小説を書いたり本を読んだりしてすごす日々のだらだらログ。
即興三語小説。絵描きとモデルのお話。
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「シーナちゃん、趣味、悪いよね」
スケッチブックに鉛筆を走らせながら、ぽろりといったぼくは、内心でほんの少しだけ、しまったと思った。けれど、幸いというべきか、椎名ユキコに気を悪くした様子はみられなかった。
「そう?」
椎名はくすりと笑みを漏らすと、その白く滑らかな二の腕に浮かぶ桃色の痕を、舌でなぞった。
腕がむき出しのタンクトップは、派手めな赤で、それが白い肌と、火傷のピンクに奇妙に調和して、まるで五月の公園で、躑躅の花のグラデーションでも眺めているかのような色彩だ。
その、まるで拷問の痕のような(といっても、本当に拷問された人間を、ぼくはこの目で見たことがないのだけれど)傷あとと、唾液の痕を残して腕から離れた舌先に見とれて、ぼくは、こうも考えた。悪趣味だけど、そこが魅力的だと。
外は、薄曇りだった。窓から斜めにぼんやりとさしこむ日の光が、椎名のはっきりした目鼻立ちに、淡い陰影を与えている。その影を、ぼくは鉛筆で丁寧に拾っていく。
「じゃ、どんなのが良い趣味? 傷跡が見えなくて、かつオシャレな格好をすること?」
聞き返されて、ぼくは椎名の二の腕から視線をはずした。それから首を捻る。きちんと考えをまとめてから口に出したわけではなかった。
「うーん。人から見えても見えなくても気にしない、とか、そういうのかな?」
いいながら、無責任な発言だなあと、我ながら思った。でも仕方ない。ぼくは基本、無責任な人間なのだ。
喋りながらも、ぼくの手はスケッチブックの上の椎名に、火傷のつくる影を淡く描き足した。実際、その痕は、そこにあるべくして彼女の二の腕にあるのだというくらい、調和して美しかった。
「ふうん。そういうのと、あたしと、具体的にはどう違うの?」
椎名はべつに怒るでもなく、面白がるように笑いながら、ぼくに流し目をくれる。それから白くすらりと伸びた足を、ゆっくりと組みかえた。部屋の真ん中に置いた木の椅子が、かすかに軋む。
ぼくは椎名のその表情がチャーミングだと思いながらも、まるで性的な興奮を覚えない自分を再確認して、ほんの少しだけ、憂鬱な気分になる。
椎名に、というわけではなくて、女性全般に、あるいはすべてのものに対して、ぼくはそうなのだ。幼い頃から、じきに二十代も終えようかといういまにいたるまで。せめてゲイだったなら、そのことで苦労はしたかもしれなくても、少なくとも誰かと抱き合う喜びは得られただろうに。
でもそのことについては、ぼくはもう、ほとんど諦めている。手の届かない未知の感情に憧れる気持ちを、ひとつ内側に抱えているというのも、悪いことばかりではないかもしれない。ちっとも寂しくないといえば嘘になるけれど、そう生まれついたものは、もう仕方がない。
「シーナちゃんはさ、わざと人に見せて、その反応を楽しむじゃない」
ぼくの口調に、そのことを責める色合いはない。けれど悪気がなくたって相手を傷つける発言というのは、この世界に、星の数よりもたくさんあふれている。わかっているのに口に出すのは、ぼくの一番悪い癖だ。
でも椎名は、面白がるだけだ。彼女が傷ついているところを、あるいは、傷ついた様子を外に出しているところを、ぼくは一度もみたことがない。
「悪い? だって、それでなんとなく、相手の人柄がわかるもの」
案の定、それは形としては反論だったけれど、椎名の口調は、少しもぼくをいい負かそうとか、傷ついたとかいう調子ではなかった。
「そういうのをさ、最初っから試してかかってるのが、悪趣味だよねって」
「かもね。でも、そのキズきれいだねって、キミがいったんじゃない」
椎名は小さく唇を尖らせてみせた。でも、目が笑っている。瞳孔の広がりでちゃんとわかる。
「まあね」
ぼくはあっさり頷いて、スケッチブックをめくった。鉛筆も新しいのにかえて、まっさらの新しいページに、線を走らせる。腕の曲線。かすかに盛り上がった傷。
たしかにぼくはかつて、そういったのだ。それきれいだね、いつか絵に描かせてくれる、って。素直にそう思ったので。そういう自分が悪趣味だなとは、いう端から自覚していたけれど。
