小説を書いたり本を読んだりしてすごす日々のだらだらログ。
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即興三語小説。もう何がなんだか。
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本題に入る前に、ちょっとお聞きしたいんだが、あなたがもし、ある日急に長い付き合いの友人から、真顔で「俺、正義のヒーローになったんだ」と言われたら、信じるだろうか?
なんでそんな質問をするかって? まあその話をする前に、ちょっと聞いてほしい。
いま俺はあろうことか、買ったばかりの新車で、空中を絶賛落下中だ。いや、垂直落下ではなくて、猛スピードの車でガードレールを踏み倒した勢いのまま、空中で風を切って緩やかな放物線を描いているのだから、落下というより滑空に近いかもしれない。
その割には余裕があるじゃないかって? あるわけがない。さっきからずっと、声が枯れそうなほど絶叫している。ただそんな自分を他人事のように、一枚膜を隔てたところから眺めている、変に冷静な俺がいることも事実だ。俺はこの土壇場で、ひとつだけ学習した。人間、極限状態に置かれたら、起きている出来事がスローモーションに感じられるというけれど、あれは本当だ。
俺の隣で運転席にふんぞりかえっている男、中学以来の腐れ縁であるところの廣澤英雄は、どう見ても俺と違って、本気で余裕をかましている。その堂々たる横顔を見ていると、「あれ? もしかして俺がパニックになってるのが間違いで、実は今はなんでもない余裕な状況なんじゃないのか」とうっかりだまされそうなくらい、平然と構えている。
そんなわけはない。フロントガラス越しの視界は、スローモーションのように、それでもけして巻き戻ることなく、確実に海面に近づいていく。「車で断崖から海へ。一家心中か」そんな、いつか新聞記事で見た見出しが頭に浮かぶ。こいつと心中? 冗談じゃない。
ことの始まりは、廣澤の急な頼みごとだった。
理由は言えないが、どうしても大事な用があって車で出かけないといけないんだと、コイツは言った。
俺は廣澤をものすごく胡乱な目で見たと思う。なんせ、コイツがそんな頼みごとをしてきた日からちょうど一ヶ月ほど前、あろうことか、コイツは先述のせりふ、正義の味方が云々というたわごとを俺に投げかけてきたばかりだったのだ。
不安だった。車を出すのはいいが、運転は俺がやると言い張った。コイツが運転できる精神状態かどうかもわからなかったから。廣澤は少し迷うような顔をしたが、よろしく頼むと頭を下げた。
またよりによって、クリスマスだ。俺だってけして暇をもてあましていたわけではない。友人が心配だった……というのも嘘ではないが、車も心配だった。俺は廣澤が運転しているところを見たことがなく、いや、仕事で乗っているのかもしれないのだが、少なくとも目の当たりにしたことはなく、買ったばかりの新車をコイツに預けることには抵抗があった。何せ、長年楽しみにしていたマイカーなのだ。
俺のマイカーへの執着には、それなりの理由がある。四年前にいまの会社に入社して以来、車さえあれば一時間ほどで着くのにもかかわらず、俺はこれまで車をもてなかった。それは「借金だけはするな」という親父の遺言があったからだ。その親父自身はというと、俺が高校に上がったばかりのころにギャンブルに熱狂して、「負け続けるのはあなたが呪われているからだ」という文句にあっさりだまされて呪いよけの高額な壷なんていうものを買い、当たり前だがそれからも変わらず負け続けたりしているうちに、いつの間にか多額の借金を抱え込んだという始末だった。そのとき親父は、幸いにも義父、つまりお袋の実家に立て替えてもらって、どうにかバラされて臓器売買のルートに乗ることもなく生き永らえたものの、それと引き換えに離婚を言い渡されて家を追い出され、音信も途絶えがちになった挙句、気づいたときには六畳一間のボロアパートで誰にも見取られずに病死していた。そんな親父の残した言葉だから、変に説得力があって、俺は以来このかた、借金だけは一円たりとしたことがない。クレジットカードなんて論外だ。
それならとりあえず安い中古車でも買えばいいものを、いざ買おうとすると、お袋が、買ったばかりの中古車のトラブルで事故死した親戚の何某だのを引き合いに出して、中古車は前の持ち主がどこでどうぶつけているかわからない、買うなら絶対に新車にしなさいと泣いて言い張るものだから、機を逸して、貯金が溜まるまでずっとお預けをくらっていたのだ。
そうしてようやく購入したアルトは、そりゃ高い車ではないが、俺が初めてのマイカーに狂喜乱舞して傷ひとつ入れまいと神経を使ったところで、それをけちだと言って誰に責められるいわれがある?
