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男は隠れ家に戻って、狭い隠し部屋に籠りました。自慢のコレクションを布で磨き、薄暗がりの中でそっと傾けては、その輝きを確かめます。いつもでしたら、少々気分の悪いことがあっても、美しい絵にいっとき見とれて、きらきらと薄闇の中でも煌めく宝石を手に取れば、それだけですっかり気持ちが晴れやかになるのです。しかしこの日は、いつまでも気分が晴れません。
男は黙々と美術品の手入れをしながら、ずっと不機嫌な顔をしていました。そうして無言で、長いこと、ずっと考えていました。
やがて夜更けを待って、彼は仕事にでかけました。おりしも盗みに都合のいい、月のない闇夜でした。
これが最後だと、口の中でぶつぶつ呟きながら、彼は夜の町にそっと足を踏み出しました。人通りのすっかりと絶えた深夜のことです。近くのどの屋敷でもみな寝静まっているらしく、あたりはしんと静まりかえっています。そのために、潮騒がよく響きます。
彼はめあての屋敷に忍び込む前に、じっと門扉を見つめました。ずいぶんと長い間、そうしていました。
やがてその眼に、決心の色が宿りました。塀のわずかな出っ張りに、男は指をかけました。
彼はその手触りを、よく知っていました。
そこは男の生まれ育った屋敷でした。最後の仕事ならば、ここがふさわしいだろうと、男はそう考えたのです。
彼の父親はなんせ高額な品を扱う商人でしたから、人を雇って屋敷の警備をさせています。しかし庭は広く、夜の闇は深いのです。毎晩のように一晩中皓々と明かりを炊いて隅まで照らすわけにはいきませんし、見張りだって、完璧に目の行き届くだけの大人数を、夜を徹して立たせておくわけにもゆきません。
警備の隙を縫って、男は上手に屋敷の外壁に取りつきました。そうしてかるがると壁をよじ登りました。風のない、ひどく静まり返った夜でしたが、この数年ですっかりと磨かれた彼の技術は、いっさいの物音を立てませんでした。仮にかすかな音を立てたとしても、それは遠い潮騒に、すっかり紛れてしまったことでしょう。
東側の棟の二階、廊下のつきあたりにある窓の鍵が、道具があれば外からでも簡単に外せる作りになっていることを、彼はよく覚えていました。辿りついてみれば、鍵は取り換えられていませんでした。男は薄い金具を差し込んで、鍵をそっと持ち上げました。
一見したところ、人間がくぐろうというにはあまりに狭いような、小さな窓です。けれど彼は貧しい暮らしのおかげで非常に痩せていますし、上手に体をひねって狭いところをくぐらせるためのこつも、すっかり掴んでいました。あとは通り抜けるなり頭から落ちないように、気をつけるだけです。
男は手際よく、かつての生家にもぐりこみました。そうして、暗がりに目を凝らしながら、よく見知った廊下を進みました。
もっとも高価な商品をしまってある部屋には、非常に厳重な警備が敷かれていることを、彼はよく知っていましたから、そこを狙おうとははじめから思っていませんでした。それで、来客を通すための応接間を、彼は目指しました。売りものの美術品や宝石ではなく、そこに飾ってある調度品を狙おうと思ったのです。
大きな屋敷の常で、その気になればいっとき身をひそめるだけのものかげが、あちらこちらにあります。夜中に目のさめた家人や、警備の人間が歩き回っているかもしれませんから、男はときおり体を隠して耳を澄ませながら、慎重に歩きました。さっさと手際よく仕事をすませる普段の彼からすれば、慎重すぎるくらいでした。
結局は、その慎重さが仇になったのかもしれません。めあての部屋のすぐ前まで辿りつき、扉に耳を当てて中のようすを探るときには、けっこうな時間が経ってしまっていました。
彼は蝶番が軋まないように、慎重にドアノブをひねりました。しょっちゅう誰かが泊まっているこの屋敷では、来客が気軽に立ち入れるよう、こうした部屋はいつでも施錠されないということを、彼は知っていたのです。
ごく細く開けた扉の隙間から、部屋のなかのようすを伺い、誰の気配もないことを確認した、そのときでした。彼の肌は、ほんのわずかな空気の揺れを感じとりました。
ぎくりとして振り向いた彼から、ほんの数歩ほど離れたところに、人影がありました。
男は息をのみました。そこに立っていたのがもし使用人か誰かであったなら、とっさにわき目もふらず駆けだすことが、彼にもできたかもしれません。ですが実際には、男は身じろぎひとつできず、その場に立ちつくしました。
