小説を書いたり本を読んだりしてすごす日々のだらだらログ。
拍手コメへのレス……を兼ねたような、そうでもないような、なんだかぐだぐだな日記です。
どうもいつも、満足のいくものが書けなくて、頻繁にクヨクヨしています……自分を客観的に見られなくて、どの作品が少しはマシで、どの作品が見るに耐えない駄文なのか、自分でもよく分かりません。だから書き終えていっときすると、必ずクヨクヨしています。いっときチョーシに乗ることがありますが、ちょっとするとまたクヨクヨします。困ったものです。
でも、クヨクヨしながら試行錯誤するのも、それはそれで楽しいようなところもあるので、いつまでもクヨクヨしながら迷走してるんだろうなあとも思います。
たまには迷走するばかりじゃなくて、わたしもちょっとは成長した! と思えると、なおよいのですが……
それとももしかして、がんばり続ければ、いつかは解脱したかのように、己の力量を悟りきって、満足する日がやってくるのでしょうか。そんな日がきそうな気が、ちっともしません。
自在に美しい文章をすらすら紡ぎだす魔法の筆を、持って生まれていたらよかったのにと、ときどき歯軋りするほど悔しいですが、客観的に見てみれば、私の場合はそうじゃなくてよかったのかもしれないという気もします。半分は負け惜しみですが、性格的に、たいして苦もなく会得できる種類の技術には、あんまり執着できない気質です。飽きっぽいともいう……
でもどれだけ頑張ってもまるきり報われなければ、それはそれで挫折するんじゃないかなあ。目先の小さな目標を追いかけたり、拍手ボタンを押していただいて浮かれたり、気楽に楽しく書けるような遊びの小品を書いたり、ときには体当たりのものを書いて、挫折を覚悟で無謀な挑戦もし、そんな感じで色々と、飽きずにやっていけたらいいです。
小さな満足と、常に満足しきらず希求する気持ちを、どちらも持ったまま、ずうっとまっすぐに進んでいくことが、できればいいんだけどなあと、ため息まじりに思います。でもきっと、何度もくじけたり、どん底になったり、投げたりしながら、そして私生活が忙しくなって筆が止まったりしながら、またしばらくすると、書かない自分に耐え切れなくて、拙い筆を何度もとるんだろうなと、そんな気がしています。
前から日記をのぞいてくださっている方には、もしかするともう聞き飽きた話かもしれず、恐縮なのですが、私は一度は、完全に書くことをやめていた人間で、それも四年くらい、仕事でいっぱいいっぱいになって、完全に筆を投げていたのでした。
それまでは、WEBで公開することはほとんどなくても、のろのろと書いては友達に読んでもらってということを、まがりなりにもしていたんです。プロになりたいというような願望は、かなり早い時期からなかったですが、それでもいつかはWEBの片隅に自分のホームページを作って、オンラインノベルをやるんだ、いつか面白い小説を書けるようになるんだと、そんなことを漠然と考えていました。
でもそれが、一時期やたらと仕事がハードになって、プライベートに何かをするだけの余力を失って、ぴたっと止んだ。一度書くのをやめてしまえば、ふと合間に時間ができて、何かを書こうとしても、もう頭が真っ白になって、ちっとも言葉がでてこない……
べつに何も書かなくても、自分はフツウに生きていけるんだという、あたりまえのことを、そのときに思い知りました。ずっと何も読まないで生きていける自信は正直ないですが、書くほうは、書かないなら書かないで、死ぬほど飢えるわけではないです。
けれど小説を書かない日々は、ただただ隙間を埋めていく時間でした。
もちろん生活のことはあるし、仕事だってしんどいけれども楽しい部分もあるし、死んだように生きていたというわけではないです。ヒマがあればマンガを読む。小説を読む。ゲームをする。美味しいお茶の入れ方を勉強する。だらだら怠ける。ネットサーフィンをする。たまに友達にメールしたり電話したり。猫と遊ぶ。
楽しいことは探せばいくらでもあります。その中に恋愛が入っていないのが、我ながらちょっとどうかと思うのですが、まあそんなことはさておき。
でも、仕事が落ち着いて時間があまれば、さあどうやってそれを潰そうかと、まずそう考える日々でした。ときどきふっと、自分が折った筆のことを考え、どうせたいした文章は書けないのだしと、ふてくされる。結局自分にはたいした才能がないということは、もう骨身に沁みてわかっていたし、それもコンプレックスになっていました。