そのマイカーは、今、シルバーの車体に大量の引っかき傷を作り、バンパーをへこませ、フロントガラスにヒビを入れた状態で、宙を舞っている。
さっきの質問の答えをまだもらっていなかった。もう一度聞いてもいいだろうか。あなたがもし長い付き合いの友人から……そうだな、運動神経はよくて、ちょっと性格に天然が入っているかもしれないけれど、そのほかには特に変わったところもないような、どこにでもいるような同級生の男から、ある日急に真顔で「俺、正義のヒーローになったんだ」と言われたら、あなたはそれを信じるだろうか?
俺は信じなかった。冗談だと思ってツッコんでも、まじめな顔のまま平然としている廣澤を見ていると、だんだん不安が増してきて、寝ぼけているのか、それとも似合いもしないドラッグにでも手を出したのか、もしかして何かの心の病気かと、心配はしたが、真に受けはしなかった。
それでもはじめはただのドライブだった。廣澤が告げた目的地は、有名な温泉地だったし、廣澤はちょうど一泊分の荷物くらいは入りそうなリュックを背負ってきていた。なんだ、大事な用なんて言ってただ観光したいだけなんじゃないのかと、正直思いはしたが、なるべく廣澤を刺激しないほうがいいかもしれないと思って、そこはツッコまなかった。世間はクリスマスだというのに、野郎二人で温泉かと毒づくのも、どうにかこらえた。
状況が変わったのは、もうあと十分も車を走らせれば温泉地に出ようかという、カーブだらけの狭い一般道を走っているときだった。
ぼとり、という音がして、何かがフロントガラスに張り付いた。俺は悲鳴を上げて急ブレーキを踏み、かろうじて路肩に停車した。何が落ちてきたのかは分からなかったが、人間ではなさそうだったし、その時点では事故がどうというよりも、まずボンネットの傷が心配だった。
けれど、そんな悠長なことを言っている場合ではなかったのだ。
降ってきたものは、しいて言うなら、猿に似ていた。ボンネットを削り取る鋭い鉤爪や、サイドミラーを噛み割る牙や、爛々と光る赤い目を持っていなければ、もしかして猿といわれても信じたかもしれない。
なめらかな黒い毛皮をまとった猿のようなものは、一頭だけではなかった。
次の衝撃があって、車の天井に何かが張り付いたのだと察したときには、俺はすでにパニックに陥っていた。血の混じった涎をたらして歯を打ち鳴らすそいつが、フロントガラス越しに俺の顔をにらみ付けても、飛び出して逃げ出すべきなのか、このまま車を発進させたほうがいいのか、そういう冷静な判断はちっとも浮かばず、シートベルトを外すことさえ思いつかずに、ただ窓の外を指差して口をぱくぱくさせていただけだった。
廣澤と驚愕を分かち合おうという意識があったかどうか、ともかく俺が助手席に首を向けたときには、廣澤は背中のリュックから、金属バットを取り出していた。中学高校と、俺と同じ野球部に所属していた廣澤が、自分の家でしょっちゅう素振りをやっていたときの、まさにそのバットだった。
廣澤はまったく泰然とした様子でシートベルトを外し、ゆったりとドアを開けると、外にいた黒いやつの頭部に、フルスイングをかました。
140km/hの球を軽々場外ホームランしていた廣澤のバットは、猿もどきの頭蓋骨をらくらくと叩き割った。
廣澤のバットはどんどん黒いやつを叩き殺していった。
体は黒いのに、猿もどきの体から流れる血は、なぜか白かった。まるでうっかりペンキをぶちまけたように、そこらじゅうを白い塗料が塗りたくっていく。
その間、俺はぽかんとあほ面さらして、運転席に座っていた。また新手の猿が樹上から降ってきて、フロントガラスに大きなヒビを入れるまでは。
そのとりわけデカい猿は、口に何かをくわえていた。
