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小説を書いたり本を読んだりしてすごす日々のだらだらログ。
 即興三語小説。まさに「小説未満」という感じです。趣味に走りすぎて……というか、そのシュミが恥ずかしくていたたまれないことに……

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 日差しに灼かれるアスファルトの上、淡い灰色をしたとかげの死骸が転がっていて、それだけが唯一、真夏の住宅街にひんやりとした質感を与えていた。
 そこらじゅうに陽炎が立ち上っている。きょうの気温は観測史上最高記録だという。道に人気は少ない。近隣の飼い犬は、例外なく塀の内側で涼をもとめてへたばり、車内に冷房をがんがんに利かせているのだろう自動車が、ちらほらと徐行していく。それが、計ったように一様に、ぎょっとしたように私の横でスピードを緩めるものだから、驚くのはいいとしても、ハンドル操作を誤って突っ込んできてはくれるなよと、そのたびに念じなくてはならなかった。
 しかし誰も、車を下りて私に駆け寄ってこようとはしない。触らぬ神に祟りなし、誰も面倒ごとには係わり合いになりたくないということだろう。私がもし折れそうに儚げな美女か、あるいは保護欲をそそるような愛らしい幼児だったりしたならば、話はまた別だっただろうが。
 それにしても、寒い。気温は異様なほど高いのに、私の身体は冷え切っていた。身体の芯から寒気が立ち上ってくる。貧血を起こして倒れる前に、避難所に駆け込まなくてはならない。
 ぽとり。生暖かい雫が、顎を伝って足元に落ちた。足が重い。
 目当ての建物はすぐ目の前だった。年季の入ったボロアパート。エレベータなどという気の利いたものがついているはずもなく、鉄製の階段は、一段上るごとに、やけに音が響いた。住人のベランダに干す洗濯物が、風に飛ばされて錆びた手すりに一枚二枚と絡んでいる。
 二○一号室。ドアの脇にはりついているインターフォンを、私は押さなかった。とっくの昔に故障して、そのまま放置されているのを知っていたからだ。代わりに、おざなりなノックを二つ。それから返答を待たずに、ノブを捻った。
 鍵は開いていた。私は気力を振り絞ると、部屋の借り主に向かって、片手をあげて見せた。「よう」
 ボロアパートの住人、宇都木怜は、感情の見えない眼差しでちらりとこちらをみやると、興味なさげに、すっと視線を手元の本に落とした。本は古びた、しかし高級そうな皮製のブックカバーに包まれていて、タイトルはわからない。
「何かいうことはないのか」
 苦笑しながらいうと、宇都木は再びちらりと視線を上げて、私の足元を見た。ぽとりと、彼の視線の先のフローリングに、私が流した血が落ちる。宇都木はようやくそこで、かすかに顔をしかめた。
「床が汚れる」
「ああ、お前はそういうやつだよ」
 血まみれの友人が、顔を蒼褪めさせながら部屋を訪ねてきても、心配するのは床の汚ればかり。そういうやつだ。
「救急車を呼べばいいのか」
「いや、見た目ほどひどくない。消毒薬と包帯を貸してくれないか」
 いいながら、返事を待たずに上がりこんだ。歩いた後に、転々と血が落ちたが、宇都木は小さくため息をついただけで、何もいわなかった。
 勝手知ったる他人の家、救急箱を開けて、消毒薬を取り出す。箱に印字された使用期限はとっくに切れていたが、気にせず頭にふりかけた。包帯のほうは、一人ではうまく巻けるはずもないが、男に包帯を巻いてもらうというのもぞっとしない光景だ。適当に巻きつけて結び目を作った。いずれ血も止まるだろう。
 ひと段落つくと、喉の渇きに気づき、冷蔵庫を物色した。135ミリリットルの可愛らしいビール缶とミネラルウォーターのペットボトルが、申し訳程度に隅に肩を寄せ合っているばかりで、食べ物も調味料も入っていないが、いつものことだから、特に驚かなかった。
「もらうぞ」
