小説を書いたり本を読んだりしてすごす日々のだらだらログ。
即興三語小説。
うっ……またしても中途半端。セリフ多目、セリフ多目……と呪文のように呟きながら、うんうん唸って書いていましたが、自分がいかにセリフが苦手で地の文に頼りがちか、よく分かりました。しゅ、修行しよう……。
いつにもまして不出来ですが、晒しておいてログに流します……。
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黒々とした水面に、半月が映りこんで揺れている。そこに昼間の熱気を孕んだ生温い風が吹き付けて、映りこんだ銀盤のシルエットを千々にかき乱した。遠くから犬の吼え声や夫婦喧嘩の物音、酔っ払いがどこぞの店先のシャッターを殴りつけるような音がまじり合って、かすかに響いてくる。
「あー、誰もいないプールって最高!」
流野乃莉子は水着姿で伸びをすると、手首にひっかけていたゴムで、いそいそと髪をひとつに縛った。湿ったコンクリートの感触を、素足で踏みしめると、プールのふちからつま先を水面に浸して、水温を確かめるようにかき乱す。昼は生徒たちの喧騒に紛れて気にならないような水音が、夜のプールには、やけに大きく響いた。
「大きな声だすなよ、宿直の先生がいるかもしれないだろ」
乃莉子の後ろから追いかけてきた市瀬勉が、そんなふうに、ためいきまじりの声を落とした。
「何よ、度胸がないんだから」
「堅実な性格といってくれ」
「あーもーうるさいなあ。連れてこなきゃよかった。っていうか、ついてきてなんていった覚えもないんだけど」
「あのなあ。おまえが危なっかしいから、おれは心配して」
「あー、はいはい、お説教はいいから。ここまで来たんだもの、あんたも泳ぐでしょ?」
乃莉子は言い捨てるなり、思い切りよくプールに飛び込んだ。
「気持ちいー!」
歓声を上げて、乃莉子が顔を水面に出す。その目が月光を弾いてきらきらと輝くのを見ながら、勉は首をすくめた。あまり大きな水音を立てれば、校舎内にまで聞こえるかもしれない。
いまにも窓の明かりがつくのではないかと、勉はこわごわと視線を校舎のほうにめぐらせたが、幸い、その気配はいまのところ見られなかった。勉はもうひとつためいきを落とすと、あきらめたように水面に滑り込んだ。
水は夜になってもさめきらず、昼間の熱の名残をのこしている。その中を、なるべく音を立てないようにと、勉は恐る恐る水をかいた。
「ははは、勉のビビリー」
「うるさいな」
憮然と答えながら、勉はプールの底を足で擦った。それでも微熱を孕んだコンクリートは足の裏に心地よく、たったのふたりで、競泳ではない水遊びのために使うには、学校のプールは広すぎるほどで、その中を自由に泳いでいいのだと思うと、しぶしぶやってきたはずの勉も、少しは気分が浮き立つような気がした。それで少しは本格的に泳ごうかと、勉がクロールのフォームで水をかき始めたところだった。
「あ!」
乃莉子が大声を上げて、ばしゃばしゃと水面をかき乱したため、勉は面食らって泳ぎをとめ、プールの底に足をついた。
「なんだよ」
「髪ゴム、どっかいった。うっそー、どこだろ。全然見えない」
いいながらばしゃばしゃと水を蹴立てる乃莉子に、勉はためいきをもうひとつ追加した。
「少し落ち着け」
「えー、だって。ないと髪ジャマだよー、泳ぎづらいよ」
「ちょっとはじっとしろって、よけい探しづら……」
言いかけて、勉は口を噤んだ。乃莉子も動きをぴたりと止める。ふたりの前方の水面が、奇妙なさざなみを立てて、ぼんやりとした淡い光をにじませていた。
「……あれ、なに。なんか光ってない?」
「光ってるな」
言葉をきって、ふたりは顔を見合わせた。青白い光は、プールサイドから懐中電灯で照らされているというふうでもなく、水中から湧き出るように見えた。ふたりは申し合わせたように同時におそるおそるあとずさって、光る水面から距離をとろうとした。
「……ねえ、なんか聞こえない?」
「え?」
