小説を書いたり本を読んだりしてすごす日々のだらだらログ。
少し前の話。
空は快晴。目に痛いような青空に、夏の盛りらしい真っ白く、質感のある巨大な雲が、遠く近く群れ集っている。
長崎西洋館のあるあたりから、歩いて五分ほど、坂を上ったところに、観光客をあてにしたみやげ物屋が並ぶ通りがあって、そのすぐ脇に、大きな建物の並びが見えてくる。
社会科見学なのだろう、ひとかたまりの小学生たちが、賑やかにおしゃべりを交わし、くすくす笑いとともに友達の肘をつつきながら、教師に引率されて、ぞろぞろと歩いていく。暑い、面倒くさいという顔をしている子もいれば、普段の授業とは違う課外活動に、どこか浮かれている子もいる。
レンガ色の記念館の横を通りすぎると、ドーム型の白い建物を見下ろすことになる。順路を追って入り口に向ううちに、建物の中庭の、明るい光の差し込む噴水が目に入る。いや、水が吹き上げるわけではないから、噴水とはいわないのかもしれない。壁を伝って下まで流れ落ちる、涼しげな水。
ほかのどこの施設でそれを見ても、「きれいだな」の次には、「経費がもったいないな」と思うような、大仰な仕掛けだ。
下りきり、少し重いドアを開けて入り口をくぐると、冷房の利いた室内の空気が流れ出す。
入ってすぐは、観光客の行き交うロビーだ。団体客がたむろして、ツアーガイドが声を張り上げている。小さな売店や喫茶室があり、その奥に、らせん状のスロープがある。広い吹き抜けをぐるりと囲む丸い壁に沿って、ゆっくりとめぐりながら下る、緩やかな下り道。
途中のガラス窓から、先ほどの中庭が見える。壁に何か、芸術作品が飾られているのを横目に、ゆっくりと下までおりきると、そこには薄ぐらいホールがあって、いくつもの券売機が並んでいる。チケットを購入して、まるで駅の改札のような入り口をくぐると、そこが展示室だ。
団体客用の入り口から、小学生たちがぞろぞろと、声をひそめて、それでもまだどこかはしゃいだ調子で、たわいのないおしゃべりをかわしながら、中へと進んでいく。
順路のはじめのほうにあるのは、図面や航空写真、ビデオによる解説、そして当時の壊れた建物の破片、再現された建築物の模型。ファットマンの模型、それを運んだ戦闘機の写真。テレビの画面に映る写真、解説、そこから聞こえてくるナレーション。
焼け野原に打ち立てられた木の看板には、筆文字で、ゆくえのしれない家族のひとりに宛てられたらしい伝言がつづられている。父健在、家族四人死亡。これより何処其処へ行くので何某に連絡せよ。……
原子爆弾『ファットマン』が投下される三日前の、長崎市の上空写真が、壁に貼られている。
その横に並ぶ、投下直後の写真。
隣の写真と同じ、見慣れた市内の地形。そこには何もない。ひとつ隣の写真には、くっきりと見える、数々の建物の形が、跡形もない。
進むにつれて、展示物の趣が変わっていく。
焼けとけてぐにゃりと歪んだガラスや石、金属。もとがなんだったか分からない、ねじれた白い塊。ひずんで時を止めた柱時計。
やがて当時の白黒写真が展示されたエリアにたどりつく。
爆発や火災で壊れ、倒壊した建物。中心地からは遠く離れた建物さえ、爆風になぎ倒され、ひずんで崩れ落ちた鉄骨だけがかろうじて形をとどめ、ばらばらになった瓦礫と大量の木片が、その隙間を埋めている。
爆風では倒壊しなかった地区も、消火活動もろくにできず、延焼して、火の海に包まれたのだという。
写真のほとんどが白黒だ。それがせめて、見るもののショックを和らげている。いまのような鮮明なカラー写真で、もしこの画像を見たとしたら、誰が平静でいられるだろうか。
黒こげで瓦礫の上に落ちている死体。その傍で途方にくれて立ち尽くす家族。
人間の頭部の半分以上を覆う火傷痕。
放射能の影響ですっかりと頭髪の抜け落ちた子ども。
治療を受けながら泣き叫んでいる赤ん坊。
皮膚をしめるケロイドの痕。
先ほどまで興奮気味にはしゃいでいた子どもたちが、いつの間にか、しんと黙り込んでいる。口元を押さえて悲鳴を飲み込む子。泣いている子。気分が悪くなって友達に支えられている子。食い入るように写真を見つめている子。
それにしても、と思う。
あの瓦礫の山から、いまの姿にまで復興したのだ。
投下直前の長崎市民の人口が、およそ24万人。その年の12月までに出た死者、7万4千人。負傷者が7万5千人。二次被爆者、被爆二世、三世への偏見の目をはじめ、いまなお多くの悲劇を遺していても、それでも少なくとも、ここまで復興したのだ。
出口近くに、地球儀が置かれている。青い球体から生える、いくつものキノコ雲。これまでに核実験の行われた地域のうえに、規模をあらわすキノコ雲の模型を貼り付けてあるらしかった。
順路に沿って、外に出る。ほかの通り道もあるけれど、来たときのらせんのスロープから上っていく。中庭の壁を流れ落ちる水が眩しい。
被爆直後、全身に火傷を負いながら、渇きを癒そうと浦上川に殺到し、力尽きて流されていったという人々。水を求める死者の声を悼むために、平和公園にはたくさんの噴水がある。
空は快晴。目に痛いような青空に、夏の盛りらしい真っ白く、質感のある巨大な雲が、遠く近く群れ集っている。
