小説を書いたり本を読んだりしてすごす日々のだらだらログ。
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即興三語小説。SFに無謀な挑戦。考証が甘いけど気にしない!
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遠く、どこか下のほうで、ぷしゅうという、空気の漏れるような音がして、彼は読んでいた本からカメラアイの照準を上げた。
暗い巨大なホールの中で、動くものは、彼だけだ。彼の向けた微弱なライトの照らし出す先には、壁をぐるりと覆うように、背の高い書棚が作りつけられて、その間にも並行にいくつもの棚が並び、それらをびっしりと埋め尽くすように、何万冊だか何十万冊だかの書籍が詰め込まれている。彼のもつ性能のいい微粒子センサーは、埃と黴と、幾多の微生物と古びたインクと紙の粒子を大量にとらえ、つまり、古い本の匂いをあらためて嗅いだ。その中に、わずかに慣れない匂いが混じっている。
彼は耳を澄ました。つまり、マイクの指向性を地下の方向に向けて、自分の立てる作動音を可能な限り縮小した。少しの間があった。再びしんと静まり返った廃墟の中、けれど、5.51秒のブランクのあとに、ごとり、ごん、という小さな音が響いた。
そのあとに続いたのは、音声だった。誰かいるのか、というような意味のことを、英語で言っている。もしかしたら物音の主は、月面鼠か何か、ここに住み着いている動物かもしれないという希望は、それで完全に打ち砕かれた。
発掘されたばかりで、まだ他のロボットの手が入っていないはずの、古い古い図書館の廃墟だった。少なくとも、さきほどWEBに接続して確認したところ、公共の地図データベースには載っていなかった。自分がこの場所の第一発見者だとばかり思っていた彼は、先客の存在に、少なからずがっかりした。
すでに誰かが棲み付いていたところで、見つけた本の価値が薄まるわけではないけれど、少なくともそいつは、これだけの量の、それも奇跡的に保存状態のいいペーパーブックを発見しておきながら、いまだに公共の電子図書集積サーバに、OCRデータの送信もしていないのだ。見つけた本のタイトルと著者名を、片端からWEB上で検索してみたけれど、あきらかに未登録の、データ化されていない古い書籍が、大量に混じっていた。
だから、いま地下室にいる何者かは、文学の価値を理解できないつまらないやつか、そうでなければ、複製をいくら作ったところで価値の目減りしないはずの情報資産さえ、独り占めして優越感にひたりたいという、偏屈なやつに違いなかった。
そういう類の輩に会うのは気が進まないと、彼は思ったけれど、もし下にいるのが後者なら、相手がなるべく気を悪くしないように、丁重に声をかけておくべきだろう。
古い小説の中の人類とちがって、ロボットは戦争はやらないけれど、ディスカッションは嬉々としてやるし、権利ということについては、特にそういう傾向が強い。論争で負ければ、ここから追い出されてしまうかもしれないし、これだけの宝の山を目の前にして、そんなことになるのは嬉しくない。
なんせ彼は、ロボットの書いた書籍については、もう五十年も前にすっかり読み飽きてしまったのだ。この五十年は、かつて人類が書き残した小説やレポートを、片端から読み漁っている。電子図書集積データベースに漂う膨大な作品群は、とっくの昔に読み終えて、それでも飽き足らず、とうとうこんな遺跡を探し回ってまで、お宝探しに乗りだしている。
彼は本をそっと下ろして、ページをめくっていた小さなマニュピレータを体内に格納した。それから小さく反重力フィールドを展開させて、床上十センチの空中にふわりと浮く。彼は普段なら、地面を転がって移動することの方が多いが、彼の二〇〇キロあまりの体重でそれをやると、この建物は崩落しそうに思えた。
彼は古い廃墟の中を、静かに漂った。さきほど入り込んだとき、廊下の突き当たりに、地下への階段を見かけたはずだ。さて、どんな偏屈なロボットが待っているか。
地下室には、禁帯出とスタンプされた、おそらくは当時にもすでに貴重だったのであろう、古い資料たちが格納されていた。
ここの書籍もあとで読んでみようと、彼は思わず浮かれかけて、それから自分を戒めた。まずは先客とうまく交渉しないと、それどころではなくなるかもしれない。
地下書庫を奥に進むと、いかにも分厚そうな、マホガニー製に見せかけた鋼鉄の扉があった。彼は丸いボディのスリットをスライドさせて、中型のマニュピレータを出した。建築物の強度計算は、彼の得意とするところではないが、あまり力いっぱい引くと、建物が崩れそうな気がした。
扉にマニュピレータをかける直前、彼は相手を驚かせないように、弱出力の電波を出した。自分の位置と行動を知らせる、定型的なあいさつ信号だ。
けれど、何秒か待っても、レスポンスが帰ってこない。彼は逡巡した。警戒されているのかもしれない。もしかすると、攻撃的な意思をもった何者かなのかも。
彼は0.002秒のブランクのあとに苦笑して、自分の考えを打ち消した。ロボットはどれだけそりの合わない相手とでも、戦闘行為だけはしない。これは知識としてだけではなく、彼の稼動してきた年月の中で、体感として学んできたこともでもあった。さっきまで、人間の書いた前時代の戦争文学を読んでいたから、思わず現実と混同してしまったらしい。
もう一度、微弱なあいさつ信号を送ると、彼は思い切ってドアノブを捻った。
部屋の向こうは、ほとんど真っ暗だった。ほとんどというのは、部屋の中央に置かれた箱が、小さな小さな表示ランプを青白くともしていて、それがごくわずかに周囲を照らしていたからだ。
彼は弱いライトを室内に向けて、瞬時に中を見渡した。シンプルな部屋で、かつて管理人が寝泊りしていたのか、今では資料映像でしか見かけることもないような、ベッドやクローゼットといった家具が見えた。
そして何より、部屋の中央に、人間の形をしたロボットが佇んで、途方に暮れたような表情を浮かべていた。
それが「途方に暮れている」と分かったのは、彼が古典文学や古い資料を偏愛する傾向にあり、多くの人間の資料映像や文学に触れてきたからであって、そうでなければ、人類が姿を消したあとに生まれた彼の世代のロボットが、「人の表情」の細かい見分け方など、知っているはずもなかった。それくらい、人型のロボットは珍しい。珍しいけれど、いないわけではない。彼はこれまでの百七十三年あまり稼動してきた中で、いま目の前にいる個体をのぞいて三体だけ、人型のロボットに出会ったことがある。
人型とは珍しいね、と、彼はメッセージを送信した。けれど、相手は戸惑ったように、こちらを見つめ返すばかりで、いつまでも信号を返してこない。
訝しく思った彼は、もしかして、自分がいま見ているものは、人間を撮影したホログラムかなにかではないかと考えた。それなら、その人型の足元に転がっている箱は、投影装置なのかもしれなかった。
彼はセンサーを向けて、箱の発している微弱な信号を拾った。けれど、投影装置が発するような類の信号は、そこから読み取れなかった。
「あの」
人型が口を開いて、音声で話しかけてきた。彼はきょとんとして、その口が動くのを見つめた。やっぱりこれは、人型ロボットなんだ。でも、なぜわざわざ音声で話しかけてくるのだろう。なにか、電波では話したくないことでもあるのだろうか。
「ええと……今は、何年なのかな」
人型は、体内時計でも狂ったのか、そんなことを聞いてきた。
体内時計?