けれど多分、普通の大多数の人は、そのきれいな傷跡に、きれいだなと見とれたあとに、悪いことをしたような気持ちになって、目を逸らすのだ。椎名はそれを、他人事のように観察して、楽しんでいる。
「で、趣味の悪い絵描きさんは、ふだん、趣味の悪い女の子ばっかり描いてるの?」
「いいや、まさか」
ぼくはスケッチブックから顔も上げずに首を振った。
「きれいだなと思ったら、何でも描くけど。まあ、だいたい風景とかが多いかな」
「人物はめったに描かない?」
椎名にからかうようにいわれて、ぼくは素直に頷いた。
「つまりキミは、人間のことを、めったにきれいだなって思わないわけだ」
その意地の悪いような問いにも、ぼくは正直に、かつあっさりと頷いた。「まあね」
「でも、あたしの傷はきれいだって思ったのね。光栄というべき?」
「どうかな。ぼくも趣味が悪いから」
くすくすと、楽しげに笑って、椎名はぼくの机の上から、積み上げた古いスケッチブックを掬い上げる。
「見てもいい?」
いいながら、すでに椎名の手はページを開いている。ぼくは無言で肩をすくめたが、椎名はちっともこちらを見てはいなかった。
「へえ」
椎名は感心したように声を上げたが、いいとも悪いとも、うまいともヘタだともいわなかった。ただ目を輝かせて、ゆっくりとページをめくっている。
しばらく、紙をめくる音と、鉛筆が走る音だけが、規則的に響いた。
空が晴れたらしい。風にカーテンが揺れたかと思うと、窓からさあっと、光のすじが差し込んで、部屋のなかを舞う埃を、きらきらと輝かせた。
椎名のかすかに伏せた睫毛が頬に落とす影を、ぼくはスケッチブックに描き込む。そうすると、紙面の彼女の口元を彩る微笑の色合いが、すこしだけ違って見えた。
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お題:「火傷」「拷問」「舌先」
制限時間:構想込みで60分(あとで微修正しました)
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「シーナちゃん、趣味、悪いよね」
スケッチブックに鉛筆を走らせながら、ぽろりといったぼくは、内心でほんの少しだけ、しまったと思った。けれど、幸いというべきか、椎名ユキコに気を悪くした様子はみられなかった。
「そう?」
椎名はくすりと笑みを漏らすと、その白く滑らかな二の腕に浮かぶ桃色の痕を、舌でなぞった。
腕がむき出しのタンクトップは、派手めな赤で、それが白い肌と、火傷のピンクに奇妙に調和して、まるで五月の公園で、躑躅の花のグラデーションでも眺めているかのような色彩だ。
その、まるで拷問の痕のような(といっても、本当に拷問された人間を、ぼくはこの目で見たことがないのだけれど)傷あとと、唾液の痕を残して腕から離れた舌先に見とれて、ぼくは、こうも考えた。悪趣味だけど、そこが魅力的だと。
外は、薄曇りだった。窓から斜めにぼんやりとさしこむ日の光が、椎名のはっきりした目鼻立ちに、淡い陰影を与えている。その影を、ぼくは鉛筆で丁寧に拾っていく。
「じゃ、どんなのが良い趣味? 傷跡が見えなくて、かつオシャレな格好をすること?」
聞き返されて、ぼくは椎名の二の腕から視線をはずした。それから首を捻る。きちんと考えをまとめてから口に出したわけではなかった。
「うーん。人から見えても見えなくても気にしない、とか、そういうのかな?」
いいながら、無責任な発言だなあと、我ながら思った。でも仕方ない。ぼくは基本、無責任な人間なのだ。
喋りながらも、ぼくの手はスケッチブックの上の椎名に、火傷のつくる影を淡く描き足した。実際、その痕は、そこにあるべくして彼女の二の腕にあるのだというくらい、調和して美しかった。
「ふうん。そういうのと、あたしと、具体的にはどう違うの?」
椎名はべつに怒るでもなく、面白がるように笑いながら、ぼくに流し目をくれる。それから白くすらりと伸びた足を、ゆっくりと組みかえた。部屋の真ん中に置いた木の椅子が、かすかに軋む。
ぼくは椎名のその表情がチャーミングだと思いながらも、まるで性的な興奮を覚えない自分を再確認して、ほんの少しだけ、憂鬱な気分になる。
