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本題の前に。拍手コメありがとうございました。返信が末尾にありますので、お心当たりの方は、右下の「つづきを読む」をご確認いただければ幸いです。
部屋の掃除をしました。
いつもサボってばかりいるので、日々とても汚い部屋で寝起きをしているのですが、マルゴ・トアフを書いているときは、行き詰るたびに掃除機をかけていました。だからその時期だけ妙に部屋が(わたしにしては)きれいで、ともかく人が住んでいるように見える部屋を維持していたのですが、ふと近ごろ見渡すと、いつの間にか元通りの汚部屋でした。
今日、重い腰を上げて、床に散乱する本を棚に並べ、古本屋行きのマンガを仕分け、掃除機をかけました。
人は成功体験をなぞる生き物だそうです。
これをしたらいいことがあったから、また次も同じことをしようというわけです。「小説を書いたら○○さんに褒められちゃって嬉しかったからまた書こう」というのもそうですし、生まれて初めて食べたピーマン料理が美味しかったらピーマンを好きになるのもそう。そこに理屈は、あるようでないなと思います。頭で考えることのような、意識の表層近くの部分ではなくて、もっと内側に作用する力学だなと。
いちおう理詰めでいけば、たとえば掃除機をかけて部屋がきれいになると気分がいいし(あんまりきれいすぎても落ち着きませんが)、気分がいいと作業がはかどるし、体を動かして血行がよくなれば、いいアイデアが浮かびやすいのかもしれません。でもそういう理屈はぜんぶ後づけです。
なぜ再び小説に行き詰ったときに掃除機をかけるかというと、そういう筋道だった理屈があるからではなくて、「前にそうしたら筆が進んだから」という、体験に基づく感覚が背中を押しているだけだなと思います。別にその二つの事象に因果関係が見いだせなくても、多分やる。
人にジンクスというものが生まれる仕組みだなと思います。経験則に基づく行動基準の蓄積。
満月の光に宝くじをかざすと当たりやすいと上司が真顔で言えば、「アホか」と思うわけですが、しかし実際に自分がやっていることを振り返ってみると、まったく同じレベルの行動の反復です。あとからあれこれ理屈をつけるのは、理屈をつけないとなんとなく格好がつかないような気がして気恥ずかしいから、そうしているだけで。
しかし反復していると、別の回路が出来ます。
「小説を書くときにはこの音楽を聴く」と決めれば、その音楽を聴くと自動的にモチベーションが上がるようにならないか……というようなことを、何年か前にやりはじめて、実際に続けてみた結果どうかというと、けっこういい感じです。
書くときにその音楽をかければ、わりと書いているものに集中できます。それでも行き詰まるときは詰まるんだけど、その曲をかけないでいるときよりは、ずいぶん集中が続きます。(コツは、何万回聴いても飽きない曲を見つけることと、どのような雰囲気の小説にもある程度は馴染むテンポの音楽であることかな……)
いまの問題は、書き始めてからの集中のほうではなくて、筆をとる気になるためのスイッチのほうだなあと思います。なんか、いざ書きだすまでに、長いことぐだぐだしてしまう日々です。
とりあえず「掃除機をかけると小説を書きたくなる」という脳内スイッチを作れればいいんだけどな。
しばらく習慣化してみるかなあ。でもやる気スイッチにしては、掃除ってそもそも面倒くさくて敷居が高いよね……(だめじゃん)
続きはコメ返信です。
拍手コメありがとうございます~。そうなんですよね、高いもの持てないんですよねーTT
革、好きですよね。なんなんでしょうね、あれ。靴は、靴そのものというよりも、足のにおいを嗅ぐのが好きな子っていませんか? あと脱いだ服のワキとか嗅がれたりするんですけど、もしかして、うちの子が変態なだけ……?
たしかにお猫様との暮らしって、なによりの贅沢ですね! ……優雅ではないかもしれませんが!
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