小説を書いたり本を読んだりしてすごす日々のだらだらログ。
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外部メモリから呼び出す記憶は、いつまで経っても劣化することを知らない。つまり、思い出が色あせることはない。
たとえば、こんなふうに。三日前の午後二時三十分に、官庁との打ち合わせに向かうために国道沿いを歩きながら、部下の女の子と交わした会話。
「暑いと思ったら、市内の気温、過去最高だそうですよ。冷房の効いた室内でデスクワークだけしてられる人たちはいいですけど、こっちはたまらないですよね」
「そうね。勘弁して欲しいわね」
「ああもう、汗だく。近くても、タクシー使えばよかったですね」
「まあ、もう少しだし、室内は冷房が効いてるでしょ」
「それにしても制汗スプレーって、もうちょっとなんとか進歩しないんでしょうか。……そういえば、主任。汗かかないのってちょっと羨ましいですけど、暑くないです?」
「まあ、何とかね。途中でオーバーヒートして動けなくならないよう、祈ってて頂戴」
「えっ。だ、大丈夫なんですか」
「冗談よ。ちゃんと冷却装置がついてるから」
「なんだ。びっくりしたあ。それなら、主任はどこにいても涼しいんですね」
「ごめんなさいね、自分だけ。帰りにどこか喫茶店によろうか。アイスコーヒーか何か、冷たいものおごったげる」
「ホントですか、やったあ!」
……
そのときのデータは末尾に時刻をスタンプされて、声紋から何から丸ごと保管されている。いまは会話記録だけを呼び出したけれど、そのときの気温と湿度の推移も、周辺の雑音や映像もすべて入っているはずだ。街路樹に貼り付いて鳴く蝉の大音声も、生身であれば目が痛いと思ったに違いない、頭上に広がる蒼穹も、陽炎に揺れる黒いアスファルトも、彼女のつけていた新色の口紅の、夏らしい爽やかなオレンジ色も。
技術革新というのは恐ろしいもので、数年前に比べて、ほんの小さなコンピュータ一台に、恐ろしいほど大容量のデータが蓄積できるようになった。それにあわせて、人類は余分なデータはさっさと捨ててしまうということを、ほぼやめてしまった。
記憶の多くを体内のメモリに収めてしまわず、遠隔地のサーバに蓄積しておくことのメリットはいくつもある。容量を食わないので処理が早い。バックアップがとりやすく、何らかの事故でボディが大きく破損しても簡単にリロードすることができる。
デメリットもいくつかある。大きいデータを読み込むときには、若干のタイムラグが出る。データサーバのある地域から遠くに離れると、その違いは顕著になる。通信技術がどれだけ進歩してもゼロにはならない。それから、そうと意識しないと望む記憶を呼び出せない。おかげで、わたしは眠っているときに夢をみなくなった。
なにより、思い出が色あせない代わりに、美化されることもない。
壊れても替えのきく機械機構の躯。失われない記憶の蓄積、効率のいい学習。生身の脳をもっていたときの何十倍も早い思考プロセス。それは便利ではあるが、ときどき処理速度のあまりの速さと、生身のころの感覚との間に、馬鹿にならない時差が起こって、わたしの時間感覚を狂わせる。その脳の底がぐらつくような感覚は、眩暈にすこし似ている。
わたしは誰なのだろう。
その問いを思い浮かべると、メモリから即座にデータがロードされる。AR15-0730151-TS0199b。それはわたしのボディの型式であり、わたしに割り振られたIDであり、思考プログラムソフトウェアの通番とタイプであって、つまりはただの情報だ。
電子情報に乗せられない実存を確かめたくてその問いを頭に浮かべているのに、この融通の利かないプログラムは、まず定義を呼び出そうとする。わたしの意志に沿うようでいて、ときおり些細な(そして致命的な)叛乱を引き起こす、厄介なわたしの脳、機械の脳。
何も望んで機械の体になったわけではない。自分の意思で、電磁記録との境目さえあいまいな亡霊のような存在になったわけではなかった。ただ不運な事故によって生身の体が修復不可能な故障を起こし、幸運かどうかは分からないが、家が裕福だったおかげで脳に記録チップを埋め込んでいただけのことだ。
記録チップ。あの厄介な代物。随時、持ち主の思考と脳波を詳細に送信し続け、一から十までシステムに記録してしまう、忌まわしい魂のコピー装置、覗き魔野郎。外部からは覗くことができないようにブロックされているというけれど、どこまで信用していいものだか。
もとはといえば、殺人事件が起きたときに死者の脳から記憶を取り出して犯人を特定したり、その分野の天才の死後に喪われるであろう研究成果や発想を少しでも保存しようとしたりというような目的で開発された装置らしかった。
