小説を書いたり本を読んだりしてすごす日々のだらだらログ。
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某所の三語イベント用に書いたもの。お題消化のために強引に書いた、ミステリ小説の切れ端のような代物。(※きちんと完結したミステリ小説ではありません。)
本当にお暇な方だけお読みいただければっ。
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入口のコンクリートはすでに洗浄されており、いまや惨劇の痕跡は欠片たりとも見出すことはできなかった。小野寺は顔を動かさず、コンクリートの三和土の周囲、干からびかけた雑草のこびりついた地面や、雨だれの跡で斑の壁面、誰か学生が蹴ったらしいへこみの残るアルミ製のドアに視線を走らせた。
学生棟の裏側には、人気は少ない。それでもひとりふたりと学生が通り掛かって、小野寺に不審げな目を向けてきた。この場所で事件があったことは、噂になっているはずだ。そこに目つきの悪い中年の男が立っていたら、気になって当たり前だった。小野寺は舌打ちして、当初の訪問の目的、米倉教授の研究室に足を向けた。
第一の事件の目撃者の一人、桜田の遺品の中から出てきた大学ノートの三行目には、こう書かれていた。「確かにあの場所には十一人いた!」――
会議に提出しても、上は一蹴した。ほかの誰の証言とも、桜田自身が生前にしていた証言とも、その言葉は食い違っていたからだ。大学ノートの前半部分が、桜田の書きかけていらしい小説のメモだったことも、悪いほうに働いた。その一文は、桜田の想像力の産物だというのだ。
捜査会議の注目はそれよりも、別の浦辺という男子学生に向いていた。以前からガイシャと反目していた。前夜に激しい口論からつかみあいになりそうになったのを、何人もの学生が目撃している――
けれど小野寺はその意見を、一ミリたりとも信じていなかった。長年現場に張り付いてきた刑事の目を舐められては困る。浦辺はシロだ。
けれど、小野寺がそう言っても、上はそれなりの根拠を出せというばかりだ。馬鹿馬鹿しい。そんなもの、勘で充分だ。浦辺は巧妙に事故に見せかけて人間を殺せるような度胸は持っていない。
なにより死んだ桜田は、現実に知己が命を落とした事件を、ほんの一月もたたないうちに推理小説のネタにできるような、そういう神経の太い人間には見えなかった。桜田の生前、聴取にあたったのは小野寺だ。何度か話を聞きに行った。その中で得た印象には、そういう無神経さはまるでそぐわなかった。
桜田がそう書いたからには、実際に十一人目が現場にいたのを見た――あるいはそう推測するだけの根拠があったのだ。
第十一の人物。何者だったのか。学生なのか、大学側の人間なのか、それとも外部の人間か。その人物が最初の事件に果たした役割は何か。まだ何もかもが手探りだった。
小野寺は首を振って、いったん思考をノートから引き離した。それよりも、今は米倉教授のほうだ。いまのところは鉄壁のアリバイがある。目だって不審な行動をとっているわけでもない。
けれど刑事生活二十年あまりを数える小野寺の、研ぎ澄まされた直感が、こいつは怪しいと踏んでいた。この人物は何かしら、事件に関わっている。
「ああもう、うっといなあ。カナダ人ちゃうわ! だいたい、ガイジンやて言うならまだしもや、顔見るなりカナダ人て、どんだけ具体的な憶測やっちゅうねん。おまえ一目でカナダ人とアメリカ人の区別つくんか」
進行方向から関西弁が耳に飛び込んできて、小野寺は顔を顰めた。声の主に覚えがあったからだ。
「あ? デリック・ウィブリーに似てる? 誰やねん、そいつは。はあ、カナダ人の歌手? あのなあ、俺の歌聞かせたろか?」
「やめろ、お前の歌は音響兵器だ」
小野寺は渋面で声の主に近づいた。
「おう、小野寺。やっと来たか。待ちくたびれたで」
にやりと笑って手を挙げたのは、同じ三係の霧島だった。ひょろりと背の高い男で、見た目には米国人の母の血を濃く引いているとのことだが、出身も国籍もまぎれもない日本だという。
「さ、行った行った。こう見ても俺ら、刑事なんやで。お巡りさんの邪魔したら、公務執行妨害や。聞いたことあるやろ」