そのとき、どうして自分にそんな考えがひらめいたのか、彼には、自分でも分からなかった。けれど彼は、時間を答えてあげるより先に、赤外線センサーを起動した。
生き物のほとんどいない、活火山なども存在しない月面で、熱源を探知することなんてめったにないから、およそ十五年と三ヶ月ぶりの作動だった。けれど、彼の赤外線センサーはちゃんと生きていた。そしてロボットのありがちなコアを中心に整然と伝わる熱源ではなく、むらのあるやわらかい熱の広がりを、その人型の中に感知した。
**
生きている人間に出会ったのは初めてのことですと、開口一番、そいつは言った。
そいつのボディは、丸かった。丸々としている、というような比ゆ的描写ではなく、ほぼ正確な球状をしていた。目を凝らすとカメラアイと思わしき小型のホールが見えたり、かすかに表面に線が入っていたりしていて、必要に応じてそこからマニュピレータを展開するのだろうと思われた。つまりは、機能美を追求した結果、当然の帰結として球の形に落ち着いた、ごく一般的なロボットなのだろう。
ロボットに生まれながらの役割が課されていた時代は、わたしがコールドスリープする何十年も前に、すでに終わりを告げていた。彼らがはじめからひとつの機能に特化して作られることはなくなり、まず汎用型としての何種類かのロボットが大量に作られたあと、一定の作動期間を経た後に、彼ら自身が試行錯誤を重ねて己の適性を見極め、自らを改良して、興味の向く仕事に就いていた。それが出来るだけの汎用ボディとデータプログラムが、安価で供給されるようになったからだ。
何百種類というロボットを作るには、それだけのマニュアルと生産ラインと研究者と技術者が必要だ。人類の数は、当時でさえ長年減少傾向が続いていて、とてもそんな余裕はなかった。
それよりも、出発点の性能は一律に同じにして、ロボット自身に彼らを改良・修理させ、発展させるという機能をつけるようになると、人類はただ、たったひとつの生産過程に効率よく人材を投入すればよくなった。その製造ラインでさえ、後にはロボットたち自身が担うようになった。
わたしが眠る前でさえそうだったのだ。あれから二百年も経った今では、ますます、彼らは独自の発展を遂げたのだろう。わたしの知っているものと変わっていなければ、彼らの基本ボディは円柱形だ。それを、彼らの成長を黙って好きにさせていると、ロボットたちは彼ら自身の経験と好みに基づいて、自らを改良し、乗り換え、やがて半分ほどは球形のボディに落ち着く。その比率が、いまも同じかどうかは知らないが。
もちろん、経験の蓄積が続けば偏向が生まれるのは当然で、そうすればその中にアウトサイダーが発生するのは、ごく自然ななりゆきだ。とんでもない奇形のロボットも、わたしはこの目で見たことがある。
それはさておき、ともかくそいつは丸かった。そしてわたしが眠る前の時代、わたしの周りにいた多くのロボットがそうであったように、好奇心にカメラアイをきらめかせて、わたしに声をかけてきた。違うのは、かけてきたセリフの内容だけだ。
「生きている人間に会うのは初めてです。こういうときには、どういう話題からはじめるのが礼儀に適っているのでしょう。ああ、そうだ。初対面の相手には、まず名乗るものだと、本には書いてありました。私の個体識別コードはSANZADSGDO520300001SDD-2341SKK、ニックネームはサンザシです。なんせ不慣れなものですから、不調法で申し訳ない」
カメラアイを点滅させて、つまりはそれが謝罪のしぐさのつもりなのだろう、ロボットは言った。
「わたしの名前は、サクライ・リン。リンと呼んでもらえれば嬉しい。……サンザシというのは、花の名前だね。見たことはないけれど」
わたしがそう言うと、ロボットは照れくさそうに身体をゆすった。
「私も、本物は見たことがありません。資料映像の中で見かけて、自分のコードの発音とすこし似ていたし、かわいらしい花だったので、気に入って。サクラというのも、花の名前ですよね」
「うん、わたしの場合はファミリーネームだから、自分で決めたわけじゃないけどね。……ところで、きみにとって、スピーカとマイクで話すのはまどろっこしいんじゃないのかな。じつのところ、無線で話すための機械を、眠る前に取り付けておいたのだけれど、なんせこの脳みそが、きみたちの速度についていけないものだから、音声で会話するほうが、かなり楽なんだ。このままでかまわないかな」
「ええ、問題ありません」
「目が覚めたら、もうロボットはみんな、マイクやスピーカなんて装着していないんじゃないかと、それが心配だったんだ」
「ええ、まあ、そういう連中もいますけど。いつかスリープから目覚めた人間や、エイリアンとのファーストコンタクトが起きたときのために、ひとつでも多くのコミュニケーション手段を残しておきたいと思うロボットのほうが、どちらかというと主流ですよ。それに、音声だと、まわりに届く範囲は知れているけれど、電波に乗せてしまうと、ずいぶん遠くから傍受されたりしますから、話す内容によっては、わざとスピーカを使って小声で会話することも、珍しくないです」
感情豊かな声でそう言って、サンザシはくるくると回った。
「私はまだ動き出して百八十年にもならないけれど、人類がまだ月面にいた時代から稼動しているような連中には、懐古主義が多いから、たいてい昔ながらのレトロな機能も、つけたままにしています。リン、貴女が知っているロボットと、それほど差異はないのではないでしょうか」
サンザシは、そんなふうに懇切丁寧に話してくれたけれど、落ち着いた口調に反して、その仕草はなんというか、そわそわしていた。
「何か、言いたいことがあるのではない?」
聞くと、サンザシはぴょんと飛び上がって(もともと宙に浮いていたので、飛び上がるという表現が適切かどうかはよく分からないが)、カメラアイを瞬かせた。