乃莉子にいわれて、勉は耳をすませた。たしかに何か、音楽のようなものが、かすかに響いている。
「……なに、なんの歌?」
「歌っていうか、リコーダーの音に聞こえるけど……」
その音もまた、校舎から響いてくるというふうではなく、プールの中のどこかから響いてくるようだ。しかしプールサイドを見渡したところで、二人のほかに誰の姿もない。真っ暗闇ならばともかく、月明かりで周囲はそれなりに視界が利いていて、少なくとも人影を見落とすほどの暗闇ではなかった。乃莉子がゆっくりと水をかきながら、不安げに勉を振り返った。
「なんかさ、ちょっとあれみたいじゃない? ほら、中学の音楽の授業で出てきたあれ、……ローレライ?」
「あれは海の話だろ。プールにそんなもんがいてたまるか」
小声でいいあいながら少しずつ後ずさっていく二人の前で、光っていた水面が急に激しくゆれ、泡立ち始めた。
「うっそ、何、何なに、どうしたの!?」
「ちょ、まて落ち着けって、暴れるな、溺れるぞ!」
言い合う間に、慌てふためく二人の前の水面がざばりと盛り上がり、そこから小さな人影が姿を現した。
呆然とする二人の前で、ぼんやりと青白く光りながら立ち尽くすそれは、どうみても、小学校中学年くらいの、女の子に見えた。少女はうすく微笑んで、両手を高く上げると、おもむろに口を開いた。
「お前がおとしたのは、この銀のごむか? それとも金のごむか?」
プールに沈黙が落ちた。
少女はじっと乃莉子を見つめて、答えを待っている。よく見れば少女は、スクール水着を着ており、その体はうっすらと、月光の反射だけではない、淡い光に包まれていた。しかしその得体のしれない光をのぞけば、どこをどうみても普通の小学生で、髪を括るゴムについた赤いビーズが、せいいっぱいのおしゃれらしかった。
「……なんで小学生がこんなところにいるんだ?」
「小学生じゃないもん!」
少女は急に大声をあげて、どこからか取り出したリコーダーを、勉の頭に投げつけた。
「あいたっ! ……じゃあ何なんだよ!」
「わたしはプールの精」
少女はまだない胸を逸らして、えらそうに言った。
「は?」
「は、じゃない。わたしはプールの精なの。それよりどっちなの、金のごむなの、銀のごむなの」
「っていうか金のゴムって何よ。金なの、それともゴムなの?」
乃莉子から冷静に反論された少女は、ぐっと答えにつまり、見る間に顔を赤く染めた。
「うー、あ、えっと」
「どっちなの?」
少女は、泣き出しそうになるのをぐっと堪える顔で、ぷるぷると肩を震わせた。その姿は、もう光を発してはいない。勉はつい見るに見かねて、横から口をはさんだ。
「なあ、なんだかよく分からないけど、こんな時間に小学生が一人でうろついてたら、危ないだろ。早く家に帰れよ。送っていってやろうか?」
勉がそういいうなり、少女は顔をくしゃりとゆがめ、ぽろぽろと大粒の涙をこぼした。
「わ、なんだよ、なんで泣くんだ」
「ちょっと、何泣かせてるのよ勉」
「な、なに? おれ何か悪いこといった?」
それよりこんなところを誰かに目撃されたら、何をいわれるか分かったもんじゃないと、勉は焦りながら、おたおたと意味もなく腕を振り回した。
プールの精を名乗る少女は、そんな勉の慌てぶりなど目にも入らないようすで、顔を赤くしてしゃくりあげた。
「プールの精にはおうちなんてないもの。そういう設定なんだもん」
「は? なに?」
「設定?」
二人が声を揃えて聞き返すと、少女はますます激しく泣き出した。
「お、落ち着いて。何かよく分からないけど、とにかくごめん、泣き止んで、ね? 事情を聞くから」
乃莉子がいうと、プールの精はしばらくしゃくりあげたあと、やがて涙のまだ混じる声で、説明をはじめた。
「だってみんな、かってに好きなことばっかりいうんだもん。プールの精は、おかあさんからプールに捨てられた子どもの霊だとか、クラスの子に泳げないのをからかわれて、こっそりひとりで夜に練習してて、おぼれて死んじゃったんだとか、そうじゃなくて、市民プールでおきたテロで、毒ガスをすって死んじゃった子だとか……」