嘘だあと学生たちに笑われている霧島の肩を掴んで、小野寺は研究室に続くドアを指した。「遊んでないで、行くぞ」
「はいはい……っと、お前こそ、どこ寄り道してたんや、遅かったやないか」
「現場を見てきた」
「はあ。今さら見ても、もう何も残ってへんやろ。そりゃ、現場百篇て言うけどな、刑事ドラマやないんやから」
その霧島の言葉は無視して、小野寺は木製のドアをノックした。
「午前中にお電話しました、小野寺と申します」
中からどうぞ、と声がかかって、小野寺はノブを回した。油が回っていないのか、蝶番が軋みを上げる。
研究室は薄暗かった。カーテンを開け放して、外の光が入ってきてはいるが、蛍光灯はつけていないようだ。小野寺のいるところからは、ちょうど教授の眼鏡が白く光って、その奥の眼光を隠していた。そう年にも見えないが、白髪が目立ち始め、背が猫背気味に丸まっているのが、くたびれたような印象を与える。
「度々ご足労いただきまして」
教授は細い声でそう言った。嫌味とも、気遣いとも取れるような口調だった。
「貴重なお時間を割いていただき、ありがとうございます」
慇懃に言うと、小野寺は研究室に足を踏み入れた。後ろから霧島がきょろきょろと興味深げに見渡しながらついてくる。
室内は雑然としている。普段はゼミの学生たちが集まって賑やかにしているのかもしれないが、先に追い払っておいたのか、いま中にいるのは教授だけだ。
「どうぞ、おかけください。不味いコーヒーくらいしかありませんが」
「お構いなく」
教授は危なっかしい手つきでコーヒーカップを持って来たが、カップは茶渋でひどく汚れて、口も欠けており、これもひとつの嫌味かと思ったが、そもそも大学の教授という立場の者によくいる、少々常識のずれた人種なのかもしれなかった。どちらにしても小野寺は口をつける気にはなれなかった。
「今日は、桜田君の件で――?」
教授が上目遣いに小野寺を見上げて、そう聞いてきた。
「いえ、そちらはまた別の者が担当しています。私らは最初の事件の方を」
「あれは事故だったのでは」
教授の目の感情は、読み取りがたかった。小野寺は淡々と答えた。「まだ、事故とは断定できていません」
「けれど、目撃した学生が何人もいたんでしょう」
小野寺は答えなかった。代わりに霧島が口を開いた。
「それがあいにく、皆さんの証言と遺体の状態に、微妙に食い違いがあるんですわ」
死因の脳挫傷、頭部の打撲。それ自体はおかしくない、けれど傷の角度が、証言からするとわずかに違和感があった。それで検視官が事故ではない可能性があると言った。
「食い違い、ですか」
教授は動揺しなかった。小野寺はその表情をじっと見つめていた。たいした興味がないとも、警察の追及にうんざりしているともつかない、乾いた無反応だった。
「それにですね、皆さん、自分から話してくれる証言が、面白いくらいに一致しているんです」
霧島は食い違いの内容からは話を逸らして、あくまで愛想よさを崩さないままそう言った。
「それが何か」
「一致しすぎてるんですわ。人間は、同じもんを見ても、そこには主観が入り込みますからね、言うことは少しずつ違っていて当たり前ですわ、そのときどこに注目していたか、どういう立場でものを見たか――」
「彼らが口裏を合わせて嘘を吐いたと言うんですか」
「いやいやいや、そうは言ってません。けどまあ、これも私らの商売なんです、ちょっとでも妙なことがあったら、一応は突っつきまわしておかないと、あとから手落ちや警察の目は節穴やて、どやされるんですわ。怖あい上司や検事さんやら、世間様やらに」
霧島がべらべらとまくしたてている間、小野寺はじっと教授の反応を観察していた。目線がぶれない。瞬きの回数も変わらないし、挙動も表情も、嫌になるほど平静だった。落ち着きすぎている……。
「それで、もう一度、最初の事件の日のことを、朝から順を追って教えていただきたいんです。教授が見聞きされたことを全部」
「もう全て、お話ししたと思います」
小野寺は一応頷いて見せて、しかし手では手帳を開いてメモを取る姿勢になった。
「はい、でも、もう一度だけお願いします。話しているうちに思い出すことが、何かあるかもしれませんから」