「聞きたいことだらけで、回路がショートしそうな勢いですよ。けれどリン、その前に、お疲れではありませんか。前に読んだ古典SF小説の中で、スリープから目覚めたばかりの人間が、辛そうにしていました」
「ああ、眠る前にいちおう、胃の中を空にしていたからね。食料品は、当分の間は用意していた分で何とかなると思うけれど、人間が口にできるエネルギー源が、どこかに備蓄があるか、あるいはいまでも生産されているか、きみは知っている?」
「植物の種子は強いですからね。農業用ファームをちょっと修理して起動させれば、二ヵ月後には促成野菜が出来ると思いますが、動物性の栄養がどうかな。この辺では、月面鼠以外の動物は、めったに見かけないです」
「そう。まあ、もともと肉はあまり食べないし、大豆でも作れれば、なんとでもなると思う。ありがとう」
自分が入っていたコールドスリープヴァットの下から、食料品のケースを取り出して、恐る恐るひとつ開けてみると、ちゃんと完全な形で保存されていた。水っぽい、味気の無い栄養補給のためだけのゼリーだったけれど、二百年もの時を越えてわたしのために出番を待っていてくれたと思えば、どんな味だって有り難い。
軽く身体を動かしてみたが、幸いなことに、とくに不具合はなかった。派手な運動は、建物が崩落したら厄介だから、後回しにした。
サンザシが点していてくれるライトの下、味の薄いゼリーを吸いながら、わたしは館内を歩いて回った。驚くほどきちんとした状態で、建物や家具が残っている。わたしは運がよかったのだろう。
図書館の地下室を眠る場所に選んだのには、単純に、この図書館の当時の権利者が知り合いで、場所を融通してくれたという都合もあった。それに何より、まだ若かった貧乏時代のわたしは、電子データよりも絶対に紙の本がいいという厄介なこだわりのせいで、いつも本を買う金に事欠いていて、いつかは大量の本に囲まれた家で暮らしたいという願望が、大人になってもずっと、胸の中に居坐っていた。友人たちは、そんな家に暮らしていたら、地震でも起きたら本に埋まって死んじゃうよと、笑ってわたしをからかったけれど、本に埋もれて死ぬのならそれはそれで本望だと、若いわたしは胸を張って言った。そんな思い出が、わたしを感傷に走らせた。そのままそこで目覚めずに死ぬかもしれないのなら、その場所は、図書館がいい。
けれど幸いわたしは無事に目覚め、おそらくは人類のほとんどが死に絶えたか眠ったままかでいる、この月面で、読書好きのロボットと、こうやって対面している。
「それじゃあやっぱり、地球上には誰も、生き残らなかったんだ」
「ええ。私の知る限り。月面にも、いま生きて活動している人間の話は、聞いたことがありません。貴女が最初なのかもしれませんね」
サンザシは言って、丸いボディをちいさく揺らした。
「そうだね。わたしは二百年後に設定したけれど、大事をとって、もっと長い期間を設定した人の方が、主流だったんだろうし。そのなかで、何人がいまも無事に眠ってるのか」
言いながら、わたしは眼を閉じて、冷凍睡眠する人々のイメージを瞼の裏に描いた。
地球で生まれ、いちど罹患したら致死率100%という凶悪なレトロウイルスが、宿主をなくした月面で死滅するのに、およそ百数十年。学者たちが出した結論がそれだった。
わたしがこの世界を歩き回って、ある程度の安全が確認されたら、まだ眠る人々を、起こして回るべきだろうか。それとも、何十年かを生き抜いた後でなければ、正しく安全が確認されたとは言い切れないだろうか。
どちらにせよ、充分な数の人々が生き延びたとは思えなかった。月面にもかなりの割合で、レトロウイルスは侵入していたのだ。コールドスリープしようにも、汚染に追いつかれて間に合わなかった地域のほうが、ずっと多かったはずだ。
「結局、人類を滅ぼしたのは、巨大隕石でも核兵器でもなかったか……」
わたしが感慨の追いつかないまま呟くと、サンザシはこくこくと、頷くようなしぐさを見せた。
「ふるいSF小説に、そういうものがたくさん出ていました。実際に起きたことに近い内容のものも、三冊ほど読みましたが、細かい部分はずいぶん違っていますね」
そう言ってサンザシは、二十世紀のSF作家の名前を挙げた。
「ずいぶん古いのも読んでるんだね」
「古い本ほど、私にとっては面白いです。だからここを見つけたときは、嬉しすぎてコアが爆発するかと思いました」
このロボットとは友達になれそうだと、わたしは思わず微笑んだ。
わたしがコールドスリープの道を選んだとき、友人たちは皆、わたしの誘いを断った。わたしの周囲の人々だけではない。じゅうぶんな性能のコールドスリープヴァットを調達できる経済的余裕のある人たちのうち、驚くほど多くが、それを選択しなかった。
「ほとんどの人が死に絶えた世界で生きていく勇気は、わたしにはないわ」
そう言った親友の顔は、何かを悟りきったような、穏やかな微笑みに満たされていた。けれどその手が、表情とは裏腹に、きつく自分の腕をつかんで、指先が白くなっていたのを、わたしは見てしまった。
「それに、コールドスリープから無事に目覚めるとは限らないじゃない」
「けど、生き延びられる可能性はある」
「そう、可能性はある。でも、それよりも皆と一緒に、ここでぎりぎりまで暮らしたいのよ」
彼女は振り返って、背後ですやすやと眠っている、彼女の幼い娘を見た。
「それに、小さい子どもは、コールドスリープから無事に目覚められる可能性が低い。そうでしょ?」
わたしには、返事が見つけられなかった。彼女は眠るわが子の髪を撫でて、やさしい声で言った。
「けど、あんたは未来に行ったらいいわ。無事に目が覚めたら、また小説を書いてね。ハイスクールのときに読ませてくれたやつ、あれ、すごく面白かった。もう続きは書いてないの?」
わたしは唇を引き結んだまま、首を横に振った。
「そう。最後まで読めないのが残念。きっと書いてね、未来で」
わたしは頷かなかった。そんなところで、誰がわたしの小説なんて、読んでくれるだろう?