暗がりの中にいたのは、彼の父親でした。
父親は驚いた様子もなく、冷静なようすで人を呼ばわりました。彼が身をひるがえすよりも早く、近くの部屋からばらばらと人が飛び出してきました。もとからの使用人もいれば、警護のために雇われたと思しき、体格のいい男たちもいました。
「もしやお前ではないかと、思ってはいたが。ずいぶんと落ちぶれたものだ」
取り押さえられた男を見下ろして、父親は、それだけをいいました。汚いものを見る目でした。そしてそれぎり、彼に向かって話しかけようとはしませんでした。
誰のせいでといおうとして、男は自分の唇が張りついたように動かないことに気がつきました。父親が雇い人に淡々と指示を出し、やがて背を向けて、とうとう自分の部屋に戻っていってしまっても、男はひとことも喋りませんでした。
男が刑場に引き立てられていったのは、それから数日後のことでした。
彼のことを警吏に突きだすにあたって、父親はどのような説明をしたのだろうかと、男は考えました。まったく見知らぬ男だと、しらをきったのでしょうか。それとも男が自分の息子であることを話した上で、彼をつきだしたのでしょうか。警吏は男の身の上に関することなど、何ひとつたずねませんでした。彼らに興味があるのは、盗んだ品の在りかだけのようでした。
男は盗品については、すべてとっくに売り払ってしまって、いまごろどこにあるかはまったくわからないと言い張りました。裁判はいまの時代のそれよりも、ずっと略式のものでした。
槍の先でこづかれて、男は絞首台の前に歩かされました。縛られた手足が痺れ、風の冷たさもよく感じられませんでした。
刑場といっても、町の真ん中にある広場に、急ごしらえの処刑台をとりつけただけの場所です。その場には、噂を聞きつけた人々がたくさん集まっていました。あれがほんとうに噂の義賊なのかという戸惑いの声があり、役人たちを小声で罵る声がありました。好奇心に目を輝かせている連中も、中には混じっていましたが、多くの人は、義賊の処刑を嘆いていました。
そうした人々の辛気臭いうめき声は、男を苛立たせました。誰とも視線を合わせないように、ずっとうつむいていた彼は、ふと耳に覚えのある声を聞いた気がして、顔を上げました。
例の孤児院の兄弟が、群衆のなかにいました。幼い弟はその場の空気にわけもわからず怯えており、兄の方はそんな弟の手を握り締めてやりながら、真っ青な顔色をして、じっと唇を噛んでいました。その兄の眼の中に、後ろめたさを読みとって、男は顔をしかめました。
もしかして、こいつはおれの顔を覚えているのだろうかと、男は考えました。話を聞いた義賊が、自分たちのせいでむりな盗みを働いて捕まったと、そんなふうに考えて、一丁前にも、罪悪感にふるえているのだろうかと。
彼はその考えにむかっ腹を立て、二人の少年を睨みつけると、威嚇するように激しく歯をむきました。少年たちは怯えた顔をして、あとじさりました。彼はそのようすを鼻で笑うと、そっぽを向いて、もう兄弟のほうを見ようとはしませんでした。
「最期に言いのこすことはあるか」
刑吏が淡々と聞きました。男はちらりと片頬で笑って、口を開きました。
「盗んだ品は、海辺の古い漁師小屋に隠してある」
朗々とよく通る声で、彼はそう言いました。ずっと、ぜんぶ売ってしまったと言い張っていたのを、このときはじめて本当のことを口にしたのです。刑吏たちはぎょっとして、立会にきていた警吏の、責任者のいるあたりを仰ぎました。視線を向けられた役人は、とっさに計算を巡らせる顔つきになりましたが、群衆の反応の方が、早かったのです。
男の言葉を聞いた群衆の多くは、ざわざわと困惑して顔を見合わせているばかりでしたが、残りのはしこい人々は、一斉に思い思いの方角へ走り出しました。心当たりのある漁師小屋へ、警吏たちよりもさきに辿りついて、あわよくばお宝を自分たちのものにしてしまおうというわけです。
慌てた警吏たちが、そのあとを追いかけようとしましたが、なんせ浜は町の周りにいくつも点在しており、漁師小屋というものは実にたくさんあるのです。てんでばらばらに走る人々を、手分けしてひとり漏らさず追いかけるのは、楽なことではありません。警吏たちは、いっぺんに混乱しました。
男は皮肉に笑ったまま、その様子を見ていました。彼の大事なコレクションが、ほんとうの価値もよく知らない人々の手に渡るのは気にいりませんでしたが、どうせ殺されるのなら、その前に警吏たちにひと泡ふかせてやりたかったのです。男にとって、それはただのいやがらせ、死ぬ前のちょっとしたしっぺ返しのつもりでした。
