小説を書いたり本を読んだりしてすごす日々のだらだらログ。
×
[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。
先日読んだ『日中対立を超える「発信力」』がなかなか興味深かったです。この本は副題に「中国報道最前線 総局長・特派員たちの声」と添えられているとおり、報道関係者を中心に集められた文章でして、日本国内における中国に関する報道の偏向と、実際の記者たちの見る中国の姿について触れられた本です。
日中関係のあれこれについては、個人的に少しばかり思うところあって(母がここ数年、報道を真に受けて……というか自分に都合のいいところだけを都合良く拾う耳を発揮して、ネットもやらないのになんかネトウヨみたいなことを言い出してうっとうしい)、ちょっとはまともな知識を持ちたいなと、あれこれ読んでいる最中。とはいえ本を何冊か読んだくらいのことでものごとの本質が掴めるとも思っていないし、そもそも日本語で出版された本という時点で相当のバイアスがかかっていることは必至なので、日中関係そのものについてネットで論じるつもりはないんですが。
さておき。その本を読んでいて目についたくだりがありまして、引用すると、「中国は宗教を持たない国だが、実は“名教”という宗教がある。名教は文字を書くことを崇拝する宗教であり、つまり、文字を書くことに呪力があり、魔力があると信じる宗教である」。その文言に興味を引かれ、そこからちょっと考えが脇道に逸れまして、日中問題からは離れたところで色々考えてたんですが。
ちなみにこの文章自体が別の書籍(胡適「名教」)から引用された文句で、つまり引用の引用です。さらに私が浅学ゆえに本来の文脈などを取りこぼしているかもしれないので、正確なニュアンスを理解できていないんじゃないかという気はしています。
話がそれました。
ともかくその言葉をきっかけに、宗教というラベリングがされていないんだけど、実質的に宗教と同じ役割を果たすもの、っていうのがたしかにあるなとか、そういうことを考えていました。
どこで読んだんだったか、世界のしくみや成り立ちを説明しようとするアプローチが宗教から科学に変わっただけで、本質的にはどちらも同じものだというような論を見かけたときに、やたら感心したのも思い出したり。(池澤夏樹さんだったような気もするけど思い出せない……)
何事も極めれば道に通じる、じゃないけれど。極めるとまではいわずとも、信仰を持つ人がその宗教を拠り所とするのと同じように、生きていくなかで人間は、どうしても何かしらのよすがを必要とするわけで。それがたとえば何かしらのイデオロギーだったり、哲学や職業倫理だったり、科学信仰だったり、自然観だったりするんでしょう。自分教とか。
新興宗教をはじめ宗教というものが、社会問題のきっかけになることが多かったから、宗教=いきすぎると怖いものという感覚をわたしたちは持っているけれど、たったひとつの価値観だけを妄信的に唱える人間、人の話に耳を傾けることを忘れた人間が怖いのは、宗教が絡まなくても同じことなんだよなあとか。自己正当化のための情熱というのは、信仰に限らず、いつだって危なっかしいものですね。
自分のよすがは、何だろう。盲目的に信じているものはあるかなとか、そんなことをぼんやり考えていました。
家は仏教ですし、仏教的なものの考え方に影響を受けているところは大なり小なりあるでしょうが、それを深く頼みにしているというか、拠り所にしているかというと、それほどでもないというか、信念というものでもないなと思います。
やっぱり読書なのか。
熱心な信徒といえるほどたくさん読んでいるかはさておき、読書教に入信しているのは間違いなさそう。本を読めば読むほど賢くなれそうとか、本を通じて自分ではない第三者の価値観に触れることで、客観的思考や柔軟なものの考え方を身につけられるだろうとか、なんだかよくわからなくて怖い物だらけの世界の無明を、読んだ本がわずかにでも照らしてくれるんじゃないかとか。そういうような、漠然とした感覚があります。
もちろん、実際にはそうとは限らないんですが。限らないっていうか、あんまり賢くなってないしね……(あっ)
まあそもそも難しい本をあんまり読まないというのもある……
読んだ本が想像力を養うという理屈にはいちおう頷けるものの、絶対ではないというか、本をたくさん読んでいる人であれば必ず想像力が十分に発揮できているかというと、そうともかぎらないし、本をあまり読まない人にも、思いやりがあってこまやかな気遣いのできる人はたくさんいます。いくらたくさん本を読んでいたって、結局は自分の理解できるところしか理解しないし、自分の都合のいいところだけ拾って読むということも起こるわけだし。
本ばっかり読んでないで自分の人生にちゃんと向き合うのも大事だよねとか、本には嘘も書かれてるので安易に真に受けるのは危ないよとか(それなりに信憑性のある本かどうかをかぎ分ける嗅覚も、おそらくは本をたくさん読まないと身につかないわけだけれども……)。もちろんそういうあれこれもちゃんと承知しているんです。しているんだけど、それはさておき、気持ちの根っこのところでは問答無用で、本を読むこと=いいことだと思っている自分がいるなって。
実際にはそんないいもんじゃないんだとしても、結局のところは本を精神安定剤代わりにして生きてきたので、読書しなくなることは考えづらいんですが。
あとこうやってだらだらとりとめもなく長文を書くだけ書いて論点がちっともまとまらないので、本を読んだら論理的思考力や文章力が身につくんだというのもきっと幻想ですね!
もしくは精進が足りない(読書量が少ない)だけか……あっやっぱり宗教のロジックとおんなじになった。
PR
プロフィール
HN:
朝陽 遥(アサヒ ハルカ)
HP:
性別:
非公開
自己紹介:
朝陽遥(アサヒ ハルカ)またはHAL.Aの名義であちこち出没します。お気軽にかまってやっていただけるとうれしいです。詳しくはこちらから
拍手コメントをいただいた場合は、お名前をださずにブログ記事内で返信させていただいております。もしも返信がご迷惑になる場合は、お手数ですがコメント中に一言書き添えていただければ幸いです。
拍手コメントをいただいた場合は、お名前をださずにブログ記事内で返信させていただいております。もしも返信がご迷惑になる場合は、お手数ですがコメント中に一言書き添えていただければ幸いです。
ブクログ
ラノベ以外の本棚
ラノベ棚
ラノベ棚
フォローお気軽にどうぞ。
リンク
アーカイブ
ブログ内検索
カウンター