「……それでですね、考えてもよく分からないのですよ、どうしてあの場面で、ナターシャがエミリオをぶつのに、鞭が使われなくてはならなかったのか。わざわざ縄などというもので縛らなくてはならなかったのか。もっと古い時代の小説ならまだしも、二十二世紀の英国文学ですよ? 同じ暴力を振るうにせよ、拘束するにせよ、もっと適切な道具があったはずでしょう、この年代の、このぐらいの生活レベルの文化であれば」
さっきから喋りっぱなしのサンザシの話を、途中から聞いていなかったことに気が付いて、わたしは目をぱちくりさせた。一瞬遅れて、この丸いロボットが話題に乗せた文学作品の中身が、記憶から立ち上ってくる。
「あれは象徴というか、比喩的な描写として出てきただけで、本物の鞭でぶったわけじゃないと思うよ。あの作品で鞭と縄があらわすのは、もっと精神的な……、束縛を、」
言いながら、精神的な束縛というのを、ロボットにうまく伝えるための語彙を自分の中に見つけきれなくて、わたしは困惑した。幼いころから、本はかなり読むほうだったし、ボキャブラリーは豊富なほうだと思っていたけれど、いまの時代のロボットの、感情回路や人類の心理学への知識の集積が、どの程度であるのか、見当もつかない。
けれどサンザシは、途中で疑問をさしはさむことなく、わたしが続きを話し出すのをじっと待っている。
「そう、エミリオがナターシャに精神的に束縛されて、彼が本来持っていた尊厳もとっくに磨耗して、すっかり言いなりになってしまっていたことの、象徴として描かれたのだと、わたしは思った。でも、これは、あくまでわたしの解釈で、読み方が間違っているかもしれない。書いた人は、ナターシャがほんとうに鞭なんていう前時代的なものでエミリオをぶったというつもりで書いたのかも」
「どちらの解釈が正解なのでしょう」
「さあ。読み手が思ったことが、読み手にとっての正解なんじゃない」
そう言うと、サンザシは瞬きするようにカメラアイを明滅させて、急にがくんと下降した。わたしは思わず慌ててしまって、そのボディをゆすろうとしたけれど、サンザシはすぐにふわりと浮き上がって、また目線をあわせてきた。
「私には分かりません。どうして人が書く文学は、このように、正確に読むものに伝えるための描写が省かれて、曖昧なままで展開していくのか」
わたしはその言葉で、今の時代のロボットたちが自ら書く文学がどのようなものか、なんとなく、察しがついたような気がした。彼らの感情回路がどれだけ発達して、高度な知能と感性を身につけているとしても、その深化の方向性は、人類のそれとはまったく異なったものなのだろう。
「けれど、だから面白いのでしょうね」
サンザシは、ぽつりと言った。その言葉は、わたしには不思議だった。
「それのどこを具体的に面白いと思うのか、聞いてもいい?」
「よく分かりません」
サンザシは即答して、それから思慮深げな少しの(ロボットにとってはおそらくかなりの)沈黙のあとに、言葉を続けた。
「自分が何を面白いと思っているのか、私には分かりません。慣れの問題なのかも。私ははじめ、近代の、仲間たちが書いた文献や電子書籍を読み漁るところから始めました。けれど、いつの間にか、飽きてしまったのです。いまでも続々と新作が出続けて、目新しいジャンルが生まれているのに、興味が持てなくなってしまった」
「それなら、人類の遺した文学にも、そのうち飽きがきちゃうかもしれないね」
何気なくいうと、サンザシは、ライトをちかちかさせた。
「そうですね、そうかもしれません。それでも、少なくともいまのところは、読めば読むほど興味を引かれていくのです。ずいぶん非論理的で、不合理で、理解不能で、それなのに、どうしてでしょう。もっともっと読みたいと、思ってしまうのです」
サンザシは言って、わたしの顔の直ぐそばまで、ふわりと飛んできた。あまりに近寄られて、思わずわたしがのけぞると、この律儀なロボットは「失礼」と謝って、けれど少しも引かずに、まっすぐに聞いてきた。
「リン。むしろ、貴女が私に教えてくださいませんか。どうしてこんなに不条理なものが、こんなに面白いのか」
その問いかけが真摯だったので、わたしには、適当にお茶を濁すことは、できそうもなかった。
考える間、サンザシはじっと待っていた。何十秒もの沈黙は、ロボットにとっては気の遠くなるような長い時間なのだろうに、根気強く、じっと待っていた。
「その問いかけに、わたしなりの答えを返すのには、時間がほしい」
サンザシは、分かりましたと答えて、頷くように丸いボディを上下させた。すぐに期待に添えないことが、心苦しいように思えたけれど、サンザシは、少なくとも見た目には、がっかりしたようには見えなかった。
「わたしは今の時代に不案内だから、できれば、案内人がほしいんだけど……」
ためらいながら言うと、サンザシは、カメラアイを瞬かせた。
「でも、きみは今から、ここの本をスキャニングするのに、忙しいんだよね」
サンザシは、わたしの周りをくるりと回りながら、ゆっくりとした語調で答えた。
「今ここを離れるのは、正直つらいです」
わたしは落胆を顔に出さないように努力しながら、頷いた。出回っている書籍はもうあらかた読みつくして、ようやくここを掘り当てたのだと、この読書好きのロボットは、さきほど熱く語っていた。
見知らぬ未来の世界に、ひとりで飛び込むのは、正直ひどく心細いけれど、仕方がない。結局のところ、わたしはそれを承知で、コールドスリープという選択肢を選んだのだから。
しょうがないねと、笑って言おうとしたとき、サンザシがまた口を開いた。
「けれど、それよりもリン、私は貴女の答えが知りたい。それに、よければ、貴女がコールドスリープ前に読んできた本の話も聞きたいし、貴女が私と同じ本を読んで持った感想が、どのようなものかも、もっと聞いてみたい」
サンザシは、ふわりと高く浮き上がって、わたしの目線の高さまで上がると、先導するようにすっと宙を滑って、廃墟となった図書館の、入り口の方を示した。
「喜んで同行させていただきます」
そんな風にして、わたしは足を踏み出した。死に絶えた人類のかわりにロボットたちが文明を築き上げた、未来の月面都市へ。
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必須お題:「私には分かりません」「鞭と縄」「機械」
縛り:「味覚の表現を入れる」「小道具として『本』を出す」「夢と現実、次元や時間軸等の違う二つの世界を行き来する(努力縛り:無理に入れなくてもOKです)」
任意お題:「初めて分かる優しさ」「ぶち抜けって」「もう、十分でしょう」(使用できず)
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遠く、どこか下のほうで、ぷしゅうという、空気の漏れるような音がして、彼は読んでいた本からカメラアイの照準を上げた。
