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紫鱗に透けるとマルゴ・トアフ、それから過去作数点に拍手を頂戴していました。ありがとうございます!
この頃なんとなく、自分で理由もよく分からずに、小説を書きだせずにいるのですが、拍手をいただくと、ああこんな話も書いてたなあと、ふっと何年か前のことを思い出したりして、初心に返らねばなあなんていう気になったりします。
それにしても、なんで書けないんだろうなあ。
このところ仕事でちょっと気を張る場面が多いので、身体的にすこし疲れやすくなっているというのはあるんですが。それだけじゃないなあ。仕事忙しいときでも、書くときは書くもんね。
落ち込んでいるのとはちょっと違うし、必ずしもモチベーションが湧かないというわけでもないのですが、いざ書こうとすると、なんでか躊躇します。
このごろ、自分の書くものが面白いのか面白くないのか、よくわからなくって、それで書くのを迷うのかもしれません。駄目なら駄目で、どんどん書いてちょっとずつ上達するしかないんだから、躊躇する意味はほとんどないんですけども。
プロアマ問わなければ、それこそ石を投げれば小説書きに当たりそうなこのご時世で、書店に並ぶだけの本でさえ一生かけてもとても読み切れない分量なのに、さらにネットには数え切れないほどの小説があふれていて。その中には自分なんかよりはるかに小説の巧い人も、自分より面白い小説を書く人も、いくらでもいて。
そういう中で、いくらがんばって書いたって、誰かに見つけてもらえるかもわからないし、読んでもらえたとしても、どれだけ喜んでもらえるかもわからない。読んで時間の無駄だったぜって言われておしまいのことだってある。
そういうたぐいのことに、膨大な時間と労力をつぎこむのは、いくら好きでやっていることでも、ときどきちょっとしんどいっていうのは、まあ、たしかにあるんですが……
だけど、でも、そんなことは、自分の小説を愛さない理由にはならないんだよなあって、思ったりもします。
わたしはわたしの書く小説を、もっとまっすぐ愛しても、いいんじゃないのかなあ。
なんか、傷ついたりへこんで立ち直れなくなったりするのが怖くって、いっつもすぐ予防線を張っちゃうんですが。
下手だからだとか、誰かに受けなかったとか、そういうのは、自分の小説を愛さない理由にはならないんじゃないのか。
欠陥や瑕疵があることは、人が何かを愛さない理由にはならないんじゃないか。
……こういうゴタクをぐだぐだ書く時間があるんなら、その間に小説書けばいいのにって、自分で思いました。うん……
まあ単純に、クロ・アクの連載が終わって糸が緩んだあと、そのまま緩みっぱなしになっているだけかもしれません。うまいこと充電しながら、無理なく徐々にテンション戻していきたいです。
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