返すと、窓の外に視線を向けた。
「父はもともと、末の弟を売ろうとしていたの。夜中に目がさめて、母と相談しているのを、聴いてしまったのよ」
あの子は体が弱いからと、少女はかすれた声でいった。貧しく、兄弟の多い家で、働き手にもなれず薬代ばかりがかかる幼子は、疫病神だったのだろう。
「それで、君が弟の身代わりに?」
少女はもう答えようとしなかった。貝のように押し黙って、拳をきつく握り締めている。乏しい表情のかわりに、その震える指先が、心のうちを表しているようだった。
そうしていると、その蒼い瞳は、もう無機質な宝石のようには見えなかった。男はその色を、もっとほかの何かに似ていると思った。宝石よりも美しい何か。
「競りには、いろんな御仁が来るからね。どんなお人に買われるか、まだわからないけれど、相手によっては、普通の暮らしより、よほどいい目を見られることもあるんだよ」
男はお定まりの慰めを口にしたが、少女はかすかに頷いただけで、その言葉に心動かされる気配はなかった。
競りが終わると、売り値の半分は、少女の家族に渡される。中には嘘をついてピンハネする奴隷商人も少なくないが、比べると、男は誠実なほうだった。どんな商売も、たとえそれが人買いであっても、信用が第一だと心得ている。
けれどそれも、今回限りはやめにしようかと、そう考えている自分に気がついて、男は困惑した。欲が出たためではない。この少女の家族が、思わぬ高値に味をしめて、次々に子どもを売りはしないかと、そういう悪い予感がしたのだった。
「それにしても、よく決心したね。きっと、きみの弟の薬代もまかなえるだろうし、家族全員がこの先、長いこと飢えなくてすむ。きみが家族みんなを救ったんだ。そう思っているといい」
心にもない慰めをいうと、少女はどういうわけか、その荒れた薄い唇に、男を哀れむような微苦笑を浮かべた。
「お隣の家ではね、この冬、うまれたばかりの赤ん坊を、河に流してしまったのよ」
水は、さぞ冷たかったでしょうねと、少女はいった。冬のこの地方では、どうかすると、川の半ばが凍るような冷えが来る。男は思わず肩をすくめた。
お前はそこまで飢えたことがあるかと、少女の蒼い瞳がいっていた。その視線の思わぬ激しさに鼻白みつつも、男は小さく頷いた。
よくあることだ。こんな商売をしていれば、何度も聞くたぐいの話だ。けれど、そう答える言葉は、声にならなかった。
「殺されるよりは、売られて奴隷にでもなったほうが、少しはましよ。ほんの少しはね」
たぶんね。とっさにそう答えかけたのをどうにか飲み込んで、男はもう一度うなずいた。それから、唇を湿していった。
「競りのある町までつくには、まだ大分かかる。少し、休んでいるといい」
「そうするわ」
少女は答えたが、目を閉じはしなかった。格子窓の外に流れる景色を、無言のうちに目で追っている。
男は柄にもなく情をうつしている己に戸惑いながら、この子には故郷を惜しむ心があるのだろうかと、そのことを考えた。辛い思い出の多いだろう郷里を、それでも離れがたいと思うのだろうか。もうその瞳には、先ほどみせた一瞬の激情を見出すことはできなかった。
少女の瞳の色が、何に似ていると思ったのか、男は、ようやく思い当たった。海の色だ。幼い頃に後にした故郷で、夏の、よく晴れた昼間には、はるかに広がる海原が、ちょうど、同じ色をしていた。
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お題:「海の色」「ラピスラズリ」「疫病神」「一人でキムチ鍋をしたんだ」「雨男」「風よ吹け」「待て! そこは狙われている!」「氷月」「呪縛」の中から三つ選択
(海の色、ラピスラズリ、疫病神を使用)
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まるで天藍石(てんらんせき)のようだと呟いて、男は詰めていた息を吐き出した。
「天藍石?」
少女は不思議そうに首を傾げた。その蒼く澄んだ瞳から、目を逸らせないまま、男は言葉を継ぎ足す。
「聞いたことがないかい。瑠璃玉とも、ラピズラズリともいうね」
少女は小さく首を振る。まだあどけなさの残る頬の線とはうらはらに、その表情は落ち着いていた。
男はそうかと呟いて、ただ頷いた。無理もない話だった。これまでずっと、宝石などには縁のない暮らしを送ってきたのだろう。
「君には高値がつくだろう。けれどそれで、ほんとうにいいのかい」
少女は困惑するように、小首を傾げた。
「人買いって、もっと冷淡で強欲なのかと思っていたわ」
男はあいまいに頷いた。自分でも、何を甘いことをいっているのかと、そう思っていたのだった。普段ならもっと、強引に話を進める。そうでなくては商売にならない。
気を変えて途中で逃げだそうとする女は多い。それにいちいちかかずらっていてはいられない。必要以上に怯えさせないように、表面上はやさしくふるまって見せたりもするが、それでも有無をいわせずさっさとつれていくのが、長年の習いだ。
何を血迷っているのかと、自分の頬をぴしゃりとはたいて、男は腰を上げた。
「さて。お別れはすませてあるだろうね。もう一度会っておきたい人がいるなどと、いわないでくれよ。未練がつのって、君も辛くなるだけだろう」