暗い巨大なホールの中で、動くものは、彼だけだ。彼の向けた微弱なライトの照らし出す先には、壁をぐるりと覆うように、背の高い書棚が作りつけられて、その間にも並行にいくつもの棚が並び、それらをびっしりと埋め尽くすように、何万冊だか何十万冊だかの書籍が詰め込まれている。彼のもつ性能のいい微粒子センサーは、埃と黴と、幾多の微生物と古びたインクと紙の粒子を大量にとらえ、つまり、古い本の匂いをあらためて嗅いだ。その中に、わずかに慣れない匂いが混じっている。
彼は耳を澄ました。つまり、マイクの指向性を地下の方向に向けて、自分の立てる作動音を可能な限り縮小した。少しの間があった。再びしんと静まり返った廃墟の中、けれど、5.51秒のブランクのあとに、ごとり、ごん、という小さな音が響いた。
そのあとに続いたのは、音声だった。誰かいるのか、というような意味のことを、英語で言っている。もしかしたら物音の主は、月面鼠か何か、ここに住み着いている動物かもしれないという希望は、それで完全に打ち砕かれた。
発掘されたばかりで、まだ他のロボットの手が入っていないはずの、古い古い図書館の廃墟だった。少なくとも、さきほどWEBに接続して確認したところ、公共の地図データベースには載っていなかった。自分がこの場所の第一発見者だとばかり思っていた彼は、先客の存在に、少なからずがっかりした。
すでに誰かが棲み付いていたところで、見つけた本の価値が薄まるわけではないけれど、少なくともそいつは、これだけの量の、それも奇跡的に保存状態のいいペーパーブックを発見しておきながら、いまだに公共の電子図書集積サーバに、OCRデータの送信もしていないのだ。見つけた本のタイトルと著者名を、片端からWEB上で検索してみたけれど、あきらかに未登録の、データ化されていない古い書籍が、大量に混じっていた。
だから、いま地下室にいる何者かは、文学の価値を理解できないつまらないやつか、そうでなければ、複製をいくら作ったところで価値の目減りしないはずの情報資産さえ、独り占めして優越感にひたりたいという、偏屈なやつに違いなかった。
そういう類の輩に会うのは気が進まないと、彼は思ったけれど、もし下にいるのが後者なら、相手がなるべく気を悪くしないように、丁重に声をかけておくべきだろう。
古い小説の中の人類とちがって、ロボットは戦争はやらないけれど、ディスカッションは嬉々としてやるし、権利ということについては、特にそういう傾向が強い。論争で負ければ、ここから追い出されてしまうかもしれないし、これだけの宝の山を目の前にして、そんなことになるのは嬉しくない。
なんせ彼は、ロボットの書いた書籍については、もう五十年も前にすっかり読み飽きてしまったのだ。この五十年は、かつて人類が書き残した小説やレポートを、片端から読み漁っている。電子図書集積データベースに漂う膨大な作品群は、とっくの昔に読み終えて、それでも飽き足らず、とうとうこんな遺跡を探し回ってまで、お宝探しに乗りだしている。
彼は本をそっと下ろして、ページをめくっていた小さなマニュピレータを体内に格納した。それから小さく反重力フィールドを展開させて、床上十センチの空中にふわりと浮く。彼は普段なら、地面を転がって移動することの方が多いが、彼の二〇〇キロあまりの体重でそれをやると、この建物は崩落しそうに思えた。
彼は古い廃墟の中を、静かに漂った。さきほど入り込んだとき、廊下の突き当たりに、地下への階段を見かけたはずだ。さて、どんな偏屈なロボットが待っているか。
地下室には、禁帯出とスタンプされた、おそらくは当時にもすでに貴重だったのであろう、古い資料たちが格納されていた。
ここの書籍もあとで読んでみようと、彼は思わず浮かれかけて、それから自分を戒めた。まずは先客とうまく交渉しないと、それどころではなくなるかもしれない。
地下書庫を奥に進むと、いかにも分厚そうな、マホガニー製に見せかけた鋼鉄の扉があった。彼は丸いボディのスリットをスライドさせて、中型のマニュピレータを出した。建築物の強度計算は、彼の得意とするところではないが、あまり力いっぱい引くと、建物が崩れそうな気がした。
扉にマニュピレータをかける直前、彼は相手を驚かせないように、弱出力の電波を出した。自分の位置と行動を知らせる、定型的なあいさつ信号だ。
けれど、何秒か待っても、レスポンスが帰ってこない。彼は逡巡した。警戒されているのかもしれない。もしかすると、攻撃的な意思をもった何者かなのかも。
彼は0.002秒のブランクのあとに苦笑して、自分の考えを打ち消した。ロボットはどれだけそりの合わない相手とでも、戦闘行為だけはしない。これは知識としてだけではなく、彼の稼動してきた年月の中で、体感として学んできたこともでもあった。さっきまで、人間の書いた前時代の戦争文学を読んでいたから、思わず現実と混同してしまったらしい。
もう一度、微弱なあいさつ信号を送ると、彼は思い切ってドアノブを捻った。
部屋の向こうは、ほとんど真っ暗だった。ほとんどというのは、部屋の中央に置かれた箱が、小さな小さな表示ランプを青白くともしていて、それがごくわずかに周囲を照らしていたからだ。
彼は弱いライトを室内に向けて、瞬時に中を見渡した。シンプルな部屋で、かつて管理人が寝泊りしていたのか、今では資料映像でしか見かけることもないような、ベッドやクローゼットといった家具が見えた。
そして何より、部屋の中央に、人間の形をしたロボットが佇んで、途方に暮れたような表情を浮かべていた。
それが「途方に暮れている」と分かったのは、彼が古典文学や古い資料を偏愛する傾向にあり、多くの人間の資料映像や文学に触れてきたからであって、そうでなければ、人類が姿を消したあとに生まれた彼の世代のロボットが、「人の表情」の細かい見分け方など、知っているはずもなかった。それくらい、人型のロボットは珍しい。珍しいけれど、いないわけではない。彼はこれまでの百七十三年あまり稼動してきた中で、いま目の前にいる個体をのぞいて三体だけ、人型のロボットに出会ったことがある。
人型とは珍しいね、と、彼はメッセージを送信した。けれど、相手は戸惑ったように、こちらを見つめ返すばかりで、いつまでも信号を返してこない。
訝しく思った彼は、もしかして、自分がいま見ているものは、人間を撮影したホログラムかなにかではないかと考えた。それなら、その人型の足元に転がっている箱は、投影装置なのかもしれなかった。
彼はセンサーを向けて、箱の発している微弱な信号を拾った。けれど、投影装置が発するような類の信号は、そこから読み取れなかった。
「あの」
人型が口を開いて、音声で話しかけてきた。彼はきょとんとして、その口が動くのを見つめた。やっぱりこれは、人型ロボットなんだ。でも、なぜわざわざ音声で話しかけてくるのだろう。なにか、電波では話したくないことでもあるのだろうか。
「ええと……今は、何年なのかな」
人型は、体内時計でも狂ったのか、そんなことを聞いてきた。
体内時計?
