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小説を書いたり本を読んだりしてすごす日々のだらだらログ。
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 学都最大の国立図書館の、ほとんど知る人もない隠し扉の奥、忍び込んだ、薄暗く陽の入らない部屋。空気は淀んで、それでも古い魔法で湿度は低く保たれていた。時が止まったような小部屋に並ぶ、どことなく陰気な装飾の書架。ひっそりと隠すように置かれた禁書を開くと、今にも朽ちそうな変色した羊皮紙に、色褪せない奇妙なインクで、それは記されていた。とうの昔に喪われたはずの技術、悪魔を呼ぶという、召喚魔法。
 何百年前の書物なのだろう、ただ読むにも難解で、古い文献とつき合わせてようやく書かれていることを解読しても、必要な材料が精確に特定できなかった。たとえばユウガオの実と書かれていても、加工の方法を記す箇所を読んでいると、今の時代にそのあたりで見かける夕顔とは異なる植物、おそらくはヨルガオの仲間のことを指しているのではないかと思われる。しかしそれも確たる根拠のあることではなく、とにかく一事が万事その状態であるものだから、準備ひとつもなかなか覚束なかった。
 魔法陣を描くための薬を調合しそこなっているのか、呪文の抑揚が違うのか、呼び出す自分自身に魔法の素養が足りないだけなのか、何度となく試してもなかなか望む相手を呼び出すことが出来なかった。何がしかのものが姿を現しはするのだが、いずれも魔と呼ぶのも躊躇われるような小さなものばかり。魔法陣の中からよろよろと這い出てきたのは、霞がかった黒い霧や、あるいは弱った蝙蝠であったり、痩せこけて目つきばかりが鋭い梟であったりして、口をきいて知恵を与えようというものや、大きな魔力を持っていそうなものはなかったので、いずれもそのまま窓から逃がしてしまった。少しずつ調合を変え、呪文の読み方を変え、呪文を唱える舞台を変えと試しているうちに、十六番目に呼び出した悪魔、山羊の角を持ち、人に似た姿をしたそれが、ようやく期待通りの力を漲らせて、契約を持ちかけてきた。

「それで、二十年分の寿命と引き換えに手に入れたのが、この悪魔謹製の媚薬、というわけだ」
 小さな硝子瓶を振って、伯爵は面白がるように笑った。血のような色の液体が、小瓶の底でたぷん、と揺れる。
 魔女は洋燈の灯りを横顔に受けて、満足げに微笑んでいた。もとは白く肌理細やかだった肌は荒れ、唇は紅をひいても誤魔化せないほど蒼褪めている。伯爵は、魔女の顔をまじまじと見つめた。なるほど、確かに寿命を譲り渡したのだろうと思える変貌だが、ぎらぎらと光るダークグレイの瞳の奥底には、前にはなかった類の、不健康な美しさが潜んでいた。
「それで、これを飲ませろと? あの男、ガーウィル、私の忠実な騎士に」
「ええ」
 魔女は頷いた。伯爵は大げさに肩を竦め、小瓶を手の中で転がした。
「おまえは残酷な女だな。私がおまえの愛を欲していることを、知っているだろうに」
「そのようですね。貴方の繊細な奥方様と、栗毛の愛くるしい侍女と、街にお囲いになっている黒髪の未亡人の、次ぐらいには」
 魔女は少しも動じなかった。口元には変わらず笑みを貼り付けてはいたが、その視線は伯爵の方を向いているようでいて、まるで違うところを素通りしている。
「その中では、お前を一番愛しく思っているよ、私の魔女」
「自分の手の中にないものだからこそ、欲しいとお思いになるのでしょう。正直な方」
 魔女はくすくすと笑い、面白がるような調子で伯爵の言葉に付き合った。だが、楽しげな表情は表面的なものにすぎず、心の中では、自分が仕える主のことなど、気にも掛けていないようだった。それが分かったので、伯爵もただ肩を竦めるばかりで、それ以上追及することはしなかった。
「それで、お力添えはいただけるのでしょうか」
「いいとも、それで、愛する女が他の男の心を得る手助けをしようという、この哀れな男への報酬は?」
 魔女は薄く微笑んだまま膝を折り、傅くような真似ごとをした。
「何をお望みでしょう、親愛なる閣下」
「私の望みなど、とうに知っているだろう、愛しい魔女」
 伯爵もまた冗談めかして首を傾げ、部屋の中ほどで立ち尽くす魔女へ、手を伸ばした。「おいで」
 魔女はにっこりと微笑んで、優雅な足取りで伯爵のもとへ歩み寄った。
「灯りはどうします」
「お前の好きなように」
 伯爵の答えに、魔女は小首をかしげて、軽く指先を振った。その動きに合わせ、部屋中の洋燈がふっと消える。
 伯爵が手を引くと、魔女はおとなしく従って、ふわりと寝台に崩れ落ちた。その体が思いもかけず軽く、伯爵は、この魔女が見た目以上に窶れていることに気付いた。
 窓から月光が格子模様に射し込み、魔女の半面を青白く照らし出す。伯爵は魔物に憑かれた女の瞳を覗き込み、その血の気の失せた唇に、戯れのように指を這わせた。
 月光がすっと、雲に遮られた。
 雲越しの僅かな光を残して暗闇に沈んだ寝台の上、朧な影が重なる。