ごろんとボンネットに転がり落ちたそれが、大人の女性の手首らしいと気づいた瞬間、俺はまたパニックになった。泡を吹いて、シートベルトをがちゃがちゃ言わせ、ともかくどうにか車外に飛び出した、そのときだった。
遠くに何か、黒い犬の群れが見えた。
まだ猿が暴れているのにもかかわらず、俺は思わずそちらに気をとられた。
最初はただの野犬かと思った。
ただ、縮尺だけがおかしかった。
遠くにそびえる木々の、そのすぐ横にいるはずの犬は、自分の目を信じるなら、あきらかに尋常じゃない大きさだった。
はっと気づいたときには、スラシュシュシュシュと、奇妙な音がすぐ耳元でした。猿の笑い声だと気づくのに、一拍かかった。
血の混じった涎が首筋に落ちて、俺はへたり込んだ。遠くの犬に気を取られている間に、いつの間にかさっきのやつがすぐそばに迫ってきていたのだ。
もうだめだ、と思った瞬間、風きり音がすぐ耳元でうなって、黒い猿がふっとんでいくのが見えた。
廣澤の手の、すっかりゆがんでしまった金属バットは、白い血に濡れていた。いつの間にか最後の一頭になっていた猿をしとめたらしい廣澤は、ぽつりと言った。「まずいな」
「お、おま、おまえ……」
「逃げるぞ、乗れ!」
言うなり、廣澤はさっさと俺のアルトの運転席に乗り込んだ。おいていかれてはたまらないと助手席に俺がおさまるのが早いか、廣澤はギアを入れてアクセルを踏み込んだのが早いか。ムチウチになりそうな勢いで、がくんと頭を揺さぶられて、俺は悲鳴を上げてドアにしがみついた。
「な、なんだあれ、猿、それにあの犬、犬かあれ?」
「あと雉がいれば完璧だな」
廣澤のつまらない冗談が冗談とわからないくらいには、俺はまだパニックだった。シートにしがみつくようにしながら、背後を振り返ると、巨大な犬が近づいてきているのが見えた。
「あの犬は苦手なんだ」
あっさりと言って、廣澤はスピードを上げた。
「に、苦手って」
「あの猿みたいなのは、俺でもどうにかなるんだがな。犬のほうは、ちゃんとああいうのが得意なやつが駆けつけてくるから、今日の俺の役目はこれで終わり。あとは逃げる。……口を閉じていないと、舌をかむぞ。シートベルトつけてろ、危ないから」
廣澤は言って、カーブで急ハンドルを切った。舗装されてはいるといえ、山道だ。くねくねと曲がりくねった下り坂。
俺は何が何だか分からないまま、それでも震える手で、どうにかシートベルトをつけた。まさか「危ないから」が、そういう意味だとは思いもせずに。
廣澤は前方にヘアピンカーブと断崖絶壁の待つ長い長い下り坂で、アクセルを限界まで踏み抜くと、俺が悲鳴を上げるのも少しも気にならない様子で、錆だらけのガードレールに突っ込んだ。
死ぬ前に走馬灯が浮かぶのならまだしもいい、どうせ死ぬなら俺も、今日の災難を振り返るよりも、もっといい思い出を反芻しながら安らかに死にたい。そんなことを思ううちに、もう海面が目の前だった。
着水の瞬間、俺はきつく目を閉じた。なぜか同時に、体の右側で、ドアを開ける音が聞こえた。
衝撃。
シートベルトが食い込んで、息ができなかった。一瞬、閉じた目の裏がさらに暗くなり、意識がどこか遠くに飛びかけた。
そのまま意識を手放せば楽だったかもしれないのだが、次の瞬間、車ががくんと傾いて、大量の塩水がなだれ込んできて、俺は目を開けた。震え上がるような冷たい水。それも当たり前、冬の海だ。
冷たすぎて、肌が熱いと錯覚するような、そんな冷たさだった。
もう死ぬ、と思ったときだった。廣澤が身を乗り出して、やたらと冷静な動作で俺のシートベルトを外させると、猿を叩き殺したあのとんでもない握力で、強引に俺を車から引きずり出した。