「あれ」
乃莉子が急に声を上げた。
「なんだよ」
「それちょっと、あたしも聞いたことあるかも。溺れちゃった子の話」
「なんだそれ、怪談?」
「っていうか都市伝説かなあ。誰と誰から聞いたんだったかな。でもいう人いう人、ちょっとずつ話が違っててね」
「みんなひどいよ。格好だってそうなんだよ。いまはスクール水着っていうひとがおおいからまだいいけど、まえは、ぼろぼろのTシャツとか、私立の小学校の制服とか、ガスマスクをつけた背の高い女の子とか、みんなでばらばらなこというから、わたしの見た目はいつもあやふやで」
「え、なに、どういうこと?」
「わ、わたしたちみたいなのは、みんなのイメージがしっかりしてないと、不安定になっちゃうんだよ。なのにみんな、むかしばなしとごっちゃにして、きいた話とちがうことを人にいいふらすから」
そこまでいうと、堪えきれなくなったのか、プールの精はまたわんわん泣き出した。その声がパトロール中の警官でも呼び寄せたらどうしようと、泡を食う勉をよそに、乃莉子は急に目を輝かせた。
「ねえ待って、じゃあ、あなたはお化けで、みんなの噂のパワーみたいなものが集まって生まれた、ってこと? それでみんなの噂がバラバラだから、さっきみたいに、泉の女神みたいなことをしてるの? そういう噂を流すひとがいるから?」
少女はこっくりと頷いて、べそべそしながら、手で涙を拭った。
「おい、そんな馬鹿な話」
「何が馬鹿なのよ、だって現に、さっきみたいに光ったりとか、急に水の中から出てきたりとかしたじゃない」
「そんなの、トリックかもしれないだろ」
「どんなトリックよ。あたしたちだって、今日急に決めてここに来たのに、誰があたしたちを騙そうっての。あんたはもう、ホントに頭が固いんだから」
「そ、それは」
少女は二人の口論も聞いていないのか、しゃくりあげながら、切々と訴えた。
「わたしだって、わたしだって、てけてけや口裂けみたいに、みんながおなじ話をしてくれたら、そしたらもっとちゃんとできるのに!」
「ちょっとまて、テケテケってホントにいるのか!?」
青ざめて叫ぶ勉に、プールの精はそれがどうかしたのかというような、きょとんとした顔で頷いた。
「なによ、ホントにビビリなんだから。大丈夫よ、ポマードっていったら逃げるから」
「それ口裂け女のほうだろ、っていうか口裂けだって、ポマードっていったら怒って襲い掛かってくるっていうやつもいるだろ」
ずれていく二人の口論をよそに、プールの精はぐすぐすと鼻を鳴らしている。
「もう、どうしていいのかわかんないよう……」
プールの精は、ぼたぼたと落ちる涙を手のひらでぐいぐい擦って、また鼻を啜った。勉はそこでようやく気の毒そうな顔になって、ぽりぽりと鼻の脇をかいた。
「俺もそういえば、ちょっと聞いたことがあるよ。もっと怖い話だと思ってたけど、こんなマヌ……可愛らしいオバケだったのか」
「何よ、あんたホントに怖がりなのね」
「うるさいな、だって、おれが聞いたのは、流れるプールで泳いでたら、足をひっぱって溺れさせようとしてくるっていう話で……」
勉がばつの悪い表情でいいかえしている最中に、急に、プールの精の体が光りだした。くしゃくしゃに顔をゆがめて泣きべそをかいていたのが、拭い去られるように掻き消えて、人形のような無表情に転じる。ぎょっとして、二人は飛び退ろうとしたが、水中のことで、とてもそうすばやく動けるものではない。そうする間に、少女の髪が乱れて肩の上で絡まりあい、顔色が瞬く間に青白く変じていく。急に生ぬるい風がプールを吹きぬけた。
「ばか勉!」
「ええ、これ俺のせい!?」
二人が怒鳴りあう間に、少女は変貌を遂げ、まるで水などそこにないかのような勢いで、勉に飛び掛ってきた。
「うわあ!」
あげることの出来た悲鳴は、一声きりだった。勉は次の瞬間には強い力で水中に引きずり込まれて、必死にもがいていた。
(小学生の力じゃない……!)