そのとき、どうして自分にそんな考えがひらめいたのか、彼には、自分でも分からなかった。けれど彼は、時間を答えてあげるより先に、赤外線センサーを起動した。
生き物のほとんどいない、活火山なども存在しない月面で、熱源を探知することなんてめったにないから、およそ十五年と三ヶ月ぶりの作動だった。けれど、彼の赤外線センサーはちゃんと生きていた。そしてロボットのありがちなコアを中心に整然と伝わる熱源ではなく、むらのあるやわらかい熱の広がりを、その人型の中に感知した。
**
生きている人間に出会ったのは初めてのことですと、開口一番、そいつは言った。
そいつのボディは、丸かった。丸々としている、というような比ゆ的描写ではなく、ほぼ正確な球状をしていた。目を凝らすとカメラアイと思わしき小型のホールが見えたり、かすかに表面に線が入っていたりしていて、必要に応じてそこからマニュピレータを展開するのだろうと思われた。つまりは、機能美を追求した結果、当然の帰結として球の形に落ち着いた、ごく一般的なロボットなのだろう。
ロボットに生まれながらの役割が課されていた時代は、わたしがコールドスリープする何十年も前に、すでに終わりを告げていた。彼らがはじめからひとつの機能に特化して作られることはなくなり、まず汎用型としての何種類かのロボットが大量に作られたあと、一定の作動期間を経た後に、彼ら自身が試行錯誤を重ねて己の適性を見極め、自らを改良して、興味の向く仕事に就いていた。それが出来るだけの汎用ボディとデータプログラムが、安価で供給されるようになったからだ。
何百種類というロボットを作るには、それだけのマニュアルと生産ラインと研究者と技術者が必要だ。人類の数は、当時でさえ長年減少傾向が続いていて、とてもそんな余裕はなかった。
それよりも、出発点の性能は一律に同じにして、ロボット自身に彼らを改良・修理させ、発展させるという機能をつけるようになると、人類はただ、たったひとつの生産過程に効率よく人材を投入すればよくなった。その製造ラインでさえ、後にはロボットたち自身が担うようになった。
わたしが眠る前でさえそうだったのだ。あれから二百年も経った今では、ますます、彼らは独自の発展を遂げたのだろう。わたしの知っているものと変わっていなければ、彼らの基本ボディは円柱形だ。それを、彼らの成長を黙って好きにさせていると、ロボットたちは彼ら自身の経験と好みに基づいて、自らを改良し、乗り換え、やがて半分ほどは球形のボディに落ち着く。その比率が、いまも同じかどうかは知らないが。
もちろん、経験の蓄積が続けば偏向が生まれるのは当然で、そうすればその中にアウトサイダーが発生するのは、ごく自然ななりゆきだ。とんでもない奇形のロボットも、わたしはこの目で見たことがある。
それはさておき、ともかくそいつは丸かった。そしてわたしが眠る前の時代、わたしの周りにいた多くのロボットがそうであったように、好奇心にカメラアイをきらめかせて、わたしに声をかけてきた。違うのは、かけてきたセリフの内容だけだ。
「生きている人間に会うのは初めてです。こういうときには、どういう話題からはじめるのが礼儀に適っているのでしょう。ああ、そうだ。初対面の相手には、まず名乗るものだと、本には書いてありました。私の個体識別コードはSANZADSGDO520300001SDD-2341SKK、ニックネームはサンザシです。なんせ不慣れなものですから、不調法で申し訳ない」
カメラアイを点滅させて、つまりはそれが謝罪のしぐさのつもりなのだろう、ロボットは言った。
「わたしの名前は、サクライ・リン。リンと呼んでもらえれば嬉しい。……サンザシというのは、花の名前だね。見たことはないけれど」
わたしがそう言うと、ロボットは照れくさそうに身体をゆすった。
「私も、本物は見たことがありません。資料映像の中で見かけて、自分のコードの発音とすこし似ていたし、かわいらしい花だったので、気に入って。サクラというのも、花の名前ですよね」
「うん、わたしの場合はファミリーネームだから、自分で決めたわけじゃないけどね。……ところで、きみにとって、スピーカとマイクで話すのはまどろっこしいんじゃないのかな。じつのところ、無線で話すための機械を、眠る前に取り付けておいたのだけれど、なんせこの脳みそが、きみたちの速度についていけないものだから、音声で会話するほうが、かなり楽なんだ。このままでかまわないかな」
「ええ、問題ありません」
「目が覚めたら、もうロボットはみんな、マイクやスピーカなんて装着していないんじゃないかと、それが心配だったんだ」
「ええ、まあ、そういう連中もいますけど。いつかスリープから目覚めた人間や、エイリアンとのファーストコンタクトが起きたときのために、ひとつでも多くのコミュニケーション手段を残しておきたいと思うロボットのほうが、どちらかというと主流ですよ。それに、音声だと、まわりに届く範囲は知れているけれど、電波に乗せてしまうと、ずいぶん遠くから傍受されたりしますから、話す内容によっては、わざとスピーカを使って小声で会話することも、珍しくないです」
感情豊かな声でそう言って、サンザシはくるくると回った。
「私はまだ動き出して百八十年にもならないけれど、人類がまだ月面にいた時代から稼動しているような連中には、懐古主義が多いから、たいてい昔ながらのレトロな機能も、つけたままにしています。リン、貴女が知っているロボットと、それほど差異はないのではないでしょうか」
サンザシは、そんなふうに懇切丁寧に話してくれたけれど、落ち着いた口調に反して、その仕草はなんというか、そわそわしていた。
「何か、言いたいことがあるのではない?」
聞くと、サンザシはぴょんと飛び上がって(もともと宙に浮いていたので、飛び上がるという表現が適切かどうかはよく分からないが)、カメラアイを瞬かせた。
