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小説を書いたり本を読んだりしてすごす日々のだらだらログ。
 即興三語小説のできそこない。オカルト。
 何も思いつかなかったということが、ひしひしと伝わってきます……orz

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 軋む廊下を走っていた。
 汗ばんだ足裏に、埃がざらつく。薄雲に透ける月明かり以外に、廊下を照らすものはなかった。
 暗く不確かな視界の中、破れた障子の向こうの闇に、何か、動くものが過ぎった。足を止めて正体を見さだめるだけの余裕はなかったが、目の端に捉えた影は、人間の子どもにしては、小さいような気がした。
 引きつった喉が、よじれるような音を立てて空気を搾り出す。怯えのためだけでなく、息が上がっていた。走っても走っても、廊下には果てがないように思われた。
 背後で重いものを引き摺るような音が、鈍く、しかし着実に追いかけてくる。ねえ、待ってよ、と、困ったようにそう呼びかけてくるのは、どこか場違いに無邪気な、少年のような声だった。
 振り返るのも恐ろしく、同じぐらい、振り返らないのも恐ろしかった。足を止めないまま、肩越しに視線を投げると、いまにも天井に頭のつきそうな、巨大な白い影が、先ほどまでよりも確実に、距離を詰めてきていた。
 それは異様な大きさの、蛇のような姿をしていた。
 飲み込み損ねた悲鳴が、喉から漏れる。足が汗にすべって、つんのめりそうになった。その一呼吸の間に、白い蛇が身をくねらせて、また確実に、距離を詰めてくる。
 しゅるりと、その口か息が漏れるのを聞いたときには、我を忘れて大声で叫んでいた。


 今年一番の秋風に乗ってやってきたのだと、そいつはいった。
 最初にその白蛇を見たのは、夕暮れどきのことだった。駅のホームから出てすぐのところで、いつものように近道をしようと、公園に足を踏み入れて、そこで、砂場の横に何か、やたらに太い、綱のようなものが落ちていることに気が付いた。
 いつもだったら、公園を斜めに過ぎるところを、とっさに得体の知れないものを遠巻きに避けて、大きく回り込んだ。それでも多少の好奇心は抑えきれず、遠くから視線を投げかけた、そのときだった。その白い綱のようなものが、突如として、ゆったりと鎌首をもたげたのは。
 その動きは、蛇のそれに見えた。しかし、こんなに巨大な蛇がいるはずがない。その場で凍りついているうちに、それは悠然と向きを変え、地を這うようにして、俺のほうに迫ってきた。
 それが間近に顔を寄せてきた瞬間、およそ自分のものとは思えない、甲高く細い悲鳴が、口から漏れた。
 ――ねえ、そこの君。
 生意気にも言葉を喋ったそいつは、ぬるりとした質感の鱗に覆われていた。顔の両脇には、ビーダマのような真ん丸い目が、不自然な位置に並んでいる。
 形もどこか、本物の蛇とは違っていたが、何よりその瞳には虹彩らしきものがまるで無く、のっぺりとした黒さをたたえていて、どう控えめにいっても、蛇の目とは思えなかった。それ以前に、およそ生きているものの目には見えない。だが、それはたとえば映画の撮影に使う遠隔操作のハリボテのようにも、けして見えないのだった。
 悲鳴を上げて腰を抜かした俺を見ても、そいつはいっこうに気にしないふうだった。それどころか、どこから出しているのか分からない、人間の少年のような声で、無邪気に尋ねてきた。
 ――ねえ、きみ、色々教えてよ。久しぶりの人里なんだ。
 どこか弾むような調子で、白蛇はいった。
 ――ぼくのこの図体じゃ、その年の最初の秋風をつかまえないと、こっち側までうまく乗ってこれないんだけど、ぼくはまだ、風を嗅ぎわけるのが下手で、いつも失敗ばっかりしててね。だから、だいたい百年ぶりくらいかな。前に見たときと、びっくりするくらい町並みが変わってるけど、何があったのかな。君、知ってる?
 百年もあれば、戦争もいくつも始まって終わっただろうし、元号も何度も変わっているし、人類の認識も相対性理論から超ひも理論までそれこそはるかな展開を見せただろうが、その瞬間、とにかくまともな言葉は何一つ、頭に浮かんでこなかった。というよりも、恐怖に麻痺した頭では、その蛇もどきの質問を、正しく理解していたとはいえなかった。
 怯えて固まりきっている俺を見て、白蛇は小首を傾げるように、その巨大な頭をもたげると、ビーダマじみた目に暮れなずむ空を映しこみながら、じっと根気強く、返事を待っていた。
 何分くらいの間、そこでじっとにらみ合っていただろうか。夕闇を割くサイレンに、はっとして顔を上げた。救急車が一台、けたたましい音を鳴らしながら、近くの道を走り抜けていった。
 呪縛から解き放たれたように、一目散に走り出した。慌てるあまり、足がもつれて転びそうになりながら、それでも必死に地面を蹴った。
 ――あ、ねえ、待ってよ。
 呼びかけを無視して、走りに走った。何がなんだかわからなかった。
 公園を出て、人目を気にする余裕も無く家路を駆ける間、その蛇は追いかけてこなかった。少なくともそのときには。