「それで、二十年を差し引いた残りの寿命がどれだけなのか、その親切な悪魔は教えてくれたのか」
 半身を起こした魔女は、静かに微笑んで、何も答えなかった。
 邸の外の森から、夜明けを告げる鳥の甲高い声が響く。曙光が窓から斜めに射している。朝の光のもとで、魔女の血の気のない顔はいっそう蒼褪めて見えた。
 伯爵は、答えない魔女の長い髪をひと束指に絡め、戯れのように口付けると、あとは知らぬ振りで背を向けた。
 背後でさらりと布の擦れる音が聞こえ、魔女が物憂げに身支度をはじめるようだったが、伯爵は振り向かず、独り言のように呟いた。
「ちょうど昼前から、狩に出る予定にしていた。私の忠実な騎士を伴に連れて行こう。たまには身分の低い騎士と、昼食をともにするのもいい」

「休暇をやろう」
 夕刻、狩から帰るなり主にそう告げられ、ガーウィルは蒼褪めた。何か主の気に障る不手際をしただろうかと、思い詰めた顔で見上げると、伯爵は不思議な微笑みを浮かべ、静かに首を振った。
「お前はよく仕えてくれているが、少しばかり勤勉すぎる。そうだな。二、三日、ゆっくりしてかまわないから、たまには骨休めをしておいで」
 そう言った領主は、少し首をかしげて続けた。「休暇ついでに、ひとつ、用を頼まれてくれるか」
 ガーウィルは膝を折りながらも、主が命令ではなく『頼み』と口にしたことに、内心で訝しく首をかしげた。領主としての命令ではなく、私的な用事ということだろうか。
 領主はガーウィルの疑問など気にも留めない様子で、小さな瓶を取り出すと、騎士に手渡した。
「エイジャの部屋に、今からこれを届けてくれないか。私は今から使者殿の接待をしないといけないから」
 ガーウィルは領主が口に出した名前にどきりとしたが、内心の動揺を押し殺して頭を垂れた。「畏まりました」
 顔を上げると、伯爵はすでに背を向けていた。ガーウィルは、まだ動揺している自分に気付き、小さく息をついた。エイジャ、伯爵に仕える、あの美しい魔女。
 何年前のことだっただろうか。どこからともなく現れた、あの女呪い師。誰もが、怪しげな者を傍に置くことを思いとどまるようにと、伯爵に諌言したが、女の美しさに心を奪われた伯爵は、誰の言葉も聞きいれはしなかった。女が怪しげな呪いばかりでなく、薬師として優れていることも、すぐに明らかになった。そのまま邸に居付いた魔女を、伯爵はどこか体の調子が悪いと、真っ先に呼びつけるようになった。
 幸いなことに、魔女はこれまで伯爵の政治向きのことに口を出すことも、邸の者に危害を加えるようなこともなかった。だが……
 伯爵は、どういうおつもりだろうか。ガーウィルは不安を覚えて、拳を握り締め、それから華奢な小瓶を砕きでもしたらいけないと、慌てて手を緩めた。
 あらためて受け取った品を手のひらに載せ、まじまじと見つめて、ガーウィルは首をかしげた。硝子の小瓶は、すでに空だった。何か赤い液体が、底の方に僅かに残っているばかりだった。