ごぼりと空気の泡を吐きながら、それでもどうにか水中で目を開いて、足を掴む少女を見下ろした勉は、ふたつの目が水底で、白くらんらんと光っているのを見た。ぞっとしながら、どうにか振り払おうと暴れるが、足に抱きつくようにしてすがり付いてくるプールの精の手足は、尋常ではない力で、ぐいぐいと勉の足を底へ底へと引き摺りこんでいく。
「やめて! 勉を放しなさいよ!」
水面の向こうで叫ぶ乃莉子の声は、勉の耳には、どこかはるか遠くから響いてくるように聞こえた。ごぼりと、自分の口からこぼれた泡が水上に浮かび上がっていき、月光を弾いて銀色に光るのを、勉はみた。
これはマジで死ぬかもと、どこかで妙に冷静に勉が考えた、そのときだった。乃莉子の泣き叫ぶような声が、水の膜を突き破る鋭さで、刺さってきた。
「あ……あたしが聞いた話では、プールの精は、そんなひどいこと、しないんだよ!」
ぴたりと、勉の足を引く力が弱まった。まだ足首に絡み付いてはいるが、水底へと引きずり込む動きは、潜められている。
「泳ぎが下手で、クラスメートにそれをからかわれて、練習してるときにうっかり溺れて死んじゃったんだって。だから自分より小さい子が溺れそうになったら、手を引っ張って助けてくれるんだよ。プールの精は子どもの味方なんだから!」
ざばりと音を立てて、勉の視界が反転した。
水を吐きながら勉が水面に顔を出すと、そこには泣きべそをかく少女が、もとのように立ち尽くしていた。すっかり元通りの、あどけない泣き顔に戻っている。
「し……死ぬかと」
思った、までいえずに咳き込む勉の背中を、乃莉子が慌ててさすった。
「わるい、たすかった」
「心配させないでよ、バカ勉!」
「ごめん……」
無鉄砲の乃莉子を心配してついてきたはずが、すっかり助けられたばつの悪さで、勉は肩を落として謝った。
「もー! かってなことばっかり言って! わたしはどうしたらいいのよう! みんなきらい! だいきらい!」
癇癪を起こしてわんわん泣き喚くプールの精に、乃莉子は慌てて駆け寄った。スクール水着の肩に手を置いて、頭をなでている。ついさっき恐ろしい化け物に変貌したものを前に、よくそんな態度が取れるなと、呆れて遠巻きにしている勉をよそに、乃莉子はプールの精を力強く抱きしめた。
「わかった、あたしたちがなんとかしてあげる!」
「は? 何とかっていうか、たちって、おい」
遠くから抗議の声を上げる勉をよそに、乃莉子は熱心にいった。プールの精はまだ泣き顔だが、きょとんとして乃莉子の顔を見上げている。
「ようするに、決まったイメージができたらいいのよね。あたしたちが噂を広めてあげる。勉、あんたの妹、小学生だったよね。協力しなさい!」
「え、いやその、俺、そいつに……」
殺されかけたんだけど、といいかけて、勉は口を噤んだ。プールの精が、泣きべその顔に、ぱっと輝くような笑顔を浮かべたからだ。
「ほんと!? ほんとにそうしてくれる?」
「う、……いや、その」
いやだと言ってごらんなさい、覚悟は出来てるんでしょうねと、振り返って睨みつける乃莉子の視線が、雄弁に語っていた。勉はしばらくの葛藤のあとに、ヤケクソで怒鳴った。
「分かった、分かったよ! 協力するから!」
プールの水を蹴立てて、乃莉子とプールの精が、手に手を取り合って歓声を上げた。とてもさっきの化け物と同じものは思えない、その無邪気な様子を見て、勉は深いためいきを水面に落とした。
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必須お題:「シャッター」「流れるプール」「ガスマスク」
縛り:「誰かを呪う」「ラストは涙(任意)」「セリフだけ読んでも話が伝わるように書く(努力目標)」
任意お題:「壊死」「やさしくなる呪い」「あえて挑戦」
うっ……またしても中途半端。セリフ多目、セリフ多目……と呪文のように呟きながら、うんうん唸って書いていましたが、自分がいかにセリフが苦手で地の文に頼りがちか、よく分かりました。しゅ、修行しよう……。