だけどその研究に、人類は不老不死の夢を見た。死んでも魂が残れば、そして機械の体と脳にそれが移植されれば、死なないのと同じことではないかと。
馬鹿を言え、と言ってやりたかった。同じではない。ぜんぜん同じではない。
わたしは何だ。わたしは生きているのか。わたしに魂はあるのか。その問いに、この優秀なくそったれのコンピュータは、律儀に間抜けな答えを寄越す。AR15-0730151-TS0199b。そのあとに戸籍名、本籍地、生年月日、性別と、意味のあるようでない戸籍情報がだらだらと続き、末尾に略歴と、こんな体になってしまった経緯が擬似網膜に表示される。二一六七年四月十五日午前七時二十八分、交通事故により肉体の生命反応途絶を確認。同日午後四時三十五分、Ghost memorise System Ver2.09により記憶の94.41%が復元完了……
生きていると言えるのか。法律上の定義では、生きていることになっているし、人権も認められている。こうした移植技術が確立されてまだ二十年にもならないのに、法整備は驚くほど速やかになされた。わたしたちは自分で選択した職業に就くこともできるし(むしろ生身の肉体を持つ人々に比べれば、高給を望むこともできる)、必要に応じて教育だって受けることもできる。現にわたしはここ数年、ずっとフルタイムで働いているし、遡れば大学だって出してもらった。通常一般の人々が受けるサービスのほとんどが受けられるし(飲食に類するものはともかくとして)、何か事件が起きれば裁判を受けることもできる。そのときには弁護士だってつけてもらえる。いつか年をとれば、年金だって請求できる。老化により働けなくなることなど考えにくいにも関わらず、戸籍上の年齢が一定を超えれば老齢年金が支給されるというのは、なにかくだらないジョークのように思えるけれど、実際にそうなっている。
なら、何ができないのか。
ものを食べること、飲むことができない。昔よくそうしていたように、炊き立てのご飯に生卵を割って醤油を垂らし、黄金につやつや輝く卵かけご飯をほおばって、日本人でよかったと笑うこともないし、初鰹やみずみずしい西瓜を食べて夏の到来を感じることもない。アルコールに酔うことも、淹れたての珈琲の香りを楽しむことも。わたしのいまのボディには性能のいい嗅覚センサーが搭載されていて(ひとつ前の体にはそれもなかった)、空気中に飛散している飛沫の成分を、おおよそ分析することはできる。けれど、それは香りを嗅ぐことではない。少なくとも、わたしの認識の上ではまったく別のことだ。
わたしはもう朝の光を浴びても、それを気持ちいいとは思えない。眼の位置についているカメラで光学情報を処理し、まだ明けきらない群青の空の色彩をそのままメモリに記録することはできても、わたしにはもはや明るさということが、ルクスという単位以上のものとして心に届いてこない。人工皮膚のセンサーによって外界の温度を計ることはできても、肌に当たる陽の感触を心地よいと思うことはできないし、朝のさわやかな空気を胸いっぱいに吸い込むこともできない。
死ぬことはできるのか。
まったくの事故死というのは難しいだろう。ボディが壊れても、記憶を蓄えているサーバとバックアップシステムのどちらかが無事なら、すぐにわたしは別のボディの上に、それも多分いまよりも新式の性能のいいボディに復元されてしまう。
だけど、そのシステムの両方を同時に破壊してしまえば、わたしの過去はほぼ失われる。その上で、この頭蓋に収まったコンピュータを復元できないように破壊してしまえば、わたしは死ぬだろう。
何も、今すぐ自殺しようなどという話ではない。それに、サーバはわたし一人の記憶だけを収めているわけではないのだから、それを壊そうというのは、たくさんの他者の過去を巻き添えにする行為だ。何より、わたしは死にたいわけではない。生きたいのだ。
ただ、それが最後の頼みの綱であるかのように、わたしは何度となくその考えを繰り返す。こういう無意味な思考を繰り返すこと、この効率性を無視した行動こそが、まずはわたしがまだ人間であることの証ではないのかと、そんなことを考えながら。そして死ぬことができるのならば、わたしはまだ生きているのだろうと。
----------------------------------------
必須お題:「外部メモリ」「機械機構」「日本人でよかった」
縛り:「色彩的な表現を五回以上盛り込む」「旬のもの(夏に関わるもの)を出す」「固有名詞禁止」
任意お題:「脱がすしかないじゃないですか」「便利ですよねえ」