椎名に、というわけではなくて、女性全般に、あるいはすべてのものに対して、ぼくはそうなのだ。幼い頃から、じきに二十代も終えようかといういまにいたるまで。せめてゲイだったなら、そのことで苦労はしたかもしれなくても、少なくとも誰かと抱き合う喜びは得られただろうに。
でもそのことについては、ぼくはもう、ほとんど諦めている。手の届かない未知の感情に憧れる気持ちを、ひとつ内側に抱えているというのも、悪いことばかりではないかもしれない。ちっとも寂しくないといえば嘘になるけれど、そう生まれついたものは、もう仕方がない。
「シーナちゃんはさ、わざと人に見せて、その反応を楽しむじゃない」
ぼくの口調に、そのことを責める色合いはない。けれど悪気がなくたって相手を傷つける発言というのは、この世界に、星の数よりもたくさんあふれている。わかっているのに口に出すのは、ぼくの一番悪い癖だ。
でも椎名は、面白がるだけだ。彼女が傷ついているところを、あるいは、傷ついた様子を外に出しているところを、ぼくは一度もみたことがない。
「悪い? だって、それでなんとなく、相手の人柄がわかるもの」
案の定、それは形としては反論だったけれど、椎名の口調は、少しもぼくをいい負かそうとか、傷ついたとかいう調子ではなかった。
「そういうのをさ、最初っから試してかかってるのが、悪趣味だよねって」
「かもね。でも、そのキズきれいだねって、キミがいったんじゃない」
椎名は小さく唇を尖らせてみせた。でも、目が笑っている。瞳孔の広がりでちゃんとわかる。
「まあね」
ぼくはあっさり頷いて、スケッチブックをめくった。鉛筆も新しいのにかえて、まっさらの新しいページに、線を走らせる。腕の曲線。かすかに盛り上がった傷。
たしかにぼくはかつて、そういったのだ。それきれいだね、いつか絵に描かせてくれる、って。素直にそう思ったので。そういう自分が悪趣味だなとは、いう端から自覚していたけれど。
けれど多分、普通の大多数の人は、そのきれいな傷跡に、きれいだなと見とれたあとに、悪いことをしたような気持ちになって、目を逸らすのだ。椎名はそれを、他人事のように観察して、楽しんでいる。
「で、趣味の悪い絵描きさんは、ふだん、趣味の悪い女の子ばっかり描いてるの?」
「いいや、まさか」
ぼくはスケッチブックから顔も上げずに首を振った。
「きれいだなと思ったら、何でも描くけど。まあ、だいたい風景とかが多いかな」
「人物はめったに描かない?」
椎名にからかうようにいわれて、ぼくは素直に頷いた。
「つまりキミは、人間のことを、めったにきれいだなって思わないわけだ」
その意地の悪いような問いにも、ぼくは正直に、かつあっさりと頷いた。「まあね」
「でも、あたしの傷はきれいだって思ったのね。光栄というべき?」
「どうかな。ぼくも趣味が悪いから」
くすくすと、楽しげに笑って、椎名はぼくの机の上から、積み上げた古いスケッチブックを掬い上げる。
「見てもいい?」
いいながら、すでに椎名の手はページを開いている。ぼくは無言で肩をすくめたが、椎名はちっともこちらを見てはいなかった。
「へえ」
椎名は感心したように声を上げたが、いいとも悪いとも、うまいともヘタだともいわなかった。ただ目を輝かせて、ゆっくりとページをめくっている。
しばらく、紙をめくる音と、鉛筆が走る音だけが、規則的に響いた。
空が晴れたらしい。風にカーテンが揺れたかと思うと、窓からさあっと、光のすじが差し込んで、部屋のなかを舞う埃を、きらきらと輝かせた。
椎名のかすかに伏せた睫毛が頬に落とす影を、ぼくはスケッチブックに描き込む。そうすると、紙面の彼女の口元を彩る微笑の色合いが、すこしだけ違って見えた。
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お題:「火傷」「拷問」「舌先」
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朝陽 遥(アサヒ ハルカ)
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