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小説を書いたり本を読んだりしてすごす日々のだらだらログ。
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 少し前に小学生を狙う変質者が捕まったためか、夕暮れの公園に遊ぶ子どもの姿はなかった。
 老人がリードをつけた小型犬に引きずられるように、よたよたと公園を横切っている。近くの主婦が二人、「最近は物騒で」とお決まりの世間話を交わしながら通り抜けていく。あとはベンチに四十手前の背広の男が一人、嫌なことでもあったのか、缶ビールを片手に頭を垂れて居眠りしている。
 カラスが一声鳴いて、背広の男がびくりとうたた寝から覚め、顔を上げた。

 男はそこで奇妙なものを見た。公園の、暮れなずむ晩夏の空に、奇妙なシルエットが浮かび上がっている。
 思わず目を凝らすと、まだ年若い青年が一人、なぜか公衆便所の屋根の上で堂々と仁王立ちになっていた。男のいるベンチからは、夕陽に照らされた若者の顔が斜め前から見える。なかなか男前だった。
 男はぽかんとして、冴えないメガネを一度外すと、酒に赤くなった目を擦った。それからメガネをハンカチで拭いてかけなおし、もう一度視線を上げた。
 やはり若者が一人、同じ場所に立っていた。白無地のTシャツの裾がきっちり入ったジーンズは、まっさらで破れたり色落ちしたりしておらず、なぜかぴしっと裾を折ってあった。その格好が相当ダサいはずなのだけれど、当の若者自身の足が長く、なかなか見栄えのする美男子なので、不思議とそれほど不恰好に見えなかった。世の中は不公平だなあと、男は一瞬考えて、それから首を振った。そういう問題ではない。
 立っているのが公衆便所の屋根の上でさえなければ、なかなか風采のいい青年だと、男は思った。しかし世の中にはTPOというものがある。公衆便所の屋根の上に佇むのに適切な態度とは思えなかった。そんなことに適切な様子があるとすればの話だが。
 青年が何らかの理由があって公衆トイレの屋根に上ることを余儀なくされているのならば、もっと違う表情があってもよさそうなものだ。たとえば公園清掃の一環なら、作業服を着て義務的な様子で仕事にとりかかっているはずだし、仲間内での罰ゲームであるのならば、もっと情けない表情をしているだろう。酒が入っているにしては、顔色はいたって平常どおりで、酔っているふうもない。
 だが若者は、不敵な表情で町を睥睨し、腰に手を当てている。その堂々たる様子は、何かこう、青年の態度が正しくて、足元が公衆便所の屋根であることが間違いなのだと思わされそうなほどだった。
 変態なのかなと、背広の男はうまく回らない頭で考えた。そういえば、最近、変質者が出て騒ぎになっていたようだった。それともあれは、もう捕まったのだったか。だが、世間にはちょっとアレな人はいくらでもいる。
 毎日暑いからなと男は考え、係わり合いにならないよう、そっとベンチを立ってこの場を去ろうと思い立った。男は気が小さく、普段ならとっくにそうしていただろうが、酒というものは人から危機感を奪い去ってしまう。
 そのときちょうど間が悪く、カラスが一声大きく鳴いた。足音を忍ばせてベンチを離れようとしていた男は、思わずびくっとして、ビール缶を取り落とした。カラン、コン、とやたら大きな音を立て、何度か地面の上を跳ねる。底に残っていたビールの滴がこぼれ、砂に沁みた。まだ公園を横切り終えていなかった老人が、よろよろと振り返って、興味なさげにまた背を向けた。

 公園のほとんど反対側にいた老人にも聞こえた音が、便所上の若者に聞こえないはずがなかった。若者は不思議そうな顔をして、視線を落とした。男も、おそるおそる顔を上げた。ばっちりと視線が合う。
 若者の方が先に動いた。腰を落とし、若さに似合わないおっさんくさい屈み方をすると、やあ、という感じで手刀を切って、「やや、どうも。お騒がせしております」と、やはりおっさんくさく言った。だがその顔は、まだ十代の後半か、精々二十歳くらいに見えた。
「あ、いえ、お気遣いなく」
 男も思わず頭を下げ、「それでは」と背を向けかけた。だが、それに被せるように若者が「あ、ちょっと」と呼び止める。男は思わず立ち止まってしまった。聞こえなかったことにするには若者の声は大きかったし、人の呼びかけを堂々と無視できるほどには、男は気が大きくない。
「何でしょう」
「やあ、無反応だと寂しいじゃないですか。何やってるんだ、とか、何でそんなとこに立ってるんだ、とか、訊いてくださいよ」
「何でそんなところに?」
 仕方なく男が聞くと、若者は嬉しそうに笑って、そうすると年相応の表情に見えた。「ここから見ると、なかなかいいですよ。景色」
「そうですか」
 男はとりあえず頷いた。まあ、公園の公衆便所にしてはそれほど匂わなかったし、高い所からの景色はいいだろう。
「でも、もっと高い所とか、あるじゃないですか。ビルの屋上とか」
 沈黙に耐えかねて、男は話を繋いだ。自分の半分ほどの年頃の青年にも敬語を使ってしまう自分に、内心で自嘲の笑みを向けながら。
 青年はにこにこして首を横に振った。「この高さがいいんです。そこそこ見晴らしがよくて、でも町が遠すぎなくて」
「ああ、なるほど」
 自分も登ってみようかなと男が思ったのは、それこそ魔が差したとしか言いようがなかった。しかし、場所が場所だ。男が躊躇していると、若者は男の迷いを察したのか、ごく当たり前の親切さで手を伸ばしてきた。「どうですか、ご一緒に」
 誘われたところで躊躇わないわけにもいかなかったが、それでも一瞬、世間体だとか常識だとかを煩わしいと思う気持ちが後押しして、男はつい手を伸ばしていた。
「どうも」