「私らももう弱ってるんですわ、どんな些細な手がかりでも持って帰らんと、鬼のような上司にどやされてまうんです。助けると思って、どうかお願いします」
拝むようにして、霧島が言うと、教授は小さくため息をついて、目線を遠くに投げるようにした。
「朝から、小雨がぱらついていたと思います。十二日は、私は朝一番の講義は持っていなかったので、いつもより少しゆっくり家を出ました。駅前のコンビニでコーヒーと文庫本を買って、乗ったのが、八時五三分の電車だったと思います」
小野寺は手を動かしながらも、顔を上げて教授の表情に注意を向けていた。前に聞いた話とかわらなかった。
ウラは取れている。教授の財布に溜め込まれていたコンビニのレシート、これは、コンビニの店員は教授を覚えていなかったし、誰か共犯がいれば手に入れられただろう。しかし、その朝から顔見知りの駅員とちょっと世間話を交わしていて、その相手がよく覚えていた。
「九時半すぎごろに、この部屋に入ってきて、学生のレポートに目を通し始めました。途中で、ときどき営業に回って来る本屋の青年に、前に買った本の代金を払いそびれていたことを思い出しました。間が悪くて、遅くなってしまっていたものですから、気になって、書店に電話を掛けたんです」
小野寺は頷きながら、メモをとるふりをした。これも通信記録が残っている。そのときは相手がいなくて、またかけなおすという伝言を、別の書店員が預かっていた。中年から初老の男性の声だったと、証言があった。
「それからそう何分もたっていなかったと思います、青ざめた顔の学生たちが何人か、駆け込んできました。その中には、桜田君もいたと思います。慌てて学生棟に駆けつけると……」
教授は淡々と、その日の状況を説明した。内容は、はじめの証言と、ひとつも変わらなかった。変わらなさすぎた。何も付け加えられておらず、何も削られていない。まるで覚えた台本を丁寧に読み上げていくように。話していくうちに何かを思い出した様子もなければ、最初に言ったことを忘れてしまっている様子もない。
そのあとも同じだった。小野寺と霧島は、ときどき質問をさしはさんでみたが、教授の回答は明確か、あるいは「気付きませんでした」で終始した。
四十分ほど話して、小野寺はこの聴取での成果を諦めることにした。刑事の勘は、この男には何かあるという思いを強めるばかりだったが、突き崩すには、まだ材料が足りない。
「今日はありがとうございました。また何かありましたら、ご協力をお願いします」
「ご苦労さまです」
研究室をあとにするとき、小野寺は振り返って、もう一度教授を見た。やはり入口から見ると、ちょうど眼鏡が窓からの光を弾いて、教授の表情は見えなかった。
「どう思う」
小野寺は足早に歩きながら、声をひそめて霧島に聞いた。
「怪しいな。お前の考えすぎやないと思うわ」
霧島は頷いて、肩をそびやかした。「けど、あれは難攻不落やで――お前は、十一人目が、あのおっさんやと思ってるんやろ」
小野寺は首を振った。
「まだわからん。だが、何かの形であの教授が関わっている」
「目撃した学生さんらに、もっぺん当たってみるか。そっちの方が多分、早道や」
小野寺はすぐに頷き切れず、一瞬迷った。桜田の聴取にあたったのは、小野寺だった。何かを隠している――そう感じて突っ込むと、桜田はどこかおどおどした様子で、けれど頑として口を割らなかった。何か思い出したことはないかと、何度か時間を置いて足を運んだけれど、肝心の何かを話す前に、桜田は階段から転落して死んだ。事故か、誰かに背中を押されたか――
「大丈夫や、犯人かて、片っ端から次々に口封じしていくわけにはいかんことくらい、分かってる。いくらなんでも次は、偶然の事故とは言い張られへん、違うか」
「そんなことも考えられないほど、追い詰められているかもしれない」
「分かってる。しっかり見張る。もう死なせへん」
霧島はきっぱりと言った。愛想のいいお調子者の笑顔は、どこにも残っていない。
「……そうだな」
小野寺は手帳をめくって関係者のリストを見た。事故で済まさせるのはもちろん、冤罪を他の若い学生に押し付けてのうのうと逃れる真犯人の像、顔の見えないそのほくそ笑む影が、頭をちらついた。そんなふざけた真似を許すわけにはいかなかった。