普段だったら泳げないことはないが、この状況で、しかも冬ものの厚いジャケットを着たままで、水は心底冷たく、しかも体のすぐ近くには買ったばかりの愛車が、最後の抵抗を見せてまだ沈み始める手前の状態にとどまっている。混乱してただもう闇雲に手足をばたつかせる俺の右手を、廣澤はつかんだまま、問答無用の勢いでざぶざぶと波をかきわけた。
なんとかジャケットを脱ぎ捨て、呆然と立ち泳ぎしながら、沈み行くアルトを眺めて、俺は絶句していた。あんな目にあったのに、まだ麻痺したままの頭で思われるのは、母親の実家に頼るのがいやで安い給料の中からこつこつと積み立ててきた貯金のことと、隙間風のひどいボロアパートの隅で冷たくなっていた親父の死に顔だった。何だよ、借金してもしなくても、結局ろくでもないことしか待ってないじゃないか。
死んだ親父に文句をつけても、何が返ってくるわけでもない。ちょっと経つと、すぐに体の心から震えがきて、あわてて陸に向かった。
どうにか陸に体を押し上げて、振り返ると、廣澤は冷静に頭上を見上げて、崖の上から降ってくるあの黒いのがいないかどうか、目を眇めていた。
「……うん、大丈夫そうだ」
廣澤は言うと、寒くないのか、悠然と泳いできた。俺はがちがちと歯が鳴るのを意識しながら、何が大丈夫なものかと悪態をつこうとしたけれど、舌がまったく回らない。
「すまなかったな、お前しか頼める相手がいなくて」
這い上がりながら、本当にすまなそうに言ってくる廣澤を、俺はかじかんでろくに動かない脚で、もう一度海に蹴り落とした。
「何するんだ」
びっくりしたような顔で見上げてくる廣澤に、俺はもう一発力のはいらない蹴りを見舞った。
「うるさい! お前、こうなると分かってて黙ってたな!」
「信じないと思ったから」
「隠してていいことと悪いことがある!」
「ごめん。車は弁償するから」
「そういう問題じゃないだろ!」
叫んだら、猛烈に鼻水が出た。寒い。寒いって言うか肌が痛い。風が出てきた。痛い痛い痛い! 弁償どころかこのまま凍死する!
あわててあたりを見渡しても、遠くに漁港が見えるだけで、近くには人家のようなものはない。ぜったいあそこにたどり着く前に動けなくなる。
けれど廣澤は平然としている。こいつ、寒くないのか。普通じゃないだろ。いや、金属バットで化け物を殴り殺す時点で、ぜんぜん普通じゃないのか。それにしても……
「悪かった」
廣澤は真顔でもう一度謝った。その真剣さに一瞬飲まれかけて、俺はたじろいだ。ごまかされないぞ、人が何年も苦労してようやく買った車を……。けれど、寒くてそれ以上の文句が口からうまく出てこない。
「ああ、きた」
廣澤はぽつりと言うと、頭上を仰いだ。
つられて顔を上げると、遠くに小さく、ヘリコプターが見えた。プロペラの音が低く響いた。
「たぶん毛布とか積んでると思う。それまで堪えろ」
廣澤は言って、自分の着ていたトレーナーを脱ぐと、水を絞って、ヘリに向かってぶんぶんと振り回した。
----------------------------------------
▲必須お題:「呪い」「スラシュシュシュ」「クリスマス」
▲縛り:「舞台縛り:登場人物が空中にいる場面を入れてください。ex.飛行機の機内、ゴンドラ、空を飛ぶ等」「新車を買う」「セリフのみ」もしくは「寒さを体感的に描写する」(どちらか選択してください。両方も可)
▲任意お題:「ただいま絶賛落下中」「チャキチャキパチャンガ」「ろりろりびじん」
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本題に入る前に、ちょっとお聞きしたいんだが、あなたがもし、ある日急に長い付き合いの友人から、真顔で「俺、正義のヒーローになったんだ」と言われたら、信じるだろうか?
