小説を書いたり本を読んだりしてすごす日々のだらだらログ。
本題の前にお礼。昨日の深夜(今日?)に「雨の夜をゆく」に拍手ボタンをおして下さった方、どなた様か存じ上げませんが、ありがとうございました……!
ブログの拍手ボタンとかって、ときどき巡回ロボットが押していくことがあるらしくて、どれがそういうもので、どれが本当にいただいた拍手か、実のところよく分からないんですが、とりあえず作品にもらったものは(異常な回数とかじゃなければ)、自分に都合よく、どなたかが読んでくださったものだと信じて喜ぶことにしています。ありがとうございます!
本題。
創作論みたいなことって、いくら力をこめて語ったところで、結局自分の書く作品がしょんぼりだったら、何を言っても寒々しいというか、説得力ないというか、そういうあれこれを考え出すと、自分の実力的にちょっと(というか、かなり)気まずいものがあるのですが、まあいちおう小説のブログでもあるし、いま考えていることのログ的に、あまり気負わないで、つらつらっと残しておこうかな……と、その程度のだらだらした呟きですので、「そういうの興味ないぜ!」という方は、さらりとスルーしていただければ幸いであります。……長い言い訳だなあ!
何の話かというと、小説内に占めるセリフの割合のことなのでした。
前々から自覚はあったのですが、ぼーっと筆に任せて書いていると、どんどんセリフが少なく少なくなっていく自分がいて、意識せずにセリフのいっこもない小説を書いたこともしばしば。
そういうやり方が、ひとつの方向性としてアリかナシかというと、アリだと思うんですが(というか、プロ嗜好の方にとってどうかはわかりませんが、アマチュア書きにはどんなんだってアリだと思います)、それはそれとして、せめてもうちょっとセリフ強化したいなーと、このごろ漠然と思っていたのです。
というのが、もちろん読み手さんも色々で、文章の硬軟に関しての好みは千差万別ですけれども、自分が読書初心者だった頃を振り返ると、セリフの少ない小説って、やっぱり読むのに気後れしていた記憶があります。
いまはそんなこともないですが、そのころは地の文は軽めにさらっと読み流し、セリフを中心に追うような読み方をしていたという気がします。それを考えると、セリフを磨くのって、すごい大事だなあと、あらためて思ったんです。
ひとつひとつのセリフのセンスもですけども、セリフだけを拾い読みしてもあるていど展開が掴めて、置いてけぼりにならないというのは、強いなと思うんです。読書初心者にさえ、地の文の一文字も読み逃させないくらいの、ものすごい吸引力のある美しい文章が書ければ、それでいいのかもしれないんだけど。そんな極論はさておき。
あと視覚的にセリフがやや多目であれば、それだけでもいくらかとっつきやすいというか、読む前の抵抗感が、ちょっとは違うんじゃないかなあ。あんまり多すぎても、それはそれで、かえって読みづらいという方が出てくるのかなと思うのですが……
もちろんべつに、すべての書き手が意識して初心者に門戸を開かないといけないとか、そんなことをいうつもりはなくて、読書量の多い方にこそウケるような、通好みの小説というのは、それはそれでいいというか、たしかな需要があると思うし(量の多寡はさておいても)、個人的にはそういう小説も、むしろ世にはたくさんあってほしいと思うんです。世に出る本が小難しい本ばかりでも困るけど、小難しくて堅苦しい本が読めなくなるというのは、それはそれで寂しすぎる。
じゃあ、自分の書くものをどうしていきたいかというと、欲張りで、いろいろ無節操に書きたいんで、読みやすさを犠牲にしないと書けない世界観というか、空気というか、そういうものを出したいときには、あえてがっつり堅苦しく重い、とっつきにくい作風も(書ける腕があるかどうかは別としても)、それはそれでやっていきたいんです。でも、とりあえず、そういう方向性だけで満足できるかというと、それもイヤだ。読みやすくてライトなものも書きたいです。というか、書きたいものの空気を壊さない範囲であれば、読みやすければ読みやすいほどいいです。
それに、そもそも自分がラノベ育ちですし、いまは重厚な文章や美麗な文章にもときめくけれど、チープな文章も、いまでも大好きなんです。……チープっていったら言葉がよくないかなあ。読みやすくて、気軽にすいすい読めて、軽いノリで楽しめるやつ。読むのに気合もなんにもいらなくて、ちょっと空いた時間にひょいと開いて読もうと思うような娯楽作品。
静かな喫茶店でゆったりブレンドを楽しむ幸せと、おうちでポテトチップスをばりばり食べる幸せは、また別なのよ! とか思います。どちらがいい悪いということじゃなくて、どっちも捨てがたい。ブレンドが飲めればポテチは一生喰わなくていいかというと、そんなわきゃない。うまい棒もポテチもハンバーガーもカップヌードルも、高級食品にはない絶妙な中毒性、うまさがあるんです! 庶民にとっては!(誰にいってるんだ)
ということで、セリフの量質を強化したかったんです。苦手だという自覚が前からうっすらあったので。
それで、毎週恒例即興三語の縛りに、ひょいと気楽に、「セリフだけ読んでも話が伝わるように書く(努力目標)」というのを提案してみたんです。(昨日の記事参照)
そしたら、あまりの書きにくさに愕然としたんです。これはひどい。出来がすごいひどい。苦手意識はあったけど、ここまでとは……!