「しかし、いつもながら上の方針ガン無視やな。さすがは小野寺」
霧島がにやりと表情を崩して、茶化してきた。まったく、十秒と真面目な顔をしていられない男だ。小野寺はむすっとした。
「別に、無視したくてしてるわけじゃない」
「けど、それで成果が上がるんやからな。命令無視で減点されんのと、お手柄で誉められんのと、ちょうど帳尻が合って、とんとんなんやないか、お前。反省文いままでに何枚書いた」
始末書の枚数など、小野寺自身覚えてもいなかった。
「うるさい、無駄口叩くヒマに事件のことでも考えてろ」
「まあ、そうキリキリせんと、冷静に行こうやないか。今回の事件も、何か月かしたら小野寺伝説の一ページに追加や」
小野寺はため息を返事の代わりにした。どうやったら霧島のようにお気楽になれるのかと、むしろ羨ましくなるときがある。けれどいつもふざけているようでいて、この男は手がかりを逃さず拾ってくるのだ。笑顔の奥に紛らせた鋭い視点で。
「お前も、目撃者の聴取に当たってたな。誰か口を割りそうなやつはいたのか」
「矢野ちゃんやな、あの一番別嬪な子。うまくすれば手がかりも得られて、可愛い女の子と喋れて一挙両得や」
小野寺は頭痛を堪えて額を抑えた。
「真面目にやれ」
「あほ、可愛い女の子に真面目にならんで、この世の何に真面目になるんや……って、ほんまにあの子の話を聴いてて、気になることがあったんや。さっさと行くで」
こいつを一片ぶん殴りたいと考えながら、小野寺は霧島のあとに続いて学生棟に足を向けた。
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必須お題:「大学ノートの三行目」「研ぎ澄まされた」「十一人いた!」
任意お題:「カナダ人ちゃうわ!」「入口のコンクリートはすでに洗浄されており」「伝説の一ページ」(めずらしく全部使用)
本当にお暇な方だけお読みいただければっ。
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入口のコンクリートはすでに洗浄されており、いまや惨劇の痕跡は欠片たりとも見出すことはできなかった。小野寺は顔を動かさず、コンクリートの三和土の周囲、干からびかけた雑草のこびりついた地面や、雨だれの跡で斑の壁面、誰か学生が蹴ったらしいへこみの残るアルミ製のドアに視線を走らせた。
学生棟の裏側には、人気は少ない。それでもひとりふたりと学生が通り掛かって、小野寺に不審げな目を向けてきた。この場所で事件があったことは、噂になっているはずだ。そこに目つきの悪い中年の男が立っていたら、気になって当たり前だった。小野寺は舌打ちして、当初の訪問の目的、米倉教授の研究室に足を向けた。
第一の事件の目撃者の一人、桜田の遺品の中から出てきた大学ノートの三行目には、こう書かれていた。「確かにあの場所には十一人いた!」――
会議に提出しても、上は一蹴した。ほかの誰の証言とも、桜田自身が生前にしていた証言とも、その言葉は食い違っていたからだ。大学ノートの前半部分が、桜田の書きかけていらしい小説のメモだったことも、悪いほうに働いた。その一文は、桜田の想像力の産物だというのだ。
捜査会議の注目はそれよりも、別の浦辺という男子学生に向いていた。以前からガイシャと反目していた。前夜に激しい口論からつかみあいになりそうになったのを、何人もの学生が目撃している――
けれど小野寺はその意見を、一ミリたりとも信じていなかった。長年現場に張り付いてきた刑事の目を舐められては困る。浦辺はシロだ。
けれど、小野寺がそう言っても、上はそれなりの根拠を出せというばかりだ。馬鹿馬鹿しい。そんなもの、勘で充分だ。浦辺は巧妙に事故に見せかけて人間を殺せるような度胸は持っていない。
なにより死んだ桜田は、現実に知己が命を落とした事件を、ほんの一月もたたないうちに推理小説のネタにできるような、そういう神経の太い人間には見えなかった。桜田の生前、聴取にあたったのは小野寺だ。何度か話を聞きに行った。その中で得た印象には、そういう無神経さはまるでそぐわなかった。