なんでそんな質問をするかって? まあその話をする前に、ちょっと聞いてほしい。
いま俺はあろうことか、買ったばかりの新車で、空中を絶賛落下中だ。いや、垂直落下ではなくて、猛スピードの車でガードレールを踏み倒した勢いのまま、空中で風を切って緩やかな放物線を描いているのだから、落下というより滑空に近いかもしれない。
その割には余裕があるじゃないかって? あるわけがない。さっきからずっと、声が枯れそうなほど絶叫している。ただそんな自分を他人事のように、一枚膜を隔てたところから眺めている、変に冷静な俺がいることも事実だ。俺はこの土壇場で、ひとつだけ学習した。人間、極限状態に置かれたら、起きている出来事がスローモーションに感じられるというけれど、あれは本当だ。
俺の隣で運転席にふんぞりかえっている男、中学以来の腐れ縁であるところの廣澤英雄は、どう見ても俺と違って、本気で余裕をかましている。その堂々たる横顔を見ていると、「あれ? もしかして俺がパニックになってるのが間違いで、実は今はなんでもない余裕な状況なんじゃないのか」とうっかりだまされそうなくらい、平然と構えている。
そんなわけはない。フロントガラス越しの視界は、スローモーションのように、それでもけして巻き戻ることなく、確実に海面に近づいていく。「車で断崖から海へ。一家心中か」そんな、いつか新聞記事で見た見出しが頭に浮かぶ。こいつと心中? 冗談じゃない。
ことの始まりは、廣澤の急な頼みごとだった。
理由は言えないが、どうしても大事な用があって車で出かけないといけないんだと、コイツは言った。
俺は廣澤をものすごく胡乱な目で見たと思う。なんせ、コイツがそんな頼みごとをしてきた日からちょうど一ヶ月ほど前、あろうことか、コイツは先述のせりふ、正義の味方が云々というたわごとを俺に投げかけてきたばかりだったのだ。
不安だった。車を出すのはいいが、運転は俺がやると言い張った。コイツが運転できる精神状態かどうかもわからなかったから。廣澤は少し迷うような顔をしたが、よろしく頼むと頭を下げた。
またよりによって、クリスマスだ。俺だってけして暇をもてあましていたわけではない。友人が心配だった……というのも嘘ではないが、車も心配だった。俺は廣澤が運転しているところを見たことがなく、いや、仕事で乗っているのかもしれないのだが、少なくとも目の当たりにしたことはなく、買ったばかりの新車をコイツに預けることには抵抗があった。何せ、長年楽しみにしていたマイカーなのだ。
俺のマイカーへの執着には、それなりの理由がある。四年前にいまの会社に入社して以来、車さえあれば一時間ほどで着くのにもかかわらず、俺はこれまで車をもてなかった。それは「借金だけはするな」という親父の遺言があったからだ。その親父自身はというと、俺が高校に上がったばかりのころにギャンブルに熱狂して、「負け続けるのはあなたが呪われているからだ」という文句にあっさりだまされて呪いよけの高額な壷なんていうものを買い、当たり前だがそれからも変わらず負け続けたりしているうちに、いつの間にか多額の借金を抱え込んだという始末だった。そのとき親父は、幸いにも義父、つまりお袋の実家に立て替えてもらって、どうにかバラされて臓器売買のルートに乗ることもなく生き永らえたものの、それと引き換えに離婚を言い渡されて家を追い出され、音信も途絶えがちになった挙句、気づいたときには六畳一間のボロアパートで誰にも見取られずに病死していた。そんな親父の残した言葉だから、変に説得力があって、俺は以来このかた、借金だけは一円たりとしたことがない。クレジットカードなんて論外だ。
それならとりあえず安い中古車でも買えばいいものを、いざ買おうとすると、お袋が、買ったばかりの中古車のトラブルで事故死した親戚の何某だのを引き合いに出して、中古車は前の持ち主がどこでどうぶつけているかわからない、買うなら絶対に新車にしなさいと泣いて言い張るものだから、機を逸して、貯金が溜まるまでずっとお預けをくらっていたのだ。
そうしてようやく購入したアルトは、そりゃ高い車ではないが、俺が初めてのマイカーに狂喜乱舞して傷ひとつ入れまいと神経を使ったところで、それをけちだと言って誰に責められるいわれがある?