「聞きたいことだらけで、回路がショートしそうな勢いですよ。けれどリン、その前に、お疲れではありませんか。前に読んだ古典SF小説の中で、スリープから目覚めたばかりの人間が、辛そうにしていました」
「ああ、眠る前にいちおう、胃の中を空にしていたからね。食料品は、当分の間は用意していた分で何とかなると思うけれど、人間が口にできるエネルギー源が、どこかに備蓄があるか、あるいはいまでも生産されているか、きみは知っている?」
「植物の種子は強いですからね。農業用ファームをちょっと修理して起動させれば、二ヵ月後には促成野菜が出来ると思いますが、動物性の栄養がどうかな。この辺では、月面鼠以外の動物は、めったに見かけないです」
「そう。まあ、もともと肉はあまり食べないし、大豆でも作れれば、なんとでもなると思う。ありがとう」
自分が入っていたコールドスリープヴァットの下から、食料品のケースを取り出して、恐る恐るひとつ開けてみると、ちゃんと完全な形で保存されていた。水っぽい、味気の無い栄養補給のためだけのゼリーだったけれど、二百年もの時を越えてわたしのために出番を待っていてくれたと思えば、どんな味だって有り難い。
軽く身体を動かしてみたが、幸いなことに、とくに不具合はなかった。派手な運動は、建物が崩落したら厄介だから、後回しにした。
サンザシが点していてくれるライトの下、味の薄いゼリーを吸いながら、わたしは館内を歩いて回った。驚くほどきちんとした状態で、建物や家具が残っている。わたしは運がよかったのだろう。
図書館の地下室を眠る場所に選んだのには、単純に、この図書館の当時の権利者が知り合いで、場所を融通してくれたという都合もあった。それに何より、まだ若かった貧乏時代のわたしは、電子データよりも絶対に紙の本がいいという厄介なこだわりのせいで、いつも本を買う金に事欠いていて、いつかは大量の本に囲まれた家で暮らしたいという願望が、大人になってもずっと、胸の中に居坐っていた。友人たちは、そんな家に暮らしていたら、地震でも起きたら本に埋まって死んじゃうよと、笑ってわたしをからかったけれど、本に埋もれて死ぬのならそれはそれで本望だと、若いわたしは胸を張って言った。そんな思い出が、わたしを感傷に走らせた。そのままそこで目覚めずに死ぬかもしれないのなら、その場所は、図書館がいい。
けれど幸いわたしは無事に目覚め、おそらくは人類のほとんどが死に絶えたか眠ったままかでいる、この月面で、読書好きのロボットと、こうやって対面している。
「それじゃあやっぱり、地球上には誰も、生き残らなかったんだ」
「ええ。私の知る限り。月面にも、いま生きて活動している人間の話は、聞いたことがありません。貴女が最初なのかもしれませんね」
サンザシは言って、丸いボディをちいさく揺らした。
「そうだね。わたしは二百年後に設定したけれど、大事をとって、もっと長い期間を設定した人の方が、主流だったんだろうし。そのなかで、何人がいまも無事に眠ってるのか」
言いながら、わたしは眼を閉じて、冷凍睡眠する人々のイメージを瞼の裏に描いた。
地球で生まれ、いちど罹患したら致死率100%という凶悪なレトロウイルスが、宿主をなくした月面で死滅するのに、およそ百数十年。学者たちが出した結論がそれだった。
わたしがこの世界を歩き回って、ある程度の安全が確認されたら、まだ眠る人々を、起こして回るべきだろうか。それとも、何十年かを生き抜いた後でなければ、正しく安全が確認されたとは言い切れないだろうか。
どちらにせよ、充分な数の人々が生き延びたとは思えなかった。月面にもかなりの割合で、レトロウイルスは侵入していたのだ。コールドスリープしようにも、汚染に追いつかれて間に合わなかった地域のほうが、ずっと多かったはずだ。
「結局、人類を滅ぼしたのは、巨大隕石でも核兵器でもなかったか……」
わたしが感慨の追いつかないまま呟くと、サンザシはこくこくと、頷くようなしぐさを見せた。
「ふるいSF小説に、そういうものがたくさん出ていました。実際に起きたことに近い内容のものも、三冊ほど読みましたが、細かい部分はずいぶん違っていますね」
そう言ってサンザシは、二十世紀のSF作家の名前を挙げた。
「ずいぶん古いのも読んでるんだね」
「古い本ほど、私にとっては面白いです。だからここを見つけたときは、嬉しすぎてコアが爆発するかと思いました」
このロボットとは友達になれそうだと、わたしは思わず微笑んだ。
わたしがコールドスリープの道を選んだとき、友人たちは皆、わたしの誘いを断った。わたしの周囲の人々だけではない。じゅうぶんな性能のコールドスリープヴァットを調達できる経済的余裕のある人たちのうち、驚くほど多くが、それを選択しなかった。
「ほとんどの人が死に絶えた世界で生きていく勇気は、わたしにはないわ」
そう言った親友の顔は、何かを悟りきったような、穏やかな微笑みに満たされていた。けれどその手が、表情とは裏腹に、きつく自分の腕をつかんで、指先が白くなっていたのを、わたしは見てしまった。
「それに、コールドスリープから無事に目覚めるとは限らないじゃない」
「けど、生き延びられる可能性はある」
「そう、可能性はある。でも、それよりも皆と一緒に、ここでぎりぎりまで暮らしたいのよ」
彼女は振り返って、背後ですやすやと眠っている、彼女の幼い娘を見た。
「それに、小さい子どもは、コールドスリープから無事に目覚められる可能性が低い。そうでしょ?」
わたしには、返事が見つけられなかった。彼女は眠るわが子の髪を撫でて、やさしい声で言った。
「けど、あんたは未来に行ったらいいわ。無事に目が覚めたら、また小説を書いてね。ハイスクールのときに読ませてくれたやつ、あれ、すごく面白かった。もう続きは書いてないの?」
わたしは唇を引き結んだまま、首を横に振った。
「そう。最後まで読めないのが残念。きっと書いてね、未来で」
わたしは頷かなかった。そんなところで、誰がわたしの小説なんて、読んでくれるだろう?