でもある日、憧れのWEB作家さんのブログにあったひとことで、がらりと世界が変わりました。長く更新が止まっていたその作家さんのホームページで、急に、たてつづけの更新があったんです。そしてそのブログの、物語を持っている人は皆、それを書くべきだという、たったひとつの記事で、私の中にも、小説を書きたいという気持ちが、まだ溶けずに眠っていたことに、ようやく気が付きました。
そのログをどこかに保管しておけばよかったと、いまになってはつくづく思うのですが、ブログ移転により、もういまは原文を確認することができません。細かいところはうろ覚えなのですが、書きたいという思いは、消そうとしても消えない、灰に埋もれて燻る熾火のようなもので、一度は消えたように見えたとしても、心の奥底では死ぬまで消えない何かなのだと、そういう話でした。
頭を殴られたような気がしました。その方は、本当にすばらしい小説を書かれる方で、自分の話を同列に並べて語るのもものすごく恐れおおいと言うか、おこがましいようなものなのですが、それはともかく、本当にもうこのまま一生、何も書かないでいいのかと、自分に問いかけたときに、答えはものすごくシンプルで、「そんなのいやだ!」でした。
いまは幸せな日々です。書くものはけっきょく駄文ばかりだし、読みたいものも書きたいものも多すぎて、書くほうはしょっちゅう満足がいかずにクヨクヨするし、時間がひたすら足りなくてもどかしいですが、それでも間違いなく幸せです。
つくづく文才はないなあと、書くたびに思いますが、こつこつ頑張ればもしかしたら、いつかはもうすこしマシなものが書けるようになるんじゃないかと、無理にでも思うようにしています。全く才能がないと思って書くよりも、眠っているだけでどこかにはあるんだと思い込んで書くほうが、少しは成長できるような気がするから。
単に、暗示にかかりやすいだけかもしれません。でも、もうどれだけめげても、どれだけペースが落ちても、進歩が見られなくて芽が出ないままでも、私は一生、生きて筆をとる体力が残されている限りは、細々とでも何かを書こうとするだろうなと、そう思っています。
続きに返信です。
どうもいつも、満足のいくものが書けなくて、頻繁にクヨクヨしています……自分を客観的に見られなくて、どの作品が少しはマシで、どの作品が見るに耐えない駄文なのか、自分でもよく分かりません。だから書き終えていっときすると、必ずクヨクヨしています。いっときチョーシに乗ることがありますが、ちょっとするとまたクヨクヨします。困ったものです。
でも、クヨクヨしながら試行錯誤するのも、それはそれで楽しいようなところもあるので、いつまでもクヨクヨしながら迷走してるんだろうなあとも思います。
たまには迷走するばかりじゃなくて、わたしもちょっとは成長した! と思えると、なおよいのですが……
それとももしかして、がんばり続ければ、いつかは解脱したかのように、己の力量を悟りきって、満足する日がやってくるのでしょうか。そんな日がきそうな気が、ちっともしません。
自在に美しい文章をすらすら紡ぎだす魔法の筆を、持って生まれていたらよかったのにと、ときどき歯軋りするほど悔しいですが、客観的に見てみれば、私の場合はそうじゃなくてよかったのかもしれないという気もします。半分は負け惜しみですが、性格的に、たいして苦もなく会得できる種類の技術には、あんまり執着できない気質です。飽きっぽいともいう……
でもどれだけ頑張ってもまるきり報われなければ、それはそれで挫折するんじゃないかなあ。目先の小さな目標を追いかけたり、拍手ボタンを押していただいて浮かれたり、気楽に楽しく書けるような遊びの小品を書いたり、ときには体当たりのものを書いて、挫折を覚悟で無謀な挑戦もし、そんな感じで色々と、飽きずにやっていけたらいいです。
小さな満足と、常に満足しきらず希求する気持ちを、どちらも持ったまま、ずうっとまっすぐに進んでいくことが、できればいいんだけどなあと、ため息まじりに思います。でもきっと、何度もくじけたり、どん底になったり、投げたりしながら、そして私生活が忙しくなって筆が止まったりしながら、またしばらくすると、書かない自分に耐え切れなくて、拙い筆を何度もとるんだろうなと、そんな気がしています。
前から日記をのぞいてくださっている方には、もしかするともう聞き飽きた話かもしれず、恐縮なのですが、私は一度は、完全に書くことをやめていた人間で、それも四年くらい、仕事でいっぱいいっぱいになって、完全に筆を投げていたのでした。
