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小説を書いたり本を読んだりしてすごす日々のだらだらログ。
 ちょっとすぐに眠れそうにないので、半分は私信のような、タワゴトです。少々暗い話ですし、さらっと読み流していただければと思います……。

 わたしはいつくらいから、自己嫌悪に苦しむようになったのか、たぶん中学生くらいだと思うんですけど。
 簡単に人を傷つけてばかりいるような、もとからそういうところがあったんですが、思春期を境に、よけいに人にたいして攻撃的になってしまって、そのことへの自己嫌悪で、悪循環を起こして、すごくネガティブになって。

 もともとが露悪的な人間で、ひねくれていて根暗で、心の壁は高いし、ひとには厳しいことばっかり軽々しくいって、自分の都合しか考えないし、そんな自分が嫌で嫌でたまらなくて。それからずいぶん長いこと、自己否定を繰り返して生きてきました。

 それでも、私みたいな性格の悪い奴とも仲良くしてくれる友達が何人かいて、だから、本当にどうしようもなかったわけではないのですが。
 友達と話していても救われないような、辛い気持ちにとらわれているときには、夢中になれるマンガや本を読んだり、へたくそな小説未満のような落書きを書いていて、その間は、辛いこともきれいに忘れていましたし。
 あと、音楽かな。音楽には明るくないですが、よく聴いていた大好きな曲がいくつかあって、それに背中を押されるようにして、どん底に落ちそうな気持ちの手前で、なんとか踏みとどまっていたなって思います。

 その悪い癖は、高校に入って新しい出会いがあって、少しは緩和されましたが、それでもなくなってしまうことはなくて、就職してからも、やっぱりずっとそうでした。
 寂しくて寂しくて、ひとに理解されたくて、自分のことばっかりで一杯一杯で。
 それでも、うちは家計にあまり余裕がないから、簡単にやめるわけにはいかなかったし、多少なりと職場になじみたかったから、無理して猫をかぶってもいました。それでもなかなかうちとけにくい人間ですし、いまでもひとと親しくなるのはヘタクソです。

 そんな中で、仕事のうえで出会った、尊敬する先輩がいて。その人は、同僚にも部下にもすごく優しくて。でも、たぶんもとから純粋に根が優しいわけじゃなくて、色んな人生経験を重ねた結果、努力して優しくなったんだろうなあって、そう思えるような人だったんです。

 そのことに、衝撃を受けて。
 いくらショックを受けても、二十年近くかけて出来上がった性格は、一朝一夕には変わらないです。
 でも、明日から生まれかわる、なんていう都合のいいことはなくても、もしかしてちょっとずつでも頑張っていけば、自分の中にある暗いところを、きれいにないことにはできないにしても、少しずつでも克服して、努力して、心の底からとはいわなくても、いまよりは少しマシに、人に優しくできるように、なれないかなって。
 心の底から清い人には、どうやったって適わないけれど、少しはマシになれるんじゃないかなって。
 二十歳のときのわたしは、そのことを、ずっと考えていました。

 結論からいえば、七年後のいまも、結局は根は暗くて駄目なやつです。
 理想では、上に書いたようなことを思ってはいても、それまでコミュニケーションをおろそかにしてきた積み重ねで、結局は、意図せず人を傷つけることも多いし、自分のことでいっぱいいっぱいになって人の心まで気遣えないことは、もうしょっちゅうです。自己嫌悪の感情を切り離すことは、できそうにありません。

 でも、十代の頃の、出会う人のほとんどに攻撃的な感情を抱いていた頃よりは、ほんの少しだけ、小指ぶんくらい、ましになったかなって思います。
 まだまだぜんぜんダメで、わたしは駄目なやつだなあと、よく思います。それでも昔に比べたらスレて、人間ってそんなもんだみたいな開き直りが出来てきたし、自分を追い詰めないことが上手くなったので、前ほど辛くはないです。
 それでも、ほんとうに人が変わるには、途方もない時間がいるのかもしれないなって思います。すぐに変わろう、どうにかしようったって、無茶なんじゃないかなって。
 せめてわたしが変わろうと思った二十歳のときから、同じだけの時間を生きて、四十を数えるころまでには、少しはマシな人間になっているつもりです。……たぶん。