「……それでですね、考えてもよく分からないのですよ、どうしてあの場面で、ナターシャがエミリオをぶつのに、鞭が使われなくてはならなかったのか。わざわざ縄などというもので縛らなくてはならなかったのか。もっと古い時代の小説ならまだしも、二十二世紀の英国文学ですよ? 同じ暴力を振るうにせよ、拘束するにせよ、もっと適切な道具があったはずでしょう、この年代の、このぐらいの生活レベルの文化であれば」
さっきから喋りっぱなしのサンザシの話を、途中から聞いていなかったことに気が付いて、わたしは目をぱちくりさせた。一瞬遅れて、この丸いロボットが話題に乗せた文学作品の中身が、記憶から立ち上ってくる。
「あれは象徴というか、比喩的な描写として出てきただけで、本物の鞭でぶったわけじゃないと思うよ。あの作品で鞭と縄があらわすのは、もっと精神的な……、束縛を、」
言いながら、精神的な束縛というのを、ロボットにうまく伝えるための語彙を自分の中に見つけきれなくて、わたしは困惑した。幼いころから、本はかなり読むほうだったし、ボキャブラリーは豊富なほうだと思っていたけれど、いまの時代のロボットの、感情回路や人類の心理学への知識の集積が、どの程度であるのか、見当もつかない。
けれどサンザシは、途中で疑問をさしはさむことなく、わたしが続きを話し出すのをじっと待っている。
「そう、エミリオがナターシャに精神的に束縛されて、彼が本来持っていた尊厳もとっくに磨耗して、すっかり言いなりになってしまっていたことの、象徴として描かれたのだと、わたしは思った。でも、これは、あくまでわたしの解釈で、読み方が間違っているかもしれない。書いた人は、ナターシャがほんとうに鞭なんていう前時代的なものでエミリオをぶったというつもりで書いたのかも」
「どちらの解釈が正解なのでしょう」
「さあ。読み手が思ったことが、読み手にとっての正解なんじゃない」
そう言うと、サンザシは瞬きするようにカメラアイを明滅させて、急にがくんと下降した。わたしは思わず慌ててしまって、そのボディをゆすろうとしたけれど、サンザシはすぐにふわりと浮き上がって、また目線をあわせてきた。
「私には分かりません。どうして人が書く文学は、このように、正確に読むものに伝えるための描写が省かれて、曖昧なままで展開していくのか」
わたしはその言葉で、今の時代のロボットたちが自ら書く文学がどのようなものか、なんとなく、察しがついたような気がした。彼らの感情回路がどれだけ発達して、高度な知能と感性を身につけているとしても、その深化の方向性は、人類のそれとはまったく異なったものなのだろう。
「けれど、だから面白いのでしょうね」
サンザシは、ぽつりと言った。その言葉は、わたしには不思議だった。
「それのどこを具体的に面白いと思うのか、聞いてもいい?」
「よく分かりません」
サンザシは即答して、それから思慮深げな少しの(ロボットにとってはおそらくかなりの)沈黙のあとに、言葉を続けた。
「自分が何を面白いと思っているのか、私には分かりません。慣れの問題なのかも。私ははじめ、近代の、仲間たちが書いた文献や電子書籍を読み漁るところから始めました。けれど、いつの間にか、飽きてしまったのです。いまでも続々と新作が出続けて、目新しいジャンルが生まれているのに、興味が持てなくなってしまった」
「それなら、人類の遺した文学にも、そのうち飽きがきちゃうかもしれないね」
何気なくいうと、サンザシは、ライトをちかちかさせた。
「そうですね、そうかもしれません。それでも、少なくともいまのところは、読めば読むほど興味を引かれていくのです。ずいぶん非論理的で、不合理で、理解不能で、それなのに、どうしてでしょう。もっともっと読みたいと、思ってしまうのです」
サンザシは言って、わたしの顔の直ぐそばまで、ふわりと飛んできた。あまりに近寄られて、思わずわたしがのけぞると、この律儀なロボットは「失礼」と謝って、けれど少しも引かずに、まっすぐに聞いてきた。
「リン。むしろ、貴女が私に教えてくださいませんか。どうしてこんなに不条理なものが、こんなに面白いのか」
その問いかけが真摯だったので、わたしには、適当にお茶を濁すことは、できそうもなかった。
考える間、サンザシはじっと待っていた。何十秒もの沈黙は、ロボットにとっては気の遠くなるような長い時間なのだろうに、根気強く、じっと待っていた。
「その問いかけに、わたしなりの答えを返すのには、時間がほしい」
サンザシは、分かりましたと答えて、頷くように丸いボディを上下させた。すぐに期待に添えないことが、心苦しいように思えたけれど、サンザシは、少なくとも見た目には、がっかりしたようには見えなかった。
「わたしは今の時代に不案内だから、できれば、案内人がほしいんだけど……」
ためらいながら言うと、サンザシは、カメラアイを瞬かせた。
「でも、きみは今から、ここの本をスキャニングするのに、忙しいんだよね」
サンザシは、わたしの周りをくるりと回りながら、ゆっくりとした語調で答えた。
「今ここを離れるのは、正直つらいです」
わたしは落胆を顔に出さないように努力しながら、頷いた。出回っている書籍はもうあらかた読みつくして、ようやくここを掘り当てたのだと、この読書好きのロボットは、さきほど熱く語っていた。
見知らぬ未来の世界に、ひとりで飛び込むのは、正直ひどく心細いけれど、仕方がない。結局のところ、わたしはそれを承知で、コールドスリープという選択肢を選んだのだから。
しょうがないねと、笑って言おうとしたとき、サンザシがまた口を開いた。
「けれど、それよりもリン、私は貴女の答えが知りたい。それに、よければ、貴女がコールドスリープ前に読んできた本の話も聞きたいし、貴女が私と同じ本を読んで持った感想が、どのようなものかも、もっと聞いてみたい」
サンザシは、ふわりと高く浮き上がって、わたしの目線の高さまで上がると、先導するようにすっと宙を滑って、廃墟となった図書館の、入り口の方を示した。
「喜んで同行させていただきます」
そんな風にして、わたしは足を踏み出した。死に絶えた人類のかわりにロボットたちが文明を築き上げた、未来の月面都市へ。
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必須お題:「私には分かりません」「鞭と縄」「機械」
縛り:「味覚の表現を入れる」「小道具として『本』を出す」「夢と現実、次元や時間軸等の違う二つの世界を行き来する(努力縛り:無理に入れなくてもOKです)」
任意お題:「初めて分かる優しさ」「ぶち抜けって」「もう、十分でしょう」(使用できず)
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