いつにもまして不出来ですが、晒しておいてログに流します……。
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黒々とした水面に、半月が映りこんで揺れている。そこに昼間の熱気を孕んだ生温い風が吹き付けて、映りこんだ銀盤のシルエットを千々にかき乱した。遠くから犬の吼え声や夫婦喧嘩の物音、酔っ払いがどこぞの店先のシャッターを殴りつけるような音がまじり合って、かすかに響いてくる。
「あー、誰もいないプールって最高!」
流野乃莉子は水着姿で伸びをすると、手首にひっかけていたゴムで、いそいそと髪をひとつに縛った。湿ったコンクリートの感触を、素足で踏みしめると、プールのふちからつま先を水面に浸して、水温を確かめるようにかき乱す。昼は生徒たちの喧騒に紛れて気にならないような水音が、夜のプールには、やけに大きく響いた。
「大きな声だすなよ、宿直の先生がいるかもしれないだろ」
乃莉子の後ろから追いかけてきた市瀬勉が、そんなふうに、ためいきまじりの声を落とした。
「何よ、度胸がないんだから」
「堅実な性格といってくれ」
「あーもーうるさいなあ。連れてこなきゃよかった。っていうか、ついてきてなんていった覚えもないんだけど」
「あのなあ。おまえが危なっかしいから、おれは心配して」
「あー、はいはい、お説教はいいから。ここまで来たんだもの、あんたも泳ぐでしょ?」
乃莉子は言い捨てるなり、思い切りよくプールに飛び込んだ。
「気持ちいー!」
歓声を上げて、乃莉子が顔を水面に出す。その目が月光を弾いてきらきらと輝くのを見ながら、勉は首をすくめた。あまり大きな水音を立てれば、校舎内にまで聞こえるかもしれない。
いまにも窓の明かりがつくのではないかと、勉はこわごわと視線を校舎のほうにめぐらせたが、幸い、その気配はいまのところ見られなかった。勉はもうひとつためいきを落とすと、あきらめたように水面に滑り込んだ。
水は夜になってもさめきらず、昼間の熱の名残をのこしている。その中を、なるべく音を立てないようにと、勉は恐る恐る水をかいた。
「ははは、勉のビビリー」
「うるさいな」
憮然と答えながら、勉はプールの底を足で擦った。それでも微熱を孕んだコンクリートは足の裏に心地よく、たったのふたりで、競泳ではない水遊びのために使うには、学校のプールは広すぎるほどで、その中を自由に泳いでいいのだと思うと、しぶしぶやってきたはずの勉も、少しは気分が浮き立つような気がした。それで少しは本格的に泳ごうかと、勉がクロールのフォームで水をかき始めたところだった。
「あ!」
乃莉子が大声を上げて、ばしゃばしゃと水面をかき乱したため、勉は面食らって泳ぎをとめ、プールの底に足をついた。
「なんだよ」
「髪ゴム、どっかいった。うっそー、どこだろ。全然見えない」
いいながらばしゃばしゃと水を蹴立てる乃莉子に、勉はためいきをもうひとつ追加した。
「少し落ち着け」
「えー、だって。ないと髪ジャマだよー、泳ぎづらいよ」
「ちょっとはじっとしろって、よけい探しづら……」
言いかけて、勉は口を噤んだ。乃莉子も動きをぴたりと止める。ふたりの前方の水面が、奇妙なさざなみを立てて、ぼんやりとした淡い光をにじませていた。
「……あれ、なに。なんか光ってない?」
「光ってるな」
言葉をきって、ふたりは顔を見合わせた。青白い光は、プールサイドから懐中電灯で照らされているというふうでもなく、水中から湧き出るように見えた。ふたりは申し合わせたように同時におそるおそるあとずさって、光る水面から距離をとろうとした。
「……ねえ、なんか聞こえない?」
「え?」
乃莉子にいわれて、勉は耳をすませた。たしかに何か、音楽のようなものが、かすかに響いている。
「……なに、なんの歌?」