桜田がそう書いたからには、実際に十一人目が現場にいたのを見た――あるいはそう推測するだけの根拠があったのだ。
第十一の人物。何者だったのか。学生なのか、大学側の人間なのか、それとも外部の人間か。その人物が最初の事件に果たした役割は何か。まだ何もかもが手探りだった。
小野寺は首を振って、いったん思考をノートから引き離した。それよりも、今は米倉教授のほうだ。いまのところは鉄壁のアリバイがある。目だって不審な行動をとっているわけでもない。
けれど刑事生活二十年あまりを数える小野寺の、研ぎ澄まされた直感が、こいつは怪しいと踏んでいた。この人物は何かしら、事件に関わっている。
「ああもう、うっといなあ。カナダ人ちゃうわ! だいたい、ガイジンやて言うならまだしもや、顔見るなりカナダ人て、どんだけ具体的な憶測やっちゅうねん。おまえ一目でカナダ人とアメリカ人の区別つくんか」
進行方向から関西弁が耳に飛び込んできて、小野寺は顔を顰めた。声の主に覚えがあったからだ。
「あ? デリック・ウィブリーに似てる? 誰やねん、そいつは。はあ、カナダ人の歌手? あのなあ、俺の歌聞かせたろか?」
「やめろ、お前の歌は音響兵器だ」
小野寺は渋面で声の主に近づいた。
「おう、小野寺。やっと来たか。待ちくたびれたで」
にやりと笑って手を挙げたのは、同じ三係の霧島だった。ひょろりと背の高い男で、見た目には米国人の母の血を濃く引いているとのことだが、出身も国籍もまぎれもない日本だという。
「さ、行った行った。こう見ても俺ら、刑事なんやで。お巡りさんの邪魔したら、公務執行妨害や。聞いたことあるやろ」
嘘だあと学生たちに笑われている霧島の肩を掴んで、小野寺は研究室に続くドアを指した。「遊んでないで、行くぞ」
「はいはい……っと、お前こそ、どこ寄り道してたんや、遅かったやないか」
「現場を見てきた」
「はあ。今さら見ても、もう何も残ってへんやろ。そりゃ、現場百篇て言うけどな、刑事ドラマやないんやから」
その霧島の言葉は無視して、小野寺は木製のドアをノックした。
「午前中にお電話しました、小野寺と申します」
中からどうぞ、と声がかかって、小野寺はノブを回した。油が回っていないのか、蝶番が軋みを上げる。
研究室は薄暗かった。カーテンを開け放して、外の光が入ってきてはいるが、蛍光灯はつけていないようだ。小野寺のいるところからは、ちょうど教授の眼鏡が白く光って、その奥の眼光を隠していた。そう年にも見えないが、白髪が目立ち始め、背が猫背気味に丸まっているのが、くたびれたような印象を与える。
「度々ご足労いただきまして」
教授は細い声でそう言った。嫌味とも、気遣いとも取れるような口調だった。
「貴重なお時間を割いていただき、ありがとうございます」
慇懃に言うと、小野寺は研究室に足を踏み入れた。後ろから霧島がきょろきょろと興味深げに見渡しながらついてくる。
室内は雑然としている。普段はゼミの学生たちが集まって賑やかにしているのかもしれないが、先に追い払っておいたのか、いま中にいるのは教授だけだ。
「どうぞ、おかけください。不味いコーヒーくらいしかありませんが」
「お構いなく」
教授は危なっかしい手つきでコーヒーカップを持って来たが、カップは茶渋でひどく汚れて、口も欠けており、これもひとつの嫌味かと思ったが、そもそも大学の教授という立場の者によくいる、少々常識のずれた人種なのかもしれなかった。どちらにしても小野寺は口をつける気にはなれなかった。
「今日は、桜田君の件で――?」
教授が上目遣いに小野寺を見上げて、そう聞いてきた。
「いえ、そちらはまた別の者が担当しています。私らは最初の事件の方を」
「あれは事故だったのでは」
教授の目の感情は、読み取りがたかった。小野寺は淡々と答えた。「まだ、事故とは断定できていません」
「けれど、目撃した学生が何人もいたんでしょう」
小野寺は答えなかった。代わりに霧島が口を開いた。
「それがあいにく、皆さんの証言と遺体の状態に、微妙に食い違いがあるんですわ」
死因の脳挫傷、頭部の打撲。それ自体はおかしくない、けれど傷の角度が、証言からするとわずかに違和感があった。それで検視官が事故ではない可能性があると言った。
