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小説を書いたり本を読んだりしてすごす日々のだらだらログ。
 即興三語小説。暴力団とか拳銃とかが出てくるものを読むのはイヤだ! という方はご注意くださいませ。

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 オフホワイトの壁紙、並ぶスチールデスク、モーター音を立てるデスクトップパソコン、少しカビ臭い冷房の風。聡一郎の目に、その部屋は、どこにでもあるオフィスビルの一室のように映った。ただひとつ、そこに居並ぶ面々の、背広に包まれた中身を除けば。
「なあ、兄さんよ。お前さん、ちょっとばかり世の中ってもんを、甘く見てるんじゃねえのか。土下座して謝りゃ、それで勘弁してもらえることばかりじゃねえんだぜ」
 奥のデスクにふんぞり返って、どことはなしに楽しげにそういったのは、梅崎と名乗る、四十がらみの男だった。きれいに撫で付けた髪には、白髪はほとんど混じっていない。上等そうな背広に包まれた体は、どちらかというと痩せぎすで、それでもそれが貧相には見えないのは、表情やしぐさから伝わってくる泰然とした雰囲気のせいだろう。
 聡一郎は、床に這い蹲るように頭を下げたまま、がちがちと歯を鳴らしている。みっともないと思う余裕も、実のところ、欠片もなかった。一刻も早く、この場を立ち去りたかった。そして単調で凡庸で平穏な、彼の日常に帰りたかった。
 ごとりと重い音がして、聡一郎は顔を上げた。厭な予感がした。
 デスクの上で黒光りするそれを、視界の隅に入れたとたん、聡一郎のうなじに、ぶわっと汗がふきだした。
「知らなかったとはいえ、うちの大事なお嬢さんに手を出して、無事ですむとは、まさか思っちゃいねえよな、兄さんよ。うちのオヤジにとっちゃ、お嬢さんは可愛い可愛い一人娘でよ」
 梅崎が顎をしゃくると、脇に控えていた男のひとりが、デスクの拳銃を手にとって、聡一郎のすぐそばに屈みこんだ。また別の男がひとり、土下座の姿勢のまま動けずにいる聡一郎の襟首をつかんで、強引に顔を上げさせた。
「証券マンっつったっけか? これまで堅実にやってきたんだろうになあ、なにを血迷ったかしらねえが、未成年に手を出しちゃ、まずいよなあ。あ、違うか?」
 勘弁してくださいと、いったつもりで、声は喉から少しも出なかった。唇がわななく。男たちの一人が聡一郎の手に、強引に拳銃を握らせた。
 ずしりと重たいそれは、機械油の匂いをまとわりつかせていた。とっさに取り落としそうになった聡一郎の手を、男はがっちりと押さえつけて、銃把を握りなおさせた。
 手のひらが汗で滑る。聡一郎は喉を鳴らそうとしたが、口の中はとっくにからからで、飲み込むべき唾が一滴もなかった。
「まあ、そうはいってもよ。死んで詫びりゃすむってもんでもねえのよ」
 梅崎は笑い含みの声でいった。その言葉に希望を見出しかけて、聡一郎ははっと顔を上げた。梅崎は目を細めて、こちらを観察している。周りの男たちが、にやにやと彼を見下ろしているのは、聡一郎の狭くなった視界には入らなかった。
「安心しな。その中に入ってる弾は、一発きりだ。六分の一だ、わかりやすくていいだろう?」
 その状況はどこか、映画か小説か、フィクションの世界で見たと、聡一郎は思った。六分の一の死の確率。助かるかもしれない。初めてその考えが、頭に浮かんだ。
「それをな、てめえのアタマに突きつけて、五回連続で引くんだ。それで死ななきゃ、俺からオヤジにかけあってみてもいい。まあ、なんつうんだ。ひとりロシアンルーレットっていや、分かりやすいか?」
 ざあっと自分の頭から血の気が引く音を、聡一郎は聞いた。