つらい。地の文で語りたい。っていうかむしろなんでもかんでも地の文で済ませたい、というくらいの感覚でした。書きながら汗がでました。これはちょっとあんまりだ。
もちろん、セリフがよければ地の文はどうでもいいかというと、そんなわけはなくて、地の文の迫力や匂いが薄い小説って、それはそれで物足りないです。
そのキャラクターが同じセリフをいうにしても、前後のしぐさや表情、行動、情景の描写で、セリフのニュアンスは変わってくるし、そういうところを出せるようになってもいきたい。
前にどこで読んだ話だったか、完全に人の受け売りなんですが、たとえば登場する女の子が、ある男の子のことを好きだとして、ストレートに「好き」といっているよりも、「嫌い」って言いながらモジモジしているほうが、よほど説得力があるという論。
それって、すごくそうだと思うんです。好き嫌いに限ったことではありませんが、口で言っていることと裏腹の目の色とか、間のとり方。そういう奥行きってすごく萌……コホン。すごくいい! と思うんです。素直クール的に、臆面もなくお前が好きだと言い切るキャラも、それはそれでいいけどな!
……はっ。どこまでも話が逸れていく。
ええと、だから、もちろん地の文も強化したいんですが、とりあえず目先の小さな目標として、セリフ強化……ちょっとずつでも意識していきたいなあ。というような呟きでした。
……そんなことをいいながら、引き続きセリフのすくなくセンスのないものを量産していたら、嗤ってやってください……
ブログの拍手ボタンとかって、ときどき巡回ロボットが押していくことがあるらしくて、どれがそういうもので、どれが本当にいただいた拍手か、実のところよく分からないんですが、とりあえず作品にもらったものは(異常な回数とかじゃなければ)、自分に都合よく、どなたかが読んでくださったものだと信じて喜ぶことにしています。ありがとうございます!
本題。
創作論みたいなことって、いくら力をこめて語ったところで、結局自分の書く作品がしょんぼりだったら、何を言っても寒々しいというか、説得力ないというか、そういうあれこれを考え出すと、自分の実力的にちょっと(というか、かなり)気まずいものがあるのですが、まあいちおう小説のブログでもあるし、いま考えていることのログ的に、あまり気負わないで、つらつらっと残しておこうかな……と、その程度のだらだらした呟きですので、「そういうの興味ないぜ!」という方は、さらりとスルーしていただければ幸いであります。……長い言い訳だなあ!