「歌っていうか、リコーダーの音に聞こえるけど……」
その音もまた、校舎から響いてくるというふうではなく、プールの中のどこかから響いてくるようだ。しかしプールサイドを見渡したところで、二人のほかに誰の姿もない。真っ暗闇ならばともかく、月明かりで周囲はそれなりに視界が利いていて、少なくとも人影を見落とすほどの暗闇ではなかった。乃莉子がゆっくりと水をかきながら、不安げに勉を振り返った。
「なんかさ、ちょっとあれみたいじゃない? ほら、中学の音楽の授業で出てきたあれ、……ローレライ?」
「あれは海の話だろ。プールにそんなもんがいてたまるか」
小声でいいあいながら少しずつ後ずさっていく二人の前で、光っていた水面が急に激しくゆれ、泡立ち始めた。
「うっそ、何、何なに、どうしたの!?」
「ちょ、まて落ち着けって、暴れるな、溺れるぞ!」
言い合う間に、慌てふためく二人の前の水面がざばりと盛り上がり、そこから小さな人影が姿を現した。
呆然とする二人の前で、ぼんやりと青白く光りながら立ち尽くすそれは、どうみても、小学校中学年くらいの、女の子に見えた。少女はうすく微笑んで、両手を高く上げると、おもむろに口を開いた。
「お前がおとしたのは、この銀のごむか? それとも金のごむか?」
プールに沈黙が落ちた。
少女はじっと乃莉子を見つめて、答えを待っている。よく見れば少女は、スクール水着を着ており、その体はうっすらと、月光の反射だけではない、淡い光に包まれていた。しかしその得体のしれない光をのぞけば、どこをどうみても普通の小学生で、髪を括るゴムについた赤いビーズが、せいいっぱいのおしゃれらしかった。
「……なんで小学生がこんなところにいるんだ?」
「小学生じゃないもん!」
少女は急に大声をあげて、どこからか取り出したリコーダーを、勉の頭に投げつけた。
「あいたっ! ……じゃあ何なんだよ!」
「わたしはプールの精」
少女はまだない胸を逸らして、えらそうに言った。
「は?」
「は、じゃない。わたしはプールの精なの。それよりどっちなの、金のごむなの、銀のごむなの」
「っていうか金のゴムって何よ。金なの、それともゴムなの?」
乃莉子から冷静に反論された少女は、ぐっと答えにつまり、見る間に顔を赤く染めた。
「うー、あ、えっと」
「どっちなの?」
少女は、泣き出しそうになるのをぐっと堪える顔で、ぷるぷると肩を震わせた。その姿は、もう光を発してはいない。勉はつい見るに見かねて、横から口をはさんだ。
「なあ、なんだかよく分からないけど、こんな時間に小学生が一人でうろついてたら、危ないだろ。早く家に帰れよ。送っていってやろうか?」
勉がそういいうなり、少女は顔をくしゃりとゆがめ、ぽろぽろと大粒の涙をこぼした。
「わ、なんだよ、なんで泣くんだ」
「ちょっと、何泣かせてるのよ勉」
「な、なに? おれ何か悪いこといった?」
それよりこんなところを誰かに目撃されたら、何をいわれるか分かったもんじゃないと、勉は焦りながら、おたおたと意味もなく腕を振り回した。
プールの精を名乗る少女は、そんな勉の慌てぶりなど目にも入らないようすで、顔を赤くしてしゃくりあげた。
「プールの精にはおうちなんてないもの。そういう設定なんだもん」
「は? なに?」
「設定?」
二人が声を揃えて聞き返すと、少女はますます激しく泣き出した。
「お、落ち着いて。何かよく分からないけど、とにかくごめん、泣き止んで、ね? 事情を聞くから」
乃莉子がいうと、プールの精はしばらくしゃくりあげたあと、やがて涙のまだ混じる声で、説明をはじめた。
「だってみんな、かってに好きなことばっかりいうんだもん。プールの精は、おかあさんからプールに捨てられた子どもの霊だとか、クラスの子に泳げないのをからかわれて、こっそりひとりで夜に練習してて、おぼれて死んじゃったんだとか、そうじゃなくて、市民プールでおきたテロで、毒ガスをすって死んじゃった子だとか……」