 もとはといえば、街角でひとり佇んで、ひどく醒めた目をしていた弓枝に、何とはなしに声をかけたのが、すべての始まりだった。
 弓枝は無言で、過ぎ行く自動車のテールランプを、目で追いかけていた。ガードレールに凭れかけさせた痩せぎすの手足は、白くすらりと伸びて、真夏の気だるいような風に吹きさらしになっていた。明るい色に染めた髪が、街灯の明かりの下でさえわかるほど傷んでいて、きつい化粧をした肌も、まだ十代の後半ほどらしい外見にまるでそぐわないほど、荒れていた。
 誰もが美人というような、きれいな子ではなかった。連れもなくひとりきりで、夜の街を皮肉げに見つめている、そのまなざしだけが、そのあたりの夜遊びに浮き立つ不良少女とはいくらか違っているように、聡一郎の目には映った。
 思えばそのときの弓枝が、ほんとうにひとりきりでいたはずはなく、おそらくは少し離れたところで、組につけられた護衛が監視していたのだろう。実際、聡一郎が声をかけたとき、弓枝はちらりと物陰のほうに視線をやって、小さく首を振ってみせたのだ。その仕草の意味を聡一郎がたずねても、彼女は何も答えずに、皮肉っぽく笑うだけだったけれど。
「補導員って感じでもないね、お兄さん。ナンパ、それとも変質者?」
「どっちでもないよ」
 聡一郎はいいながら、困惑して、汗の滲む首筋をハンカチで押さえた。こんなところで若い女の子と話し込んでいるところを、誰かに見られれば、あらぬ誤解を招くだろうことは、自分でもわかっていた。係わり合いにならないほうがいいと、一度は思った。けれど、少女の醒めたまなざしが、どことなく……
「なんとなく、心配な感じがしたから」
 弓枝はきょとんとしたあと、口を大きくあけてけらけらと笑った。その表情が思いもかけず幼くて、聡一郎はうろたえた。
 ふたりはそのまま、ガードレールに凭れていっとき話し込んだ。弓枝は家業のことは、あいまいにぼかして話していた。それでも聡一郎が注意深く話を聞いていれば、そこに不穏な空気を嗅ぎ取ることもできたのかもしれない。けれど聡一郎の耳に入っていくのは、おそらく愛情に飢えているのだろう弓枝の、寂しげな声の調子ばかりだった。
「お兄さん、ここ、よく通るの」
 聡一郎が頷くと、弓枝は「そう」といって、小さくはにかんだ。その声が、思いもかけず甘やかな響きをしていて、それだけが聡一郎の耳にいつまでも残った。また会う約束はしなかった。連絡先も交換しなかった。ただ漠然とした予感だけが、家路につく聡一郎の袖をいつまでも引いていた。


「なあ、兄さん。お嬢さんと何回会った? 覚えてるよな」
 聡一郎はごくりと唾を飲み込んだ。答えようとして声が出ず、どもっていると、背後に立っていた男から襟首を掴まれた。息を呑みながらも、どうにか言葉をふり絞る。「ご、五回」
 梅崎は満足げに頷くと、指で鉄砲の形をつくり、自分の頭につきつけてみせた。
「分かりやすくていいだろ。さ、こういうのはな、長引かせれば長引かせるだけ、おっかなくなるぜ、兄さんよ。こっちもヒマじゃねえしな。さっさとやっちまえ。そしたら一分後には、どっちにしたって楽になってるさ」
 にやにやしながら、梅崎はどかりとデスクの上に足を投げ出した。がちがちと、自分の合わない歯の根が立てる音を聞きながら、聡一郎は手の中の拳銃から、かすかに火薬の匂いを嗅ぎ取った。これは飾りでもなんでもなく、実際にどこかで使われた代物なのだ。それもおそらくは、つい最近。
「なあ、早くしろよ。それともうちの若いのによってたかってどつきまわされて、コンクリ風呂に入るほうがいいか?」
 息を呑んで、聡一郎は震える指で、引き鉄に触れた。冷たい金属の手触り。手が震えて、銃口が揺れた。耳鳴りがする。
 六分の一だ。聡一郎は息を止めて、震える指でどうにか、ゆっくりと引き鉄を絞りこんだ。
 かち。
 間の抜けた音を立てて、シリンダーが六分の一だけ回転した。男たちがどっと笑うのが、聡一郎の耳に飛び込んできた。何が可笑しいのか分からないまま、聡一郎は荒い息をつく。自分の表情は、それほど滑稽だろうか。そうかもしれない。
 指が震えて、強ばっている。梅崎はにやにやと、聡一郎を睨め回している。五分の一、と、聡一郎は口の中で呟いた。汗が目にしみて、目蓋を閉じる。暗闇には、走馬灯は浮かばなかった。
 かちり。
 吹き出した汗が、背中をぬらした。もう無理だ。これ以上は無理だ。土下座して、もう勘弁してくださいとわめき散らしたら、なんとかして、指の一本か二本で許してもらえないものだろうか。聡一郎はこれまでずっと、暴力には縁がなく、ごくまっとうなサラリーマンとしてやってきた。小指の先だって失いたくはないが、命よりはましだ。
 だいたいどうして、自分がこんな目にあうのか。遅ればせながら、ようやく聡一郎の胸に怒りがこみ上げてきた。なにも彼らの組長の一人娘を誘拐したわけでも、もてあそんで捨てたわけでもない。未成年といったって、弓枝は十九だ。彼はただ普通の恋愛をしただけだ。
 弓枝はきっと、いま聡一郎が置かれている状況を知らないだろう。彼らが弓枝の耳に入れるとも思えない。
 聡一郎は目を開けた。男たちは笑顔をいくらか引っ込めて、興味深そうに彼を見下ろしている。この拳銃を梅崎につきつけて、映画のヒーローのように、あるいは強盗犯よろしく人質にして、事務所から逃走する自分を想像しようとした。うまくいかなかった。だいたい、次に弾が飛び出す可能性は四分の一で、聡一郎が一発目を撃ちそこなった時点で、周りの男たちに取り押さえられて、あっという間に殺されてしまうだろう。
 それがどうした、どっちにしたって一か八かじゃないか。どうせ死ぬんなら、せめて最後に少しくらい、噛み付いてやったらどうなんだ。普段の自分からすると考えられないような、攻撃的な衝動がわきあがってきて、聡一郎は梅崎の細めた目をにらみつけた。
 そして蜂の巣にされるのか。聡一郎は目を閉じた。弓枝はとつぜん姿を見せなくなった聡一郎を、どう思うだろうか。父親の部下が何かしたのだと、察しはつくかもしれない。その先は? この男がそらっとぼけて、どうせびびって逃げたんでしょうとでもいうのだろうか。
 聡一郎は深呼吸をした。そしてアドレナリンに任せて、立て続けに引き鉄をひいた。
 かち。かち。
 男たちの間から、感心したような声が漏れた。聡一郎は目蓋の裏に、ちかちかと青い光が瞬くのを見た。それは弓枝とふたり見上げた都会の暗い空に、かろうじて闇に押しつぶされきらずにちらついていた星の光に、よく似ていた。


