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小説を書いたり本を読んだりしてすごす日々のだらだらログ。
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 某所の三語企画へ提出したもの。端々を微妙に修正したものの、ぜんぜん書きたいものを書ききれていない感じがする。いつか書き直したいです。

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 新しいキッチンは気持ちがいい。
 思わず鼻歌が零れたのを、まだ時間が早いことを思い出して、あわてて止めた。隣の若い女性が夜の仕事をしているとかで、朝から物音を立てるとあとでうるさいのだ。
 開け放した窓から、まだ少し冷たい風が吹き込んで、鰤のアラを煮込んでいる深鍋から、醤油の匂いが流れてくる。
 ここに越してくることを決めたとき、他の何よりも先に水周りを見た。料理が楽しくないと、毎日がつまらない。
 毎日しないとならない面倒なことを、楽しいと思い込むことができれば、それだけで人生は充実したものになる。亡き母が残した中では、いちばん実用性の高い教訓だった。二番目は、姉弟は望んでも望まなくても一生ずっと姉弟なのだということだ。
 卵は三個。ボウルに割り入れたら、箸で勢いよくかき混ぜる。空気が入ったほうが、あとでふわふわになるからだ。塩を一振り、出汁と醤油。それから砂糖をほんのちょっと。調味料を入れてから、もう一度手早くかき混ぜる。
 温めていたフライパンに、ほんのちょっと、卵を落としてみる。じゅっと、いい音が響いて、いい匂いが広がった。ちょうどのタイミングだ。
 卵を三分の一だけ流し込んで、フライパンを軽く回すようにゆする。きれいに焼くには、思い切って、少し強めの弱火がコツ。
 昨日のうちに仕込んでおいたご飯も、もうすぐ炊ける。炊飯器が煙を上げて、甘い匂いをさせている。
 冷蔵庫には昨日の残りのゴボウのキンピラと、白菜の煮浸しがあるはずだ。あとは野菜を切って、ドレッシングをかければ上出来。
 寝室のドアがギイ、と軋む音が聞こえてくる。アキラが起きたのだ。
 床も、誰かが歩くたびに軋む。水周りは少し前にリフォームしたとのことだったが、他はいまひとつ建てつけが悪い。
 それにしても、軽い音だ。振り返らずに、耳を澄ます。二十代も半ばの男のたてる足音にしては、あまりに軽すぎると思う。
 足音が、キッチンの入口まで近づいてきた。ひとつ、息を吸う。
「お早う」
 明るい声が出せたことに、ほっとする。
 ダイニング兼キッチンに入ってきたアキラは、ぼそぼそと何か答えたけれど、炊飯器のピーピー鳴る音に紛れて聞こえなかった。
 今日は出汁巻きがきれいに焼けた。少し、気分がよくなる。平皿に載せて、包丁で切ると、端の形の悪いのを、口に放り込む。味も悪くない。
「ご飯、よそってくれる」
 返事はなかったが、アキラが黙って茶碗を戸棚から出すのが、音で分かった。
「だいぶ、早く起きれるようになってきたね」
 アキラがまたぼそぼそと何か言った。煩い、というようなことだ。聞こえなかった振りをして、鰤をよそう。アキラは好きとも嫌いとも言わないけれど、作ればいつの間にか鍋が空になっているから、たぶん好物なんだろう。もしかしたら、知らない間に近所の野良猫にでもあげているのかもしれないけれど。
 小さい頃から、アキラは猫が好きだった。庭に迷い込んできた野良に食べさせるために、よく自分のご飯をこっそりと残していた。でも、好きなのと聞けば、意地になって否定する。思えば、まだ母が生きていた頃から、難しい子だった……
 電気ポットのお湯が、ちょうど沸いた。メロディーが流れて、はっとする。
 お茶を入れて椅子に座ると、アキラは箸を手にとって、また小声で何か言った。聞きとれはしなかったけれど、中身は分かる。この弟が、いただきますを言わないで食事に箸をつけることは、まずない。乱暴な物言いはするけれど、それは絶対に忘れない。あたしがまだ料理を作ってる間に、先に食べはじめてしまうこともない。
「今日は、七時くらいになるからね。晩御飯、何か食べたいものある?」
「別に」
 今度は少し、はっきりした返事が帰ってきた。
「うん、じゃあ、適当に作るよ。途中で何か食べたいもの思いついたら、夕方までにメールして」
 アキラは返事をしない。メールしてくることもない。分かっているけれど、毎日でも言う。同じことを毎朝聞くなというふうに、アキラの眉は寄るけれど、言わないと、もっと機嫌が悪くなる。ほんとうに、難しい子だ。
 痩せぎすのアキラの二の腕に、つい視線が行く。視線に気付いたアキラが、むっとした様子で睨んでくる。何でもないふりをして、眼を逸らすと、その先にカレンダーがあった。
「そういえばさ、シルバーウィークっていうんだって」
「何が」
「今度の連休」
 アキラは面白くもなさそうに、ちらりと壁のカレンダーを見た。
「何で」
「さあ? 敬老の日があるからかな」
「くだんね」
「あたしが決めたわけじゃないわよ」
 ふん、とアキラが鼻を鳴らした。笑ったのかもしれなかった。
「連休中、どっか行こうか」
「嫌だ」
 アキラはつっけんどんに言うと、出汁巻きを口に突っ込んだ。
 もう、会話がとぎれてしまった。
 そういえば、アキラが最後に自分から口を開いたときは、何を言ったんだったっけ。そんなことが、ふと気になる。考えてみても思い出せない。もうずいぶん前のことのような気がする……
 カレンダーにもう一度視線を向ける。来週の金曜日に、丸がついていた。
「来週だよね。診断書、持って行くの」