そのマイカーは、今、シルバーの車体に大量の引っかき傷を作り、バンパーをへこませ、フロントガラスにヒビを入れた状態で、宙を舞っている。
さっきの質問の答えをまだもらっていなかった。もう一度聞いてもいいだろうか。あなたがもし長い付き合いの友人から……そうだな、運動神経はよくて、ちょっと性格に天然が入っているかもしれないけれど、そのほかには特に変わったところもないような、どこにでもいるような同級生の男から、ある日急に真顔で「俺、正義のヒーローになったんだ」と言われたら、あなたはそれを信じるだろうか?
俺は信じなかった。冗談だと思ってツッコんでも、まじめな顔のまま平然としている廣澤を見ていると、だんだん不安が増してきて、寝ぼけているのか、それとも似合いもしないドラッグにでも手を出したのか、もしかして何かの心の病気かと、心配はしたが、真に受けはしなかった。
それでもはじめはただのドライブだった。廣澤が告げた目的地は、有名な温泉地だったし、廣澤はちょうど一泊分の荷物くらいは入りそうなリュックを背負ってきていた。なんだ、大事な用なんて言ってただ観光したいだけなんじゃないのかと、正直思いはしたが、なるべく廣澤を刺激しないほうがいいかもしれないと思って、そこはツッコまなかった。世間はクリスマスだというのに、野郎二人で温泉かと毒づくのも、どうにかこらえた。
状況が変わったのは、もうあと十分も車を走らせれば温泉地に出ようかという、カーブだらけの狭い一般道を走っているときだった。
ぼとり、という音がして、何かがフロントガラスに張り付いた。俺は悲鳴を上げて急ブレーキを踏み、かろうじて路肩に停車した。何が落ちてきたのかは分からなかったが、人間ではなさそうだったし、その時点では事故がどうというよりも、まずボンネットの傷が心配だった。
けれど、そんな悠長なことを言っている場合ではなかったのだ。
降ってきたものは、しいて言うなら、猿に似ていた。ボンネットを削り取る鋭い鉤爪や、サイドミラーを噛み割る牙や、爛々と光る赤い目を持っていなければ、もしかして猿といわれても信じたかもしれない。
なめらかな黒い毛皮をまとった猿のようなものは、一頭だけではなかった。
次の衝撃があって、車の天井に何かが張り付いたのだと察したときには、俺はすでにパニックに陥っていた。血の混じった涎をたらして歯を打ち鳴らすそいつが、フロントガラス越しに俺の顔をにらみ付けても、飛び出して逃げ出すべきなのか、このまま車を発進させたほうがいいのか、そういう冷静な判断はちっとも浮かばず、シートベルトを外すことさえ思いつかずに、ただ窓の外を指差して口をぱくぱくさせていただけだった。
廣澤と驚愕を分かち合おうという意識があったかどうか、ともかく俺が助手席に首を向けたときには、廣澤は背中のリュックから、金属バットを取り出していた。中学高校と、俺と同じ野球部に所属していた廣澤が、自分の家でしょっちゅう素振りをやっていたときの、まさにそのバットだった。
廣澤はまったく泰然とした様子でシートベルトを外し、ゆったりとドアを開けると、外にいた黒いやつの頭部に、フルスイングをかました。
140km/hの球を軽々場外ホームランしていた廣澤のバットは、猿もどきの頭蓋骨をらくらくと叩き割った。
廣澤のバットはどんどん黒いやつを叩き殺していった。
体は黒いのに、猿もどきの体から流れる血は、なぜか白かった。まるでうっかりペンキをぶちまけたように、そこらじゅうを白い塗料が塗りたくっていく。
その間、俺はぽかんとあほ面さらして、運転席に座っていた。また新手の猿が樹上から降ってきて、フロントガラスに大きなヒビを入れるまでは。
そのとりわけデカい猿は、口に何かをくわえていた。
ごろんとボンネットに転がり落ちたそれが、大人の女性の手首らしいと気づいた瞬間、俺はまたパニックになった。泡を吹いて、シートベルトをがちゃがちゃ言わせ、ともかくどうにか車外に飛び出した、そのときだった。