それまでは、WEBで公開することはほとんどなくても、のろのろと書いては友達に読んでもらってということを、まがりなりにもしていたんです。プロになりたいというような願望は、かなり早い時期からなかったですが、それでもいつかはWEBの片隅に自分のホームページを作って、オンラインノベルをやるんだ、いつか面白い小説を書けるようになるんだと、そんなことを漠然と考えていました。
でもそれが、一時期やたらと仕事がハードになって、プライベートに何かをするだけの余力を失って、ぴたっと止んだ。一度書くのをやめてしまえば、ふと合間に時間ができて、何かを書こうとしても、もう頭が真っ白になって、ちっとも言葉がでてこない……
べつに何も書かなくても、自分はフツウに生きていけるんだという、あたりまえのことを、そのときに思い知りました。ずっと何も読まないで生きていける自信は正直ないですが、書くほうは、書かないなら書かないで、死ぬほど飢えるわけではないです。
けれど小説を書かない日々は、ただただ隙間を埋めていく時間でした。
もちろん生活のことはあるし、仕事だってしんどいけれども楽しい部分もあるし、死んだように生きていたというわけではないです。ヒマがあればマンガを読む。小説を読む。ゲームをする。美味しいお茶の入れ方を勉強する。だらだら怠ける。ネットサーフィンをする。たまに友達にメールしたり電話したり。猫と遊ぶ。
楽しいことは探せばいくらでもあります。その中に恋愛が入っていないのが、我ながらちょっとどうかと思うのですが、まあそんなことはさておき。
でも、仕事が落ち着いて時間があまれば、さあどうやってそれを潰そうかと、まずそう考える日々でした。ときどきふっと、自分が折った筆のことを考え、どうせたいした文章は書けないのだしと、ふてくされる。結局自分にはたいした才能がないということは、もう骨身に沁みてわかっていたし、それもコンプレックスになっていました。
でもある日、憧れのWEB作家さんのブログにあったひとことで、がらりと世界が変わりました。長く更新が止まっていたその作家さんのホームページで、急に、たてつづけの更新があったんです。そしてそのブログの、物語を持っている人は皆、それを書くべきだという、たったひとつの記事で、私の中にも、小説を書きたいという気持ちが、まだ溶けずに眠っていたことに、ようやく気が付きました。
そのログをどこかに保管しておけばよかったと、いまになってはつくづく思うのですが、ブログ移転により、もういまは原文を確認することができません。細かいところはうろ覚えなのですが、書きたいという思いは、消そうとしても消えない、灰に埋もれて燻る熾火のようなもので、一度は消えたように見えたとしても、心の奥底では死ぬまで消えない何かなのだと、そういう話でした。
頭を殴られたような気がしました。その方は、本当にすばらしい小説を書かれる方で、自分の話を同列に並べて語るのもものすごく恐れおおいと言うか、おこがましいようなものなのですが、それはともかく、本当にもうこのまま一生、何も書かないでいいのかと、自分に問いかけたときに、答えはものすごくシンプルで、「そんなのいやだ!」でした。
いまは幸せな日々です。書くものはけっきょく駄文ばかりだし、読みたいものも書きたいものも多すぎて、書くほうはしょっちゅう満足がいかずにクヨクヨするし、時間がひたすら足りなくてもどかしいですが、それでも間違いなく幸せです。
つくづく文才はないなあと、書くたびに思いますが、こつこつ頑張ればもしかしたら、いつかはもうすこしマシなものが書けるようになるんじゃないかと、無理にでも思うようにしています。全く才能がないと思って書くよりも、眠っているだけでどこかにはあるんだと思い込んで書くほうが、少しは成長できるような気がするから。
単に、暗示にかかりやすいだけかもしれません。でも、もうどれだけめげても、どれだけペースが落ちても、進歩が見られなくて芽が出ないままでも、私は一生、生きて筆をとる体力が残されている限りは、細々とでも何かを書こうとするだろうなと、そう思っています。
続きに返信です。
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朝陽 遥(アサヒ ハルカ)
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非公開
自己紹介:
朝陽遥(アサヒ ハルカ)またはHAL.Aの名義であちこち出没します。お気軽にかまってやっていただけるとうれしいです。詳しくはこちらから
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