「食い違い、ですか」
教授は動揺しなかった。小野寺はその表情をじっと見つめていた。たいした興味がないとも、警察の追及にうんざりしているともつかない、乾いた無反応だった。
「それにですね、皆さん、自分から話してくれる証言が、面白いくらいに一致しているんです」
霧島は食い違いの内容からは話を逸らして、あくまで愛想よさを崩さないままそう言った。
「それが何か」
「一致しすぎてるんですわ。人間は、同じもんを見ても、そこには主観が入り込みますからね、言うことは少しずつ違っていて当たり前ですわ、そのときどこに注目していたか、どういう立場でものを見たか――」
「彼らが口裏を合わせて嘘を吐いたと言うんですか」
「いやいやいや、そうは言ってません。けどまあ、これも私らの商売なんです、ちょっとでも妙なことがあったら、一応は突っつきまわしておかないと、あとから手落ちや警察の目は節穴やて、どやされるんですわ。怖あい上司や検事さんやら、世間様やらに」
霧島がべらべらとまくしたてている間、小野寺はじっと教授の反応を観察していた。目線がぶれない。瞬きの回数も変わらないし、挙動も表情も、嫌になるほど平静だった。落ち着きすぎている……。
「それで、もう一度、最初の事件の日のことを、朝から順を追って教えていただきたいんです。教授が見聞きされたことを全部」
「もう全て、お話ししたと思います」
小野寺は一応頷いて見せて、しかし手では手帳を開いてメモを取る姿勢になった。
「はい、でも、もう一度だけお願いします。話しているうちに思い出すことが、何かあるかもしれませんから」
「私らももう弱ってるんですわ、どんな些細な手がかりでも持って帰らんと、鬼のような上司にどやされてまうんです。助けると思って、どうかお願いします」
拝むようにして、霧島が言うと、教授は小さくため息をついて、目線を遠くに投げるようにした。
「朝から、小雨がぱらついていたと思います。十二日は、私は朝一番の講義は持っていなかったので、いつもより少しゆっくり家を出ました。駅前のコンビニでコーヒーと文庫本を買って、乗ったのが、八時五三分の電車だったと思います」
小野寺は手を動かしながらも、顔を上げて教授の表情に注意を向けていた。前に聞いた話とかわらなかった。
ウラは取れている。教授の財布に溜め込まれていたコンビニのレシート、これは、コンビニの店員は教授を覚えていなかったし、誰か共犯がいれば手に入れられただろう。しかし、その朝から顔見知りの駅員とちょっと世間話を交わしていて、その相手がよく覚えていた。
「九時半すぎごろに、この部屋に入ってきて、学生のレポートに目を通し始めました。途中で、ときどき営業に回って来る本屋の青年に、前に買った本の代金を払いそびれていたことを思い出しました。間が悪くて、遅くなってしまっていたものですから、気になって、書店に電話を掛けたんです」
小野寺は頷きながら、メモをとるふりをした。これも通信記録が残っている。そのときは相手がいなくて、またかけなおすという伝言を、別の書店員が預かっていた。中年から初老の男性の声だったと、証言があった。
「それからそう何分もたっていなかったと思います、青ざめた顔の学生たちが何人か、駆け込んできました。その中には、桜田君もいたと思います。慌てて学生棟に駆けつけると……」
教授は淡々と、その日の状況を説明した。内容は、はじめの証言と、ひとつも変わらなかった。変わらなさすぎた。何も付け加えられておらず、何も削られていない。まるで覚えた台本を丁寧に読み上げていくように。話していくうちに何かを思い出した様子もなければ、最初に言ったことを忘れてしまっている様子もない。
そのあとも同じだった。小野寺と霧島は、ときどき質問をさしはさんでみたが、教授の回答は明確か、あるいは「気付きませんでした」で終始した。
四十分ほど話して、小野寺はこの聴取での成果を諦めることにした。刑事の勘は、この男には何かあるという思いを強めるばかりだったが、突き崩すには、まだ材料が足りない。
「今日はありがとうございました。また何かありましたら、ご協力をお願いします」
「ご苦労さまです」
