小説を書いたり本を読んだりしてすごす日々のだらだらログ。
即興三語小説。短いです。
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私が街へ出かけ、きれいな指輪を買い求めて帰ってくるたびごとに、兄はきっちりと十秒間、じっと私の抱える小箱を見つめたあとで、おもむろに薄い唇の間から、私の悪癖を非難する。張り付いたような鉄面皮をちらりともゆるがせることなく、いやになるほど冷静に。
もし癇癪じみた口調で怒鳴られるか、あるいは皮肉を投げつけられるのならば、私も感情的に反駁するだろう。でも兄は淡々と、あくまで理性的に自論を展開するのだ。ことによると、非難しているつもりもないかもしれない。お前はそれで、いっときは気が晴れるかもしれないが、それがなんになるのだ。もう少し建設的なことに情熱を注げばいいとは思わないのか。お前がいままでにそうやってドブに捨てた金がいくらか、数えてみたことはあるか?
だから私は黙り込むしかなくなる。二十も年の離れた兄の皺ぶかい顔を、じっと恨めしそうに見返すばかりで、いうべき言葉などどこにもないことを、ただ思い知らされる。
私のお金なんだから好きに使ってもいいじゃない。ずっと前にはそんなふうに言ってみたこともある。けれど私が持たされている金は、年老いた父から投げ与えられたもので、一円たりとも自分で汗水たらして稼いだものではない。そうであれば、そんなふうに無為なことに金を使うことに罪悪感を覚えずにいられるはずがないと、兄はいうのだ。肝心の父は湯水のごとく金を余らせていて、私が与えられた金額をいつどのように使おうと、何の文句もいったことがないというのに。
そういう兄の職業は銀行員で、どちらかというと金回りのいい人間が世に多いほうが、自身の商売のためでもあるだろうに、兄はいつも私の浪費、を非難する。あくまで論理的に。それが正義で、私の行為が受け入れがたい罪悪というような顔をして。
でも夢があるじゃない。そう言ってみたこともある。叶うことのない夢に何の意味がある。反論する兄の口調は冷静で、その言葉は隙もなく準備されていて、私を追い詰めるためだけに紡がれる。
人の夢は儚い、儚いからこそ夢なのよ。私の言葉に、兄は間髪いれずに反論した。どれほどに低くても可能性のある夢ならば、見る甲斐もあるだろうが、お前のやっていることはただのあてつけだ、あるいは趣味の悪い自虐だ。
可能性のある夢なんて、つまらないことをいう兄の表情は、いう言葉以上につまらなさそうで、若いころには学生運動などにも参加していたと、何かの折に漏らしたことがあったけれど、兄がそのような闘争心をどこに持ち合わせていたのか、私にはいまだに信じられない。それともそこで、何がしかの挫折を経て、いまのような兄になったのだろうか。手に入らないものは求めず、堅実だけを愛して、無益なことには心を動かさない。
兄は私の収集癖を、家族へのあてつけだというけれど、私にはそんなつもりはない。私はただ、きれいな指輪が好きなだけだ。派手派手しい、カラット数だけが売りのような無粋なダイアモンドはいらない、趣味のいいデザイナーの手による、土台の彫りの細かさを、意匠を引き立てる絶妙な形にカットされた宝石を、自分の部屋でそっと手のひらに載せて、うっとりと眺めているのが好きなだけ。それだけだ。
私は買ってきた指輪をひとしきり愛で、気が済むと、机の引き出しにそっとしまいこむ。ときどき思い出したように取り出しては、またうっとりと眺め、すぐに戻す。たしかに建設的ではない、のだろう。誰にも見せびらかされることのない宝飾品。はめるべき指を持たない私。凍傷によって何年も前にうしなわれた指。
きょう買ってきたばかりの箱の、いかにも上品そうな包装を、私は歯でそっと噛み破き、手のひらと顎でケースを押しあける。両の手のひらを使って、机のいちばん上の引き出しから母の形見の万年筆を取り出し、指輪に引っ掛ける。そのままゆっくりと力を込めて、ケースから取り出す。取り落とさないようにそっと。手のひらに掬い上げると、銀の指輪は窓から差し込む夕陽を弾いて、きらきらと輝いた。
植物の蔦葉を模した細工の、何度見ても見飽きないような精密さに、店の照明の下で見たときとはまた違って見える色合いに、ためいきを漏らしながら、私はいっとき兄の陰気な顔を忘れる。金を投げ与えるばかりで小言のひとつもいわない父親の、いつも眉間に刻まれて消えない深い皺のことも、中退して以降は一度も足を向けていない女子大の記憶も、いつか私を捨てた恋人との思い出も、きれいな指輪に見とれている間は、何ひとつ私の心を揺さぶらない。私の平穏はここにある。無為な、ただ眺められるばかりで誰の指をも飾らない指輪の上にだけ、それがある。
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お題:「学生運動」「人の夢は儚い」「ドブに捨てた金がいくらか、数えてみたことはあるか?」
制限時間:構想ふくめて60分
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私が街へ出かけ、きれいな指輪を買い求めて帰ってくるたびごとに、兄はきっちりと十秒間、じっと私の抱える小箱を見つめたあとで、おもむろに薄い唇の間から、私の悪癖を非難する。張り付いたような鉄面皮をちらりともゆるがせることなく、いやになるほど冷静に。
もし癇癪じみた口調で怒鳴られるか、あるいは皮肉を投げつけられるのならば、私も感情的に反駁するだろう。でも兄は淡々と、あくまで理性的に自論を展開するのだ。ことによると、非難しているつもりもないかもしれない。お前はそれで、いっときは気が晴れるかもしれないが、それがなんになるのだ。もう少し建設的なことに情熱を注げばいいとは思わないのか。お前がいままでにそうやってドブに捨てた金がいくらか、数えてみたことはあるか?