 暗い廊下は、どこまでも続いているように思えた。その脇には、何十あるかしれない部屋が、ずらりと障子を並べているが、薄雲の向こうの月以外に、ともる灯りはひとつもない。
 それにもかかわらず、背後から追いかけてくる蛇以外にも、すぐ近くに何かがいるような気配は、絶えずしていた。好奇心の滲む視線が、ひそめた話し声が、戸の隙間から、破れた障子の間から、絶え間なく降り注いでいる。
「ねえ、まってよ」
 それでも長い長い廊下を、延々と走りぬけたところで、ようやく初めて、曲がり角に行きあたった。律儀に廊下を通らずとも、脇にはいくらでも和室があるが、正体の分からないものの気配がひしめく部屋に、飛び込む気にはなれなかった。
 角を曲がると、廊下を包む闇は濃さを増したが、背後からかすかな月明かりは届いていて、真の暗闇というわけではなかった。
 そのまま速度を緩めず、ひたすら走っていると、ほんの少し、追いかけてくる蛇の気配が遠のいた。あの巨体だ、角のところでつっかえたのだろう。
 どうして俺はこんなところにいるんだ。ほんの少し、冷静さを取り戻した脳が、いっせいに疑問を叫びだす。ここはどこだ。あの蛇はいったいなんなんだ。どこに向えば出口があるんだ。
 目が覚めると、和室の、布団の上に寝転がっていた。まっさきに目に飛び込んできた、まるで見覚えのない高い天井は、年季の入った風合いをしていて、おそらくは相当古い家なのだと思われた。
 前後の記憶がなかった。酔って知らない女の家に転がり込んだのかと、一瞬そんなことが頭を掠めて、そんなはずがないと、すぐに打ち消した。どう酔ってどんな女を口説いたら、こんな部屋で目を覚ますというのだ。
 それに、部屋には決定的におかしいところがあった。電灯らしきものが、ひとつもないのだ。
 そのことに気が付いた瞬間、背筋にいやな怖気が走った。
 混乱して、障子をあけ、廊下に顔を出した。そこにあの蛇が――
 きゃはははと、やけに明るい女の子の笑い声が、真横の部屋から湧いて出て、息を呑んだ。振り返らず、そちらを見ないようにして駆け抜ける。
 追いかけてくる、床を引き摺るような音は、いくらか遠ざかりはしたが、途切れることなく続いている。
「ねえ、まってよ。もう――るんだから――て、無駄だよ」
 聞き取れなかった。蛇の話すのは、まるで人間の子どもの声のように聞こえるが、それでも声帯のないところから無理に喋っているせいか、不明瞭で、離れていては聞き取りづらかった。ただ最後の「無駄だよ」という響きだけが、いやにくっきりと耳に飛び込んできた。


 夕暮れの公園で、喋る蛇を初めて見た日、パニックに襲われたまま、必死で家に駆け込んだ。
 わけがわからないながらも、今しがた見たものについて、家人の誰かに話すつもりでいた。それが、ぼんやりとテレビに向かうお袋の横顔を見た瞬間、言葉が喉の奥に引っ込んだ。誰だって、俺が覚せい剤にでも手を出して、幻覚を見たのだと思うだろう。
 俺は階段を駆け上がると、部屋に篭もって布団を頭から被り、飯を食うことも忘れて、一晩中震えていた。この目で見たものへの恐怖と、自分の頭はおかしくなってしまったのかという不安が、眠れない脳ミソに交互に訪れて、あの蛇が追いかけてくる物音が聞こえるのではないかと、外の物音に耳を澄ましつづけた。
 それでもその夜は、何も起きなかった。蛇は猟犬よろしく俺のにおいを辿ってまでは、追いかけてこなかった。
 夜が白々と明けて、ようやく部屋から出ても、言葉を喋る巨大なヘビが出没したなんていうニュースは、どこのチャンネルでもやっていなかった。ただの幻覚だったのだと、俺は自分に言い聞かせた。
 だが、それならなんで、いま俺はこんなところにいる?