 なるほど上ってみれば、公衆便所の屋根の上はなかなかの見晴らしだった。周囲には最近建った近代的な家と、全体に傾いているような古い平屋が、平気で混在していて、家々の隙間を縫うように細い疏水が走っている。人々が帰宅しはじめている住宅街の、煮炊きの音だとか、子どものはしゃぎ声だとか、ただいまの声だとかが、遠くに聞こえてきた。
「そういえば子どもの頃、よく家の屋根に上ってました」
 男が言うと、若者は目を丸くして、やたらと感心したように頷いた。「そうか、それはいいですね。今のアパートは、屋上に上がれないからなあ」
「それは気の毒に」よく考えれば別にそう気の毒でもない気もするのだけれど、男は何も考えずにそう相槌をうって、遠くに視線をやった。
 小学校の時計が鐘を鳴らした。放送がマイクを通して、もう下校の時刻だから気をつけて帰るようにと告げる。しかし今は事件があったあとだから、子ども達はもうとっくに集団下校をしているはずだ。時間が来ると自動的に流れる放送なのだろう。誰もいない校庭に、うら寂しく響く声。

「実はですね、俺、こんど人柱にされるんですよ」
 若者が街並みを眺めながら、ぽつりと言った。
 男は「ああ、やっぱり頭がちょっとアレなんだ」と思ったが、危機感はどこかに飛んでしまっていて、ぼけっと夕焼けを見つめたまま、口では「そうなんですか」と返事をしていた。
「そうなんです」若者も大真面目に頷いている。
「人柱って言ったら、あれですか、川が氾濫しないように竜神様に人身御供をとか、そういう」
 男はそう訊きながら、そういうのは若い乙女を捧げるものなんじゃないかなあと、ピントのずれたことを考えていた。
「いやいや、死ぬわけじゃないんですけどね。うまく説明しにくいんだけど、ちょっとしたシステムに取り込まれて、一生その中に閉じ込められて働かないといけないんです」若者は大真面目にそう説明する。
「それはなんだか、大変そうですね」
「大変そうなんですよ」
 馬鹿みたいな会話を、大真面目に交わしているなあと、男は思った。こんなところを妻や近所の人が見たらと、一瞬ちらりと考えて、でも夕焼けに沈む町並みを見ていたら、なんだかどうでもよく思えてきて、もう少しこの会話に付き合いたくなった。
「でもちょっと、羨ましいですよ。僕は働きたいから」
「あれ、お勤めじゃないんですか」
 若者が男の背広を視線で示して、そう訊いた。
「一昨日までね」
 男は皮肉っぽく笑ったが、もとの顔立ちが気が弱そうなので、あまり皮肉めいて見えず、どちらかというと情けない表情になった。
「早いところ、次の仕事を探さないといけないんですけどね。この不景気だし、家のローンは残ってるし。あーあ、どうしようかなあ」
 男は言って、大きく伸びをした。公衆便所の上で、夕焼けを眺めながら言うと、自分でもなんだかあまり大変そうに聞こえなかった。けれど、青年は同情するように眉を寄せて、「大変そうですねえ」と呟いた。
「まあ、人身御供よりは、大変じゃないかもしれませんけど」
「世知辛い世の中ですねえ」
 若者はやはりおっさんくさい調子でそう言うと、立ち上がってぐるりと風景を見渡した。
「本当は、もうそろそろ役目につかないといけなかったんです。でも、一度そこに行くと、二度と外には出れないし」
 若者はそう肩を竦めた。
「二度とですか」男は目を丸くした。それなら確かに、人柱かもしれない。
「そうなんですよ。俺はお役目のためだけに育てられてきて、普通の暮らしを知らなかったし。考え出したら、馬鹿みたいに思えてきて。自分が何のために犠牲になるのか知らないまま、なんとなく流されていっても、すぐに嫌になって、逃げ出したくなるんじゃないかって」
 なんだか壮大な話になってきた。男はよく分からないまま「そうでしょうね」と相槌をうって、メガネを拭いた。かけなおして、また街並みを眺める。制服を着た中高生たちの集団が、何か賑やかに喋り立てながら歩いている。遠目に見るその明るい表情からは、将来の不安などまだ少しも考えていないように見え、男はそれを羨ましく思った。
「それで、お役目に着く前になんとか、普通の暮らしを経験してみたいって、さんざん駄々を捏ねたんです。そうしたら、元老院が半年だけ、許可をくれて」
「いまの日本に、元老院なんてありましたっけ」
 男はぼけっと聞き返した。あるわけがないのに、「元老院なんてありませんよ」とは言えないのが男の性格で、だけどどちらにしても、若者が気を悪くするようすはなかった。
「日本とか、そういう単位の話じゃなくてですね。説明すると長くなるから、端折りますけど」
 そこは気になるから端折らないでほしいなあと、男は頭の片隅で思ったけれど、きりがなさそうだったので、突っ込むのはやめた。こんな、ちょっと電波の入った話に付き合おうなんて、普段なら思わなかったに違いないのだけれど、失業と一本の缶ビールと夕焼けのどれか、あるいはその全部が、自棄のような麻痺状態を作り出していた。
「それで、半年ですか」
「半年って、短いですよね。学校に入ったって、卒業もできないし。色々してみたいことはあるんですけど」
 なるほど、考えてみれば、半年間は何かを為すにはあまりに短い。男は頷いた。
「半年でできることって、何があるでしょうね」
 青年は空を横切る雁の編隊を目で追いながら、あまり真剣そうでもなく、男に聞いてきた。
「そうですねえ。何かこう、音楽をやるとか、絵を描くとか、恋愛をするとか」
「ああ、いいですね。でも恋愛は、ちょっとあれかな、相手がいますからねえ」
「あ、そうですね。ちょっと無責任でしたね」男は頭をかいて、少しばかり恥じる思いでつけたした。「じゃあ、特にこれをしたい、っていうのはないんですか」
 その問いに、若者は照れくさそうに笑って、「うん、何でもいいんですけど、できれば何か働いてみたいんですよね」と言った。
 男は予想外の返答に、きょとんとした。「だって、半年したら、その先ずっと働かないといけないのに?」
「まあ、そうですね。普通の人が働く、っていうのがどういうことなのか、知っておきたいんです」
 へえ、と男は相槌を打って、沈みきろうとする夕陽に視線を戻した。そんな遊び半分でとは、不思議と思わなかった。「でもそれなら、僕と一緒ですね」
「あ、ほんとだ。それじゃあ、お互い頑張りましょう」
 夕陽の最後の一片が山の向こうに沈みきった。残照に照らされた家々に、灯りが目立ち始める。
「そうですね」男が振り返ると、若者の姿はなかった。
 男は目を瞬いて、そこらじゅうを見渡したが、若者の姿はどこにもなかった。
 狐につままれたような思いのまま、男はとりあえず公衆便所の屋根から飛び降りて、首を傾げながら家路についた。