だから私は黙り込むしかなくなる。二十も年の離れた兄の皺ぶかい顔を、じっと恨めしそうに見返すばかりで、いうべき言葉などどこにもないことを、ただ思い知らされる。
私のお金なんだから好きに使ってもいいじゃない。ずっと前にはそんなふうに言ってみたこともある。けれど私が持たされている金は、年老いた父から投げ与えられたもので、一円たりとも自分で汗水たらして稼いだものではない。そうであれば、そんなふうに無為なことに金を使うことに罪悪感を覚えずにいられるはずがないと、兄はいうのだ。肝心の父は湯水のごとく金を余らせていて、私が与えられた金額をいつどのように使おうと、何の文句もいったことがないというのに。
そういう兄の職業は銀行員で、どちらかというと金回りのいい人間が世に多いほうが、自身の商売のためでもあるだろうに、兄はいつも私の浪費、を非難する。あくまで論理的に。それが正義で、私の行為が受け入れがたい罪悪というような顔をして。
でも夢があるじゃない。そう言ってみたこともある。叶うことのない夢に何の意味がある。反論する兄の口調は冷静で、その言葉は隙もなく準備されていて、私を追い詰めるためだけに紡がれる。
人の夢は儚い、儚いからこそ夢なのよ。私の言葉に、兄は間髪いれずに反論した。どれほどに低くても可能性のある夢ならば、見る甲斐もあるだろうが、お前のやっていることはただのあてつけだ、あるいは趣味の悪い自虐だ。
可能性のある夢なんて、つまらないことをいう兄の表情は、いう言葉以上につまらなさそうで、若いころには学生運動などにも参加していたと、何かの折に漏らしたことがあったけれど、兄がそのような闘争心をどこに持ち合わせていたのか、私にはいまだに信じられない。それともそこで、何がしかの挫折を経て、いまのような兄になったのだろうか。手に入らないものは求めず、堅実だけを愛して、無益なことには心を動かさない。
兄は私の収集癖を、家族へのあてつけだというけれど、私にはそんなつもりはない。私はただ、きれいな指輪が好きなだけだ。派手派手しい、カラット数だけが売りのような無粋なダイアモンドはいらない、趣味のいいデザイナーの手による、土台の彫りの細かさを、意匠を引き立てる絶妙な形にカットされた宝石を、自分の部屋でそっと手のひらに載せて、うっとりと眺めているのが好きなだけ。それだけだ。
私は買ってきた指輪をひとしきり愛で、気が済むと、机の引き出しにそっとしまいこむ。ときどき思い出したように取り出しては、またうっとりと眺め、すぐに戻す。たしかに建設的ではない、のだろう。誰にも見せびらかされることのない宝飾品。はめるべき指を持たない私。凍傷によって何年も前にうしなわれた指。
きょう買ってきたばかりの箱の、いかにも上品そうな包装を、私は歯でそっと噛み破き、手のひらと顎でケースを押しあける。両の手のひらを使って、机のいちばん上の引き出しから母の形見の万年筆を取り出し、指輪に引っ掛ける。そのままゆっくりと力を込めて、ケースから取り出す。取り落とさないようにそっと。手のひらに掬い上げると、銀の指輪は窓から差し込む夕陽を弾いて、きらきらと輝いた。
植物の蔦葉を模した細工の、何度見ても見飽きないような精密さに、店の照明の下で見たときとはまた違って見える色合いに、ためいきを漏らしながら、私はいっとき兄の陰気な顔を忘れる。金を投げ与えるばかりで小言のひとつもいわない父親の、いつも眉間に刻まれて消えない深い皺のことも、中退して以降は一度も足を向けていない女子大の記憶も、いつか私を捨てた恋人との思い出も、きれいな指輪に見とれている間は、何ひとつ私の心を揺さぶらない。私の平穏はここにある。無為な、ただ眺められるばかりで誰の指をも飾らない指輪の上にだけ、それがある。
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お題:「学生運動」「人の夢は儚い」「ドブに捨てた金がいくらか、数えてみたことはあるか?」
制限時間:構想ふくめて60分
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