研究室をあとにするとき、小野寺は振り返って、もう一度教授を見た。やはり入口から見ると、ちょうど眼鏡が窓からの光を弾いて、教授の表情は見えなかった。
「どう思う」
小野寺は足早に歩きながら、声をひそめて霧島に聞いた。
「怪しいな。お前の考えすぎやないと思うわ」
霧島は頷いて、肩をそびやかした。「けど、あれは難攻不落やで――お前は、十一人目が、あのおっさんやと思ってるんやろ」
小野寺は首を振った。
「まだわからん。だが、何かの形であの教授が関わっている」
「目撃した学生さんらに、もっぺん当たってみるか。そっちの方が多分、早道や」
小野寺はすぐに頷き切れず、一瞬迷った。桜田の聴取にあたったのは、小野寺だった。何かを隠している――そう感じて突っ込むと、桜田はどこかおどおどした様子で、けれど頑として口を割らなかった。何か思い出したことはないかと、何度か時間を置いて足を運んだけれど、肝心の何かを話す前に、桜田は階段から転落して死んだ。事故か、誰かに背中を押されたか――
「大丈夫や、犯人かて、片っ端から次々に口封じしていくわけにはいかんことくらい、分かってる。いくらなんでも次は、偶然の事故とは言い張られへん、違うか」
「そんなことも考えられないほど、追い詰められているかもしれない」
「分かってる。しっかり見張る。もう死なせへん」
霧島はきっぱりと言った。愛想のいいお調子者の笑顔は、どこにも残っていない。
「……そうだな」
小野寺は手帳をめくって関係者のリストを見た。事故で済まさせるのはもちろん、冤罪を他の若い学生に押し付けてのうのうと逃れる真犯人の像、顔の見えないそのほくそ笑む影が、頭をちらついた。そんなふざけた真似を許すわけにはいかなかった。
「しかし、いつもながら上の方針ガン無視やな。さすがは小野寺」
霧島がにやりと表情を崩して、茶化してきた。まったく、十秒と真面目な顔をしていられない男だ。小野寺はむすっとした。
「別に、無視したくてしてるわけじゃない」
「けど、それで成果が上がるんやからな。命令無視で減点されんのと、お手柄で誉められんのと、ちょうど帳尻が合って、とんとんなんやないか、お前。反省文いままでに何枚書いた」
始末書の枚数など、小野寺自身覚えてもいなかった。
「うるさい、無駄口叩くヒマに事件のことでも考えてろ」
「まあ、そうキリキリせんと、冷静に行こうやないか。今回の事件も、何か月かしたら小野寺伝説の一ページに追加や」
小野寺はため息を返事の代わりにした。どうやったら霧島のようにお気楽になれるのかと、むしろ羨ましくなるときがある。けれどいつもふざけているようでいて、この男は手がかりを逃さず拾ってくるのだ。笑顔の奥に紛らせた鋭い視点で。
「お前も、目撃者の聴取に当たってたな。誰か口を割りそうなやつはいたのか」
「矢野ちゃんやな、あの一番別嬪な子。うまくすれば手がかりも得られて、可愛い女の子と喋れて一挙両得や」
小野寺は頭痛を堪えて額を抑えた。
「真面目にやれ」
「あほ、可愛い女の子に真面目にならんで、この世の何に真面目になるんや……って、ほんまにあの子の話を聴いてて、気になることがあったんや。さっさと行くで」
こいつを一片ぶん殴りたいと考えながら、小野寺は霧島のあとに続いて学生棟に足を向けた。
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任意お題:「カナダ人ちゃうわ!」「入口のコンクリートはすでに洗浄されており」「伝説の一ページ」(めずらしく全部使用)
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プロフィール
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朝陽 遥(アサヒ ハルカ)
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自己紹介:
朝陽遥(アサヒ ハルカ)またはHAL.Aの名義であちこち出没します。お気軽にかまってやっていただけるとうれしいです。詳しくはこちらから
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