 でも、何十年たっても、心の中の暗い部分も、この自己嫌悪も、他人に愛されたいけど愛されるわけがないと思って人を傷つけてばかりいた自分の寂しさも、どこかに消えてなくなったりは、きっとしないんだろうなと思います。
 もし仮に、誰かと深く愛し合うような日がくることがあったとしても、そういう感情は、たぶん、きれいに消えてしまうことはないんじゃないかなって思います。どうやったって、一生付き合っていくものなんじゃないかなって。

 もうすでに、心の中にあるものを、ないことにはできません。見ないふりをしたら、むしろ見えないところで膨れ上がって、しっぺ返しをくらう。自分の心って、そういうものだと思います。

 でも、自分の心の醜い部分を知っていないと、そこから変わろう、ましになろうとは思えません。
 自分を正当化するということも、心を守るために、ときには必要なことです。すべて何もかも自分が悪いと思うのは、それはそれで、ちょっと違うんじゃないかとも思います。誰かが百パーセント悪いということは、そうそうないかなって。
 でも、いつも自分を正当化してばかりでは、そこから変わろうとも思えません。だから、自己嫌悪の心とつきあっていくのも、悪いことばかりじゃないって思います。そう思いたいだけかもしれませんが……。

(ここからはほぼ私信です。もちろん返信不要ですが、ご苦情があれば謹聴します。もうごらんになってないかもしれませんが……)
 わたしは人のつらさをろくに理解できない女ですし、正直、人様になにもえらそうなことをいう資格はないです。面と向かってのメッセージでどうせいとはいえなくても、ほぼ独り言のような日記でわたしはこう思っているっていう形なら、少しは気楽にいえるかなって、卑怯ですが、そう思いました。
 独りよがりなばかりで、ご迷惑にしかならないかもしれないとも思いました。でも、やっぱり伝えたいような気がしたので、迷いましたが、ここで呟いてみました。

 人の気も知らないで、勝手なことをいうなと思われるかもしれません。自分でも勝手ないいぶんだと思います。お気を悪くされたら、本当に申し訳ないです。

 完全に人の受け売りですが、夜には人間の精神は、生理的にネガティブになりやすいんだそうです。夜の九時をすぎたら、哀しいことや辛いことはいったん脇にどけておいて、また朝になったら悩むのがいいって、そのひとはいってました。本当かどうかわからないけど、いい考え方だなって思います。
 いい夢を。

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ぼそぼそと
こんばんは

私への慕情もないのにHALさんはどこまで誠実なんですか。

見覚えのあるような記憶の古小屋に今もぐずぐずと佇む私へ同情や励ましを下さり、それが私への適切な愛というか処方箋なのですか。

ふられたのですが、期待以上の優しさや責任感や真摯さで手当てして頂き、十分にありがたく、寝て起きたら告白したことも忘れていたのですが、やっぱりふられたくはなかったです。

想われたいので、思いやりに満ちた私信に果てがなければ良かったのですが、クリーム色の陽は消え、私は瓦解しましたが寝たら治りました。

私の問題は私の問題で、HALさんの問題はHALさんの問題で、人の心の問題はその人の認知の問題で、私は私の問題を私自身や家族や専門家と考え、治っていこうと思います。
ようやくそんなふうに思えるようになったのも、HALさんの幻が私を安心させてくれていたお陰ばかりではなく、その幻を支えるためにブログや小説が在ったというわけばかりでもなく、実際、脱ひきしながら色んな人に支えてもっています。
広い所と一人の所とを往復しながら、優しくしたいなんてまだ思えず、二人の所が欲しいのです私は、二人きりになりたいのです、最も根深い嫌悪を少しでも小さくしていくために。恋人募集中なのです。

二十歳の頃のHALさんのように、あんな風になりたいとは、生身の人にたいし思ったことがありません。諦めたのかも知れません。現実でちゃんと嫉妬や観察をせず、大人の人と接していないせいか、立派な人は単に怖くなってしまい、社会から離れ。