 気が進まなかったけれど、念を押さないわけにもいかなかった。放っておいたら、この子はまた逃げ出すかもしれないから。
 アキラは案の定、むっとした顔になって、睨みつけてきたけれど、すぐにバツの悪い表情になって、目を逸らした。
 実際の話、アキラはもう、できることなら会社に連絡を取るのもやめて、そのままなかったことにしたそうな節があった。そうして、初めから何もなかったふりをしたって、会社に在籍した事実が消えてなくなるわけでもないのに。
 そう思いはしても、口に出しては言わない。言わなくても、アキラ自身がよく分かっているだろうから。
「……るせえよ」
 アキラはぼそぼそと言って、そっぽを向いた。箸が、すっかり止まっている。ため息が出そうになるのを、すんでのところで飲み込む。失敗した。もう少し食べてから、話を振ればよかったのだ。
 気が進まないのにしなくてはならないこと、言いたくもないのに言わなくてはならないことが、この社会には多すぎる。そんな風に思うのは、甘えだろうか。
 ため息混じりに箸を動かす。せっかく綺麗に焼けた出汁巻きも、もう味がしなかった。
「イヤなら、あたしが持っていこうか」
 したくもないダメ押しをすると、アキラは顔を顰めた。返事は分かっている。
「自分で行く」
 その言葉に頷いて、アキラの前に、お茶とは別によけておいた白湯を出した。なるべくさりげない仕草を装ったけれど、余計なことをするなよ、という目で、アキラが睨んできた。それを無視して、薬の包みを目の前に置くと、アキラはわずらわしそうに目で時計を示した。
「仕事だろ。早く行けよ」
「あんたが、それを飲んでからね」
 飲むのを見届けるまでは、絶対にゆずらないよと、目で伝える。唇をまげて、アキラはしぶしぶ薬を袋から出した。その口元が、子どもの頃と変わらない。
 アキラの骨ばった指が、ひとつずつ錠剤を数える。嫌そうに唇の中に押し込んで、白湯を飲み下し、喉仏が動くところまで、じっと見ていた。
「……飲んだ。行けよ」
「うん。これ片付けたらね」
 食器を運ぶと、アキラが舌打ちしながら自分の皿を運んできた。
「ありがと」
 その手から皿を受け取ると、アキラは苛々と髪をかき回した。
「今日、十時だよね。病院」
「……分かってるよ」
 そう答える口調が、嘘を吐くときのものだった。答える前の間も。
 水道を捻って、水を止めた。手を拭いて携帯をポケットから出し、職場の番号を呼び出そうとすると、アキラが急に、その手をつかんできた。
「何よ」
「何の電話だよ」
 それは、答えを知っていて訊く口調だった。
 手を掴むアキラの細い指には、ぎょっとするような力が入っていた。痛いという顔をしないように、ゆっくりと目を合わせると、そこにはひどい苛立ちの表情があった。
「会社。あんたを病院まで送ってから、遅刻していく」
「……ちゃんと行くっつってるだろ!」
 アキラは大声を上げて、反対の手に持っていた皿を、床にたたきつけた。
 がしゃんと音が響いて、白い陶器の破片が、とんでもなく遠いところまで散るのが、はっきりと見えた。
 アキラが息を呑んで、手を放した。
「そう。疑ってごめん」
 なんでもない調子を装って頷いて、屈みこむと、頭上で、口を開くのをためらうような気配がした。
 今日は、何かと間が悪い。よりによって、お気に入りの皿だった。
 床の破片をひとつずつ拾う。ずいぶん遠くまで飛んだから、掃除には時間がかかるだろう。急いで出かけても、会社には結局、ぎりぎりかもしれない。
 そう思いはしたけれど、自分でも不思議なくらい、腹は立たなかった。
 その瞬間、自分でしたことにひどく傷ついたようなアキラの表情が、ちゃんと見えていた。
「悪い」
 かすかに震える小声が、頭上から降ってきた。
「別にいいよ」
 できるだけ軽い口調で言うと、アキラも屈みこんで、無言で破片を拾い始めた。カチャカチャという音だけが、聞こえてくる。その手が震えているのが、音だけで分かった。
「手、気をつけて」
 返事は無かった。アキラはこちらを見ようとしない。背中を向けて、黙々と破片を拾っている。
 アキラは多分、心の引き出しが、人よりちょっとだけ狭い。何かに悩むと、すぐそのことで頭がいっぱいになる。
 ひとつ上手くいかないことがあるだけで、人生が終わったような気分になるのだと、いつか自分でも言っていた。自分自身でそこまで分かっていても、簡単に変われないのだろう。そういうものだ……
「姉貴、足。左」
 言われて、左足に視線を向けると、くるぶしにひとすじ、赤い線が入っていた。まだ血はほとんど出ていないが、今にも滲み出しそうに見えた。
 割れたときに切っていたのだろう。言われるまで全く気付いていなかったが、一度気付くと、少し痛かった。
「ごめん」
 アキラが項垂れるのに、なるべく軽い調子で肩を竦めて見せた。
「大丈夫、たいしたことないよ」
「……ごめん」
 その声は沈んではいたけれど、泣き声ではなかった。なのになぜか、アキラが泣くかと思った。
 泣けばいいのに。ふいに、そう思った。
 でも、口に出しては言わない。きっと、怒るだけだろうから。

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必須お題:「心の引き出し」「キッチン」「シルバーウィーク」

縛り:「嗅覚を刺激する描写を三回以上入れること」「場所、場面の変更をしない。一場面のみ」「負傷者を出す」

任意お題:「効果には個人差があります」「さよなら」「個人主義者の自然哲学と利己主義者の自然哲学の差異」「朝は二度寝が基本」(使用できず)

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