遠くに何か、黒い犬の群れが見えた。
まだ猿が暴れているのにもかかわらず、俺は思わずそちらに気をとられた。
最初はただの野犬かと思った。
ただ、縮尺だけがおかしかった。
遠くにそびえる木々の、そのすぐ横にいるはずの犬は、自分の目を信じるなら、あきらかに尋常じゃない大きさだった。
はっと気づいたときには、スラシュシュシュシュと、奇妙な音がすぐ耳元でした。猿の笑い声だと気づくのに、一拍かかった。
血の混じった涎が首筋に落ちて、俺はへたり込んだ。遠くの犬に気を取られている間に、いつの間にかさっきのやつがすぐそばに迫ってきていたのだ。
もうだめだ、と思った瞬間、風きり音がすぐ耳元でうなって、黒い猿がふっとんでいくのが見えた。
廣澤の手の、すっかりゆがんでしまった金属バットは、白い血に濡れていた。いつの間にか最後の一頭になっていた猿をしとめたらしい廣澤は、ぽつりと言った。「まずいな」
「お、おま、おまえ……」
「逃げるぞ、乗れ!」
言うなり、廣澤はさっさと俺のアルトの運転席に乗り込んだ。おいていかれてはたまらないと助手席に俺がおさまるのが早いか、廣澤はギアを入れてアクセルを踏み込んだのが早いか。ムチウチになりそうな勢いで、がくんと頭を揺さぶられて、俺は悲鳴を上げてドアにしがみついた。
「な、なんだあれ、猿、それにあの犬、犬かあれ?」
「あと雉がいれば完璧だな」
廣澤のつまらない冗談が冗談とわからないくらいには、俺はまだパニックだった。シートにしがみつくようにしながら、背後を振り返ると、巨大な犬が近づいてきているのが見えた。
「あの犬は苦手なんだ」
あっさりと言って、廣澤はスピードを上げた。
「に、苦手って」
「あの猿みたいなのは、俺でもどうにかなるんだがな。犬のほうは、ちゃんとああいうのが得意なやつが駆けつけてくるから、今日の俺の役目はこれで終わり。あとは逃げる。……口を閉じていないと、舌をかむぞ。シートベルトつけてろ、危ないから」
廣澤は言って、カーブで急ハンドルを切った。舗装されてはいるといえ、山道だ。くねくねと曲がりくねった下り坂。
俺は何が何だか分からないまま、それでも震える手で、どうにかシートベルトをつけた。まさか「危ないから」が、そういう意味だとは思いもせずに。
廣澤は前方にヘアピンカーブと断崖絶壁の待つ長い長い下り坂で、アクセルを限界まで踏み抜くと、俺が悲鳴を上げるのも少しも気にならない様子で、錆だらけのガードレールに突っ込んだ。
死ぬ前に走馬灯が浮かぶのならまだしもいい、どうせ死ぬなら俺も、今日の災難を振り返るよりも、もっといい思い出を反芻しながら安らかに死にたい。そんなことを思ううちに、もう海面が目の前だった。
着水の瞬間、俺はきつく目を閉じた。なぜか同時に、体の右側で、ドアを開ける音が聞こえた。
衝撃。
シートベルトが食い込んで、息ができなかった。一瞬、閉じた目の裏がさらに暗くなり、意識がどこか遠くに飛びかけた。
そのまま意識を手放せば楽だったかもしれないのだが、次の瞬間、車ががくんと傾いて、大量の塩水がなだれ込んできて、俺は目を開けた。震え上がるような冷たい水。それも当たり前、冬の海だ。
冷たすぎて、肌が熱いと錯覚するような、そんな冷たさだった。
もう死ぬ、と思ったときだった。廣澤が身を乗り出して、やたらと冷静な動作で俺のシートベルトを外させると、猿を叩き殺したあのとんでもない握力で、強引に俺を車から引きずり出した。
普段だったら泳げないことはないが、この状況で、しかも冬ものの厚いジャケットを着たままで、水は心底冷たく、しかも体のすぐ近くには買ったばかりの愛車が、最後の抵抗を見せてまだ沈み始める手前の状態にとどまっている。混乱してただもう闇雲に手足をばたつかせる俺の右手を、廣澤はつかんだまま、問答無用の勢いでざぶざぶと波をかきわけた。