以前も今も不安な時が多く、まずは言葉を交わしたいのでした。私の意味を信じるために伝えられる言葉はしばしば使っていたくて、HALさんは応えてくれました。そういう人は少ないのでありがたく、自分オタクな私が知っていることは狭い自分のことばかりで、価値も需要もないそんな貧しい情報にたいし、善意の猫の皮を可憐にかぶるというHALさんは中身までだいぶ親切なのか、避けずにいてくださり、今後益々優しい人になっていく予定なら、時から愛されて親切なおばさんに進化してゆかれるなら、私への懇切な親切もお茶のこさいさいなのか、真心のような記述をしてくれて、向き合ってくれて、これはやはり私への慕情なのではと、愛されたがりの私はつい思い、いいや違う違うと何遍も自分に言い聞かせながら私信を読み、私は大切にされたのだと感じ、それにたいしてこんな浅い言葉を返すのは勿体ないし味気ないことなのですが、跳ね返したくないのですが、ありがたいのです。

言葉や文章というのは、正直すぎて恥ずかしさが麻痺するほどキラキラと全裸で必死な場合、切ない言葉は自らを自他に十分さらけ出す手段や時間になったり、他人からの評価や助言を突っぱねる頑なな壁になったり、その言葉で自分をがんじがらめにしたり、窮屈さに一人耐えることが嫌になって相手を飲み込むための波になったりします。

あんなチャットの場で、ばかな公開告白をして困らせてしまいすみませんでした。自分の愚かさに慣れてしまいました。ばかな自分ならこのくらいするだろうという甘えや諦めがありました。
他人に内面を支えて欲しいのでした。心と言葉が合っていればいいとだけ思っていました、そんな私的なルールのみを重視しすぎて公的な空気を読みません、今もそう思い書いております。嘘は寂しいだけだと思う私は真面目な固い二元論から出ていません。広い中間地帯で遊べません。隅のほうの悲愴ぶった所で言葉や感情を玩具にして遊び、それはどうも人の楽しみよりつまらないらしい、狭くて貧しいのです。焦って、狂って、やけのような悲しい幼稚な本心の求愛ごっこに失敗しました。
慕情はないと言われました。誠実にふられました。崩れるべきものが崩れました。
言葉は機能しています。HALさんのブログに私信があり、私は溜め息になりました。早寝早起きが心のために奨励されていましたが、徹夜で書いたコメントが消えてしまい、再び書いても消え、ケータイの電池が途切れやすく、ブログをフルブラウザで表示したまま充電器に立て眠り、9時間ほど経ってから目覚めるとパケット代が膨らんでいました。
フルブラウザには気をつけようと思います。

どこまでも書けます。 が、ケータイの文字制限です。

寝ます。

ありがとうございました。
Posted by 旅館 2010.10.31 Sun 21:55 編集
訂正とお詫び
支えてもって→支えてもらって

……

暗いコメントを送ってしまい申し訳ありませんでした。
チャットでもご迷惑をおかけしました。
もうHALさん達の書く楽しみを邪魔しないように致します。
Posted by 旅館 2010.11.01 Mon 03:09 編集
旅館様へ
 お気持ちにこたえられなくて、申し訳ないです。

 自分から変わろうとしなければ人は変われないというのも、ひとつの真実なのでしょうけれど、ひとりきりでは変われないのも、やっぱり人なのではないかと思います。
 それまでの価値観をいい意味で覆すような出会いが、これから旅館様の上にたくさんあるといいなと思っています。

 このごろ身辺でも、真面目なひとや繊細なひとは、いつも息苦しい思いをされていて。図太くないと生きづらい、世知辛い世間だなと思います。
 誰かに何かをいわれても、好きにいわせておけばいいさというような、図々しさがひとつあれば、ずいぶんと呼吸がしやすいのにと、図太い私などは思いますが、そう思う端から、繊細であることは、本来いいことのはずなのにとも思います……

 好き勝手なことをいってしまって、何かと申し訳なかったです。
 お前がいうなという感じですが、どうか元気を出されてくださいね。
Posted by HAL.A 2010.11.01 Mon 22:34 編集
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