 弓枝は、派手な外見とは裏腹に、少女らしい幼さを残していた。いつもの道端で何回目かに逢ったとき、夜空を見るのが好きだといって、足をぶらぶらさせながら、指折り星の名前を挙げた。シリウス、スピカ、アルタイル。
「へえ。天体観測なんか、よく行くの」
 聡一郎がそう訊くと、弓枝は眉をしかめて、親が許さないから、と呟いた。
「ふうん。過保護なんだね」
 何も知らない男を、あきらめたような寂しさをたたえた目で見つめ返して、弓枝は唇を吊り上げた。
「ね、連れてってくれる」
 弓枝は顔を近づけて、面白がるようにいった。それから、星見の名所だという場所の名を、指折り上げた。電車とレンタカーでもあればたかだか一、二時間ほどでいけるだろう、ありふれた観光スポットのことを、弓枝はまるでまほろばの夢か、遠い異国の情景のように、目をきらきらさせて語った。その中には、聡一郎が子どもの頃にいった、たわいないレジャースポットも混じっていたし、彼自身には、それほど素晴らしい場所にも思えなかったのだけれど、それでも聡一郎は彼女の言葉にいちいち頷いた。
「ね、車もってる」
 弓枝に訊かれて、聡一郎は頷いた。女の子を乗せるのもためらうような、安い中古車ではあるけれど、あることはある。
「過保護なオヤジが気づいて、怒って追いかけてくるかもしんないけど、それでも連れてってくれる?」
 いいよと答えたときには、唇が重なっていた。
 なんだか、はじめてのチューのときみたいにどきどきするよと、弓枝は笑って、照れくさそうに鼻を擦った。