 いってプルタブを捻ると、ままごとの道具のようなちんまりした缶は、生意気にも炭酸飲料らしい爽やかな音を立てた。ほんの一口で終わってしまうが、それでも寒気は少しましになったようだ。ようやく肌が、ふつうの暑さを感じるようになった。
 この部屋には冷房もない。しかし宇都木は汗ひとつかかず、悠然と本のページをめくっている。暑さ寒さに無関心なのは昔からだったが、年々それが悪化しているように見えるのは、気のせいだろうか。
「事情を訊かないのか」
「聞いてほしそうだな」
 宇都木は興味のなさそうな口ぶりで返しながらも、一応はしおりを挟んで本を閉じた。
「別に、無理にいいたいわけじゃないさ」
「どうせ女だろ。二股がばれて、花瓶でも投げつけられた、っていうところか」
「惜しいな。皿だ。何万円もしそうな、立派なやつだった」
 もっと正確にいえば、皿に包丁に計量カップにと、台所用品のオンパレードだった。包丁が刺さらなかった分を幸運ととるべきか、計量カップですまなかったことを不運ととるべきか。
「勿体ない話だ。そうまでして割る価値のある頭でもないだろうに」
 この言い草だ。肩をすくめて、床に胡坐をかいた。ソファだのクッションだのというしゃれたものは、この部屋にはない。
「で、119番するでも、近くの医者に駆け込むでもなく、わざわざここまで来たわけは?」
「医者に見せれば、警察からの事情聴取がおまけについてくるかもしれない」
「被害届が出なければ、事件にはならない」
「事件にはならなくとも、耳目は引く。彼女の傷になる」
 いうと、宇都木はいやそうに顔をしかめてみせた。それが愉快な気がして、私は歯を見せて笑った。
「いい加減、落ち着いたらどうだ」
 いい年をして、というのが言外についてきたが、私はそれを黙殺して、肩をそびやかした。
「お前にいわれたくはないな」
「おれはお前と違って、独身でいることで誰にも迷惑をかけていない」
「ご先祖の霊が泣くぞ」
 親が、といわなかったのは、宇都木の両親がもう亡くなっているからだ。宇都木は、少しも堪えた様子もなく、私の頭の包帯のあたりを流し見た。
「で、お前は生きている人間を泣かせるわけだ」
「泣くのも人生のうちだ」
「少しもうまくないぞ」
 口の減らないやつだ。苦笑したところで、胸ポケットの携帯電話が震えだした。予感があり、メタルカラーの筐体を引き出すと、ランプが蒼く瞬いた。たったいま、皿を投げつけてきた当人からだ。パニックになっているところを置いてきたから、けがの程度が不安になったのだろう。指のしぐさで宇都木に伝えると、通話ボタンを押した。
「もしもし」
 いきなり、鋭い舌打ちがきこえた。
『なんだ、生きてたのね。さよなら。荷物は送っておくから、取りに来なくていいわ。二度と顔を見たくないから』
 冷え切った口調でそう一息にいうなり、こちらが喋る隙もなく、通話が切れた。
 思わず絶句して、それから気を取り直して宇都木の方を見たが、しっかり聞こえていたらしい。肩を震わせてくつくつと笑っていた。
「えてして女の方が、未練を断つのが早い」
 憮然と唇を引き結んで、携帯電話を胸ポケットに入れたとたん、くらりと世界が揺れた。いまごろ脳震盪がやってきたらしい。
 頭のけがは怖い。思わぬ後遺症が出ることがある。それでも昔、ボクシングをやっていたときの経験から、ただの脳震盪だと自分で判った。ろれつの回りきらない口調で、宇都木に向かっていった。
「救急車は呼ばないでいい」
 体がゆっくりと傾いでいく。薄れていく意識の中で、宇都木の呆れたようなため息が聞こえた。
「まったく、見上げたやつだよ」

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お題:「とかげ」「血まみれ」「計量カップ」
縛り:「主人公が嫌なやつである」「書き手の萌え(あるいは燃え)を全力投球」「皿を割るシーンを入れる(任意)」
任意お題:「ブックカバー」「特にないです」「トリカブトをすりおろす」「さすがヒーロー」

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