 廊下の暗がりに、誰か佇んでいた。ぎょっとして、足をもつれさせる。ほとんどつんのめるようにして、どうにか衝突せずに立ち止まった。冷静に考えれば、突き飛ばして逃げるべきところだったが、そう思うときには、もう足が止まっていた。
 それは和装の女だった。
 人間に見えた。少なくとも、見た目については。
「へび、蛇が」
 もつれる舌で、どうにかそう女に訴えると、女はくすりと可笑しげに笑い、袖口でその笑みを隠した。
 しぐさは優雅だったが、その笑い方に、ぞっとした。女の正体はわからないが、少なくとも彼女にとって、こういう光景は、日常のことなのだ。
「外に、出たいのか」
 それでも、そう問う女の言葉に、思わず頷いていた。何が面白いのかしらないが、女は可笑しそうな声で、問いかけを重ねる。その声に重なって、蛇の這いずる音が、背後に近づいてきていた。
「私はどちらでもいいがな、外に出てどうする」
「どうするって、帰るんだ」
 叫ぶようにいうと、女は目を細めたまま、肩をすくめた。
「帰れるものか。あれから聞かなかったか? ここから向こう側まで渡るのは、けっこう骨が折れるんだ。逆は簡単なんだがな」
 女は笑みを含んだ口調でそういった。いっていることの意味が分からない。ただ、女があの蛇の同類だか、仲間だか、そういうものらしいということだけが、かろうじて理解できた。
 やはりこの女を突きのけてでも、とにかく蛇から逃がれようと、混乱したまま足を踏み出しかけた。その行く手を遮るように、女がすっと手を伸ばす。
「だが、出たいというなら出してやろう、そら」
 その言葉とともに、誰も触れはしない障子がひとりでにすっと開き、その向こうから、遠く、電車の音が聞こえてきた。それを聞いて、安堵の思いがわっとわきあがってきた。少なくともここは、どこともしれない山奥などではなく、人里の近くなのだ。
「あれが寂しがるだろうがな。まあ、仕方がない」
 女はくくっと笑うと、廊下の奥の闇を見透かした。そこに蛇がいるのだろう。
 外に出て、がむしゃらに走って、大声で助けを呼んで回れば、きっと助かる。それだけを考えて、障子の向こうに飛び込んだ。広い座敷は、暗闇に慣れた目には眩しかった。その向こうに、開いた戸口があって、夕暮れの空がのぞいている。
 夕暮れ?
 ぎょっとして、背後を振り返った。先ほどまで、月明かりだけが頼りの夜だったはずだ。
 だが、障子のすぐ向こうに、白蛇のぬめる鱗が垣間見えて、それ以上のことを考える暇を奪った。
 やけになって戸口から飛び出す直前、背後から、どこか焦ったような声が追いかけてきた。
「お願いだから、まってよ。外に出たら、もうかたちを留めていられないよ。この屋敷にいるから――」
 言葉の意味を考えるだけの余裕がなかった。聞き終えたときには、もう戸口から体が完全に外に飛び出していた。
 戸の向こうの、夜に包まれた屋敷で、女の気だるげな声が、蛇を諌めている。
「なあ、生きていようが死んでいようが、人を飼うのは、やはり無理があるよ。誰も彼も、必死に外に出たがるじゃないか。いいかげんに諦めろ」
 外気に触れた自分の腕が、端から滲んで溶けるように透き通っていくのを、呆然として見下ろしていた。
 ――もう死んでるんだから、外に出たって無駄だよ。
 蛇はさっき、そういったのだ。
 その言葉を耳の奥に拾い上げた瞬間、それにひきずられるようにして、眼前に迫る電車の鼻面が、記憶の闇の向こう側から、圧倒的な質感をもって押し寄せてきた。
 いまのいままで忘れさっていた記憶にしては、それはあまりにも、鮮明にすぎるようだった。耳を劈く警笛。麻痺したように動かない体。吹き飛ばされて急激に回った視界。夕暮れの光の中、自分の足が千切れて、あらぬ方向に飛んでいくのが見えた。
 そうだ。俺はとっくに死んでいたんじゃないか。
 腑に落ちるようにそう思った瞬間、夜の闇に沈むように、意識が途切れた。


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必須お題:「超ひも理論」「秋風」「ビーダマ」

縛り:「脱出する話にする」「表情の描写を意識する(目標)」

任意お題:「密室殺人」「壊れた蓄音機」「さよならだけど最後じゃない」「卒業」「ゆらぎ」(使用できず)

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