たとえば、こんなふうに。三日前の午後二時三十分に、官庁との打ち合わせに向かうために国道沿いを歩きながら、部下の女の子と交わした会話。
「暑いと思ったら、市内の気温、過去最高だそうですよ。冷房の効いた室内でデスクワークだけしてられる人たちはいいですけど、こっちはたまらないですよね」
「そうね。勘弁して欲しいわね」
「ああもう、汗だく。近くても、タクシー使えばよかったですね」
「まあ、もう少しだし、室内は冷房が効いてるでしょ」
「それにしても制汗スプレーって、もうちょっとなんとか進歩しないんでしょうか。……そういえば、主任。汗かかないのってちょっと羨ましいですけど、暑くないです?」
「まあ、何とかね。途中でオーバーヒートして動けなくならないよう、祈ってて頂戴」
「えっ。だ、大丈夫なんですか」
「冗談よ。ちゃんと冷却装置がついてるから」
「なんだ。びっくりしたあ。それなら、主任はどこにいても涼しいんですね」
「ごめんなさいね、自分だけ。帰りにどこか喫茶店によろうか。アイスコーヒーか何か、冷たいものおごったげる」
「ホントですか、やったあ!」
……
そのときのデータは末尾に時刻をスタンプされて、声紋から何から丸ごと保管されている。いまは会話記録だけを呼び出したけれど、そのときの気温と湿度の推移も、周辺の雑音や映像もすべて入っているはずだ。街路樹に貼り付いて鳴く蝉の大音声も、生身であれば目が痛いと思ったに違いない、頭上に広がる蒼穹も、陽炎に揺れる黒いアスファルトも、彼女のつけていた新色の口紅の、夏らしい爽やかなオレンジ色も。
技術革新というのは恐ろしいもので、数年前に比べて、ほんの小さなコンピュータ一台に、恐ろしいほど大容量のデータが蓄積できるようになった。それにあわせて、人類は余分なデータはさっさと捨ててしまうということを、ほぼやめてしまった。
記憶の多くを体内のメモリに収めてしまわず、遠隔地のサーバに蓄積しておくことのメリットはいくつもある。容量を食わないので処理が早い。バックアップがとりやすく、何らかの事故でボディが大きく破損しても簡単にリロードすることができる。
デメリットもいくつかある。大きいデータを読み込むときには、若干のタイムラグが出る。データサーバのある地域から遠くに離れると、その違いは顕著になる。通信技術がどれだけ進歩してもゼロにはならない。それから、そうと意識しないと望む記憶を呼び出せない。おかげで、わたしは眠っているときに夢をみなくなった。
なにより、思い出が色あせない代わりに、美化されることもない。
壊れても替えのきく機械機構の躯。失われない記憶の蓄積、効率のいい学習。生身の脳をもっていたときの何十倍も早い思考プロセス。それは便利ではあるが、ときどき処理速度のあまりの速さと、生身のころの感覚との間に、馬鹿にならない時差が起こって、わたしの時間感覚を狂わせる。その脳の底がぐらつくような感覚は、眩暈にすこし似ている。
わたしは誰なのだろう。
その問いを思い浮かべると、メモリから即座にデータがロードされる。AR15-0730151-TS0199b。それはわたしのボディの型式であり、わたしに割り振られたIDであり、思考プログラムソフトウェアの通番とタイプであって、つまりはただの情報だ。
電子情報に乗せられない実存を確かめたくてその問いを頭に浮かべているのに、この融通の利かないプログラムは、まず定義を呼び出そうとする。わたしの意志に沿うようでいて、ときおり些細な(そして致命的な)叛乱を引き起こす、厄介なわたしの脳、機械の脳。
何も望んで機械の体になったわけではない。自分の意思で、電磁記録との境目さえあいまいな亡霊のような存在になったわけではなかった。ただ不運な事故によって生身の体が修復不可能な故障を起こし、幸運かどうかは分からないが、家が裕福だったおかげで脳に記録チップを埋め込んでいただけのことだ。
記録チップ。あの厄介な代物。随時、持ち主の思考と脳波を詳細に送信し続け、一から十までシステムに記録してしまう、忌まわしい魂のコピー装置、覗き魔野郎。外部からは覗くことができないようにブロックされているというけれど、どこまで信用していいものだか。
もとはといえば、殺人事件が起きたときに死者の脳から記憶を取り出して犯人を特定したり、その分野の天才の死後に喪われるであろう研究成果や発想を少しでも保存しようとしたりというような目的で開発された装置らしかった。
だけどその研究に、人類は不老不死の夢を見た。死んでも魂が残れば、そして機械の体と脳にそれが移植されれば、死なないのと同じことではないかと。
馬鹿を言え、と言ってやりたかった。同じではない。ぜんぜん同じではない。