「ええ。いつでも出られるわ」
この先に待ち受けているだろう己の運命に、まだ実感がわかないのか、それとももともと感情に乏しいたちなのか、少女はあっけないほど淡々と答えて、自らの足で、男に歩み寄ってきた。
「では、いこうか。馬車に乗ったことは?」
少女は黙って首を横に振った。男はその手をとりながら、もう一度、少女の蒼い瞳を見下ろした。それから、その痩せた首筋に透ける血管の青白さを。
「たいていは、親が子どもを売りにくるんだがね。それか借金取りあたりが、強引につれてくるか」
男は話しかけながらも、少女のいたんだ黒髪や、荒れた細い指先を、目で検分していた。競りの日までに、磨きをかけておかねばなるまい。それに、もう少し太ったほうがいい。痩せすぎて、骨ばっていては見場が悪い。
「きけば、自分からいい出したそうじゃないか。いったい、どういったわけだい」
なぜ事情などたずねているのか。自分で呆れながら、男は荷の中から、膏薬を取り出した。渡して、手に塗るようにいうと、少女はおとなしくしたがって、水仕事に荒れた手にその薬をすり込んだ。
「わたしが一番、高く売れそうだったから」
少女は硬い声で答えて、膏薬の残りを男に返すと、窓の外に視線を向けた。
「父はもともと、末の弟を売ろうとしていたの。夜中に目がさめて、母と相談しているのを、聴いてしまったのよ」
あの子は体が弱いからと、少女はかすれた声でいった。貧しく、兄弟の多い家で、働き手にもなれず薬代ばかりがかかる幼子は、疫病神だったのだろう。
「それで、君が弟の身代わりに?」
少女はもう答えようとしなかった。貝のように押し黙って、拳をきつく握り締めている。乏しい表情のかわりに、その震える指先が、心のうちを表しているようだった。
そうしていると、その蒼い瞳は、もう無機質な宝石のようには見えなかった。男はその色を、もっとほかの何かに似ていると思った。宝石よりも美しい何か。
「競りには、いろんな御仁が来るからね。どんなお人に買われるか、まだわからないけれど、相手によっては、普通の暮らしより、よほどいい目を見られることもあるんだよ」
男はお定まりの慰めを口にしたが、少女はかすかに頷いただけで、その言葉に心動かされる気配はなかった。
競りが終わると、売り値の半分は、少女の家族に渡される。中には嘘をついてピンハネする奴隷商人も少なくないが、比べると、男は誠実なほうだった。どんな商売も、たとえそれが人買いであっても、信用が第一だと心得ている。
けれどそれも、今回限りはやめにしようかと、そう考えている自分に気がついて、男は困惑した。欲が出たためではない。この少女の家族が、思わぬ高値に味をしめて、次々に子どもを売りはしないかと、そういう悪い予感がしたのだった。
「それにしても、よく決心したね。きっと、きみの弟の薬代もまかなえるだろうし、家族全員がこの先、長いこと飢えなくてすむ。きみが家族みんなを救ったんだ。そう思っているといい」
心にもない慰めをいうと、少女はどういうわけか、その荒れた薄い唇に、男を哀れむような微苦笑を浮かべた。
「お隣の家ではね、この冬、うまれたばかりの赤ん坊を、河に流してしまったのよ」
水は、さぞ冷たかったでしょうねと、少女はいった。冬のこの地方では、どうかすると、川の半ばが凍るような冷えが来る。男は思わず肩をすくめた。
お前はそこまで飢えたことがあるかと、少女の蒼い瞳がいっていた。その視線の思わぬ激しさに鼻白みつつも、男は小さく頷いた。
よくあることだ。こんな商売をしていれば、何度も聞くたぐいの話だ。けれど、そう答える言葉は、声にならなかった。
「殺されるよりは、売られて奴隷にでもなったほうが、少しはましよ。ほんの少しはね」
たぶんね。とっさにそう答えかけたのをどうにか飲み込んで、男はもう一度うなずいた。それから、唇を湿していった。
「競りのある町までつくには、まだ大分かかる。少し、休んでいるといい」
「そうするわ」
少女は答えたが、目を閉じはしなかった。格子窓の外に流れる景色を、無言のうちに目で追っている。
男は柄にもなく情をうつしている己に戸惑いながら、この子には故郷を惜しむ心があるのだろうかと、そのことを考えた。辛い思い出の多いだろう郷里を、それでも離れがたいと思うのだろうか。もうその瞳には、先ほどみせた一瞬の激情を見出すことはできなかった。
少女の瞳の色が、何に似ていると思ったのか、男は、ようやく思い当たった。海の色だ。幼い頃に後にした故郷で、夏の、よく晴れた昼間には、はるかに広がる海原が、ちょうど、同じ色をしていた。
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お題:「海の色」「ラピスラズリ」「疫病神」「一人でキムチ鍋をしたんだ」「雨男」「風よ吹け」「待て! そこは狙われている!」「氷月」「呪縛」の中から三つ選択
(海の色、ラピスラズリ、疫病神を使用)
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朝陽 遥(アサヒ ハルカ)
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