「あれ」
乃莉子が急に声を上げた。
「なんだよ」
「それちょっと、あたしも聞いたことあるかも。溺れちゃった子の話」
「なんだそれ、怪談?」
「っていうか都市伝説かなあ。誰と誰から聞いたんだったかな。でもいう人いう人、ちょっとずつ話が違っててね」
「みんなひどいよ。格好だってそうなんだよ。いまはスクール水着っていうひとがおおいからまだいいけど、まえは、ぼろぼろのTシャツとか、私立の小学校の制服とか、ガスマスクをつけた背の高い女の子とか、みんなでばらばらなこというから、わたしの見た目はいつもあやふやで」
「え、なに、どういうこと?」
「わ、わたしたちみたいなのは、みんなのイメージがしっかりしてないと、不安定になっちゃうんだよ。なのにみんな、むかしばなしとごっちゃにして、きいた話とちがうことを人にいいふらすから」
そこまでいうと、堪えきれなくなったのか、プールの精はまたわんわん泣き出した。その声がパトロール中の警官でも呼び寄せたらどうしようと、泡を食う勉をよそに、乃莉子は急に目を輝かせた。
「ねえ待って、じゃあ、あなたはお化けで、みんなの噂のパワーみたいなものが集まって生まれた、ってこと? それでみんなの噂がバラバラだから、さっきみたいに、泉の女神みたいなことをしてるの? そういう噂を流すひとがいるから?」
少女はこっくりと頷いて、べそべそしながら、手で涙を拭った。
「おい、そんな馬鹿な話」
「何が馬鹿なのよ、だって現に、さっきみたいに光ったりとか、急に水の中から出てきたりとかしたじゃない」
「そんなの、トリックかもしれないだろ」
「どんなトリックよ。あたしたちだって、今日急に決めてここに来たのに、誰があたしたちを騙そうっての。あんたはもう、ホントに頭が固いんだから」
「そ、それは」
少女は二人の口論も聞いていないのか、しゃくりあげながら、切々と訴えた。
「わたしだって、わたしだって、てけてけや口裂けみたいに、みんながおなじ話をしてくれたら、そしたらもっとちゃんとできるのに!」
「ちょっとまて、テケテケってホントにいるのか!?」
青ざめて叫ぶ勉に、プールの精はそれがどうかしたのかというような、きょとんとした顔で頷いた。
「なによ、ホントにビビリなんだから。大丈夫よ、ポマードっていったら逃げるから」
「それ口裂け女のほうだろ、っていうか口裂けだって、ポマードっていったら怒って襲い掛かってくるっていうやつもいるだろ」
ずれていく二人の口論をよそに、プールの精はぐすぐすと鼻を鳴らしている。
「もう、どうしていいのかわかんないよう……」
プールの精は、ぼたぼたと落ちる涙を手のひらでぐいぐい擦って、また鼻を啜った。勉はそこでようやく気の毒そうな顔になって、ぽりぽりと鼻の脇をかいた。
「俺もそういえば、ちょっと聞いたことがあるよ。もっと怖い話だと思ってたけど、こんなマヌ……可愛らしいオバケだったのか」
「何よ、あんたホントに怖がりなのね」
「うるさいな、だって、おれが聞いたのは、流れるプールで泳いでたら、足をひっぱって溺れさせようとしてくるっていう話で……」
勉がばつの悪い表情でいいかえしている最中に、急に、プールの精の体が光りだした。くしゃくしゃに顔をゆがめて泣きべそをかいていたのが、拭い去られるように掻き消えて、人形のような無表情に転じる。ぎょっとして、二人は飛び退ろうとしたが、水中のことで、とてもそうすばやく動けるものではない。そうする間に、少女の髪が乱れて肩の上で絡まりあい、顔色が瞬く間に青白く変じていく。急に生ぬるい風がプールを吹きぬけた。
「ばか勉!」
「ええ、これ俺のせい!?」
二人が怒鳴りあう間に、少女は変貌を遂げ、まるで水などそこにないかのような勢いで、勉に飛び掛ってきた。
「うわあ!」
あげることの出来た悲鳴は、一声きりだった。勉は次の瞬間には強い力で水中に引きずり込まれて、必死にもがいていた。
(小学生の力じゃない……!)