そのとき、彼にとっては思いがけないことがおきました。誰かが駆け寄って、彼のうしろ手の縄をほどこうとするのです。
ぎょっとして、彼は首をひねり、自分の後ろにいる人物を見下ろしました。あの兄弟の兄のほうでした。
「お前、何をしてる」
男は聞きましたが、兄は答えません。ただ顔を真っ赤にして、固い結び目をほどこうとしています。そんなことをしていれば、残っている刑吏たちに、ひどい目にあわされるかもしれません。
なぜこの少年がそうまでするのか、男には分かりかねました。結局のところ男は盗みに失敗して、彼らの孤児院に金をもっていくことができなかったのですから、この子どもが自分に恩義を感じる理由は、何もないはずでした。少なくとも、男はそう思っていました。
やめさせようとした男でしたが、彼が少年を怒鳴りつけるよりも早く、群衆のなかから何人もの男たちが飛び出しました。彼があっと息をのむ間に、彼らは残ったわずかな数の刑吏たちを、殴りたおしてしまったのです。
「あんたら、何を……」
逃げろ、という声がしました。男はそれでもまだ唖然として突っ立っていましたが、その背中をどんと押すものがありました。あの兄弟でした。
彼の手を縛っていた縄はほどかれ、足のあいだを繋いでいたものも、近くにいた別の人間が、切ってくれていました。
男は駆けだしました。
広場を出る前、一度だけ、男は振り返りました。幼い兄弟は騒ぎのまっただ中で、じっと彼のほうを見ていました。
その後、男がどこに逃げたのか、くわしいことは知られていません。無事に遠くの町に逃げのびて、そこで平穏に暮らしたのだという人もいますし、べつの盗みを働いて、捕まって牢屋のなかで残りの一生を過ごしたのだという人もいます。
男のほうでも、騒ぎになって顔を知られてしまったからには、もうこの港町に戻ってくることは、生涯なかったようです。
これらの騒ぎがあってから、何かが大きく変わったというわけではありません。それからも長いこと景気は悪く、金持ちだけがぜいたくな暮らしを送りつづけました。議会ができたのも、平民がそこに参加するようになったのも、それからずっと後のことです。
漁師小屋に隠されていた美術品や宝石の半分は、警吏たちの手に取り返されて、持ち主のところに戻されました。間に合わなかった残りの半分も、ほとんどは抜け目のない人々の手によって、こっそりと売られていったり、扱いを知らない人々の手によって、台無しにされたりしました。
ただ、一点の宝石をあしらった指輪、それだけがひとりの心ある人の手によってあの骨董商の手元にわたり、そこで買い取られた代金のいくばくかが、ぐうぜんあの兄弟のいる施設の門の内側にこっそり置かれていたのは、男の預かり知らぬ話です。
それにしても、文章を読んでいることをいつの間にか忘れさせる文章力、日々の研鑽のたまものですね。素晴らしい。
義賊が、自分の評判に対して憎悪を感じるところがとても生々しく描かれていて、人物が生きていました。物語にささくれ立つような痛みがあって、通りいっぺんの話ではなくて、心に残りました。最後のぼかしは好き好きかなと思いますが、私は余韻があって好きです。
それにしても、文章を読んでいることをいつの間にか忘れさせる文章力、日々の研鑽のたまものですね。素晴らしい。
義賊が、自分の評判に対して憎悪を感じるところがとても生々しく描かれていて、人物が生きていました。物語にささくれ立つような痛みがあって、通りいっぺんの話ではなくて、心に残りました。最後のぼかしは好き好きかなと思いますが、私は余韻があって好きです。
ほ……ほめ上手! ありがとうございます(´;ω;`)ぶわっ
コメントをいただいてから気付いたのですが、要は自分は「小悪党萌え~」みたいなものを書きたかったんだなと思いました。小悪党が、悪人になりきれずに舌打ちしながらしぶしぶ善行をするような場面が、個人的に萌えるなあと思います。しかし、萌えをただ乱暴に書きなぐって終わってしまったような気がするので(ラストも……)、また別のときに別の形で、いつかもうちょっとちゃんとじっくりと書いてみたいです。
人物が生きていたとのお言葉が、非常に嬉しかったです。ありがとうございます。お言葉を励みにして、また色々書いてみたいです。
お目汚し大変失礼いたしました!
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