忍者ブログ
小説を書いたり本を読んだりしてすごす日々のだらだらログ。
×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

 世の中には、ごく小さいころの記憶をはっきり持っておられる方もいらっしゃるそうですが、私はあいにくオツムの出来がよろしくなくて、幼少の頃のことはたいがいサッパリ忘れ去ってしまっております。
 自分が入っていた保育園の記憶なんて、微妙に断片があるくらいで、幼馴染の顔や名前が断片的に出てくるくらい、保育士の先生方なんてまるで覚えてないです。なんだか申し訳ないようだけども、本気でさっぱり。

 そんな私なのですが、通っていた保育園はいまでもちゃんと同じところにありまして、その園長先生が、伯母がやっているお店のお得意様なのです。
 もう何年か前の話なのですが、その園長先生から、記念誌を作るので、そこに載せるちょっとした文章を書いてほしいというお話がありまして。
 私、隠れオタですから、別に執筆がシュミであることは周囲に公言しておりませんで(トモダチはともかく)、ただ単に近くにいた手ごろな卒園生ということで、話が回ってきただけなのですが。何を書けばいいのかと訊くと、「適当でいいんだよ」と言われるんですね。

 いや、分かるんです。そーいうのって、本当に適当でいいんですよ。当たりさわりのないそれっぽいことを書いておけば、誰も困らないんだから。
 中高のときなんかに、あるじゃないですか、何か講演とか聴かされたりして、感想文を強制で書かされるとか。ああいうノリで、無難に空気読んで世間受けすることを書いときゃいいんです。

 でも、嫌だったんですよ。
 自分が子どもの頃のことを多少なりと覚えていれば、別にたいして抵抗もなかったと思うんです。それなりに自分の記憶を振り返って、思い出など添えつつ、簡単な祝辞を述べるくらい、楽なことです。
 でも覚えてないのに、さも思い出を懐かしむようなデッチアゲの文章を書くのが、なんだかものすごく抵抗があったんですね。

 それで断ろうとしたんですが、何せ園長先生と言うのが、伯母がかなりお世話になっている上得意です。「そこを何とか頼む」と念押しされれば、それ以上断れなくて。

 仕方ないので、結局はしぶしぶ、無難にデッチあげたんです。
 もうデータは捨てちゃったんですけど、要約すると、こんな感じ。自分は両親が共働きだったので、一歳のときから小学校に上がるまで、○○保育園にお世話になっていました。当時はただお友達と遊んだりするのが楽しいだけで、何もわかっていなかったけれど、おかげさまで今はこうして無事に職にもつくことができ、小さいお子さんを育てながら働かれているお母様方とも一緒に仕事をするようになって、ようやく女性にとって仕事と家庭を両立するということの苦労にも、多少なりと察しがつくようになったいま、あらためて振り返れば、フルタイムで働きながら私を育ててくれた母にも、保育園の先生方にも、頭が下がります……云々。

 その自分で書いた文章が、いつまでも気持ち悪くて。
 そのモヤモヤが、ずっと消えなくて、普段は忘れてるんですけど、折々にふっと胸の底からよみがえってきて、今でもすごく割り切れなくて。
 いや、何も嘘八百を並べ立てたわけじゃないんです。母に感謝してないとか、保育士さんは偉いとは思わないとか、そういうことじゃないんですけど。つまり、おおむね事実しか書いてないわけですけども、なんだろう。保育園のことなんてきれいサッパリ忘れ去っていたくせに、心から思ってもいないことを、こう、美談にしたてあげてさも感謝しているかのように書くというのが、あまりに空疎で不正直で。
 自分に対する裏切りといったらおおげさなんでしょうけども、それからずっと、もやもやしています。

 園長先生は、私が寄せた拙い文章に、とても喜んでくださったそうなんですけども、それが経営戦略上の喜びだったにしても、卒園した子どもの成長に対する喜びだったにしても、どっちにしろ、ぜんぜん納得がいかなくて。
 デマカセで書いていいこととよくないことがある、という気がしているのかな。普段はチャランポランな私ですから、いつもどおり、テキトーに気にしなけりゃそれまでのはずなんですが。

 それでもあれは書いたらいけない文章だったという気がしています。たとえ、関係者の人が流し読むのがせいぜいで、誰も気にも留めないようなローカルな記事だとしても。
 同じ無難なものを書くにしても、もっと空気読めてない頭悪そうな文章でいいから、もう少し正直に書けなかったのかな。毒にも薬にもならない「おめでとうございます。当時はお世話になりました」的なことだけを書いて、もし望まれない部分があったら、向こうでカットしてもらったほうが、まだよかったよね。

 ふだんシュミで書いている小説なんて、そもそも嘘八百なんだけども、それはまた違うんだよなあ。「フィクションだから」っていうのもありますけども。
 そもそも、虚構ではあるけれども、小説は、心にもないことを書いているわけじゃないんだよなあ。書きたいことがあるから、それに合わせて設定したり、筋立てを書いたり、細部に嘘を織り込んだりしてはいても、肝心の行為の本質としては、本心を書こうとして書いているわけで。伝わりやすくするために、取捨選択するとか、美化するとか、抽象化するとか、そういうことはありますけども。
 もっとも、伝えようとしているっていったって、技術がなさすぎて伝わらないとか、読み手の価値観や感性によっていくらでも解釈が変わるとか、いちど言葉という形にしてしまえばどうやってもどこか捻じ曲がってしまうとか、そういうアレコレはあるんですが……。

 そのとき興味の向いたものは何でも書いてみようという、楽しくかければそれでいいさという、軟派でチャランポランな書き手なのに、こんなこと言っても、ぜんぜん説得力がないんですけどね。

拍手

PR
この記事にコメントする
Name
Title
Color
E-Mail
URL
Comment
Password   Vodafone絵文字 i-mode絵文字 Ezweb絵文字
この記事へのトラックバック
TrackbackURL:
プロフィール
HN:
朝陽 遥(アサヒ ハルカ)
HP:
性別:
非公開
自己紹介:
朝陽遥(アサヒ ハルカ)またはHAL.Aの名義であちこち出没します。お気軽にかまってやっていただけるとうれしいです。詳しくはこちらから
拍手コメントをいただいた場合は、お名前をださずにブログ記事内で返信させていただいております。もしも返信がご迷惑になる場合は、お手数ですがコメント中に一言書き添えていただければ幸いです。
twitter
ブクログ
ラノベ以外の本棚

ラノベ棚
フォローお気軽にどうぞ。
最新CM
[01/18 スタッフ]
[05/26 中村 恵]
[05/04 中村 恵]
[02/04 隠れファン]
アーカイブ
ブログ内検索
メールフォーム
約1000文字まで送れます。 お気軽にかまってやってください。
カウンター
忍者ブログ [PR]