長崎西洋館のあるあたりから、歩いて五分ほど、坂を上ったところに、観光客をあてにしたみやげ物屋が並ぶ通りがあって、そのすぐ脇に、大きな建物の並びが見えてくる。
社会科見学なのだろう、ひとかたまりの小学生たちが、賑やかにおしゃべりを交わし、くすくす笑いとともに友達の肘をつつきながら、教師に引率されて、ぞろぞろと歩いていく。暑い、面倒くさいという顔をしている子もいれば、普段の授業とは違う課外活動に、どこか浮かれている子もいる。
レンガ色の記念館の横を通りすぎると、ドーム型の白い建物を見下ろすことになる。順路を追って入り口に向ううちに、建物の中庭の、明るい光の差し込む噴水が目に入る。いや、水が吹き上げるわけではないから、噴水とはいわないのかもしれない。壁を伝って下まで流れ落ちる、涼しげな水。
ほかのどこの施設でそれを見ても、「きれいだな」の次には、「経費がもったいないな」と思うような、大仰な仕掛けだ。
下りきり、少し重いドアを開けて入り口をくぐると、冷房の利いた室内の空気が流れ出す。
入ってすぐは、観光客の行き交うロビーだ。団体客がたむろして、ツアーガイドが声を張り上げている。小さな売店や喫茶室があり、その奥に、らせん状のスロープがある。広い吹き抜けをぐるりと囲む丸い壁に沿って、ゆっくりとめぐりながら下る、緩やかな下り道。
途中のガラス窓から、先ほどの中庭が見える。壁に何か、芸術作品が飾られているのを横目に、ゆっくりと下までおりきると、そこには薄ぐらいホールがあって、いくつもの券売機が並んでいる。チケットを購入して、まるで駅の改札のような入り口をくぐると、そこが展示室だ。
団体客用の入り口から、小学生たちがぞろぞろと、声をひそめて、それでもまだどこかはしゃいだ調子で、たわいのないおしゃべりをかわしながら、中へと進んでいく。
順路のはじめのほうにあるのは、図面や航空写真、ビデオによる解説、そして当時の壊れた建物の破片、再現された建築物の模型。ファットマンの模型、それを運んだ戦闘機の写真。テレビの画面に映る写真、解説、そこから聞こえてくるナレーション。
焼け野原に打ち立てられた木の看板には、筆文字で、ゆくえのしれない家族のひとりに宛てられたらしい伝言がつづられている。父健在、家族四人死亡。これより何処其処へ行くので何某に連絡せよ。……
原子爆弾『ファットマン』が投下される三日前の、長崎市の上空写真が、壁に貼られている。
その横に並ぶ、投下直後の写真。
隣の写真と同じ、見慣れた市内の地形。そこには何もない。ひとつ隣の写真には、くっきりと見える、数々の建物の形が、跡形もない。
進むにつれて、展示物の趣が変わっていく。
焼けとけてぐにゃりと歪んだガラスや石、金属。もとがなんだったか分からない、ねじれた白い塊。ひずんで時を止めた柱時計。
やがて当時の白黒写真が展示されたエリアにたどりつく。
爆発や火災で壊れ、倒壊した建物。中心地からは遠く離れた建物さえ、爆風になぎ倒され、ひずんで崩れ落ちた鉄骨だけがかろうじて形をとどめ、ばらばらになった瓦礫と大量の木片が、その隙間を埋めている。
爆風では倒壊しなかった地区も、消火活動もろくにできず、延焼して、火の海に包まれたのだという。
写真のほとんどが白黒だ。それがせめて、見るもののショックを和らげている。いまのような鮮明なカラー写真で、もしこの画像を見たとしたら、誰が平静でいられるだろうか。
黒こげで瓦礫の上に落ちている死体。その傍で途方にくれて立ち尽くす家族。
人間の頭部の半分以上を覆う火傷痕。
放射能の影響ですっかりと頭髪の抜け落ちた子ども。
治療を受けながら泣き叫んでいる赤ん坊。
皮膚をしめるケロイドの痕。
先ほどまで興奮気味にはしゃいでいた子どもたちが、いつの間にか、しんと黙り込んでいる。口元を押さえて悲鳴を飲み込む子。泣いている子。気分が悪くなって友達に支えられている子。食い入るように写真を見つめている子。
それにしても、と思う。
あの瓦礫の山から、いまの姿にまで復興したのだ。
投下直前の長崎市民の人口が、およそ24万人。その年の12月までに出た死者、7万4千人。負傷者が7万5千人。二次被爆者、被爆二世、三世への偏見の目をはじめ、いまなお多くの悲劇を遺していても、それでも少なくとも、ここまで復興したのだ。
出口近くに、地球儀が置かれている。青い球体から生える、いくつものキノコ雲。これまでに核実験の行われた地域のうえに、規模をあらわすキノコ雲の模型を貼り付けてあるらしかった。
順路に沿って、外に出る。ほかの通り道もあるけれど、来たときのらせんのスロープから上っていく。中庭の壁を流れ落ちる水が眩しい。
被爆直後、全身に火傷を負いながら、渇きを癒そうと浦上川に殺到し、力尽きて流されていったという人々。水を求める死者の声を悼むために、平和公園にはたくさんの噴水がある。
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朝陽 遥(アサヒ ハルカ)
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