何の話かというと、小説内に占めるセリフの割合のことなのでした。
前々から自覚はあったのですが、ぼーっと筆に任せて書いていると、どんどんセリフが少なく少なくなっていく自分がいて、意識せずにセリフのいっこもない小説を書いたこともしばしば。
そういうやり方が、ひとつの方向性としてアリかナシかというと、アリだと思うんですが(というか、プロ嗜好の方にとってどうかはわかりませんが、アマチュア書きにはどんなんだってアリだと思います)、それはそれとして、せめてもうちょっとセリフ強化したいなーと、このごろ漠然と思っていたのです。
というのが、もちろん読み手さんも色々で、文章の硬軟に関しての好みは千差万別ですけれども、自分が読書初心者だった頃を振り返ると、セリフの少ない小説って、やっぱり読むのに気後れしていた記憶があります。
いまはそんなこともないですが、そのころは地の文は軽めにさらっと読み流し、セリフを中心に追うような読み方をしていたという気がします。それを考えると、セリフを磨くのって、すごい大事だなあと、あらためて思ったんです。
ひとつひとつのセリフのセンスもですけども、セリフだけを拾い読みしてもあるていど展開が掴めて、置いてけぼりにならないというのは、強いなと思うんです。読書初心者にさえ、地の文の一文字も読み逃させないくらいの、ものすごい吸引力のある美しい文章が書ければ、それでいいのかもしれないんだけど。そんな極論はさておき。
あと視覚的にセリフがやや多目であれば、それだけでもいくらかとっつきやすいというか、読む前の抵抗感が、ちょっとは違うんじゃないかなあ。あんまり多すぎても、それはそれで、かえって読みづらいという方が出てくるのかなと思うのですが……
もちろんべつに、すべての書き手が意識して初心者に門戸を開かないといけないとか、そんなことをいうつもりはなくて、読書量の多い方にこそウケるような、通好みの小説というのは、それはそれでいいというか、たしかな需要があると思うし(量の多寡はさておいても)、個人的にはそういう小説も、むしろ世にはたくさんあってほしいと思うんです。世に出る本が小難しい本ばかりでも困るけど、小難しくて堅苦しい本が読めなくなるというのは、それはそれで寂しすぎる。
じゃあ、自分の書くものをどうしていきたいかというと、欲張りで、いろいろ無節操に書きたいんで、読みやすさを犠牲にしないと書けない世界観というか、空気というか、そういうものを出したいときには、あえてがっつり堅苦しく重い、とっつきにくい作風も(書ける腕があるかどうかは別としても)、それはそれでやっていきたいんです。でも、とりあえず、そういう方向性だけで満足できるかというと、それもイヤだ。読みやすくてライトなものも書きたいです。というか、書きたいものの空気を壊さない範囲であれば、読みやすければ読みやすいほどいいです。
それに、そもそも自分がラノベ育ちですし、いまは重厚な文章や美麗な文章にもときめくけれど、チープな文章も、いまでも大好きなんです。……チープっていったら言葉がよくないかなあ。読みやすくて、気軽にすいすい読めて、軽いノリで楽しめるやつ。読むのに気合もなんにもいらなくて、ちょっと空いた時間にひょいと開いて読もうと思うような娯楽作品。
静かな喫茶店でゆったりブレンドを楽しむ幸せと、おうちでポテトチップスをばりばり食べる幸せは、また別なのよ! とか思います。どちらがいい悪いということじゃなくて、どっちも捨てがたい。ブレンドが飲めればポテチは一生喰わなくていいかというと、そんなわきゃない。うまい棒もポテチもハンバーガーもカップヌードルも、高級食品にはない絶妙な中毒性、うまさがあるんです! 庶民にとっては!(誰にいってるんだ)
ということで、セリフの量質を強化したかったんです。苦手だという自覚が前からうっすらあったので。
それで、毎週恒例即興三語の縛りに、ひょいと気楽に、「セリフだけ読んでも話が伝わるように書く(努力目標)」というのを提案してみたんです。(昨日の記事参照)
そしたら、あまりの書きにくさに愕然としたんです。これはひどい。出来がすごいひどい。苦手意識はあったけど、ここまでとは……!
つらい。地の文で語りたい。っていうかむしろなんでもかんでも地の文で済ませたい、というくらいの感覚でした。書きながら汗がでました。これはちょっとあんまりだ。
もちろん、セリフがよければ地の文はどうでもいいかというと、そんなわけはなくて、地の文の迫力や匂いが薄い小説って、それはそれで物足りないです。
そのキャラクターが同じセリフをいうにしても、前後のしぐさや表情、行動、情景の描写で、セリフのニュアンスは変わってくるし、そういうところを出せるようになってもいきたい。
前にどこで読んだ話だったか、完全に人の受け売りなんですが、たとえば登場する女の子が、ある男の子のことを好きだとして、ストレートに「好き」といっているよりも、「嫌い」って言いながらモジモジしているほうが、よほど説得力があるという論。
それって、すごくそうだと思うんです。好き嫌いに限ったことではありませんが、口で言っていることと裏腹の目の色とか、間のとり方。そういう奥行きってすごく萌……コホン。すごくいい! と思うんです。素直クール的に、臆面もなくお前が好きだと言い切るキャラも、それはそれでいいけどな!
……はっ。どこまでも話が逸れていく。
ええと、だから、もちろん地の文も強化したいんですが、とりあえず目先の小さな目標として、セリフ強化……ちょっとずつでも意識していきたいなあ。というような呟きでした。
……そんなことをいいながら、引き続きセリフのすくなくセンスのないものを量産していたら、嗤ってやってください……
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