「どうぞ、お入りになって」
 気の進まないままに樫の扉を叩くと、すぐに女の声が返ってきた。毒のような、甘い声。その声が肌に絡みつくように感じられて、ガーウィルは小さく身震いをする。馬鹿なことを考えるな――
「失礼する。主の命で、届け物を持ってきた」
 できるだけ平静を装って、ガーウィルは扉を開き、声を掛けた。窓辺の机で、差し込む残光を受けて、魔女は何か書きものをしていた。
「ああ、申し訳ないのですけれど、こちらに持ってきてくださるかしら。今、手が放せなくて」
 ガーウィルは黙って部屋に入ると、慎重に歩を進め、魔女の傍に立った。魔女は顔を上げ、にっこりと微笑む。ガーウィルはとっさに顔を背け、それから恐る恐る女に向き直った。
 少し見ないうちに、雰囲気が変わったような気がする。長い髪は艶が失せ、顔色がひどく青白い。どこか悪いのだろうかと、思わずまじまじと見つめると、魔女の狂おしげな視線とぶつかった。
「――失礼」
 視線を逸らし、立ち去ろうとしたガーウィルの袖を、魔女の手が引いた。どきりとするほど、その指は冷たかった。
「少しだけ、……そう、少しだけ、お話のお相手をしていただけませんか。騎士様」
 微笑んでそういう魔女の口調は軽い調子を装っていたが、騎士を見上げる深いグレイの瞳は、思い詰めたような色を宿していた。
「私は不調法な男です。話相手には向かないでしょう」
「そうやって、いつもお逃げになるのね。そんなに私がお嫌いかしら」
「そんな――」
 くらりと眩暈を覚えて、ガーウィルは焦った。「そういうわけでは、ありませんが……」
 魔女はじっと、彼の顔を見上げている。
「では、少しだけ」
 主を裏切る気か、馬鹿なことはよせ。若き騎士の頭の片隅で鳴り響く警鐘は、しかし弱々しいものだった。袖を掴む細い指を、どうしても振り払う気になれない。
 喉を鳴らして、ガーウィルは視線を逸らそうとした。だが、それもままならない。赤みがかった長い髪が、女の痩せた首筋に張り付いている。顔ばかりか首もとの肌も青白く、静脈が透けていた。
「……顔色が。具合が悪いのではありませんか」
 己の声が掠れていることを、ガーウィルは自覚していた。
「いいえ、何ともありません。お優しい方」
 そうゆるゆると首を振る魔女の寂しげな声が、どこか胸を刺すようで、ガーウィルはとっさにその手をとっていた。魔女の青白い頬がさっと喜びに輝き、ほんの一瞬、血の気が戻ったように思われた。その病み疲れたような顔が、いつになく荒れた唇が、痛ましいような気がして――
「騎士様」
 慌てて突き放すように身を離したガーウィルに、魔女はひどく傷ついたような顔をした。
「あなたは……、俺は」
 ガーウィルは目を閉じ、眉をきつく寄せてかぶりを振った。
「騎士様……、ひとときの、お情けをいただけませんか。今だけ、今日限りでも、いいのです」
 その声の切迫した調子に、ガーウィルは目を開け、魔女の顔を見下ろした。蒼褪めた顔の中で、深いグレイの瞳だけがひたむきに彼を見上げ、爛々と輝いている。
「貴女は……」

 残光も薄れ、部屋はゆっくりと宵闇に包まれようとしていた。
 乏しくなってきた光の中、若き騎士の瞳が躊躇いに揺れるのを、魔女は祈るように見つめ続けていた。悪魔の媚薬も効かないほど嫌われているのだとは、思いたくなかった。その焦りが、魔女の口を開かせた。
「今だけでいいのです。仮初めで、嘘でもいい、一夜だけ、私を騙してくださいませんか」
 ガーウィルはまだ迷っているようだった。 嘘でもいいから、頷いて。今だけ、愛するふりだけでもかまわない、媚薬の効果が切れるまでの、ひとときの嘘でいいから。魔女は狂おしく騎士の瞳を見つめ続けた。
 手に入らないからこそ欲しいのだと、昨夜伯爵を笑った彼女も、結局は同じなのかもしれなかった。そういう己を笑う余裕もなく、魔女はただ懇願した。
「しかし、魔女殿」
「エイジャと。名前を、呼んでいただけませんか。一度だけでも、いいのです。騎士様……ガーウィル様」
 囁くように懇願した彼女の頬に、迷い迷い、騎士の手が伸びる。その手のひらの熱さを、魔女は歓びとして受け止めた。
「エイジャ、俺は……」
「何も言わないで」
 身震いするようにして、魔女は騎士の言葉を遮った。口を開けば、窘められるばかりだと思えた。誠実な言葉など、聞きたくなかった。
 その唇を塞いでしまおうと、魔女は踵を上げ、騎士の首に抱きつくようにして、相手の顔を引き寄せた。
 騎士は、今度は遮らなかった。

 朝の光の中、寝台に横たわる魔女を見下ろして、伯爵はひとつ、深い溜め息をついた。目を閉じた魔女の顔は、穏やかな表情を浮かべてこそいたが、昨日の朝に見かけたときより、いっそう病み窶れていた。その青白い胸元に、山羊をかたどった赤い紋様が浮かび上がっている。これが悪魔との契約の印なのかと、まじまじと印を見つめた後で、伯爵は小さな呟きを落とした。
「馬鹿な女だよ、お前は」
 沈黙のうちに横たわる魔女は、返事をしない。もう二度と答えることはないだろう。それを承知で、伯爵はなお言葉を続けた。
「薬など使わなくても、お前はとっくに想う相手の心を得ていたものを」
「……知って、おられたのですか」
 足元で項垂れていた騎士が、呻くような声を上げた。
「お前の気持ちをか? 分からないと思っていたのか、あれだけ露骨な態度をしておいて」
「そうじゃなくて、彼女が、こんな」
 騎士は言葉を詰まらせて、魔女の亡骸をきつく抱き締めた。「こんな……どうして」
 伯爵は二人から視線を逸らし、窓に目を向けた。夜はとっくに明けたというのに、痩せこけた梟が一羽、鋭く鳴いて窓の外を横切っていった。

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必須お題:「召喚魔法」「十六番目」「夕顔」
任意お題:「煮えないように気をつけて」「マンネリは墓穴のもと」「これって運命の出会いに間違いない」「フランクフルトが踏まれるところを見て心もとない気分になった」 (使えず)
縛り:「キスシーン三回入れること」「オノマトペ(擬音語、擬声語)を五回以上使うこと」

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