 残りは二分の一。ふーっ、ふーっと、断続的に猫の唸るような声が聞こえて、それが自分の呼吸であることに、聡一郎は遅れて気がついた。指がじんじんとしびれて感覚がない。中途半端な姿勢でいたために、足もすっかり痺れてしまっている。よろめくと、腕をぐいと引いて体を起こされた。
 あと二分の一。いや、五回連続でハズレを引く確率なら、つまるところは六分の一じゃないか。それは何割だ。一割五分か、もっとか。聡一郎は自問自答した。おれはここで何をやっているんだ? ヤクザの経営する会社の一室で、拳銃を自分の頭に突きつけて、おれはいったい何をしているんだ?
 息はなかなか整わなかった。目の中でちらちらする星は、もう都会の暗く寂しい夜空ではなく、街灯のない田舎の路地で見上げる空ほどに増えていた。この手の中の銃で、男たちのせめて一人くらいを撃ち殺して、その隙に逃げ出そうとするのと、このまま自分の頭をぶち抜くのと、どっちがより馬鹿馬鹿しい? 答えは出なかった。ヤクザの組長の娘にうっかり入れあげるのとだったら、どっちが馬鹿だろうか。
 星の瞬く目蓋の闇に、ちらりと、弓枝の寂しそうな目の色が映った。
 はっとして目を開けると、梅崎が足をデスクから下ろして、真顔で聡一郎を見つめていた。その目の色は真剣そのもので、先ほどまでのにやにや笑いは、きれいに拭い去られている。クーラーの立てる鈍い動作音が、やけにはっきりと聡一郎の耳に飛び込んできた。
 汗がひいていた。ぐっしょりと濡れたシャツの背中が気持ち悪い。聡一郎は息を詰めた。それから弓枝、と、今度は声に出して呟いた。もう指は震えていなかった。
 かちり。
 周囲から、ためいきが漏れた。
 何がどうなったのか、すぐにはわからなかった。デスクから立ち上がった梅崎が、つかつかと歩み寄ってきて、手から拳銃を取り上げる段になって、聡一郎はようやく、自分が生きていることを悟った。
 もう誰も、聡一郎を取り押さえてはいなかった。感心したような囁きが漏れる。膝ががくがくと震えて、聡一郎は思わず顔から床に突っ伏すように転んだ。
「たいした度胸だな、兄さん」
 梅崎はにやりと笑って、聡一郎の肩をぽんと叩いた。
「まあ、オヤジがどういうかは分からんが、かけあってみてやるよ。約束はできねえがな、オヤジは度胸のいいやつが好きだから、まあ、そう悪いことにはならねえんじゃねえか」
 その声を、どこか遠くから降ってくるもののように、聡一郎は聞いていた。何度も瞬きを繰り返す。
「ゆ、」
 いいかけて咳き込んだ。聡一郎はふたたびどっと吹き出してきた顔の汗を、おぼつかない手で拭いながら、どうにか声を絞り出した。
「弓枝、さんとは、会わせてもらえるんでしょうか」
 聡一郎がそういうと、梅崎は片眉を吊り上げた。
「なんだ、とっとと尻尾を巻くかと思ったがな」
 聡一郎自身もさっきまで、そのつもりでいた。もうヤクザの世界になんて、係わり合いになりたくなかった。早いこと忘れて、平穏な、拳銃なんていうものに縁のない日常生活に帰りたかった。最後の一回の引き鉄を引く瞬間、目の前に浮かんだのが、弓枝の顔でなかったなら、そうしていただろう。
「逃げようとするやつも、ひたすら命乞いするやつも、捨て鉢んなって死ぬつもりでどんどん引き鉄を引くやつもいるがな、あんだけ真っ青になってぶるぶる震えながら、それでも最後の一回まで、引き鉄を引くとは思わなかったよ。どうだ兄さん、オヤジが許すようだったら、うちの会社に来ないかい」
 慌ててぶるぶると首を横に振ると、梅崎は声を上げて笑って、手でもてあそんでいた拳銃を、いきなり自分自身のこめかみに当てた。聡一郎があっと思う暇もなく、その引き鉄が絞られる。
 かちり。
 聡一郎はぽかんと口をあけて、梅崎の頭を凝視した。周りの男たちが、どっと笑い声を立てる。
「まあ、なんだ。そういうことさ。人のこねえ山ん中ならともかく、こんなところで死体を作っても、面倒だ。それに、ヤケになって銃を振り回す馬鹿もいることだしな」
 ぽんと聡一郎の肩を叩いて、梅崎はひらひらと手を振りながら、背中を見せた。彼らの「オヤジ」のところに、ことの首尾を伝えにいくのだろう。
 足が震えて、なかなか立ち上がれなかった。聡一郎はくらくらする頭を手で押さえて目をきつく瞑り、目蓋の裏に広がる星空を見つめた。

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必須お題:「はじめてのチュー」「まほろば」「甘やかな声」

縛り:「一か八かの局面にいる」「彼と八ヶ月ぶりのお電話(任意)」「汗の描写をする」

任意お題:「もう見ることはないと破りすてた写真を私はセロハンテープで補修している」 「へへいべいべ!」「おじいちゃん、おくちくちーゃい」「息苦しい」(使用できず)

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