ごぼりと空気の泡を吐きながら、それでもどうにか水中で目を開いて、足を掴む少女を見下ろした勉は、ふたつの目が水底で、白くらんらんと光っているのを見た。ぞっとしながら、どうにか振り払おうと暴れるが、足に抱きつくようにしてすがり付いてくるプールの精の手足は、尋常ではない力で、ぐいぐいと勉の足を底へ底へと引き摺りこんでいく。
「やめて! 勉を放しなさいよ!」
水面の向こうで叫ぶ乃莉子の声は、勉の耳には、どこかはるか遠くから響いてくるように聞こえた。ごぼりと、自分の口からこぼれた泡が水上に浮かび上がっていき、月光を弾いて銀色に光るのを、勉はみた。
これはマジで死ぬかもと、どこかで妙に冷静に勉が考えた、そのときだった。乃莉子の泣き叫ぶような声が、水の膜を突き破る鋭さで、刺さってきた。
「あ……あたしが聞いた話では、プールの精は、そんなひどいこと、しないんだよ!」
ぴたりと、勉の足を引く力が弱まった。まだ足首に絡み付いてはいるが、水底へと引きずり込む動きは、潜められている。
「泳ぎが下手で、クラスメートにそれをからかわれて、練習してるときにうっかり溺れて死んじゃったんだって。だから自分より小さい子が溺れそうになったら、手を引っ張って助けてくれるんだよ。プールの精は子どもの味方なんだから!」
ざばりと音を立てて、勉の視界が反転した。
水を吐きながら勉が水面に顔を出すと、そこには泣きべそをかく少女が、もとのように立ち尽くしていた。すっかり元通りの、あどけない泣き顔に戻っている。
「し……死ぬかと」
思った、までいえずに咳き込む勉の背中を、乃莉子が慌ててさすった。
「わるい、たすかった」
「心配させないでよ、バカ勉!」
「ごめん……」
無鉄砲の乃莉子を心配してついてきたはずが、すっかり助けられたばつの悪さで、勉は肩を落として謝った。
「もー! かってなことばっかり言って! わたしはどうしたらいいのよう! みんなきらい! だいきらい!」
癇癪を起こしてわんわん泣き喚くプールの精に、乃莉子は慌てて駆け寄った。スクール水着の肩に手を置いて、頭をなでている。ついさっき恐ろしい化け物に変貌したものを前に、よくそんな態度が取れるなと、呆れて遠巻きにしている勉をよそに、乃莉子はプールの精を力強く抱きしめた。
「わかった、あたしたちがなんとかしてあげる!」
「は? 何とかっていうか、たちって、おい」
遠くから抗議の声を上げる勉をよそに、乃莉子は熱心にいった。プールの精はまだ泣き顔だが、きょとんとして乃莉子の顔を見上げている。
「ようするに、決まったイメージができたらいいのよね。あたしたちが噂を広めてあげる。勉、あんたの妹、小学生だったよね。協力しなさい!」
「え、いやその、俺、そいつに……」
殺されかけたんだけど、といいかけて、勉は口を噤んだ。プールの精が、泣きべその顔に、ぱっと輝くような笑顔を浮かべたからだ。
「ほんと!? ほんとにそうしてくれる?」
「う、……いや、その」
いやだと言ってごらんなさい、覚悟は出来てるんでしょうねと、振り返って睨みつける乃莉子の視線が、雄弁に語っていた。勉はしばらくの葛藤のあとに、ヤケクソで怒鳴った。
「分かった、分かったよ! 協力するから!」
プールの水を蹴立てて、乃莉子とプールの精が、手に手を取り合って歓声を上げた。とてもさっきの化け物と同じものは思えない、その無邪気な様子を見て、勉は深いためいきを水面に落とした。
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必須お題:「シャッター」「流れるプール」「ガスマスク」
縛り:「誰かを呪う」「ラストは涙(任意)」「セリフだけ読んでも話が伝わるように書く(努力目標)」
任意お題:「壊死」「やさしくなる呪い」「あえて挑戦」
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朝陽 遥(アサヒ ハルカ)
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