なんとかジャケットを脱ぎ捨て、呆然と立ち泳ぎしながら、沈み行くアルトを眺めて、俺は絶句していた。あんな目にあったのに、まだ麻痺したままの頭で思われるのは、母親の実家に頼るのがいやで安い給料の中からこつこつと積み立ててきた貯金のことと、隙間風のひどいボロアパートの隅で冷たくなっていた親父の死に顔だった。何だよ、借金してもしなくても、結局ろくでもないことしか待ってないじゃないか。
死んだ親父に文句をつけても、何が返ってくるわけでもない。ちょっと経つと、すぐに体の心から震えがきて、あわてて陸に向かった。
どうにか陸に体を押し上げて、振り返ると、廣澤は冷静に頭上を見上げて、崖の上から降ってくるあの黒いのがいないかどうか、目を眇めていた。
「……うん、大丈夫そうだ」
廣澤は言うと、寒くないのか、悠然と泳いできた。俺はがちがちと歯が鳴るのを意識しながら、何が大丈夫なものかと悪態をつこうとしたけれど、舌がまったく回らない。
「すまなかったな、お前しか頼める相手がいなくて」
這い上がりながら、本当にすまなそうに言ってくる廣澤を、俺はかじかんでろくに動かない脚で、もう一度海に蹴り落とした。
「何するんだ」
びっくりしたような顔で見上げてくる廣澤に、俺はもう一発力のはいらない蹴りを見舞った。
「うるさい! お前、こうなると分かってて黙ってたな!」
「信じないと思ったから」
「隠してていいことと悪いことがある!」
「ごめん。車は弁償するから」
「そういう問題じゃないだろ!」
叫んだら、猛烈に鼻水が出た。寒い。寒いって言うか肌が痛い。風が出てきた。痛い痛い痛い! 弁償どころかこのまま凍死する!
あわててあたりを見渡しても、遠くに漁港が見えるだけで、近くには人家のようなものはない。ぜったいあそこにたどり着く前に動けなくなる。
けれど廣澤は平然としている。こいつ、寒くないのか。普通じゃないだろ。いや、金属バットで化け物を殴り殺す時点で、ぜんぜん普通じゃないのか。それにしても……
「悪かった」
廣澤は真顔でもう一度謝った。その真剣さに一瞬飲まれかけて、俺はたじろいだ。ごまかされないぞ、人が何年も苦労してようやく買った車を……。けれど、寒くてそれ以上の文句が口からうまく出てこない。
「ああ、きた」
廣澤はぽつりと言うと、頭上を仰いだ。
つられて顔を上げると、遠くに小さく、ヘリコプターが見えた。プロペラの音が低く響いた。
「たぶん毛布とか積んでると思う。それまで堪えろ」
廣澤は言って、自分の着ていたトレーナーを脱ぐと、水を絞って、ヘリに向かってぶんぶんと振り回した。
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▲必須お題:「呪い」「スラシュシュシュ」「クリスマス」
▲縛り:「舞台縛り:登場人物が空中にいる場面を入れてください。ex.飛行機の機内、ゴンドラ、空を飛ぶ等」「新車を買う」「セリフのみ」もしくは「寒さを体感的に描写する」(どちらか選択してください。両方も可)
▲任意お題:「ただいま絶賛落下中」「チャキチャキパチャンガ」「ろりろりびじん」
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朝陽 遥(アサヒ ハルカ)
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非公開
自己紹介:
朝陽遥(アサヒ ハルカ)またはHAL.Aの名義であちこち出没します。お気軽にかまってやっていただけるとうれしいです。詳しくはこちらから
拍手コメントをいただいた場合は、お名前をださずにブログ記事内で返信させていただいております。もしも返信がご迷惑になる場合は、お手数ですがコメント中に一言書き添えていただければ幸いです。
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