わたしは何だ。わたしは生きているのか。わたしに魂はあるのか。その問いに、この優秀なくそったれのコンピュータは、律儀に間抜けな答えを寄越す。AR15-0730151-TS0199b。そのあとに戸籍名、本籍地、生年月日、性別と、意味のあるようでない戸籍情報がだらだらと続き、末尾に略歴と、こんな体になってしまった経緯が擬似網膜に表示される。二一六七年四月十五日午前七時二十八分、交通事故により肉体の生命反応途絶を確認。同日午後四時三十五分、Ghost memorise System Ver2.09により記憶の94.41%が復元完了……
生きていると言えるのか。法律上の定義では、生きていることになっているし、人権も認められている。こうした移植技術が確立されてまだ二十年にもならないのに、法整備は驚くほど速やかになされた。わたしたちは自分で選択した職業に就くこともできるし(むしろ生身の肉体を持つ人々に比べれば、高給を望むこともできる)、必要に応じて教育だって受けることもできる。現にわたしはここ数年、ずっとフルタイムで働いているし、遡れば大学だって出してもらった。通常一般の人々が受けるサービスのほとんどが受けられるし(飲食に類するものはともかくとして)、何か事件が起きれば裁判を受けることもできる。そのときには弁護士だってつけてもらえる。いつか年をとれば、年金だって請求できる。老化により働けなくなることなど考えにくいにも関わらず、戸籍上の年齢が一定を超えれば老齢年金が支給されるというのは、なにかくだらないジョークのように思えるけれど、実際にそうなっている。
なら、何ができないのか。
ものを食べること、飲むことができない。昔よくそうしていたように、炊き立てのご飯に生卵を割って醤油を垂らし、黄金につやつや輝く卵かけご飯をほおばって、日本人でよかったと笑うこともないし、初鰹やみずみずしい西瓜を食べて夏の到来を感じることもない。アルコールに酔うことも、淹れたての珈琲の香りを楽しむことも。わたしのいまのボディには性能のいい嗅覚センサーが搭載されていて(ひとつ前の体にはそれもなかった)、空気中に飛散している飛沫の成分を、おおよそ分析することはできる。けれど、それは香りを嗅ぐことではない。少なくとも、わたしの認識の上ではまったく別のことだ。
わたしはもう朝の光を浴びても、それを気持ちいいとは思えない。眼の位置についているカメラで光学情報を処理し、まだ明けきらない群青の空の色彩をそのままメモリに記録することはできても、わたしにはもはや明るさということが、ルクスという単位以上のものとして心に届いてこない。人工皮膚のセンサーによって外界の温度を計ることはできても、肌に当たる陽の感触を心地よいと思うことはできないし、朝のさわやかな空気を胸いっぱいに吸い込むこともできない。
死ぬことはできるのか。
まったくの事故死というのは難しいだろう。ボディが壊れても、記憶を蓄えているサーバとバックアップシステムのどちらかが無事なら、すぐにわたしは別のボディの上に、それも多分いまよりも新式の性能のいいボディに復元されてしまう。
だけど、そのシステムの両方を同時に破壊してしまえば、わたしの過去はほぼ失われる。その上で、この頭蓋に収まったコンピュータを復元できないように破壊してしまえば、わたしは死ぬだろう。
何も、今すぐ自殺しようなどという話ではない。それに、サーバはわたし一人の記憶だけを収めているわけではないのだから、それを壊そうというのは、たくさんの他者の過去を巻き添えにする行為だ。何より、わたしは死にたいわけではない。生きたいのだ。
ただ、それが最後の頼みの綱であるかのように、わたしは何度となくその考えを繰り返す。こういう無意味な思考を繰り返すこと、この効率性を無視した行動こそが、まずはわたしがまだ人間であることの証ではないのかと、そんなことを考えながら。そして死ぬことができるのならば、わたしはまだ生きているのだろうと。
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必須お題:「外部メモリ」「機械機構」「日本人でよかった」
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任意お題:「脱がすしかないじゃないですか」「便利ですよねえ」
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朝陽 遥(アサヒ ハルカ)
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