 一週間ほどが過ぎた日の午前中、男はハローワークで印刷した求人票を何枚か手に、待合スペースを横切っていた。条件に不安の残るものが多いけれど、贅沢を言っている余裕はなかった。手元の求人票は自分でも無節操と思うような手当たり次第で、まったく経験のない仕事も混じっている。不安はあったが、この際何でもやってやろうという気分になっていた。それなりに年齢のいった自分を、経験もないのに雇ってくれる相手がいればの話だが。
 とりあえず受けてみようと思った二枚以外を鞄に仕舞い、受付で番号札を受け取った男は、見覚えのある横顔を見つけて立ち止まった。
 相談ブースに座っていたのは、公衆便所の若者だった。女性職員に向かって、何か真剣に相談している。話の中身までは聞こえてこないが、相手がときどき困惑したような顔をしているのを見れば、やはりあの調子なのだろうか。
 それにしても、若者の消え方が唐突だったのと、夕焼けの幻想的な雰囲気に惑わされて、半分あの話を信じかけていたのだが、こうして屋内の蛍光灯の下で見てみれば、やはりちょっと見た目のいいだけの、普通の青年だった。
 あの日の話はなんだったのだろう。就職活動中の気晴らしに、通りすがりの男を捕まえて、からかってみただけだったのか。それとも、あの話はやはり本気で、今も半年間の短期バイトを探しているのだろうか。
 話が終わったところをつかまえて、聞いてみたい気がしたが、自分の番号が呼ばれて、男は我に返った。
 呼ばれた窓口に向かうのに、ちょうど話をする青年の真後ろを通った。耳に飛び込んできた単語からすると、履歴書のことで何か相談しているようだった。
 通りすがりに肩を叩こうかと、男は一瞬迷ったが、やめておいた。「お互い頑張りましょう」と言って別れたわけだし、青年は頑張っているように見える。それなら壮大な与太話の真偽は、いっそ不明のままにしておきたいと、ふとそういう気になったので。
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某所の企画にて。
必須お題:「何かを為すには余りに短い」「公衆便所」「夏」
制限時間:60分(60分オーバー)

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